想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

地上の王 その3

2008-06-12 07:28:09 | Weblog
 

    「うちのとうさんは、フセン(不戦)主義だよ。
       黙ってたほうがいいって。
     口は災いの元。いつもそう言ってる」
    「そう、わけありなことを言うわね。君んちのかあさんって
     口達者なんだ? それとも、とうさんがめんどくさがりなんだよ。
     黙ってるのは、ほんとは一番良くないことなんだよ。」
    「ううん、黙ってたら戦争にならないんだよ」

    ぼうやのいうことは最もなことである。
    かまびすしい雌鳥、国滅ぼすといういにしえの伝えも一理か。
    しかし‥それは置いとくとして。

    「マサイ族がね、象と闘うようになったんだよ。」
    「どうして?」
    「象が人を襲ったからよ。だから、復讐対復讐。目には目をの
     逆の連鎖が起きてるのよ。」
    「ライオン狩りじゃなかったの?」

    「ライオンを狩るのは勇者の印。だけど、象とはいい距離が保たれて
     平和だったんだよ。アフリカでも開発が進んで、動物保護を考えると
     象のいる場所を確保するためにマサイ族は土地を追われたのよ。
     アフリカの大地も今じゃ狭くなったってことよ。
     人が動物の居場所をコントロールしているから。
     コントロールしてうまくやってるつもりが、予想外のことが起きたわけね。」
    「戦争だね」

    「そう、ま、そういうことね。でも人間みたいに故意じゃないの。
     衝動的。象は人を襲ったあと、死体になったその人を弔うような行動を
     とったことがわかってる。象は仲間の死を悼むんだよ。
     サイに対してもそうなの。雌と間違えてサイに発情したのね。
     衝動を押さえられない雄象が暴れる、復讐心に燃える雌象が襲う、
     そんな以前では考えられないことが起きてるのよ。」
    「オトナと似ているね、カッとなるでしょ。キレるっていうか。
     ぼくはキレない、先にキレられて、たいてい逃げてるし‥」

    「そうなんだ? 君、いいやつだなあ。仕返ししないんだね。
     子供もオトナもキレるって言うね、最近は」
    「ストレスだね」
    「そう言うね。みんなそういう話になるね。象も人もストレス‥。
     でもおばさんはそう思ってないんだよ。」
    「ストレスじゃないの?」

     小学生相手に話していることを少し思い出し、
     これから先をどういえばいいのか、ちょっとだけ考えた。

    「猛獣を追い出して人の居場所を広げていったんだってこと、
     始めに話したでしょ。自分の取り分を増やすために他から奪うという
     こと、いけないことだって教わった?」
    「うん、そうだよ。いけないよ」
    「でも世の中のほとんどが競争なの。競争して勝つと、誰かが負けてるからね。
     負けた人はどうなるか、勝った人が考えない競争のしかたがいけないんだよ。
     勝ち逃げはだめなの。勝った人が王様で、王様はとても強いから王なの。」

    「ライオンだね」
    「そう、ライオンはハイエナと禿鷹が食べる分まで食べたりしないでしょ。
     誰に教わったわけでもないのに、そうやって取り分が決まってて
     それぞれが生きてきたわけよ。人間が武器を持つまではね。
     武器と智慧は世界を変えてしまったんだね。
     人間は地上の王なの、ライオンじゃないけど強いのよ。」

    「地震とかカトリーナとかでいっぱい死んだりしても、強いの?」
    「そう、強いの。強いってことは、どういうことなのか、
     ぼうや、考えてね。とうさんだって黙っているばっかじゃないと
     思うよ。考えていると思うよ。ただ行動しないだけよ。」

 
    

    「ぼうや、地上の王には、王の道、王道というのがあるんだよ。
    「オードー、王将、ギョウザ?」
    「ま、並、オヤジギャグにもなんないけど許してあげよう。
     王の道ね、王が道を間違えればどうなるかな?」

    「猛獣に復讐されるかなあ」
    「そうだね、油断してるからね、いつやられるか、わかんないと思って
     考えることだよ。居場所を失った猛獣は地上のすべての象徴だと思って。
     大事なのは、これでいいんだろうかって常に考えること。
     そして弱い者を守ること。
     それができなければ王じゃない、ただの乱暴者だし強欲な悪者さ」

