季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

“ベルギー幻想美術館”(Bunkamura ザ・ミュージアム:2009.9.06)

2009-09-06 23:42:50 | Weblog

 午後2時半過ぎの渋谷を駅からBunkamuraまで歩く。曇りだがやや暑い。残暑と呼ぶには涼しい。

              

 第1章 世紀末の幻想 象徴主義の画家たち
 あらゆるものはそれ自体で意味はなくそれは何ものかの象徴。そのものが指し示すものだけが真実、そのものを通して感じられるものだけが真実である。象徴主義はそのように主張する。感じるものだけを信じる立場。
 ウィリアム・ドグーブ・ド・ヌンク「夜の中庭あるいは陰謀」(1895年、16)は夜を描く。夜は闇であり闇はそれ自体無であってあらゆるものを暗示可能である。夜が意味深く象徴主義に愛されるゆえんである。

夜の中庭あるいは陰謀
 ジャン・デルヴィル「ジャン・デルヴィル夫人の肖像」(1898年、15)青で描かれる。神智学によれば青は天上の色であり信仰の対象である。青はただの色ではない。それは天上の象徴である。
 ジャン・デルヴィル「茨の冠」(1892年、14)に描かれるのはキリストでない。ここでは茨の冠は一つの象徴である。象徴されるものは見えない真理である。キリスト教神秘主義は見えない神秘の真理をこの世のものの向こうに発見する。
 フェルナン・クノップフ「ヴェネツィアの思い出」(1901年頃、7)の女性は実は女性ではなくその像を通して指示される理念・情念・形象である。

            クノップフ・ヴェネツィアの思い出
 ジョルジュ・ミンヌ「墓所に立てる三人の聖女」(1896年、11)はキリストの墓所の3人のマリアではなく区別できない同形の3人の人物以上のことはわからない。無名性の神秘がここにある。無名性が象徴する意味は広大で畏怖すべきものである。

                                           

墓所に立てる三人の聖女


 レオン・スピリアールト「オステンドの灯台」(1908年、19)は黒い海の黒い堤防の上に立つ灰色の灯台である。病気・失恋・世に認められぬ失意が描いた灯台によって象徴されるものは悲しい何かである。
 エミール・ファブリ「夜」(1892年、10)の二人の女性は具象性としての女性ではない。ここにあるのは不安、アンニュイ、メランコリックという抽象性である。

 第2章 魔性の系譜 フェリシアン・ロップス(1833-1898)
 女性はフェリシアン・ロップスにとって魔性の象徴である。「アフロディーテたち」(1864年、22)、「リュパニー」(1867年、27)、「ブリュッセルの婦人の楽しみ」(1881年、32)そして「サテュロスを抱く裸の若い女性(パンへの賛美)」はいずれも女性を性愛の象徴としてのみ描く。サテュロスはバッカスの従者、牧神パンとともに好色である。

       ロップス・サテュロスを抱く裸の少女

 「生贄Ⅰ」(不詳、37)は悪魔による女性の陵辱であるが女性はそれを望むように見える。

 第3章 幻視者の独白 ジェームズ・アンソール(1860-1949)
 「カテドラル(第1作)」(1886年、11)は異様な顔を持つ多数の群集、秩序を強制するため整列した軍隊、権威を誇示する壮大なカテドラルの三者を通してジェームズ・アンソールは何ものかを幻視し一人その意味を絵画において語る。「薔薇」(1881年、38)は初期の油絵。明るく鮮やかなこの世の薔薇の後ろの鏡が暗く曖昧である。現実の向こう側を幻視する鏡のように見える。

 第4章 超現実の戯れ ルネ・マグリット(1898-1967)
 シュルレアリスムの作家としてルネ・マグリットは現実を意図的に絵画上で壊すことで象徴されるものを新たに構成する。それが心性の秘密を暴露する。隠されていた現実、超現実が姿を現す。「ジョルジェット」(1935年、80)は妻の首、海、そして脈絡のない小物を描く。「愛は盲目であり秩序などない」との情念を象徴する。

        ジョルジェット.JPG

 「マグリットの捨て子たち(12点組)1-12」(1968年、94-105)は興味深い。「同3 囚われの美女」(96)では現実の空とキャンバスに描かれた空が連続する。「同5」(98)は同時に空が昼、建物が夜である。「同8」(101)では海とヨットが逆転しヨットの形に海が広がる。「同10」(103)のチューバは金属なのに炎を上げて燃える。

 「幕の宮殿」(1964年、82)の6枚の鏡のうち3枚は物を映しているが他の3枚は何も映さない。

     幕の宮殿 1964年 グワッシュ・紙.JPG

 第5章 優美な白昼夢 ポール・デルヴォー(1897-1994)
 ベルギー・シュルレアリスムの双璧がルネ・マグリットとポール・デルヴォーである。デルヴォーは日常の風景の中に突然裸の女性を登場させ超現実的世界を出現させる。優美な白昼夢である。30歳代に彼は移動遊園地で見た機械仕掛けのヴィーナスの魅力に以後の全生涯を支配される。また同じ30歳代にイタリアのデ・キリコの超現実主義に出会う。「水のニンフ」(1937年、106)では現実の情景の中に非現実のニンフたちが突然出現する。

 「海は近い」(1965年、110)は不思議な暗さと静寂が支配する。そこには裸の女たちと服を着た女が描かれる。幻想の世界である。

          

              

 不思議な世界を体験しBunkamuraを出る。外はまだ明るい。しかし夕暮れは近い。渋谷駅まで雑踏の中を歩いてもどる。

 

 


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