

★昨年、イニエスタを採ってからのヴィッセル神戸は一躍注目の的になっている。
今期はさらに強化してトップを突っ走るのかなと思っていたらそうでもない。
成績が思わしくないなと思っていたら、リージョ監督契約解除のニュースが流れた。
今季はJ1開幕7試合を消化し、3勝1分3敗の10位だから、もう一つだが最悪と言うことでもない。
サッカーの監督はちょっと成績が悪いと直ぐに解任である。
負け越しとなっている阪神の矢野監督が、若しサッカー監督だったらひょっとしたら解任されてるかも知れないと思たりした。
サッカーのほうが、野球よりも監督が試合中に指示できることは少ないようにも思うのだが、『サッカーの監督』は厳しいなと思ってしまう。
ヴィッセル神戸は、ちょっと成績は悪いが、試合そのものはなかなかオモシロく、ファンを楽しませてくれているのは間違いない。
そんなヴィッセル神戸にまた大きなニュースが・・・
この夏、スペインの強豪バルセロナとの対戦が実現したようである。
どんな結果になるかは別にして、楽しみなことである。
ただ、人気が出過ぎて『Kawasaki』がスポンサーをしているのだが、以前と違って、現場での観戦はムツカシクなってしまった。
それにしても三木谷さん、次々にいろいろとやってくれるものである。
是非、7月までには、チーム成績も上位に戻っての対戦であることを期待したものである。
★タイガーウッズがマスターズを制したというニュースが流れた。
『そんなことはもうあり得ない』と思っていただけにビックリした。
このランキング推移にあるように、15年間も『世界第1位』を続けていたのに、いろんなことが重なって1200位まで落ちてしまっていたのである。
そんなタイガーの復活など、誰も信じなかったのに昨年あたりから急激に復活して、今年は4大タイトルの第1戦、マスターズでまさかの『逆転優勝』なのである。
テレビで観ていたが、12アンダーでトップに並んでからのタイガーウッズは、ホントに素晴らしかった。
16番のショートホールでの『バーデイー』で勝負は決まったと言っていいだろう。
そんなタイガーも、18番の戦い方は『勝ち方を知っている王者』だとも言えるし、あのタイガーウッズでも10数年ぶりの優勝には『心が揺れた』のかも知れない。
第1打はスプーン、これがちょっと右に出た。
グリーンは狙えたと思ったが、右の樹を気にしたのか、グリーンには乗らなかった。
ボギーでも優勝、という計算はあったのだと思うが、寄せはいつものタイガーのようには寄らなかったが、ちょっと長いパーパットは外したが、短い優勝パットを決めての、グリーンジャケットである。
このあと毎月続く、全米オープン・全米プロ・全英オープンに 目が離せない。
間違いなく、優勝候補の有力な一人になるのだろう。
★ゴルフを始めたのは結構遅くて、42歳のころだったと思う。
何でもやりかけたら熱っぽくはまってしまう性格なので、一生懸命練習したし、ゴルフコースの会員権も買って月例などにも参加するようになったのである。
ホームコースが難度の高い『播磨カントリー』であったことから、月例でアンダーが出るとそのままハンデイ―は減っていくというか、上がっていくのである。
最初に貰ったハンデイーが18だったのだが、毎月月例に出ていたら1年程でハンデイー10になったのだが、そこからは普通の方の発想と違って、『10になれば満足』とシングルなどは目指すことなく月例に出るのも止めてしまったのである。
もう少しやれば、多分シングルには成れたと思うのだが、『片手シングル』というかハンデイ5以下になるのはムツカシイと思ったし、何事もどうも世の中の資格というのが『好きになれない』のである。
若い頃、碁も初段を取れと言われて止めたし、ダンスも『教師の免許を』と言われて止めてしまったのである。
ゴルフでも碁でも、所詮は趣味の世界だから、『シングル』を目指すとなると、楽しさよりは苦しさのほうが多いし、プロのレベルにはなれないと思ってしまうのである。
そんなことで私の人生の生き方は『ハンデイ10の人生』で、何事もそこそこのところで、満足しているのである。