     闘って領土を広げて生きてきた、生き物の上に君臨する王、人間は
     この大地の上に広がるすべてを得た。
     そして、あとどれだけ失えば、失ったものを思い出せるのだろう。

     うさこオバは、棒きれをぶんぶんと振り回して遠くに投げた。
     くんくん親分が走り出し、ぼうやもその後を追って走った。



    ちろちろ燃える焚き火から顔をあげると、
    白い花がたくさん咲いている。やがて赤い実がつくだろう。
    甘い汁をふくんだ実だ。小鳥も同じことを思うだろう。

    旧事紀の序文、およびいくつかの巻に、人が増えていく未来(末世)に人心は乱れ、
    魂を失って行く有り様が書かれている。それを嘆いているのではなく、それが理と
    説いてある。ゆえに学べと。
    書かれ記されたが、過ぎし時代の人は、何一つ役立ててはいない。
    学問は成らず、争いだけが繰り返されてきたということなのだなあ。
    退化した人、うさこにもそれくらいはわかる、
    わかればちと苦く痛いのであるなあ、しみじみ‥
     
    
 
    


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地上の王 その2

2008-06-11 09:43:09 | Weblog
     ‥続き)
     子供は手にした枯れ枝で灰をいじりまわすので焚き火はくすぶる。

     風向きが変わり煙はちょうど子供の顔の高さに流れて行く。

    「おばさん、どうしてその棒もってるの?」
    「これ? これは武器よ、闘うための」
    「カラスは逃げてったよ。それに高くて届かないよ」

    「焚き火をかき回すための棒なのよ、本当は。でも持っていると
     獣は怖がるからね。太古の時代から、ヒトは武装して獣を追って 
     食べられるものは食べ、食べられない獣はできるだけ遠ざけるよう
     にしてたの。そうしないと自分のおうちが作れないでしょ。」

    「おばさん、蛇、食べられるって聞いたよ、おじさんに」

    「ふーん、おばさんはカエルが苦手。蛇はカエルが好物なのよ。この辺は
     近頃カエルがよく跳ねてるでしょ、だから蛇がいたのね。
     お腹にカエルさんがいたかもしれない。だからダメね(ウソ)。
     どっちかっていうと、おばさんは草食派ね。」
    「ソー食だといいの?」 

    「草食ったって、おばさんはまだ未熟もんだから野草のことは知らないの、
     ヤギとか牛のオッッパイで作ったチーズは好きだけど、肉は食べないのよ」
    「お肉でバーベキューとか、しないの?」

    「焚き火で? バーベキューねえ。してもキノコを焼くのがいいね。」
    「昔はソーセージとかあったかなあ?」

    「ぼうや、火を使うのを覚えたのは動物が怖がるからよ。
     それに道具なの。火を操るのは人だけなの。
     今の人みたいにバーベキューばかりしてたんじゃないのよ、
     キャンプみたいに外で暮らしててもさ」

    「狩りをしてたんでしょ」
    「狩りねえ、そうだわね。今も狩りっちゃ狩りだわ(意味深である) 
     でも、それだと走り回らなきゃならなかったのね。
     だから大変よ、エネルギーがねえ。
     お腹が空くし、だからまたすぐに猟に行く、悪循環よ。」

    「草より栄養はあるよ」
    「そう?そう思うだろうね。でもちょっと違うよ。
     ライオンは狩りに強いけど、獲物を得る確立は低くてたいてい空腹なのよ、
     だから数が減っていくのよね。家族を養うのが大変なのよ。」

    「でも弱肉強食でしょ、世の中」
    「そんなこと誰に聞いたの?どっちかっていうと、狩りより
     タネとか実を拾ったほうが、定住しておだやかに暮らせると思うけどね。
     子供が産まれたら鹿一頭くらいじゃ足りないわよ、食べ物を確保した生き物が
     生き残る、これが鉄則なのよ。今も昔もね。」

    「おばさん、どうして猛獣はどうしてほとんどいなくなったの? 動物園だけだね」
    「だからね、食べ物がなきゃいられないでしょ。ぼうやだって、お腹空いたら
     おうちへ帰るでしょ。おうちにおやつもご飯も無かったらどうする?」
    「ぼくは子供だから、だいじょうぶ。」
    「そおお? 子供だとオトナがエサをくれるって思うわけ?」
    「そうだよ。オトナになったら仕事して給料を貰うんだよ、たぶん。
     猛獣は強いのに生き残れないの?」
    「だから弱肉強食で互いに滅びるわけよ、人はその間を道具で生き延びたのね」
    「人が食べたから減ったの?」
    「食べないわ。食べないけど自分がエサにならないために殺したのね。」
     
