青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

上京堀川うえいあはね北小大門町奥入リ朧月見夜六十四

1583年03月09日 00時00分00秒 | 投稿

滞在開始から一週間後、京側からの伝言を知る。
お待ち申し上げておりました。
ご来訪にいましがたの、実に長ったらしい挨拶な事、人間の精神快楽そのもの姫、ご無言のまま、が人間の精神快楽への捉えの指曲がり、無言のままのはしたなき長時間を、一切罰せずの事、だらしなき様、ではなく、人間文明広大領域への絶大な癒しの女神たる、天照大御神と月読尊の間にお生まれの一柱、との成文筆致意欲そのものたるや、太陽の様に自他の精神を照り付けるかに見えて月の様に肉と精神を静かに揺らし燃やす、人の瞳の表の濡れ光量とは星か麻薬かとの問いをは、濡れ光量もたらしの野放図快楽が無視、否定なる業態を通じての歴史的蛮勇、そは人は満月知り舐めつつ、既に知った黒味を中に増しゆきしとの強いを、成文筆致意欲そのものは、人間の完全平服により全く言挙げを受けず、やはり強い事実をご無視にございます。
満月見つつの人は、黒味を増しゆく、との精神の内部潜航現象の捉えとは、満月がもたらしゆきたる、精神快楽への知性の無言の結果、穿たられるべきなる、一、否定ならざる、否定事。
認めるしかない事。
黒味が勝手に増しゆくと、知っていっていると、指摘されてしまって仕方が無い、という事。
満月の否定しゆき、たる黒味の増しゆき、を人間は否定する知性を持たない、という事。
月の滞在を察知するに至ったねおの運営人が、素性、紫雲ぶり、をただ京の奥方へ連絡したまで。
それまで月は宿の中を自由に散策していた。
膳の間の場所、利用法はねおの地図と共に月は知っていた。
ねお側が、月の滞在人数を掌握した方法は、一部屋の担当者、一人ずつによるそれぞれの察知。
月にご利用へは歓喜との部屋群を知らせた指以降、当該部屋群は指内で動かぬ爪。
開館初期にあった事もあり、月の来館時には他の滞在客は偶然一人も居なかった。
しかし部屋は、担当の給仕が二時間おきに見回る。
ねおは、月向けに開館している。
知る者とは京の奥のみ。
月の隕石孔の輪郭形成の一、黒味の粒群が無言のまま。
京、月、誰ぞも、隕石孔というご素性を見た際に、こちらにとってのけふわい、化粧の素たる、粒を厳しく問い質す月の夜の宴の中の理性は居らず。
僅か、十名がねおの素性を知らずのまま、利用演習への尽くし役として、一カ月滞在している。
御苑南の一帯に庵在りきの皇族。
歴史に名を残せしとの社会理性への永遠の致命可能性、を情動と個人理性の混濁の数、無数、匿名により、永遠に追及されゆきたる、ウィキの皇族やらの名と、いつぞやのすげ替え意欲、必要性への即応性そのものにあった、摂政、関白の家柄達。
これが、つまりは皇族。
その振る舞いが常に可能であり、そう在り続け、名をそう残し得た彼ら、そしてウィキの皇族やらの名との相違とは、実のところ住まいの住所以外、無い。
ねお初期の給仕の出身は大抵は他の大型の宿。
勤務年数は六年から十二年。
または料亭の料理長。
勤続五十年。
異動舐め呑みゆきやおまんら、に従った。
大抵は物資の搬入業者の統括役、ある日の真剣な声色。
新築の宿がありますが、あなたの経歴からしてそこでは、経歴そのものの精神、花火具合への肉体とは非やけどの時との冷感名誉。
文字を今、耳から感じゆきや。
これで、ガチに一カ所のみで勤続五十年が異動する。
身辺の仕事道具一式何ぞは持っていかんでも、向こうにある、と確信しとる。
口説きは一週間。
他の客は居らんだった時に、月の貴人風体がご来臨となった。
給仕の伝えは竈へ。
ここらの連携とは硬質理性、駆動への無言の脊髄が。
一切逃がさん。
慣れとる。
各自が部屋に到着したのは夕方六時頃だった。
八時には、ねお側は気付き済みし。
夕食とは、月側は到着初日は一切、待つつもりなかった。
宿の運営風体からして夕食を期待する文法とは考えられない、と。
ねお側は、到着初日が午後三時以降となると、夕食のお並べとは、捉え事に胃が混じる事になり、失礼感が混ざるので、特段なかりせば避けたい、ところだった。


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