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“伊勢神宮と神々の美術展”(東京国立博物館:2009.8.12)

2009-08-13 21:04:48 | Weblog

 平成25年(2013)には第26回の式年遷宮が行われる。今回の伊勢神宮展はそれを記念して開かれた。暑い日で午後1時の国立博物館平成館前はかんかん照りだった。

      
 第1章 神宮の歴史と信仰
 国宝の「延喜式巻第四大神宮式」(8. 平安時代10-11世紀:東京国立博物館)はとてもきれいで1000年前のものとは思えない。

             
 重文の斎宮跡出土の緑釉陰刻花文皿(リョクユウインコクカモンザラ)(11. 平安時代9世紀:三重・斎宮歴史博物館)などはいずれもつつましい。斎宮に住んだ斎王が使用したものである。
 「伊勢参詣曼荼羅」(20. 室町~安土桃山」時代16世紀:三重・神宮徴古館)には僧が何人か描かれていて神仏習合の時代がしのばれる。
 伊勢市朝熊山(アサマヤマ)出土の「銅経筒(ドウキョウヅツ)、土製外筒(ドセイソトヅツ)、法華経・観普賢経、線刻阿弥陀三尊来迎鏡像」(国宝、26. 平安時代平治元年(1159):三重・金剛証寺)である。末法の世なので経典を残すために埋めたもの。しかし埋めたのは何と神官である。神官の仏教信仰を示し興味深い。鏡像は神の憑りしろである鏡に仏を線刻している。
 重文「雨宝童子(ウホウドウジ)立像」(28. 平安時代12世紀:三重・金剛証寺)も不思議である。朝熊山(アサマヤマ)で修行していた空海が天照大神の宣託により作った像である。童子の頭上に五輪塔が載る。

       
 重文「大神宮御正体(ダイジングウミショウタイ)」(12. 平安時代12世紀:奈良・西大寺)が神仏習合を端的に示す。聖武天皇が東大寺建立にあたり伊勢神宮に参拝する。そのときに彼が得た宣託によれば天照大神は大日如来でありその本地仏が毘盧遮那仏(ビルシャナブツ)だという。御正体は厨子に入った胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅とである。これらは大日如来の知=真理を現象世界の実践的な側面と精神世界の論理的な側面から示したものである。

 第2章 遷宮と古神宝
 伊勢神宮の第1回の遷宮(690年)は天武天皇の遺言にもとづき持統天皇が行った。遷宮に際し714種1576点の御装束・神宝が毎回新たに新調される。
 「諸社御神宝図」(46. 江戸時代元禄8年(1695):東京前田育徳会)では玉纏横刀(タママキノタチ)の図が展示され精密に描かれていて思わず見入った。
 国宝「金銅高機(コンドウタカハタ)」(61. 奈良時代8世紀:福岡・宗像大社)は小さな機織機のミニチュアでとてもかわいい。神に捧げられたものである。福岡県宗像市沖ノ島の出土と伝えられる。沖ノ島は神の島であり海の正倉院とよばれる。

      
 さらに国宝「袿紫地三盛向鶴文唐織物(ウチキムラサキジミツモリムカイヅルモンカラオリモノ)」(67. 鎌倉時代13世紀:神奈川・鶴岡八幡宮)は神が着る服なので普通より2割ほど大きい。不思議である。神は大きいのだ。日本最古の衣服である。
 
 第3章 今に伝える神宝
 「玉纏御太刀(タママキノオンタチ)(70. 昭和4年(1929)調進:三重神宮司庁)は華麗である。純然たる飾り太刀。金・緑・赤など多くの色彩が映える。

               

 「刺車錦御被(サシグルマニシキノミフスマ)」(73. 昭和28年(1953)調進:三重神宮司庁)は神の食事をつかさどる豊受大神宮(※神の食事をつかさどる外宮)御料で、モダンな牛車がたくさん並んだ柄である。
 「呉錦御衣(クレニシキノミゾ)」(74. 昭和48年(1973)調進:三重神宮司庁)は呉竹のきれいに一面に並んだ柄がエレガント。豊受大神宮御料である。

               
 「倭文御裳(シドリノミモ)」(76. 昭和48年(1973)調進:三重神宮司庁)も豊受大神宮御料だが、これは古代模様の縞織の布で味わい深い。目を奪う。

                         
 「御盾(ミタテ)」(96. 昭和48年(1973)調進:三重神宮司庁)は多賀宮御料。古代の儀式用盾である。、万葉集防人歌「今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯(シコノミタテ)と出で立つ吾は」を思い出させ、生々しい。
 「赤紫綾御蓋(アカムラサキノアヤノオンキヌガサ)」(99. 昭和4年(1929)調進:三重神宮司庁)は遷御のとき神がこの傘の下を歩くという。見えない神が神々しい。皇大神宮御料。

                         
 「菅御翳(スゲノオンサシハ)」(100. 昭和28年(1953)調進:三重神宮司庁)も皇大神宮御料だが、一見用途がわからない。実は顔を隠す長い柄が付いた団扇のような道具であり遷御する神のために使用する。

「佩玉(ハイギョク)」(103. 昭和4年(1929)調進:三重神宮司庁)は礼装で腰につるす装身具である。金色の金属の間に赤・緑・青・黄色などの玉が連なり美しい。ところがそれら玉は吹玉(フキダマ)つまりガラスである。古代にはガラスは宝石だった。
 
 第4章 神々の姿
 「八幡三神坐像」(104. 平安時代11世紀:大分・奈多宮)日本の神々は山・岩などに宿り古来、神像にされることはなかった。奈良時代に初めて神像が作られる。八幡神は東大寺大仏の守護神である。『続日本紀』によると聖武天皇による東大寺大仏造立が困難を極めていた時、宇佐の八幡神が「全国の神を率いて大仏を完成させる」との託宣を下したのである。宇佐八幡宮の神像は6年ごとに作り替えられるので古い神像は奈多宮に移された。八幡三神坐像は応神天皇(八幡神)・神宮皇后(応神天皇の母)・比売神(ヒメカミ)(応神天皇の妃?)からなる。作りは素朴である。(※一般に八幡神は応神天皇であるとされる。応神天皇は、神功皇后が神懸かりして産んだ神の御子であるということから、王神=応神となったという。)

 国宝「熊野速玉大神(ハヤタマノオオカミ)坐像・夫須美大神(フスミノオオカミ)坐像」(107. 平安時代9-10世紀:和歌山・熊野速玉大社)は男神と女神で硬い表情である。熊野速玉大神には叙位がしばしばあり907年には従1位に叙されている。(※正1位稲荷大明神のほうが位が上である。)

  下図は2005年の和歌山県立博物館で開催の「熊野速玉大社の名宝」展のポスターであり熊野速玉大神坐像・夫須美大神坐像が載っている。

                                               

 見終わって午後3時、外はまだ日差しがギラギラと強烈で暑い。日陰を探して歩き上野駅へ向かった。


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