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雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

52回全日本大学駅伝 駒沢大学優勝

2020-11-02 06:24:03 | スポーツ

★ テレビで『全日本大学駅伝』をやっていた。
 最初は何となく観ていたのだが、
    8区になって東海大と駒沢大の並走が続いて目を離せなくなった。
 
     



 最近は、ランニングをする人たちは多いが、

 このレベルはまた格別の別世界だと思う。

 名古屋の熱田神宮から伊勢神宮までの106キロを5時間ちょっとで走破するのである。

 


 その競い合いは伊勢神宮の入口まで続いたのだが、

 


 
 最後は駒沢大が一気にスパートして

 



 駒沢のエース2年生の田澤は2位を約30秒引き離しての優勝だった。









 最後の順位は駒澤大学が大会新記録で21回目の優勝を決めたのである。








 来年のシード権が得られる8位までは、箱根駅伝でお馴染みの関東の大学が名を連ねて、全日本大学駅伝なのだが、関西の大学は10位までには入っていない。

 優勝回数を見ても、圧倒的に関東勢なのである。


 ★ 52回の長い歴史の中では福岡大学がだい10、12.13回と3回の優勝を果たしているし、
 関西校でも第17回に京都産業大学が制覇しているのである。

 私自身が「息が切れる」のは全くの苦手なので、
 こんな走りを見ると『人間業』とは思えないのである。

 そんな人間の驚異的な走りを見て、ただただ感心していたのである。

 2か月後新春には箱根駅伝がある。
 今回上位のこんな大学の間で争われるのだろう。


    

 
  
 ただ、箱根は2日間の長丁場だから、
 選手の数もほぼ2倍になって、チーム全体での実力が問われるのだろう。


   


  駒沢大学は55年連続出場出凄いなと思っていたら、
  日本体育大学は73年連続出場で、
  一番多く出場しているのは中央大学の94回なのである。


    

 
 因みに箱根伝は、来年が97回目の長い歴史のある駅伝なのである。

 何でも、調べてみると『直ぐ解る』いまの世の中ではある。

 



門野真也のゴルフ

2020-10-23 06:33:54 | スポーツ

★ 『何を思ったのか』 孫・門野真也がゴルフを始めたらしい。

 そして『何を思ったのか』その練習中のビデオを
 Facebook のメッセージで私のところに送ってきた。


     


  

 そのビデオがコレである。
 まだ、始めたばかりでコースには出ていないらしいが、
 一見して、これは『見込みあり』だと思った。

 


 
  ゴルフは、止まったボールを打つ。
  だから、打つだけはそんなに『ムツカシクはない
  だから、大勢の人がやり出すが、『なかなか上達』はしない。

  上手くなるためには『反復練習』がMUSTだし、
  それが『継続できる』ことが条件だと思う。



★ 私自身は42歳でゴルフをやりかけた

  めちゃ一生懸命やったし、会員権も買ったし、
  月例競技にも欠かさず出ていたら、
  1年ちょっとで『ハンデイ10』になったが、
  それで満足して、『ハンデイをさらにあげる』ことはやめにした。
  
  仮にそれ以上やってみても『片手シングル』はなかなかムツカシイし、
  プロになる訳でもないから、『実力シングル』ならそれでいいと思った。

  そういう意味では『私の生き方』は『ハンデイ10の人生』で、
  何をやっても、『人並みちょっと上』までは行くが、
  それ以上は決して追求しない。
  それ以上は、苦しいだけで『楽しさがない』と思ってしまうのである。


★ そんな『私のゴルフ』だが、門野真也の性格は『ゴルフ向き』だと思う。
  何事にも取り組んだら熱心だし、『継続性』もある。
  私が42歳で始めたのとは違って、まだまだ若いし『可能性がある
  と思ったので、ちょっと批評して返事したら、
  翌日も別のビデオを送ってきたし、
  それにさらに論評したら3日目も送ってきた。

  
  そのビデオがコレである


     



  たった3日だが、コメントしたところが修正されて、
  非常によくなっている。

  見てやってください。
  始めたばかりのゴルフではないことは間違いない。

  


 
   これらの写真は、このビデオの中から写したものである。



        


        


        

        

        

        



  3日前とは安定度が全然違う。
  サッカーで体が出来ているからだと思うが、
  柔軟性も安定度も抜群だし、全体に力が入って力んでいないのがいい。

  あとトップの貯め一瞬出来て、
  左手首の折れが真っ直ぐになったら、ほぼいいと思う。
  ボールは真っ直ぐ飛んでいるようだし、
  このまま身体が覚えたら、ショートコースに出ても、
  何とかなるのではと思うが、


★  こんなことをブログにアップしたら『熱心になり過ぎて』しまうかも。
       娘も、娘婿も一応はゴルフをやるので、
  3人で、ショートコースを廻ればいい。

  アメリカはゴルフをやるには絶好の環境なのである。



  

藤浪初ホールド

2020-10-01 06:27:20 | スポーツ

★『藤浪初ホールド』という阪神藤浪のこんなニュースが流れた。

 テレビで観ていたが、『快投』と言っていい投げっぷりだった。
 



『初ホールド』というのがよく解らなくて、
 調べてみたらこのように出てきたが、
 読んでみてももう一つよく解らない。
   




 
 兎に角、『リリーフ投手が好投した場合』に与えられるのだろう。



★このところ藤浪はリリーフで連続して登板している。

 『リリーフ投手に転向すべきだ』という意見もあるようだし、
 『やはり藤浪は先発投手で使うべきだ』という意見もあるようである。

  
  甲子園の優勝投手だし、出来れば先発で10勝以上を狙う本格的投手の道が理想なのだと思うが、ここ数年はコントロールに難があり、いい成績を残せていないのである。

リリーフ投手』としては今シーズンが初めてだと思うが、今のところ順調にこなしている。

 いろんな意見があると思うが、私は『リリーフ』に転向し
出来れば『藤川のような抑え投手』を目指すほうがいいような気もする。
 何よりも『毎日藤浪が見れる』のがいいと思うし、
 昨日も『159キロ』を記録したが、
 短いイニングで『160キロ台』を目指せばいい。