今の生活の、ネットも、ジムも、薔薇もみんな「ハンデイ10」のレベルには達していると自己満足しているのである。
★ ゴルフはハンデイ10になって以降も、遊びでは続けていたし、30代が出ることもそんなに珍しくはなかったので、実力シングルと勝手に満足していたのである。
ところで、最近のゴルフはカワサキのZ1会年4回と大学の野球部のコンペ2回の最大年6回しかやらないのだが、スコアは100は叩かないが、90は切れないのである。
気分的には、90を切るのはそんなにムツカシクナイと思うのだが、なかなかそんなスコアにならないのは、寄せとパットが全然で、そのために大たたきをしてしまうことが多いのである。
なぜかな?といつも思うのだが、ゴルフは気持ちを入れて確りやらないと、『いい加減』ではスコアにならないスポーツのようである。
いい年をして『真剣に寄せやパット』をやるのもと思って簡単にやるとダメなのである。
今年も来週4月10日に、第1回のZ1会があるので、昨日は久しぶりに練習に行ってきた。
練習場に行くのは、半年ぶりだが、家で素振りだけはやってるので、結構『いいショット』が打てるのである。
昨日も70球ほど打ってきたが、まずまずだった。
今年から86歳だから、86で回れば、エイジシュートなのである。
そんなにムツカシイスコアではない、と気持ちだけはそう思うのだが、やってみるとそうはいかないのがゴルフなのである。
果たして何歳まで、ゴルフが出来るのだろう?
Z1会の会長大槻幸雄さんは米寿を既に迎えた88歳なのにお元気で参加されている。
私も少なくとも米寿は目指したいし、もし生きてたら90歳までやりたいなと思う。
ジム通いを続けていたら、歩くことや体力だけは大丈夫なのである。
問題は『スコア』だけだが、『いつかは、エイジシュートを』を目標に頑張ってみたいと思っているのだが・・・・
★学生時代を含めて若い頃は10年以上野球漬けの生活をしていたのだが、どうも野球は観るよりも『自分がするスポーツ』のような気がして、『観るなら』息子や孫たちのやってるサッカーのほうが動きがあってオモシロいと思うようになった。
そんなこともあって、野球観戦からはちょっとご無沙汰だったのだが、昨秋『大谷の大リーグ登場』があってその大谷をエンゼルス球場で生で観たりしたものだから、また何となく『野球もいいな』と思ったりしているのである。
今年は春からイチローの引退などの野球の話題もいっぱいで、昨日は開幕したプロ野球も阪神が2連勝したり、マリナースは日本の第2戦に続いて、アメリカでも菊地雄星がレッドソックス戦に登板して、勝利投手間違いないと思ったのに、まさかの9回スリーラン逆転ホームランで、初勝利が消えてしまったのである。
菊地は強豪レッドソックスを相手に好投していただけに惜しまれる。
巨人ー広島戦では、このオフの話題の移籍であった丸が5連続三振を喫するなどなかなか話題豊富なプロ野球の幕開けである。
★甲子園では春の選抜真っ盛りである。
明石商業が8強に残った。
私は明石高校の野球部OBなのだが、私たちの時代は明石高校の中に商業科があったのだが、それが後、分かれて独立したのが明石商業なのである。
そういう意味では、今では明石には幾つも高校はあるのだが、明石商業には何となく愛着もあるのである。
我々の時代の明石高校は『名門明石』と言われていて、公立校ながら春夏の甲子園にも出場していたのだが、特に私の学年の年次には溝畑・藤原というチームの主軸が商業科だったのである。二人とも卒業後は兵庫県の実業団の名門神戸製鋼で活躍するのだが、特に溝畑圭一郎はそんなに大きくはなかったが、名投手で鳴らしていて、高校時代には完全試合もやったし、都市対抗戦には神戸製鋼が出る場合は勿論だが、兵庫県のどのチームが出ても『補強選手』として出場しているのである。
そんなこともあって、明石商業もさらに頑張って欲しいなと思っている。
そんな同期の旧友たちもみんな逝ってしまって、いま残っているのは溝畑と私だけになってしまった。
昨日は1日、テレビで野球を観て過ごしていた。
★孫の門野真也、 D.C. United の春季キャンプに参加していたが、今回正規契約にサインして、プロサッカー選手の道を歩くようになったようである。
