代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

明治維新150周年の2018年大河問題 -アーネスト・サトウはあり得るか?

2016年02月10日 | 歴史
 2018年は明治維新150周年。大河ドラマも当然、幕末・維新関連になると予想される(それまで日本経済がもつか心配だが・・・・)。
 昨年の大河ドラマは、「松下村塾=テロリスト集団」という史実を白日にさらしてしまい、維新史のパンドラの箱に隙間を開けてしまった。この失策によって、2018年に、政権が望むような明治維新賛美ドラマを作ることは難しくなっている。

 A首相やM会長なら「もう一度長州舞台でリベンジだ!」と要求しかねないが、そんなことをしたら、いよいよ明治維新の胡散臭さにかんする国民的疑念は確信へと変わることだろう。いくらなんでも、そこまでの愚行をするとは思えない。

 たぶん、水面下ではすでに2018年大河の主役は決まっているのだろう。果たしてNHKはどうするのだろう?

 気鋭の明治維新研究者である町田明広氏は、『遠い崖 ―アーネスト・サトウ日記抄』(萩原延壽著)を原作として、英国の外交官アーネスト・サトウを主役にしたらどうかと提案している。たしかに、朝ドラでマッサンがOKなのだから、外国人主役の大河があってもよいだろう。

 日本人主役の幕末モノはたいていネタ切れ感もあり、アーネスト・サトウ主役という線は十分にあり得る。
 私としてはぜひやってほしいと思う。アーネスト・サトウを主役としてイギリス側から見た幕末・維新を描けば、いよいよパンドラの箱は全開になるのではなかろうか。なんならトーマス・グラバーが主役でもよい。

 以前、薩長公英陰謀論者さんが、薩土盟約の段階では熱心な国民議会政治の信奉者であったはずの西郷隆盛が、土佐との盟約を破棄し、長州と組んで王政復古クーデターを断行したのはなぜかという点に関して興味深い仮説を提示してくださった。西郷の心変わりの背後にいたのはパークスとサトウである、と。以下の記事。

http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/9c918a4b09d5c7f2c104f210a45c6c88

 その説が気になっていて、最近、アーネスト・サトウの『一外交官の見た明治維新』(岩波文庫)を読んでいる。

 サトウは慶応3年(1867年)7月27日に大阪の薩摩屋敷において、西郷吉之助(隆盛)と会談している。その頃、ちょうど京都今出川の薩摩屋敷の一角では、赤松小三郎が、東郷平八郎ら前途有為な薩摩の若者たちに最新の英国式兵学を教え、練兵も行っていた。サトウは赤松のことは何も言及していない。

 『一外交官の見た明治維新』には以下のように書かれている。

「西郷は、現在の大君(タイクーン)政府の代わりに国民議会を設立すべきであると言って、大いに論じた。私は友人の松根青年から、反大君派の間ではこうした議論はきわめて一般的になっていると聞いていたが、これは私には狂気じみた考えのように思われた」(前掲書、下巻、45頁)

 この時点で、西郷隆盛は国民主権を前提とした国民議会政治を支持していた。つまり赤松小三郎が島津久光に建白し、小松帯刀が積極的に支持し、薩土盟約に盛り込まれた、国民議会の開設と新憲法の制定という路線に、西郷も同調していたのだ。この時点では、西郷も赤松小三郎の考えに感化されていたのではないかと思われる。

 注目すべきは、アーネスト・サトウが、西郷の国民議会論を「狂気じみた考え」として退けていることである。サトウは、西郷に国民議会論を放棄させようと熱弁をふるったのだ。サトウといえば、開明的な外交官であったというイメージを抱いている方も多いと思う。開明的な人物が西郷の「国民議会論」を「狂気」と呼ぶことは解せない。 
 なぜ国民議会論が「狂気」なのか、サトウの考えを知りたいのだが、どこを読んでも、なぜ「狂気」なのか、その理由が書かれていないのだ。

 明治維新の闇がここにもある。

 イギリスにとって、自らの言いなりの独裁者が支配する傀儡政権が日本に樹立されることが、もっとも国益にかなう。日本人の民意が反映され、それゆえ英国がコントロールしにくい、手ごわい政権が樹立されるのがもっとも困る。
 それゆえ、サトウは「狂気」とまくしたてて、坂本龍馬の海援隊が冤罪で犯人と疑われたイカルス号事件も恰好の口実として、土佐との盟約を放棄させ、薩長軍事同盟の路線に転換させたのではなかろうか。その過程で赤松小三郎も暗殺されたのではなかろうか。

 第二次大戦後のアメリカが、南米や東南アジアで民主的な政権をせっせとクーデターでつぶして、自らの傀儡になってくれる軍事独裁政権をせっせと樹立してきたのも同じ理屈だ。鳩山内閣をつぶして、安倍内閣が成立したのも同じ理屈だ。

 私としてはぜひ明治維新150周年を記念してアーネスト・サトウの大河ドラマを切望する。「花燃ゆ」以上のインパクトがあるのではないだろうか。 

 ・・・・と思っていたが、ここにきて五代友厚という救世主が現れた。ディーン・フジオカ主演で大河ドラマ・五代友厚という線は十分に考えられる。


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1 コメント

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サトウとパークスは ()
2017-04-20 18:26:52
関様

>これは私には狂気じみた考えのように思われた」

諸般の事情(幕府、薩長内の不満分子など)から現実的ではないということではないでしょうか。

>坂本龍馬の海援隊が冤罪で犯人と疑われたイカルス号事件も恰好の口実として、土佐との盟約を放棄させ、薩長軍事同盟の路線に転換させたのではなかろうか。その過程で赤松小三郎も暗殺されたのではなかろうか。

どうして「恰好の口実と」したとわかるのでしょうか。それにパークスとサトウは考え方が違っていたとおっしゃっていましたが、この時は意見が一致したのでしょうか。

サトウだけの意向ではイカルス号の件で土佐に乗り込む事はできなかったのではないですか。

グラバーを儲けさせるために西郷を使嗾ですか。これはサトウ個人の意向といえば言えなくもないでしょうが、

英国が日本を御すために薩土盟約破棄工作というのはパークスとサトウの考えが一致していないとまずいようですね。
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