 何となく、精神的にはあまり強そうではないので、
 毎日登板して、体が慣れてしまうほうが6日に一度の先発で、
 5日間『いろいろ考える』よりは藤浪には似合っていると思う。

 今から先発に戻って『10勝を目指す』のは大変だが、
 リリーフで1回を思い切り投げて『160キを目指す』ほうが可能性がある。
 あの球威なら『真っ直ぐ』だけでも通用するように思う。
 プロ野球なのだから、球場に来たお客さんが毎日喜べる方がいい。
 『藤浪』にはそんな素質は未だ充分あると思うのだが・・・・




大谷翔平 やはりただものではない・・・・

2020-08-01 06:43:54 | スポーツ

★ コロナで大変なアメリカだが、プロ野球が無観客だが始まった。

 やはり『大谷翔平』が気になる。

 2020年のスタートは第1打席がヒットで幕を開けた。
 でも、その後快音も聞かれず打率は1割台だったが、

 投手としての緒戦登板の結果は散々だった。

 
 スポーツ報知は次のように伝えている。
      
エンゼルス・大谷翔平投手が26日、18年9月2日のアストロズ戦以来693日ぶりに敵地・アスレチックス戦で先発。
18年10月の右肘靱帯再建手術からの復帰戦は、1死も奪えず3安打3四球5失点で降板し、負け投手になった。
最速も94・7マイル(約152・4キロ)止まり。
二刀流完全復活へ向け厳しい幕開けになった。

 この結果を見て、いろんな論評が流れたが、
 試合後の記者会見ではこんな一問一答を

 —今日の一番の目標は。
 「勝つことがまず一番の目標でした。内容より
 —紅白戦以外の対外試合がなかった影響は?
 「投げた人もいますけど、なかった人もいるので、それは言い訳にはならないかなと思いますね」
 —フォークをあまり投げていなかったが。
 「フォークも投げる前に終わってしまったという感じかなと思います。スライダーもそうですけど
 —真っすぐの球速が出なかったのは。
 「ただ投げている感じの方が強かったので、抑えにいく、打たせないというところじゃないかなと思います
 —肘、膝の張りは?
 「張りもそんなに投げていないので、体的にも疲れる前に終わった感じじゃないかなと思います


 『復活を信ずる』とあるが、
 間違いなく『復活する』と思っている。
 次の登板に『期待したい







 基本的に『素質のあるスター選手』は大丈夫なのである。
 長嶋が金田に喫した『連続三振』みたいなものだと思えばいい。
 そんな素質がどこかに行ってしまうようなことはないのだと思う。


★そんなもう一つパッとしない今年の出足だったが、
 ホームランの第1号が出た。
 逆転3ランだったのだが、再逆転されてしまった。
 



 

 そのホームランの打ち方にみんなビックリ。
 ちょっと当てたら入ってしまった感じなのである。

  
   

 やはり、大谷はスゴイなと思っていたら、
 ネットでは、まだ打たぬ前から『連続2号なるか』などと書かれていて、
 
 そんな期待が持たれていたのだろうが、
 その期待通りに『連続2号』が出たりしてビックリした。



   


 
 もう一昨年になるのだが、
 エンゼルス球場で『生の大谷翔平』を観たので、余計に身近に感じる。


 次回の投手としての登板期待したい。
 スターとは 『期待を裏切らない』 そんな人のことを言う。

 多分大丈夫だと思うのだが・・・・



 
 

鳥谷敬 よかったな

2020-03-11 06:27:53 | スポーツ

★阪神を退団した鳥谷敬、現役にこだわっていたが、ロッテに入団することになったという。
よかったな』というのが、感想である。


 こんな鳥谷独特のスイングがもう一度見られるだろうか?

  
  

 
 改めて鳥谷の経歴を見るとこのように記されている。

鳥谷敬(とりたに・たかし)1981年(昭56)6月26日生まれ、東京都出身。
聖望学園で3年夏に甲子園出場。
早大に進学し、2年春に東京6大学史上最速タイで3冠王に輝くなど活躍。
03年ドラフト自由枠で阪神入団。
2年目の05年に遊撃の定位置を獲得し、1939試合連続出場はプロ野球2位、全イニング連続試合出場667は同5位。
17年9月に通算2000安打を達成。180センチ、79キロ。右投げ左打ち。


★確か早稲田時代は、青木宣親と同期だったと思ってネット検索してたら、
恩師が語るちょっと旧いが、こんな記事もあった。

「あんなもんじゃないんだけどなあ」
 4年ほど前のことだ。鳥谷敬の早大時代の恩師、野村徹は、そう嘆息していた。
「プロに入ってからの成長率が低い。まだまだできるはず」
 
 
よく怒られた青木、教えることがなかった鳥谷。
「鳥谷の実力は、入学した時点で頭一つ抜けてましたからね」
エリートが集まる早大で、鳥谷は1年春からショートとして定着。
2年春には、史上最速タイで三冠王を獲得した。
「青木のように手取り足取り教えたことはまったくなかった。1年生のときに、私の手をすでに離れてましたから。僕が指導したのは、キャッチボールのときの投げ方ぐらいかな。それ以外は、プロに入ってから教えてもらえばいいと思っていた」

