Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

へードリアン・ウオール踏破‐Once Brewed

2024-09-01 12:44:31 | 日記

歩きだして3日目の朝は素晴らしい天気だった。ベッドルームの窓から朝日が登るのを写真に写した。朝食の席でも、此のウオークで丸1週間晴れている経験者はいないけど雨ばかりだった人は大勢いるそう、私達はラッキーですね。と言った所、ヒゲのおじさんが うーん判らないよ。 でもその言葉を無視して此の日は軽装にした。

朝8時、B&Bのオーナーが昨日拾ってくれたチェスターズの玄関まで送ってくれた。まずヒゲのおじさんが先発、続いて私が歩き始め、2人の夫婦はまだグズグズしていた。

ミリタリーロードからPublick foot Pathに入ると叢の中に長く塀が続き、ところどころ見張り所だった遺跡があらわれる。

此のあたりは高台にありスコットランドの田舎が見渡せる。2000年前にはもっと森林が多く、そして決して想像もしなかった発電用風車が見える。

塀を越すときは此のスタイルが設置されていて、一日何十回上下したかわからない。

此の廃墟は壁と遠く離れたところにあるミスラス寺院(The Temple of Mithras)でAD 200年頃に建立され150年後に廃墟になった。その頃にはローマはキリスㇳ教に改宗していた。

長く伸びた石塀の横の細道をたどる。その横は深く掘り起こされた堀割になっていて、スコットランドの蛮族が容易に塀を乗り越えないようにしてあった。

壁にはローマンマイル毎にマイルカースルと呼ばれる砦があり、此のようなマイルカースルは全壁で80箇所あった。

私は平地で歩くトレーニングをしているときは1時間5kmで歩いていたが、此の上り下りの激しい道では1時間3kmでも多い方。立ち止まって写真を取るだけで、水を飲もうとすればリュックを降ろさなければならない。ほとんど飲まず食わずの行進だった。

 

これまでの石を積み上げた長い壁を見ただけでもローマ人の偉大さがわかろうと思うに、此の丘にはハウスステッド(Housesteads)と呼ばれる全壁長では最大の砦プラスヘッドクオーターがあった。

ここはイングリッシュ・ヘリテージが管理しており、丘の反対側にミリタリーロードが通っていて巨大な駐車場がある。車で此の壁の一部を見ようとする人や巨大な廃墟を見たい一般の人たちも容易にここに立ち寄れる。

あいにく12時近く小雨が降り出した。

イングリッシュ・ヘリテージの小さなオフィスの中は博物館になっておりいろいろな情報が得られる。

屋内で雨宿り兼写真などを見て感心したりしていたが、雨はひどくなるばかり。

敷石を敷き詰めた馬小屋。

 

此の石の上に板を並べて床を作っただろうから、食物の乾燥倉庫などらしい。

此の場所は1838年に発掘された。AD 122 年に建設され、此の地で兵士たちの給与の支払いや、コマンダーのオフィス、ローマ風呂、などが知られている。

雨は一向にやまず、薄着でいると寒くなってくるから、意を決して歩き出した。

上はティシャツと薄いウインドヤッケ下はスパッツのみで、雨の中2時間も歩いた。

急な坂道をすべらないよう苦労して降りたところは10人近くの人達がいた。

The tree pictured in sunnier weather

此の山間の塀の横・シカモアギャップ(Sycamore Gap)と呼ばれる場所に樹齢300年のSycamore(大楓)があった。(写真はインターネットから転載)

2023年9月28日二人の男によって切り倒された。此の二人は犯行を否定しているという。今年12月に裁判になるらしい。

此の木は1991年ケヴィン・コスナー主演のPrince of Thievesの撮影現場で有名になり多くの人達からヘイドリアンのシンボルツリーと尊敬されていた。

こんな大きな幹をどうやって、なぜと不思議でならないが、今此の株の根元から新しい芽が出てきている。ナショナル・トラストに管理されていて、此の木の種から発芽した木をどこに植えるか計画中とのこと。300年も待てない!!!!

(インターネットから転載)素晴らしい写真そして実際これを見ることが出来ない。

さてここでも雨がひどくて、もう向かいの坂道を登る気も失せ、叢の坂道をたどって自動車道路に着き、遠くに見える建物がワンス・ブルード(Once Brewed)のB&Bのあるところを目指してトボトボ歩いた。

此のB&B はツワイスブルード(Twice Brewed) と呼ぶ。大きくてレストランもバーもあり、雨でずぶ濡れの私をすぐ部屋へ案内してくれた。まずは風呂桶にお湯を満たしゆっくり温まり居眠りもし、さて風呂を出ても着替えがない。スーツケースは5時まで来ない。バスタオルにくるまってベッドにいて、薄いスカーフを巻いてスーツケースを探しに行った。若い男の子がスーツケースを持ってきてくれた。

此の日の歩行数34467歩

 

 

 

 

 


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« へ‐ドリアン・ウオール踏破 ... | トップ | へードリアン・ウオール踏破... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
玲子H様へ。 (りくすけ)
2024-09-01 22:25:35
お邪魔します。

ハドリアヌスの壁(長城)は、
歴史ファンにとって垂涎のスポットの1つ。
訪問記を楽しみに拝読・拝見しております。
“2000年という年月が恨めしい”とは同感。
同時に“2000年前の景色”が想像でき、
なかなか刺激的であります。

以前、拙ブログにハドリアヌス以前、
古代ケルトVS古代ローマ奇譚について
書いたことがあり、
勝手ながらリンクを貼ってみました。
お時間と都合が許せば覗いてみて下さいませ。

では、また。
返信する
Mrs. (玲子H)
2024-09-02 02:06:54
りくすけ様
こんにちは、拙ブログをお楽しみいただいて光栄です。せっかくながら、リンクが貼られていません。楽しみに読ませていただきますのでぜひもう一度お送りください。 よろしく。
返信する
玲子H様へ。 (りくすけ)
2024-09-02 05:27:45
お邪魔します。

リンクの件、
下線付きの投稿者名「りくすけ」を
クリックしてみて下さいませ。
自分でも試してみましたが、
リンク先にアクセスできました。
よろしくお願いします。
返信する
Mrs. (玲子H)
2024-09-03 00:54:58
りくすけ様、ハウスステッドの博物館の中に簡単な歴史が書かれてあり、その中にAD 43年にローマ軍が英国へ来訪?それに反発したローカルのリーダーカラタカスが戦を仕掛けて敗れ、北イングランドの部族ブリガンテㇲ(Brigantes)に助けを求めた。
ところがブリガンテㇲの女王カーテマンジュア(Cartemandua)はローマのプロテクションだった。
とおもしろいですね。
返信する

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事