    「それが弱肉強食でしょ」
    「ふん、そうだねえ。だとしたらあんた、甘いねえ。
     ほら、この棒きれあげるから、闘いなさい。」


           ↑「ファスナーがうまくしまらないのだよ、ベイビー」

    ぼうやは、できるだけ長い棒を探そうとそこいらに積まれた薪をひっくり返す。
    そんなことをしなくてもあちこちにたくさん落ちているし、
    枯れ枝をつけた木を折るということに気づかない。
    出来合いしか目に入らないのである。

   「アフリカの象さんは、アニンという悪党に空から機銃掃射で親象を殺されたの、
    たくさんの象が一度に死んだわ。孤児になった象がそのときのトラウマを抱えた
    まま成長して、いまや人やサイを襲ってるのよ。
    象だから傷つかないと思うのは人のゴーマンよ。」
   「復讐だね」

   「傷つく前に武装せよ、なの。そして自分を守るの。子供だって親を守れるのよ」
   「暴力はいけないんじゃない? おばさん」
   「おバカだねえ、君。弱いと暴力使うんだよ。だから鍛えなさい。自信をつけて
    弱い者を守るのよ。ライオンと勝負するマサイ族みたいにさ。」

    ちょっとナーバスなうさこオバである。
    子供の不審げな顔をみないようにしている。
   
   人差し指の先っぽをスライサーで1ミリほどカットしてしまったドジなうさこは
   キーボードがうまく使えなくなってしまいました。
   小さな傷がけっこう痛くて、情けなや。
   おまけにドライ・アイと判明。
   昨日はとほほな一日でしたが、
   この話、なんだか長くなりそうなので明日に続く‥です。


     
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地上の王 その1

2008-06-10 09:17:44 | Weblog

    あまりに暇というわけではない。
    テキトーに忙しいせいでもない。
    とんでもなく忙しくはしていない。もう身体がついていかないからである。
    だいたいいつもこう、ダダダダダ、ユルユルル、ダダダダ、ユルダダである。
    
    なんのことを言っているのかと訝しがられる向きもあろうかと思う。

    そうだ、そうなのだ。
    えてして、人は言いづらいことを話そうとする時、長い前置きで
    ごまかそうとする。常套手段である。
    ごまかしている自分を悟られまいとするごまかしも含まれる。
    ややこしい。

    少し知恵がついてきた小学生と話がしてみたい。

    「ねえ、おばさん。昔むかし、まだ猛獣がいっぱいいたころ
     人間は猛獣とどうやって住んでいたの」(1組うさお)
    「一緒にはいないのよ、ぼうや。食べられちゃうでしょ」(オバうさこ)

    「さっき、蛇が通ったね。おばさん、キャーッて言ったよね」(うさお)
    「そうね、きゃってね、バカみたい? ね? ついね、言った」
    「蛇は襲う?」
    「アオダイショウだから、狙うのはカエルだわね。おばさんはだいじょうぶ」
    「食べられるの?」
    「?‥‥‥、ぼうや、お腹空いてる?」


    「おばさん、おばさんはカラスをおっぱらうの、どうして?」
    「嫌いなのよ、そりゃそうよ」
    「どうして嫌いなの?」
    「どうしてって、カラスが縁側に糞なんかしてったら、セキレイちゃんが
     遊びに来なくなるかと思うし、黒つぐみだって近くで歌わないかもよ。
     ぼうや、カラスと小鳥とどっちがいい? おばさんは小鳥さんが好きなの」

    ぼうやは、人はどうやって人の居場所を確保して今日の現代社会を築いて
    きたのかという、子供にしては大きなテーマに思い至ったのであった。
    ただ、それをうまく言えないのが子供である。

    共存共生思想の萌芽を促すチャンスではなかろうかと
    うさこオバは忙しく頭を廻らせ、手に持った棒きれを握りしめた。

    「カラスはおばさんがカーって叫んだから逃げてったね。
     何処行ったんだろう? おうちに帰った?」
    「ぼうや、カラスは山に~って歌うアレでしょ。でもここが山なのよ。
     だからどこへも行かないで、近くでくつろいでるわよ。エサはたくさん
     あるからいなくならないわよ。
     トーキョーのカラスみたいにこざかしくなくても、まあ生きていけるわよ」