そんなに飛びぬけていたのかな?
と思うが、阪神での永年の実績を見ると『そうかも知れない』
確かに、今阪神の内野陣は若手の有望株がいっぱいだから、鳥谷に対する処遇も解らぬではない。

 新天地ロッテで、頑張って欲しいと思っている。



 




ヴィッセル神戸 富士ゼロックス杯を制す

2020-02-09 08:33:20 | スポーツ

★ヴィッセル神戸が天皇杯優勝に続き、
Jリーグチャンピオン横浜との対戦を、
3-3の後のPK戦で制して、今年二つ目のタイトルを手にした。

 

 
3度リードしたヴィッセル神戸だったが、
3度追いつかれて3-3の同点で迎えたPK戦は壮絶極まるものだった。


こんなPK戦は観たことがない。
プロの代表歴のあるような一流選手が『枠外のミスキック』を連発し、
キーパーの好セーブもあって、何と9人連続で『失敗』が続いたのである。




 最後に、山口蛍が決めて神戸に優勝を齎した

 


★ 横浜も好きなチームの一つではあるのだが、
 昨日はヴィッセル神戸を応援していた。

 ヴィッセル神戸のスポンサーを Kawasaki がしているし

 


 社長の三木谷浩史さんは、面識などはないが、
 『明石高校の後輩』なのである。


   


スペインのスーパースターイニエスタなどを擁して、
オモシロいサッカー見せていたのだが、
もう一つ実績が伴わなかったが、

この新春に天皇杯を制して日本一となって、
昨日はJリーグチャンピオンの横浜との対戦だったのである。
3度先制したのでそのまま勝利するのかと思いながら観ていたが、
3度追いつかれてのPK戦だったのである。

結果的にタイトルが取れてよかった。

つい先日、今年も主将を務めるイニエスタが『全タイトルを取る』との『5冠宣言』の記事が出ていたが、

  


 是非、オモシロいサッカーを見せるだけではなくて、
 『いい結果』を期待したいし、
 『アジアチャンピオン』を目指して欲しい。

 幸先いい勝利だった。




『島田紳助さんから 私が学んだこと』   雑感

2020-01-19 07:44:24 | スポーツ
知識は覚えただけではダメ、
それを誰かに発信することによって、はじめて身に付くものである。

これは私があの島田紳助さんから教わったことである。

90年代の半ばごろだったと思うが、島田紳助が会社にやってきた。
鈴鹿の最後のレースを『カワサキに乗りたい』という希望で来られたのだが、
何故か実現はしなかった。
 
その時の雑談で、当時の政治討論番組サンデープロジェクト』の話になり、
あの番組だけは緊張して、前の晩から入り勉強するのだが、一つも身に付かない
というので
なぜ?』と聞いたら、

知識というのは人に喋って初めて身に付くのだが、私の仲間はバカばかりで、それを喋るような相手がいない』と仰るのである。

まさに『紳助流のジョーク』なのだが、
知識は喋ることによって身に付く』というのは、ホントにそうだと思って、
私は確りと覚えているし、実践もしているのである。

一番いい例が『学校の先生』だと思った。


   

サンデープロジェクト』は、テレビ朝日系列で1989年4月2日から2010年3月28日まで毎週日曜 10:00 - 11:45に生放送された報道・政治討論番組である。

  
★最近は『外で喋る機会』も少なくなったので、
その代わりにこんなブログを毎日発信しているのである。

昨今は、Google検索などすれば、幾らでもいろんなことが解るのだが、
ただ読んだだけでは『なかなか覚えられない』ので、
自分のためにブログにアップすることはしばしばある。


今というか、昨年12月から、こんな fitbit を四六時中腕に付けて、いろんな体調管理をやっている。
ちょっと『ハマってしまっている』きらいもあるのだが、

  


いろんなデーターの中に 『アクテイブ・タイム』というのがあって、
一言で言うと 『運動した時間』なのだが、
それを毎日『30分以上』にすることを一応目標にしているのである。

その基礎になっているのが 『MET』という単位なのだが、
読めばわかるがなかなかちゃんとは覚えられないのである。

    
 

散歩は安静時の2.5倍などとあるが、
私がやってる『スロー・ジョッギング』は、
散歩の2倍以上、 4.5~5METs ぐらいになるのである。


     


★このように解説されている。

早足から有酸素運動またはジョギングまで、
実行しているアクティビティが 通常の歩行よりも努力を要するもの のときには
Fitbitデバイスはアクティブな時間(分)を認識し賞を与えます。

Fitbit デバイスは、代謝当量(MET)を使用して、アクティブな時間(分)を計算します。 MET は、様々なアクティビティのエネルギー消費を計測するのに役立ちます。 

たとえば、MET 1 は、身体が休息状態にあることを示します。 
約3MET以上のアクティビティに対するアクティブな時間(分)を獲得します。 
 
アクティブな時間(分)は中程度~激しい運動が 10 分間継続された場合にのみ認められます。 


★ こんな風に、大量の情報を自分なりに整理して、このようにブログにアップしておくと、それなりに『覚える』というか知識が身に付くのである。
 それを何度も繰り返して、機会のあるごとに『情報発信』しておくと、身に付きやすくなることは間違いない。

ところで、12月29日以降の『私のアクテイブ・タイム』はこのようになっている。
少なくとも散歩以上の『スロー・ジョッギング』から上の3MET以上の運動をやった時間の合計なのである。