子供の頃から追っかけてた夢が実現しておめでとう。
今回契約にサインして、プロサッカー選手の道を歩くようになったようである。
★ アメリカではサッカー関連で、いろいろと報道されているようである。
既に、練習試合では今シーズンD.C.Unitede の初得点をShinyaが記録しているのだが、ルーニーがちょっと怪我して代わって入っての得点だとか。
そんないい運も、持っているようなので、頑張って欲しいと思っている。
英語はよく解らぬが、 こんな報道がなされている。
★今、2月1日の午後である。
今夜は、アジアカップの決勝戦である。
優勝するしないは別にして、「日本のサッカー」も強くなったなというのが偽らざる感想なのである。
私自身は中学時代から野球一筋でスポーツの世界を経験したのだが、私にとっても『サッカー』はある意味、特別なスポーツだったのである。中学は旧制の神戸一中だったのだが、いろんな運動部がある中で『サッカー部』だけが特別だったと言っていい。
私が中学時代を過ごしたのは戦後の昭和21年(1946)からの3年間なのだが、その時代神戸一中は日本のサッカー界での名門であったことは間違いないのである。
当時にも全日本チームはあったのだが、そのメンバーの中には神戸一中の先輩たちがいっぱいいたし、当時の高山校長先生ご自身がサッカー部のOBで、練習にも参加されたりしていたのである。
ちょっとネットで調べてみたら、こんな記述に出会ったのだが、日本のサッカーは近畿地方を中心に広がっていったのである。
神戸市の御影師範学校を中心に、近畿地方がサッカー先進地となり、近畿地方では比較的サッカーの受容が早く、しかも府県内の中等学校で広範囲に行われた。中等学校でのサッカーの広まりを受けて、1918年に大阪の豊中グラウンドで第1回日本フートボール優勝大会が実施された。これが現在も続く全国高等学校サッカー選手権大会の始まりである。高校選手権は1975年まで、大阪、兵庫両府県を中心とする近畿地方で開催されていた。
その流れを汲んで、神戸一中は御影師範と共に名門と言われていたのである。
神戸一中に関しては、こんなネットのデーターも出てきたのである。
確かにその通りで、サッカーと言ったら「神戸一中」で、運動場で『弁当を立ち食い』するのは神戸一中の伝統だったのである。
★そんな環境で育ったので、『サッカー』にも普通の方以上の関心は持っていたのだが、はっきりと『サッカーを意識』しだしたのは、息子は小学校4年生ぐらいまでは野球とサッカーをやっていたのだが、何故かその後『サッカー』に専念するようになってからである。
今の子供たちの、『サッカーのレベル』とは全然別次元であることは間違いないのだが、その当時の小学生の『オール三木』は結構強くて、兵庫県で優勝したりして、当時清水市などで開催されていた大会などにも出場して、『優秀選手』に選ばれたりするものだから、私の『サッカー熱』も急激に上昇していったのである。高校時代にはトレセンにも選ばれたりしたが、今と違って近畿でトレセンの1チームができる程度の人数だったのである。
当時はまだ日本リーグ時代でヤンマーは『釜本・ネルソン吉村』などスター選手がいてよく観に行ったので、当時の日本のサッカーのトップチームのレベルも、よく解っているのである。釜本のシュートなどはホントに凄かったが、野球でもサッカーでも昔のチームとしてのレベルは、今とは比較にならないほど『低レベル』であったことは間違いないのである。
★そんな昔とは違って、野球でも、サッカーでも今は全国区で、箱根の山を越えなかったと言われた高校野球の優勝旗だが、いまは北海道も、東北も優勝候補に挙げられる世の中になってきた。
最近の日本のスポーツのレベルはホントに『世界レベル』で昔とは全く異次元のレベルで、年々強くなってると言っていい。
日本のサッカーのレベルも、昨年のワールドカップでは、世界のトップチームのベル―ギ―に勝つのかと思ったところまで行っているのだが、いま、アジアカップを戦っているメンバーは、『より若手のチーム』になっているのだが、昨年の『全日本』よりさらに強くなっているのではなかろうか?