     子供は、少し不満そうである。
     
     (続く)

   
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緑と水のサイクル

2008-06-09 19:06:24 | Weblog
      この夏も水が不足するという予測、そんなニュースが聞かれはじめた。
     風の谷のある森は源流を抱えて水が豊富なところ。

     湿気が多すぎて、ハンパなログハウスを建てた人は建てたはいいが
     カビで住めなくなって放置していくほどだ。
     住んでみなければわからないが、とにかく雨が多い。
     我が家も、一号、二号棟も建築時には湿気対策、断熱対策にとても
     気を使って施工した。
     雨が多いと所といえども、全地球規模の異常気象に巻き込まれなくはない。
     このところ、源流の水量は一昨年、昨年とだんだんと減り、川幅が狭くなった。

     今は先週の雨のせいでなみなみと流れている。
     この水量が一つのバロメーターになるので、撮った。
     澄んだ水を見ていると、安堵する。
     これは癒し、とかいうアレではなく、生きるための問題。

     都会ではあいかわらずまだ幹線道路を増やしたがっているし
     ゼネコンはビッグプロジェクトに血眼になって、環境問題先送りな感じである。
     G8で大臣が会議をやろうが、北の大地でサミットやろうが、
     決定的な決議を欠いた報道を聞くたびに、期待する気は失せてゆく。
     みな同じ気持ちではないだろうか。

     緑を守りたいのは、なにも癒されたいからばかりではない。
     緑=森林浴なんてことを言っていたのどかな時代は終わった。
     もはや死活問題なのである。




     緑がなければ水は枯れ、砂漠と化す。
     人は生きていけない。
     なぜ水がこうもなくなったか?
     なぜ、穏やかな恵の雨は降らずにハリケーンやサイクロンに
     見舞われてしまうのか?

     水の星、地球に生まれた恩恵を忘れてしまって、地表をコンクリートで
     固めてきた愚行をまだ続けるのか。

     なーんて考えながら、高速道路を飛ばして東京へ(複雑‥)。

     ひさびさに都会の、まだ緑の豊かな住宅街を歩いていたら
     おーっとびっくり!  三太ちゃんではないですか!
     イラストの顔とまったく同じ顔をした柴犬君が小さい身体で堂々、ベイビーに
     挨拶していました。ウーッってか。

     鼻先をくっつけあって、互いを認めた後は、オトナの立ち話につきあって
     待機。それにしても三太ちゃん、愛らしい。

     立ち話の話題はもちろん、例の若葉の杜を横断する道路計画について。
     署名が1万名分集まったとのこと。

     杜を分断することに断固反対の輪が広がるとともに、
     一口に環境問題というけれど、どのように生活に直接関わる問題かを考える
     機会にしていくことが課題なのだなあと、三太ちゃんのつぶらな瞳を見つつ思ったのであった。

  
     






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夏の予感がする陽ざし

2008-06-08 13:56:27 | Weblog
     昨日は早起きして、バラのふくらんだ蕾にくらいついている虫を
     むきになって取って歩き、ひどく疲れました。

     虫をみつけると自分で気づいて変だと思うくらい、胸の奥がドキッとします。
     「かーっと頭に血が昇って」やっちまった、という話がありますが
     あの、カーッとくる感じはこんなふうにドキドキから始まるのだろうか?
     などと想像します。ドキッとする感じがけっこう激しいのです。

     バラの蕾を守ろう、守ろうというこの気持ち、実はあまり好きではない。
     なんだかちょっとカナシい感じが伴います。
     それでも虫をつまみ取らないと、バラは咲きませんし、
     困ったもんです。闘いなのだなあ。
    
     疲れたので休憩、陽のぬくもりで石があたたまって気持ちいい。
     テキトーにやりたいなあ、なんだか競争するのはいやだ。



     夕方から雲行きが怪しくなって、通り雨だろうと
     たかをくくっていたら、けっこうな土砂降りでした。
     夜になって、ベイビーの用足し散歩に出たとき、空には
     星が出ていたので、ほっとしました。
     ここで気持ちよく晴れる日は、本当に少ないのです。
     日曜日くらい晴れていてほしいと、この季節になると
     特に思います。