 1日だけ『0の日』があるが、寝ていたわけではなくて『運動をした時間=0』だったということで、意識的に運動しない限り、集計されないのである。





 

★そういう意味では、86歳の高齢者にしては、相当な運動時間になっていると思って、我ながら満足しているのである。

このブログを発信することで
アクテイブ・タイム』 や 『MET』のことが、何となく身に付いたと思っているのである。

 最近は、テレビには出てこなくなったが、
 島田紳助さん、ありがとう。
 
あなたのお蔭で、結構沢山のことが『身に付いた』私なのです。


 復習の意味で、
 安静を『』とした場合の日常生活は殆どが『』で、
 運動と言えるのは、『3以上』の速歩以上でないと、
 アクテイブ・タイム にはカウントされないのである。


     


私が日々やっているストレッチも、ジムの筋トレなども『アクテイブタイム』には入らないのである。
 スロー・ジョッギング、水泳、50メートルダッシュや防災公園の150段の階段上りなどの時間がカウントされているのだと思う。


 




私 と 野球   雑感

2019-12-27 07:02:52 | スポーツ

★ この12月に大学の野球部の創部90周年のOB総会が神戸ほっともっと球場を借り切って行われ、いろんな催しがあったのだが、
先輩たちの『ティーバッテング』などもあって、
生まれて初めて、『ティーバッテング』なるものにチャレンジしてきた。

私たちの時代は、今の野球とは全く違って、
金属バットも、ヘルメットもなかった時代なのである。
プロ野球の選手で言えば、阪神の吉田義男が同期、長嶋茂雄は2年下である。

そんな初めての『ティーバッテングの連続写真』を後輩が送ってくれたので、
自分自身のために、このブログに残しておこうと思う。

最初は戸惑ったが、何とかバットが振れてボールが飛んだので、気持ちよかった。
腰が逃げてしまっているのは仕方がないが、まあ何とかボールは飛んでいる。

 


  









★70名ほどのOBたちが集まったのだが、86歳にもなると私は2番目の年長者で、
ティーバッテング』も、トップで打たして貰ったのである。

ダイヤモンド一周の計測などもあったのだが、これにも参加して、
こちらは結構ちゃんと走れて『28秒で走り切れた』ので、
機関誌への投稿原稿にも、
なんと学7の古谷先輩も参戦。28秒の好タイムに皆がビックリさせられた
などと書いて頂いて、大満足なのである。



 


球場もオリックスの神戸の本拠地の神戸ほっともっと球場で、
こんな本格的な球場で野球が出来たのも、多分これが最後になるだろう。



★『私と野球』についても、何度かこのブログにアップしているが、
1950年代の野球と言えば、日本国中の子どもたちが野球に熱中した時代で、
私も学生時代は、勉強など横に置いて『野球に没頭』した高校・大学時代だった。

当時は『甲子園の優勝旗』が箱根を越えたことがない西地区優勢の時代だったが、
兵庫県も結構強かった。
不思議なことに私たちの時代は公立校が圧倒的に強くて、
当時の甲子園への出場校は、神戸一中・神戸二中・明石高校・鳴尾高校・県立工業・芦屋高校などが常連校で、私立では育英高が強かったと言える時代だったのである。
芦屋は植村投手を擁して全国制覇を果たしたりした。

そんな時代に私は旧制の神戸一中から、学区制になって明石高校に転校したのだが、当時の明石は、かっての中京―明石の25回戦などから『名門明石』と言われていて、昭和25年(1950)の夏には甲子園に出場した。
今の兵庫県での強豪校明石商業は、当時の明石高校の商業科だったのである。
 
そんな明石高校で私はショートをしていて、守備はまずまずだったと自分でも思っているが、バッテングはそんなに自信があったわけではないのは、当時の野球の練習は守備のノック中心で、バッテングに掛ける時間が、今と比べて圧倒的に少なかったと言っていい。

今回『ティーバッテング』を初めてやってみて、こんな練習でもあれば、バッテングも上達しただろうなと思った次第なのである。

そんな野球の練習の違いが、今と昔の野球の『レベル差』になっていると思うし、
もう一つは、『基礎体力』の体力差かなと思う。
86歳の私でも、何とか走れたり、打てたりするのは、今でも『基礎体力』を鍛えているからだと思う。


 ★今回は、立派な写真を送って貰ったりはしたが、高校・大学時代も野球の写真は殆ど持っていない。

というより、あまり写真など撮らなかった時代なのである。
野球の写真などこれくらいしかないのだが、このブログに一緒に収めておこう。


 

 

 
★そんな『私と野球』だが、
球友たちも多くがこの世を去ってしまったし、
私自身もプレーなどする機会などはないだろうから、
ティーバッテング』でも、こんな本格的な球場での写真が残せたのは幸せである。

因みに、被っている帽子はアメリカにいる娘婿が勤めている会社がエンゼルスのスポンサーをしていて、昨年大谷翔平の出た試合に『招待』されたのだが、その時頂いた帽子なのである。

こんな歳になってみて、人生最後は『体力かな』と思う。
生きていても『自由に動けない』ようでは面白くない。
昨今の子どもたちの『体力の低下』などが言われているが、子どもたちももっとスポーツを楽しむ時間を持つべきだと思う。

そういう意味では、今の生活でも『アクテイブに動く時間』が毎日30分以上も取れているのは、若い頃『野球の練習』などやっていて、体を動かすことが苦にならないからだと思っている。

  


今頃になってまた『スポーツの良さ』を見直している私なのである。


 