『観るスポーツ』として『サッカー』は野球に比べて数段オモシロいスポーツであることは間違いない。
今夜もちょっと夜遅いのだが、間違いなくそれを観ることになるだろう。
果たして、優勝するのだろうか?
今までは、接戦ではあったが勝ち抜いてここまで来た。
あとの感想は、観戦後となるのだが『日本のサッカーが強くなっている』ことは間違いないのである。
今夜の実況放送を観ようと思っているが、Yahooの意識調査で、誰が得点するかというのがあった。
やはり、大迫・堂安の順だが、誰でもいいから『先取点』が欲しいなと思っている、
★こんな予想だったけど、カタール戦は残念ながら3-1と負けてしまった。
日本もよかったと思ったが、点に繋がらなかったし、逆にカタールは少ないチャンスをものにして3点を取ったという試合展開だった。
こんなところが、サッカーの怖さ、オモシロさかなと思う。
優勝できなかったのは残念だけど、
森保ジャパンよく頑張ったと思う。
充分に楽しませてもらった アジアカップ2019 だった。
★私はスポーツは好きだが、野球でもサッカーでも個人的に好きな選手はいるのだが、チームに対しては『熱烈なファン』にはどうしてもなれなくて、ヨコから冷静に眺めてるスタイルなのだが、それでも「好きなチーム」はある。
サッカーで言えば、ヴィッセル神戸も、ガンバ大阪も、セレッソも好きだし、仙台も札幌もいい。 それぞれ何か関係があるから、熱烈ではなくても何となく好きになるのだろう。仙台とか札幌は昔そこに住んでいたことがあるという単純な理由だけである。
そんななかで、『ヴィッセル神戸』はもっと熱烈であってもいいくらい その理由は揃っている。
ガンバも、ヴィッセルも、かって息子と一緒にやったこともある和田や長島がいたので何となく応援してたのだが、
ヴィッセルははじめはノーリツがスポンサーだったのだが、今では Kawasaki がスポンサーとなったし、オーナーの三木谷さんは、会ったこともないが明石高校の後輩なのである。
そんな『ヴィッセル神戸』が昨年イニエスタが入団して以来、俄然、話題がいっぱいなのである。
イニエスタが入団するまでは、いつも満員にはならなかったので、川崎重工業から毎回無料の入場券の申し込み受付があったのだが、最近はそれがなくなってしまったのである。
さらに、ビジャ選手も入って、ポドルスキ選手と3人も世界最高のスターを揃えることになったのである。
山口蛍も入ったし、ヴィッセル神戸は一躍スター軍団になったと言っていい。
★そんな『ヴィッセル神戸』だが、今カリフォルニアのIrvine で春のキャンプを張っているらしい。
昨日娘婿が、Facebook にこんな写真をアップしたのである。
これはIrvine のオレンジ・グレート・パークのサッカー練習場である。
広大な空軍の飛行場跡を2年ほど前から、サッカー場や野球場にしている途中なのだが、途中と言っても完成したサッカー場や野球場は、こんなにあって見事である。
ちょっと日本では、考えられないような規模で、孫の末弟の入っているStrikers FC の練習場がここだから、昨秋2ヶ月ほど遊びに行ってた時は、私も毎日のように観に行ってた懐かしい場所なのである。
ヴィッセル神戸の、ホーム・ページにも、こんな紹介が載っていた。
やはり、イニエスタ・ビジャ・ポドルスキの3人は、大人気のようである。
2月まで滞在して、何試合か試合も組まれてるようである。