     さて、昨日の雨で流れてしまったニームをもう一度撒きに、
     これから出動です。
    (今朝も早起きだけど、ぼんやり考え事しながら歩いただけだったので)

     なんだかんだ思っても、春と夏がいっぺんにやってくるこの季節
     命の格闘なんだから、うさこもバラを守りに行くとするか。
     記憶の中の夏に、目の前できらめく光が重なって
     何かが活き活きと動き出す気配を感じます。
     人間はエラそうにしてるけど、動物や植物とこの点でまったくいっしょであります。


 
    





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動物好きなんです

2008-06-07 13:53:04 | Weblog
    えー、今日は親分の仲間を紹介します。
    右にいる小さい方は、うさこさんです。

    大きいうさこは、いい歳なんですが、ボク以外にも
    こういうかわいい方たちを、部屋のあちこち、行く先々に
    同居させています。

    猫、子犬、熊、ゴリラ、チンパンジー、カピバラを背中に乗せたロバ、等々。
    動物がたくさんです。

    同じく動物に愛情を注ぎまくっているこの方、
    やまざるさんちにテレビカメラがやってきて、取材してったそうで、
    ローカル局だけど移動動物園が紹介されるそうです。

    先日はうれしくない貰いもんをしたばっかりだけど、その後の子猫を育てる犬ママ、
    ロッタちゃんの写真はポスターにしたらどうだろう。
    動物愛護週間用はどうでしょう(と他人のものを勝手に宣伝)

    テレビに出ると人が大勢、覗きにくるようになるぞなもし。
    一時的とはいえ、やってくるぞなもし。見たくなるもんなあ。
    えらいこっちゃなあ、静かな山の中‥‥

    来るんじゃなくてやまざるさんを呼ぶように、
    テレビで言ってもらうんだろうか。
    「移動」動物園なんだから。 



    うちには↑こういう「むく」っとした方もいますが、
    もう芝生を見下ろしてもタネはないようで、こっちを睨んでます。
    庭の芝はいちおう芝らしく育ちはじめ、伸び過ぎたのを今日は刈り込みです。

       4月以前の記事はこちらをクリックでどうぞ。
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山光我心澄 読んで字の如しです

2008-06-06 09:52:25 | Weblog

    山光に我が心澄めり
     何をいっているのかかいもくわからない禅語が多いけど
     これはわかりやすいなあ。上からそのまま読めばよし、と。

     禅寺でなくとも修行場や聖地にいけば、禅だから善(ぜん)人が
     いると思ったら、そうでもなくて、俗世、シャバと同じで
     けっこうなワルがスマした顔している、なんてことは
     行ってみなければわからない。

     うさこは若い日に体験したことがある。

     そこで学んだのが上の言葉。
     場、ではなく、我が心が善か否か。
     場、に求めるのではなく、師に学べ、という意味でした。

     川の水、親分がバシャバシャして歩くので、濁ります。
     1分とたたないうちに、濁りが流れもとの澄んだ水に戻っていきます。
     それを眺めています。



     カメラと石、アンド親分。この図、シュールだなあ。
     犬といる世界は、けっこうシュールレアリズムで(人からみれば)
     頭のねじがゆるんできます。
 
     珍しくいい天気だから、ちょっと写真撮ってきます。
     
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木に学ぶ

2008-06-05 09:23:16 | Weblog

  四年ほど前の庭です。庭というのもナンなのですが…
  この頃はまだ、枝下ろししていない木がたくさんあって、
  奥の方に夕焼けにそまった空があるけど、木立に隠れて見えないのです。
  燃やしているのは、木の根っこ。
  大きな木の、しぶとい根です。遡ることさらに五年前に掘り起こしたもので
  やっと燃えるくらいに枯れた。

  今では少し庭園らしく形が整ってきたので
  荒地みたい頃もあったのねえと懐かしんだり、納得したり。

  樹木を間引きしないと森が死んでいく、日本のほとんどの山がそういう現状に
  さらされているようです。
  この森も長いあいだ放置されてきたから、木が密集し陽が射ささなかった。
  年数のわりには太い木は少なく径30センチ前後で背丈だけ伸び放題でした。

  代替エネルギー、脱炭素資材など、今では再び木材は注目され始めたね。
  あれがだめならじゃあこっちという実用的発想。
  こういう話は盛り上がるのも早いなあ…。
  困ると必死になるってことですかね。