野球部創部90周年記念イベント

2019-12-08 08:00:55 | スポーツ

★ 『大学の野球部の創部90周年イベント』が
オリックスのホームグランドの一つである「神戸ほっともっと球場」を借り切って盛大に行われた。

 


朝10時からは現役対OBの硬式野球から始まって、盛り沢山なイベントが行われ、
3時半からは球場上部にあるレストランでの総会と続いたのである。

 
野球部創部90年になるとは知らなかった。
私が『生まれる4年前』の昭和4年(1929)には既にあったとはビックリである。

70名を超すOB諸兄が集まったのだが、私は『上から2番目』だった。


 

 
これは午前中グランドでの催しから参加したメンバーである。
赤いエンゼルスの帽子が私である。

 

 

現役時代のリーグ戦は、甲子園球場で行われていたこともあって、
私がプレーした回数が「一番多い球場は甲子園」という全くウソみたいな話だが、
当時は兵庫県の夏の予選も甲子園球場だったし、
特に『甲子園』が特別な球場でもなかったのである。

ただ、このオリックスの『ほっともっと球場』の芝生の上に立つのは、初めてだし、
トス・バッテングやテイー・バッテングもやらして貰ったし、
ダイヤモンド一周」のタイム計測にもチャレンジした。

日頃から走っているし、大体120メートル以上にはなるダイヤモンド一周の計測は『28秒』と出て、86歳としてはスムースに走れたので、皆さんビックリされていた。
家族として来ていた小学1・2年生と同じぐらいのスピードだった。

兎に角ダイヤモンド一周をもたもたせずにスムースに走れたことが良かったし、
大いに自信になった。

 

 
こんな受付から始まって、

グランドでの競技。



 

これは私の現役監督時代57イニング連続無失点記録を創った小山修身投手
カワサキ関係者なら多分ご存じの原田紀男くん前野球部OB会長である。
 
お二人とも久しぶりだったが結構長い時間旧交が温められてよかった。
 
 


 
3時半からはこの奥のレストランでの野球部総会が行われた。



  

★昨今、なかなか運動部のOB会がもう一つ盛り上がらない中で、毎年11月頃に母校のグランドを使ってのOBとの対抗戦やそのあとの総会が結構な規模で行われるのは珍しいことだが、もう20年以上も続いている

 出席できないOBからはいろんな品物が供出されて、そのオークションが行われたりするのだが、今回もそれだけでも32万円の売り上げがあって、現役諸君の活動費の支援になっているのである。

 この球場を一日借り切るのも勿論無料ではなく、相当な金額なのだが、70名ものOBが集まるので何とかそんなこともできるのである。


★朝9時半から、夕方5時半まで、結構長い時間だったが、
 なかなか有意義ないい1日を過ごすことが出来てよかった。

 因みに、私の現役時代は神戸商大だったのだが、今は兵庫県立大学となっている硬式野球部なのである。
私が大学1年生の頃は、私を含めて3人もの甲子園球児がいたりして、そこそこ強かったのだが、今は残念ながら3部なのである。
でも、現役諸君の特にバッテングなど見ていると、私たちの時代よりは間違いなくレベルは上だと思う。
それくらい50年も前の野球からは技術的に格段に、今は進歩しているのだろうし、野球そのものが変わってしまっていると思う。
一番変わったのは体格・基礎体力だろう。

私たちの時代とは、あの長嶋茂雄や野村監督が私の2年下なのだが、その頃の野球は勿論金属バットはなかったし、ヘルメットもかぶったりは、しなかったのである。

プロ選手でも甲子園球場など旧フェンスまではなかなか打球が飛ばずに、『ラッキーゾーン』があったのだが、学生野球ではなかなかラッキーゾーンへのホームランも殆どなかったそんな時代なのである。
50年もするとやはり世の中は変わるものである。



新庄剛志  来年のトライアウトに挑戦!

2019-11-23 06:06:01 | スポーツ


★ ごく最近、あの新庄剛志がプロ野球への『現役復帰宣言』をしたというニュースが流れた。

 『本気かな?』と思ったが、どうやら『本気』のようである。
 

 
 
当然のことながら、賛否両論があって阪神の梅野選手などは『是非もう一度』と賛成だが、
野村さんなどは『年には勝てない』と否定的な意見で、既に新庄も47歳というから、これは一般的な意見なのだろう。


   




新庄剛志は現役時代、自分の好きなように野球の道を歩いた人で、大リーガーにもなったし、日ハムから引退した時も『ちょっと早いかな』と思ったのだが、さっさとプロ野球界からその姿を消してしまった。

 でも、これはオモシロそうである
 是非、新庄剛志のこんな夢を実現する球団が出てきて欲しいと思っている。

 ホントに『本気かな?』と思って、私なりにチェックしてみた。
 このツイイターをスタートしたのが、
 今年の8月で、その内容は殆どが野球のことばかりである。







 
47歳というが、こんな体をしてるから、『そこらの47歳』とは訳が違うと思うし、

 
 



既に今年のNPBトライアウトは11月10日に終わってるし、
話題になってる清原監督のトライアウトは11月30日なのだが、
新庄が言ってるのは今年ではなくて『1年先の来年のトライアウト』だから、
1年間、みっちりと鍛え直そうと言ってるのである。



 



 
来年のトライアウト』と言ってるところに新庄剛志の本気度を見たような気がする。

元プロ野球選手で、スポーツ評論家の高木豊氏が「興行的に言えば新庄が復帰した、打席に立ったといえば、お客は入る」と指摘した上で、
挑戦するというのは素敵だと思う
勇気もらう人ってたくさんいるんじゃないか」と話したら、