同じ場所なのだが、これは孫のチームStrikers FC の練習風景なのである。
夕方5時から7時まで、2時間の練習なのである。
孫の末弟は、小さい頃から超有名人と一緒に写真を撮ってるので、今回、ヴィッセル神戸のスターと写真でも撮れたrいいのだが・・・
これは、前アメリカ代表監督、クリンスマンさんと
これは日本に遊びに来たとき、ヴィッセル神戸の練習に参加させてもらって、
そして、これはこの『オレンジ・グレート・パークのサッカースタジアム』のこけら落としの試合に出場したのだが、その時たまたま、ここにやってきてた本田佳祐さんと、去年の春のことである。
ベッカムと写っているのは、末弟ではなく次男だが、
この辺りには、ホントに超有名人が現われることが多いのである。
イニエスタと『ツーショット』で写せたらいいなと思うが・・・
そんなことになったら、『ヴィッセル神戸の熱烈なファン』になるかも知れない。
Irvine のグレートパークでのキャンプは、2月5日まで、まだチャンスはあるのだが・・・・
★Shinya Kadono のラスト・シーズンは、アメリカ大学サッカー史上初めての日本人得点王にも輝いたし、ベストイレブンにも選ばれて最高の終わり方をしたのだが、今シーズンの Shinya Kadonoの活躍の特集You Tube が出たようである。
Shinya Kadono 2018 Cal Men's Soccer Highlight
それは9分23秒に亘って、パスとドリブルのスキルと
12点を叩き出して、ダントツの得点王に輝いたシュートと得点シーンが集められている
いい場面ばかりを集めてはいるのだが、なかなかのスキルだし、大きなアメリカ人達に囲まれても決して当たり負けしていない強靭さがウリである。
どんな場面になっても慌てることなく、常に冷静で回りが見えているのもいい。
この試合の殆どは、私も現地で生で見たのだが、改めてYou Tube を見ると、その時の想いが蘇る。
これは、私自身のためにブログにアップして、9分23秒を楽しみたいと思っている。
サッカーをお好きな方は、是非ご覧になってみてください。
それにしても、アメリカはいろいろ『やってくれる』ものである。
★野球が世界一強いのはアメリカ大リーグだと思っているし、間違いなく今でもメジャーのレベルが一番なのだろう。
そんなメジャーリーグの選抜チームが日本にやってきて侍ジャパンと戦っている。
未だ3戦だが2連勝した日本が2勝1敗と勝ち越しているのである。
戦後1949年(昭和24年)に初めて、オドール監督が率いるサンフランシスコ・シールズが日本にやってきて全日本のオールスターと戦ったのだが、どの試合も完膚なきまでに全日本チームを圧倒し試合にはならなかったようなスコアだったのである。 その甲子園であった試合は私は高校1年生の頃だが観に行ったのである。そのシールズは確か大リーグではなくてマイナーリーグのチームだったはずである。
当時の日本の野球はそんなレベルで、マイナーリーグにも遠く及ばない実力だったのである。
私自身も野球をやっていたのだが、いまの高校野球のレベルとは異質のものであったことは事実で、そういう意味では日本の野球も強くなったものだと感心しているのである。
野球に限らず、今日本のスポーツ界では、世界のトップレベルにあるスポーツはいっぱいあるのだが、体力的には欧米に劣る日本人なのに、
『なぜこんなにスポーツ界のレベルが上がったのか?』
その答えは? どんなことが正解なのだろうか?