  杉の一斉植林は、花粉症を増やしただけでなく鳥や生き物
  の棲み処も奪いました。森にとってよくない環境は、生き物すべてに
  いいわけがない。資源=環境=命ですね。
  一つづつばらばらに考えるのではなく、エコも人も社会もみな同じで、
  全体を見よ!であるな。 (全体主義っていうあの主義じゃないよ)

  森の木と風、旧事を読み、歩き、じっと考えていて気づきます。

  書物から多くを知るというけど、ではたくさん読む必要があるか?
  そうも言えなくはないが、逆はない。
  いくら多くを読んでも、肝心な大事なことへは行き着かないこともある。
  気づけないこともある。
  世の中、後者のほうが多い。近年はさらにズリズリ滑ってて、ほとんど末期症状。

  東京で読み、考え、移動して考え、ここで書く。
  木をみて頭のなかを整理する、するとわかってきます。
  東京への移動中、それがふっと形になることもあります。

  旧事紀に学びはじめて、たった20年かよでもあり、
  もう20年もたったか、とも思う(なにせ飽き性なうさことしては)。
  この重くて分厚い古伝書(七十二巻)を、早いとこそっくり頭の中へ刷り込みたいわ。
  まだ登り坂途中。

  今は跳ね回っているが、うさこもやがて婆さんになるだろうから、なおさらのこと
  急ぎたい気持ちはある。

  日々、決意し、日々だらだらである。



  思索中‥‥でしょうか‥
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黒つぐみblackbird

2008-06-04 11:14:32 | Weblog

      昨日はふくろうが棲んでいると書き、一緒に住んでいるのかと思ったと
      うらべにさんに言われてしまった怪しい文を書くうさこです。

      ふくろうの写真は撮れそうにないので、暖簾の絵でその話をしたのです。
      森の中にいて、ときどき縁側から見えるあたりの木に止まります。
      でも実際に目が合ったことがあるのは、ねずみ師。うさこは見ていないので
      執着しているのですな。見たい、見たいと。
      運転中にフロントガラスの前に突然降り立ったことはあります。
      その時は、左側が崖という細い山道を走行中でしたけど、ふくろうに気をとられ
      浮かれてました。もう一度、会いたいのです、暖簾じゃ物足りません。

      本日も自分で撮れない黒ツグミを紹介します。
      この鳥は小川の上で低空飛行を繰り返します、これみよがしに映るのは
      わたくしの性格がひがみっぽいからでしょうか。

      ねずみ師が昨年からの芝生計画を邪魔しているのも、彼らです。
      セキレイ君と野ハト君家族もですけど、早朝一番に出動しているのは黒い鳥。
      それはいい声で鳴くので、すぐにそれと知れます。
      人影があっても、ぜーんぜん、チョキ、キキ、キキ、チチ、チチ って低空飛行
      したり、地面で虫をついばんだり自由なこと。

      鳥の声がずっと聞こえる森にいると、それを擬音で書こうとし、
      挑戦してはいたのですが、わたくしの耳が悪いのか?
      これは書けないと思いました。
      うぐいすは、「ホーホケキョ」じゃないんですもの。
      何年か書かれた擬音と実際の音を比べたり、聞き取ったのを書こうとしたり
      していたのですが、ある日
      「書けないのである、書かれたものは事実と似て非なる音」と思い至ったのでした。

      黒つぐみです。
      この「猫舌森の梢」さんのブログには鳥がたくさんいますよ。

       庭先に着地したのを、そーっと写そうと試みるのですが、横移動が速くて
       失敗し続け、まあいいやと諦めました。  
       つがいで遊んでいきます。
       きれいな声、とても。

       何、話してるのかな~と思い、そのうち口笛で混ざります。
       混ぜてくれてるようなので(逃げないからね)、邪魔じゃないのだろうと、
       勝手に思ってます。



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ふくろうが棲んでます

2008-06-03 08:13:34 | Weblog
      えー、主題はとくにありません。
      
      しいていえば、この一枝はカクテル(コクテール)というバラです。
      手入れをしに見回ると、強風で折れているのを見つけました。
      それを見た瞬間いいようもない落胆、なぜだか怒り(何に対して?)を
      覚えます。ちょっとのあいだ、立ち尽くし、仕方がないので
      花鋏で切ってきました。
      蕾がいくつもついていたし、誘引してたはず、なのにと思うけど、
      もっとしっかり結んでおけばよかったと後悔です。