新庄は「僕の事に対して何言っても構わないが、
「球団が金儲けのために客寄せパンダとして僕をとるなら、客寄せパンダとして合格したんだなくらい自分の動きを見れば馬鹿じゃないからわかる、
その時は合格を拒否する」と真剣な思いを強調しているのである。
そして「12年間のブランクがあり目の衰えがあり筋肉が腐りかけてるのもわかったうえでの無謀な挑戦くらい自分が1番分かってます」と言っている。

来年のトライアウトを受験する予定だが、独立リーグではなく、あくまでもプロ野球12球団でのプレーを目指しているようだ。


★実現するかどうかは『1年先の話』なのだが、『これは応援したい』と思っている。

ひょっとしたら、新庄が真剣に1年掛けて体をつくったら、『大丈夫かも知れない』
その時は既に『48歳』なのだが、
従来の『歴代最年長プロ野球選手は中日・山本昌で、50歳で引退』だから、
新庄剛志ならイケるかも知れないと思うし、何よりも『真剣度』がいい。

どうなるか、楽しだが、
私はこれから1年間『新庄剛志のツイッター』を追っかけてみたいと思っている。






 今日、23日テレビで報道されるので、観て欲しいとツイッターで言っている。



 


スポーツ花盛り

2019-11-19 06:01:10 | スポーツ


★ 昨今の日本のスポーツ界はホントに話題いっぱいである。

 世界の国でこんなに沢山の種類のスポーツをしている国も少ないのでは?
と思うほど、いろいろやっているのだが、最近はそれが『世界一』が珍しくないほど活況なのである。

 日曜日にはこんなテレビを観ていた。


まずは男子のプロゴルフ、
アマチュアの金谷拓実が見事プロのゴルフで、接戦を制しての優勝は見事だった。
 
最終日トップでスタートしたのだが逆転されて、そこまでかと思ったら、
追いついて最終ホールでイーグルを決めての優勝なのである。

 世界アマを制して、世界一のアマだというからそんな運を持っているのだろう。
 
 

 
 
最近は圧倒的な人気の女子のゴルフでは、鈴木愛が3週連続優勝の快挙で、
一躍賞金王争いのトップに躍り出た。


 



 

堂安・久保も出場する』というので『U22のコロンビア戦』を期待して観たのだが、 これは期待に反していいところが全くなく、
二人を活かしきれずに、2-0の完敗だった。

このメンバーで来年の東京オリンピックを戦うのだが、大丈夫かなと思ってしまう。
サッカーはまさに、チームのコンビネーションが上手くいかないと、個人の能力だけではダメだなというのがよく解った。





 

夜は、世界一を争う 『2019 WBSC プレミア12
1回に山口俊が2ホーマーを浴びて、いきなり3点を取られたのだが、すぐ1点を返し、
2回に山田哲人の3ランホームランで逆転し、
その後は6人の投手が0点に抑えての見事な優勝だった。








 
 この試合の先発は日本のエースと目された『山口俊』なのだが、
 このシリーズは、どうも『もう一つ』で出るたびに打たれていたのだが、
 セントラルリーグの『最多勝・最高勝率・最多奪三振』の実績を期待しての先発だったのだろう。

 その山口は『大リーグ挑戦』というニュースが載っていた。


    




★ ところで、世界で一番人気のスポーツは『サッカー』で、

 それはそうだろうと思っていたが、
 2位が『バスケット』 は兎も角、
 3位が『クリケット』とはビックリだった。





 
 日本では今も一番人気の『野球』は世界で12位なのである。
 今回のワールドカップで『にわか人気のラグビー』は世界では、野球やゴルフよりはずっと上位のスポーツなのである。

   


 
因みに日本でのスポーツの人気度を男女別にみるとこんなことのようである。

 



野球』は男子では今も圧倒的な人気だなと思うし、
男女とも『相撲』が入っているのは、やはり日本だなと思ったりした。

 この時点では『ラグビー』はまだ入っていないのである。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



孫・門野哲也 大学リーグ戦デビュー

2019-10-28 11:33:18 | スポーツ

★私には男の子ばかり4人の孫がいる。
孫・門野哲也が一番末っ子なのだが、この9月にアメリカのサンデイエゴ大学にサッカー推薦で入学したのだが、10月に始まった大学サッカーのリーグ戦にキーパーながら先発出場デビューしたようである。

 最近、DNAについていろいろ思うのだが、4人の孫たちを見ていると、自分の親たちは勿論、私や家内などに似てるところも勿論あるのだが、もっと以前のいろんな方たちの、いろいろなものを受け継いでいるように思えてオモシロい。

 門野哲也はサッカーのキーパーをしているのだが、背が185cmもあるのは、誰に似たのだろう? 周囲にそんな大きな人はいないのだが、これは小さなころからアメリカで育ったいい環境とその食事の影響かなと思ったりしている。

 少々『怖がり』で、『自信過剰』なところなのは、私に似ているところもあるのだが、その程度は、比較にならないくらいのレベルなのである。

 『怖がり』は高いところは苦手なのだが、小さい頃は公園の急な階段も怖くて降りられなかったのである。 私自身も結構何事でも『自信』を持って臨むほうだが、哲也の場合は、常に『自分が一番』だと思っている節がある。

 私も、息子もスポーツはやっていて『そこそこのレベル』ではあったのだが、『プロ選手』などはとても、発想の外だったのに、娘のほうの孫二人は『プロサッカー選手』を目指すと言って、次男は今春その夢を果たしたのだが、末弟のほうは、『プロ選手』になるのは当然のような口振りなのである。