★今回の日米野球で特筆されることは、アメリカチームの中に松井がコーチで、前田がピッチャーとして加わっていることである。
こんなことは考えられなかったのだが、現実に日本のトップレベルはアメリカでもトップレベルに位置している。
試合前にはこんな光景も観られた。
そして次の13日にある第3戦の先発投手は、アメリカチームは前田が登板するらしい。
日本の野球も新しい時代に入ってきたと言えるのかも知れない。
★アメリカのBerkeley大学 にいる孫の真也『4ゴール1アシスト』で6-2で勝ったらしい。
サッカーの話である。 3点を取るのを『ハットトリック』というが4点は何というのだろう。
孫もよほど嬉しかったのだと思う、LineでわざわざBerkeley の寄留先から電話してきたのである。
Snipping Tool で写った画面を電話中に切り取ったものである。
世の中、なかなか便利でいい。
サッカーは結構見ているが、4得点は見たことがない。
孫の真也は、何となく子供の頃から 得点慣れしていてゴール前で慌てないところがいい と思っている。
これは決めると思った時は必ずと言っていいほど決めるのである。
リーグ戦は始まったばかりだが、4試合で5得点2アシストになって出だしは最高だし、この秋は4回生で最終学年で、チームのキャプテンもしているのだから、是非得点王を狙って欲しいなと思っている。
リーグ戦は11月初めまであるので、9月末からは私も孫のサッカー観戦にアメリカに行くことにしているのである。
★本人も含めて、周囲はみんな大喜びである。
この写真は娘婿がFacebook にアップしたもので、
アメリカは大学生のサッカーでもテレビ放映はあるし、このようにマスコミがすぐアップしてくれるのである。
こちらは娘がこのようにFacebook にアップしている。
孫が、わざわざ電話してきたのは、言わなかったが『ブログにアップしてくれ』ということだろうから、私もそれに応えているのである。
★アジア大会、昨日までの水泳では日本チーム大活躍だった。池江璃花子が50メートル自由形で優勝して6個目の金メダルを獲得し、日本選手の1大会最多記録を更新したりしたのである。
今日からいよいよ陸上が始まりその幕開けの男子マラソンが、日本時間8時頃にスタートした。
30人足らずのマラソンで井上・園田の日本勢は優勝候補、女子マラソン並のゆっくりとしたペースで始まった。
タイムよりは、金を狙うという勝負のマラソンである。
こんなジャカルタの中心街の真ん中の道を2周するというコースである。
インドネシアは、カワサキの小型車対策としてCKDビジネスをスタートさせた頃、タイ・イラン・インドネシアの3国がその候補となり、私自身も現地調査と現地デイストリビューターとの交渉などで、3度ほど訪れたことのある懐かしい街である。
当時は、ジャカルタの道はバイクで満ち溢れていた。都会の道をあんなに多くのバイクが走るさまをそれ以外の国では見たことがなかった。
GTO110がめちゃくちゃ売れて、カワサキの二輪事業市場ダントツのヒット商品になったのだが、すべてがCKDなのでその台数の記録は残っていないのである。
そんな街の道もこんなに整備されて、ビルもいっぱいだし、当たり前のことかも知れぬが様変わりなのである。
スタートを見てから、私自身は三木市の体育館のジムに行って、30分のバイシクルなど筋力トレーニングをしてマラソンのゴールに間に合うように家に戻ってきたのである。
家に戻った時は35キロあたりで、園田を先頭に5人の集団になっていて、この5人でのメダル争いだったのである。
37キロあたりでエルアバシ(バーレーン)が先頭に立ち、井上がすぐさま追走し、エルアバシと並走。
園田は多布傑(中国)と並走し3位集団。
アビドゥ(バーレーン)は遅れて、二人づつとなってそれぞれが金と銅を争う戦いとなったのである。
その金メダル争いは競技場まで続き、井上とエルアバシ(バーレーン)の文字通りの『トラック勝負』となったのだが、
井上が先行し、残り100メートルからスプリント勝負。
残り50メートルでインをついてきたエルアバシと接触し並ばれたが、井上が逃げきって金メダルを獲得した。
日本勢の優勝は1986年ソウル大会の中山竹通以来、32年ぶりで、020年東京五輪と同じ夏場のレースを制し、五輪へ弾みをつけた。
園田隼は、多布傑(中国)に敗れて4位だった。
久しぶりに日本人のマラソンでの優勝シーンを見ることができた。
終盤の戦いは壮絶だったし、ホントの微差での金メダル獲得で、今から続く「陸上競技」に弾みをつけた感じである。
それにしてもインドネシアの人たちは、この大会に冷静というか、特にこのマラソンのスタート時には、競技場に観客はいなかったし、中心地のコースだったこともあるが、沿道で応援する人の姿も少なかった。