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明治座『ふたり阿国』:「ややこ踊り」から「かぶき踊り」へ!さらに「遊女かぶき」の出現! 2019/04/11

2019-04-12 11:31:30 | Weblog
(1)出雲阿国:「ややこ踊り」から「かぶき踊り」へ!
出雲阿国(1572?-?)は、出雲国出身で、出雲大社の巫女となり、文禄年間、出雲大社勧進のため諸国を巡回し、評判となった。1600年に「クニ」(出雲阿国)が「ヤヤコ跳(オドリ)」を踊ったという記録がある。この「クニ」が3年後、1603年に「かぶき踊」を始めたと考えられている。

(2)「かぶき踊」の性的倒錯感!
阿国一座の踊りは、かわいらしい少女の「ややこ踊」から、傾き者(カブキモノ)に男装したお国が、茶屋女に女装した夫・三十朗と、濃密に戯れる場面を含む「かぶき踊」へ変化した。一座の他の踊り手も全て異性装。観客はその性的倒錯感に高揚した。最後に風流踊や念仏踊りと同様、出演者と観客が入り乱れて踊り大団円となった。

(3)「遊女かぶき」:お客にとって遊女の品定めの場だった!
京都での人気が衰えると阿国一座は、江戸を含め諸国を巡業した。かぶき踊は遊女屋で取り入れられ「遊女かぶき」となった。当時各地の城下町に遊里が作られており、全国に広まった。 「遊女歌舞伎」は男装した遊女同士の猥雑な掛け合いで、お客にとって遊女の品定めの場だった。

(4)芸能と売春!&ボスが支配する時代!
芸能者は、芸能で客を集め収入を得ると同時に、売春で生きた。時代は残酷だ。そしてボスが支配する時代だ。日常的暴力、権力の暴力、カネの力、ボス支配、性的欲望の強大。これらの狭間で、弱肉強食、適者生存の世間を、誰もが生きて行く。阿国も一座の座主として、暴力的な時代を生き抜いた。(Cf. 今も似ている。)

(5)阿国一座:北野天満宮に定舞台を張る!
京で人気を得た阿国一座は、伏見城に参上し度々踊った。 当初は四条河原の仮設小屋で興業を行っていたが、やがて北野天満宮に定舞台を張る。

(6)「佐渡島おくに」(お丹)!
劇では、阿国一座に拾われた娘お丹は、やがて一座を離れ「遊女かぶき」で名を売り「佐渡島おくに」として有名となる。権力者の要求を満たし利益を上げる茶屋の大ボス「三郎左」が、お丹のパトロンor雇い主だ。お丹は、天に通じる至上の芸を目指した。(ただし劇中で、遊女のお丹が、売春を拒否することは、ありえない想定だ。)

(7)芸能:「神への捧げ物」かつ生きて行くための「芸」!
芸能は、もともと「神への捧げ物」だが(Cf. 阿国は出雲大社の巫女だった!)、他方で生きて行くための「芸」だ。(「芸は身を助ける」!)この世で生きて行くには、「芸」を高品質の「商品」として生み出し、人々に熱狂的に購入されねばならない。

(7)-2 芸術至上、哲学至上、宗教至上主義的なパトロンたち!
だが芸能の庇護者は、貴族・武家・大商人など、権力and/or金があり、かつ知識人的なパトロンだ。彼らは芸術至上、哲学至上、宗教至上主義的に生きる。彼らに受け入れられ、彼らをパトロンとするためには、芸能者自身が、「地から天へむかって、背筋を伸ばして歩き続ける者」とならなければ無理だ。だがそうした超越的目的のために生きることは、パトロンとの関係を破壊することがある。劇『ふたり阿国』は、そうした次元を扱っている。

(7)-3 補足:生きるためにはボスの庇護が不可欠だ!最初のボスは普通、親だ!
補足:生きるためにはボスの庇護が不可欠だ。最初のボスは普通、親だ。働き自立して生きるようになれば、新たなボスが必要となる。ボスに認めてもらう能力を君は磨かねばならない。ボスと対等な関係が可能な領域が一部できれば、そこで両者は相互に人間となる。そうでない場合は、人間(ボス)にとって君は、道具or家畜or下人or追従者or奴隷だ。あるいは君が人間(ボス)と無関係なら、君はただの風景・妖怪だ。(Cf. 君もボスになれば、ボス同士は互いに対等な人間だ。)


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