 ひょっとしたら私の『ひい爺さん』は明石松平藩の剣道指南番だったというし母方の伯父楠見幸信は、昭和の初期日米対抗野球でベーブルースが日本に来たころはまだプロ野球はなかったのだと思うが、慶応の同僚宮武・山下・などと共に日本代表に選ばれていたようだから、そんなDNAを受け継いでいるのかも知れない。
因みに、楠見幸信は国鉄スワローズがスタートした時の初代総監督なのである。

 
確かに、相当のレベルであることは間違いないのだが、中学3年生の頃にヴィッセル神戸の練習に参加させてもらった時も、確かに高校生のキーパーと遜色なかったし、むしろ上かなと思ったが、堂々としていたのである。


   

 
こどもの頃から、サッカーの超有名選手たちと何度も一緒に写真を撮った『いい環』に育ったことが自信になっているのかも?

 これは小学生の頃、あのベッカムと一緒に。
 このころから、ひと際大きい。

 


 
これは中学生の頃だと思うが、アメリカ代表監督のクリンスマンさんと。
 この時も背だけは負けていないし、
 クリンスマンさんの息子さんが、Strikers FCにいたこともあって、しょっちゅうご一緒だったのである。


  

 
これは高校生の頃だが、
本田よりはちょっと背は高いかも知れない。
 
  



これは、このサッカー場のこけら落としのゲームに出場して、アメリカのサッカー界の有名人と一緒の写真のようだが、本田佳祐はこの日に来ていて、一緒に写真を撮ったようである。

  

 


★そんな 門野哲也だが、この秋サンデイゴ大学に入学した。

サンデイゴ大学は昨シーズンは成績不振だったようだが、今年はそんな環境から脱皮すべく、有望新人をこんなに獲得したようである。
 こんなアメリカ人の中でも一番背は高い。

 


10月にリーグ戦が始まって、キーパーというポジションは1人だけだから、なかなか出場の機会はないのではと思っていたが、1回生ながら先発出場しているようである。



   


   

 
娘がこんな実況放送のテレビをLineで送ってきたので、そこからピックアップした動画とその動画からの写真である。


サッカーの動画も面白いが、『キーパ』を見るのはなかなか大変である。
失敗は即『失点』で、『得点』には絡めない。
 



★これは三木に遊びにきたとき、息子はわざわざ鎌倉からやってきた。

 このころは、今の体型が考えられないようなデブなのだが、
 兄貴の門野真也と共に、 そのお師匠さんは 息子だったのである。

この二人がサッカーのプロになるなどとは、流石に息子も思っていなかったと思うが、どうやら二人のサッカー・プロが生まれそうである。

  


 
兄貴は今はフォワードだが、哲也はずっとこどもの頃からキーパー希望で、
小学生の頃から、かってのメキシコ代表キーパーの個人指導を一貫して受け続けているので、 その『自信のほど』も解らぬではない。
 この方の指導を何度も観たが、あれくらいやると上手くなるのも納得である。
 



 
次男の門野哲也は、今年の春『プロの夢』実現したのだが、
4年後、『門野哲也のプロ入り』を果たして私は観ることが出来るだろうか?

何とかそれが『観られる』ように私も頑張って生きていきたいと思っている。

 

ゴルフコンペで久しぶりに優勝 !

2019-10-18 07:01:56 | スポーツ
★昨日は、播磨カントリークラブで定例の野球部のOBのゴルフコンペだった。

 最近は、全然ゴルフもやってなくて、実は今年2回目のゴルフなのである。
 このところ、この野球部のOB会のゴルフと川重のZ1会の年4回のゴルフコンペだけしかゴルフをやらないのだが、今年はZ1会の6月のコンペに参加できなかったので、今回2回目のゴルフだったのである。

 

 
こんなメンバーだが、私が一番の年長者になってしまってるので、出る限りは後輩たちにあんまりみっともないゴルフを見せるのは、といつも思うのだが、いつもは思うだけで、かってのようなちゃんとしたゴルフが出来なかったのである。

 そんなこともあって、今回は少し考えて、アウトは一切ウッドを使わずに、5番アイアン以下のアイアンだけで回ってみたら、何とか体でスイングを想いだせたので、後半からドライバーを使ってみたら、結構ちゃんと打てたのである。

 いつもは最初からドライバーを振り回して、おかしなことになり、どう修正したらいいのか、解らぬうちに終わってしまっていたのである。


 

 
 今回はアイアンだけで回ったアウトが48で、インはドライバーを使ったら、結構まっすぐによく飛んだし、パターなどでおかしなことをしたが、46で上がれたので、グロス94だったから、まずまずと言わねばならない。
 少し真面目に練習でもすれば、80台も出るかも知れないと思ったりした。


 このコンペの舞台は、かっての私のメンバーコースである『播磨カントリー』なので、コースがよく解っているので、やり易いのかも知れない。



 
今回の優勝で『ハンデーは11』まで上がるので、次回までにちゃんと練習して『新ハンデー』に耐えられるものにしないと、イケないなと思ったりしている。
 現役時代、この播磨での『オフィシャル・ハンデーは10』だったので、それに近い評価を頂いたのだから、それなりに対応しようかなと思ったりする。

 ジムのトレーニングや、毎日のストレッチが効いて、ドライバーの距離はそんなに落ちてはいないので、寄せとパターを確りやったら、80台もイケるかなと思ったりするから不思議である。

 
★来月はZ1会の今年最後のコンペだが、こちらはハンデー23を頂いているので、94で回ったら『アンダー』になる。
 ちょっと 今回全然だったグリーン周りの『寄せ』など練習してみるか、などと思ったりしている。
昨日のゴルフ『寄せ』が良かったら、あと6つぐらいはスコアはよくなったはずである。

いずれにしても『優勝できて気分良かった』
 



CSシリーズ  雑感

2019-10-14 07:11:48 | スポーツ
★プロ野球のCSシリーズについては何となく、もう一つだなという感がぬぐえない。

 パシフィックはリーグ2位だったソフトバンクが優勝チームの西武を破って、日本選手権シリーズに歩を進めたが、春から100試合も戦ってきたリーグ戦は一体何だったんだと思ってしまう。

  

 

プロ野球だから、一試合でも多く観客を集めて、お金を稼ぎたいというのは解るが、やはり昔のように両リーグの優勝チーム同士の『日本シリーズ』のほうが、すっきりする。


セントラルのほうはリーグ優勝のジャイアンツが順当に阪神を破ったが、若し阪神が勝つようなことになったら、両リーグの2位と3位の対戦になってしまうのである。

阪神はリーグ戦終盤から奇跡の逆転で頑張ったが、この丸のセーフテイーバンドで力尽きてしまった。

 

 

力投の西はひっくり返ってしまったが、その気持ちわかる気がする。
 

★ 日本シリーズは巨人ーソフトバンクの対戦だが、
 ソフトバンクはかっての『南海ホークス』から繋がっている。

 昔々の南海―巨人・杉浦ー長嶋の対戦が懐かしい。


    

 

戦後の野球と金田正一

2019-10-08 06:51:28 | スポーツ
★金田正一が亡くなった。
 昭和8年8月生まれだというから私よりは5ヶ月あとなのだが、ずっと金田は私より1年上だと思っていた。
私が高校2年の頃には国鉄スワローズに入っていたからだが、高校を中退して入団したらしい。

 金田と言えば晩年巨人に移籍したので、巨人のイメージも強いが、弱小国鉄スワローズが金田が投げると『半分以上は勝つ』という当時の図式が印象に残っていて、私は『金田』と言えば『国鉄スワローズ』を想いだす。


         


かって昭和の初めの頃は、日本も野球のある意味黄金時代だったのだが、大東亜戦争が始まって、『野球は敵国のスポーツ』とプロ野球もなくなったし、 私は小学校の頃は朝鮮京城にいたのだが、小学校時代に野球をしたことがなく、グローブもバットも見たことがなかった。 

終戦の翌年、1946年に西宮球場で復活し、平古場昭二を中心に浪商が全国優勝をとげたのだが、どこで野球を覚えたのだろう? と思ったりした。


     


 甲子園球場は米軍に接収されていて使えなかったのである。


★ 戦後は禁止になっていた反動か、『急激な野球ブーム』になって、当時の少年たちのスポーツと言えば=野球という時代になった。
 
当時のプロのスターは巨人の川上・千葉、阪神の藤村などいろいろいたが、みんな戦前の選手で、戦後高校からプロ野球の選手になったのは、ひょっとしたら1950年(昭和25年)に国鉄スワローズに入団した『金田正一が初めて』だったのかも知れない。
1951年には盈進高校から箱田など、他にもいろんな選手がプロに入団しているのだが、その1年前は思い出さないのである。

それにしても『金田正一の400勝』は凄いことだと思う。
これは世界中、誰も破れない記録だと思う。
 30勝以上を2度も経験しているし、20勝以上を連続何年続けたのだったか。
当時のの投手は杉下にしても、稲生にしても凄かった。
投げる回数がいまとは全然違うし、投球数など当時は言う人もいなかった。

 それでも、最後まで投げ切れて、現実に400勝もしているのを見ると、
今の科学的野球は『ちょっと言い過ぎかな』とも思ってしまう。


★ちょうど金田が国鉄スワローズに入団したころ、伯父の楠見幸信が国鉄スワローズの総監督をしていて、
未だ長嶋が立教の大学生の頃だったが、『金田と長嶋は二人ともモノが違う』とよく言っていたが・・・ ホントに二人とも他の選手とは格の違いを見せつけた。

そんな長嶋がプロに入っての金田との初対戦、『4打席4三振』は、今でも語り草である。

  
    

 

私は『金田の投げる試合』は何度か見たことがあるが、話したことは一度もないのだが、『会った』ことはある。
入団した年の甲子園での阪神戦の家族券の切符を伯父に頼んだら、甲子園の入口まで来たら、『そこに届ける』というので、入口で伝えたら、入団したばかりの金田正一がわざわざ券を届けてくれたのである。
お礼を言っただけで、何も喋らなかったが、めちゃくちゃ背が高かったのが印象に残っている。

その当時の金田の印象で残っているのは、試合前のストレッチで、めちゃくちゃ体が柔らかくて『180度開脚』で、ぴたーとアタマが地面に着くのである。
今の選手は、それくらいはできるのだと思うが、当時の野球選手で、そこまで体の柔らかい人はいなかったと思う。


★そんな金田だが、なかなかの好人物で、永年バッテリーを組んでいた根来と一緒に、当時渋谷にいた伯父宅によく遊びに来ていたらしい。

金田と根来の話』はよく聞いたし、金田も国鉄スワローズ時代が懐かしかったらしい。
そんな金田正一も根来も亡くなってしまった。
だんだんと、いろんな話が『過去の想い出』だけになってしまう。
私もそんな歳なのである。

金田正一の訃報』は各紙がいろんな形で伝えたが、非常に好意的なものばかりであったことが、よかった。

また一人『昭和の人物』が逝ってしまった。 
安らかにお眠りください。