      風の谷では、いつ吹きだすかわからない強風に鍛えられ、
      耐えた樹木だけが育ちます。

      二つ目はのれんの絵。
      ふくろうが枝に止まってます。
      作ったのは染物店の主人「わたしが作りました」といくつも見せてくれた中の一枚。
      京都錦市場のお店でした。
      渋い染色にも惹かれましたが、本音はふくろう。
      いい顔してたので、飼いました(いえ買いました)
      このごろは、家の裏の方からホーホーと聞こえます。
       とても近く。
       好きな声です。

      凝りずに三つ目を紹介します。
      花瓶です。
      ねずみ師にいただきました(へへへへ、自慢? 少しね)。
      国道4号線沿いにあるレストラン「ファンタジア」の
      オーナーは陶芸作家でした。
      若き日のある一時、夕陽を追いかけて撮影していたねずみ師は
      その作品を見に何度か訪ねたそうです。
      ある日突然、記憶のなかのそのレストランが今もあるかどうか、
      見に行きました。なにせ○十年前のことですから‥‥、なくてもおかしくない。
         酔狂なこっです。

      ありました、レストラン営業中。
      当時を知るマネージャーがいて、昔話をしたおりに
      この花瓶をゆずってもらったのでした。
      それが5、6年前のことで、その話を聞いた折にうさこがせしめました。
      ほめちぎって、なでまわして、いいなあいいなあと、つぶやいて。
      今でもその気持ちは褪せません。
         
       ねずみ師は、この青が好きなようです。
      いただいたものの、大事にしすぎて出番がありませんでした。
      そして、カクテルの枝を切らないまま挿せるものが見あたらないので
      使うことにしたのです。そしたら、なんだかぴったり。

      くだんのレストランに、うさこも後日行ってみました。
      いくつかの陶芸作品が展示してはあったのですが、「青」の作品はもう無く、
      世代交代のせいか、今はずいぶん変わったようでした。
      ねずみ師の話にあったような空気はすっかり消え失せていて、
      おっかけよろしく車を走らせたうさこは、がっかりでした。

      物は人の想いを引き受けるけれども
      人が人の想いを引き継げないのはどうしてなんだろうか、ね。
      
      
      

      
     
             
コメント (2)
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だらだらだら

2008-06-02 22:58:53 | Weblog
     
        梅雨期に入らなくても、森は朝晩、雨が降る。恵の雨ですから。

        このかた、なにやら企んでます。シッポ揺れてるもの‥
        上目使いを、いつ覚えたのでしょうか。
        その目に弱い‥、つい机から離れてしまいます。



        通りかかると、このかたも。
        ぐっすりなのでしょうか‥



      薄目、開いてますね‥

      縁側のマットは、おふたかたが泥足で上がります、特に大きい方。
      もう当分、洗濯しません。
      こっちもだらだら、だらです。
 
  
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バラ愛好家じゃなくてよ

2008-06-02 11:07:33 | Weblog
    バラはどうやら流行っているようだ。
    たまたま見たテレビでオープンガーデンを始めたバラ愛好家のお宅を
    紹介していた。造形がほどこされたバラ園であった。

    バラの木を造形というとなんだか変なようだが。
    たしかに、園芸の仕事は植物育成の他に造園という要素もある。
    植栽の技法はさまざまにあって、それを駆使し形を造っていく。
    しだれ柳、しだれ桜、しだれ梅みたいな形にすることだってできるのである。
   
    すーっと真っすぐ上へ伸びた幹のかなり上の方で行く本も接ぎ木がなされ、
    そこから下へと枝が延びて、枝垂れているような形。しだれバラである。
    モーツアルトだったかなあ、奥さんは「造りましたわ」と自慢してたなあ。
    けっこう手間暇かかるから、自慢したくもなるよなあ。    

    そのお宅にバラ愛好家の仲間が集って、テレビカメラの前で
    皆さん嬉しそうであったね。 
    およそバラの似つかわしくないおじさんがバラを花束にして
    「気をつけ」の姿勢でカメラを待っていたね。
    畑いっぱいに育てているそうな。
    通りかかった人がきれいですね、と声をかけてくれると嬉しい、
    きれいですね、と言ってくれた人にはタダであげますよ、と。

    う~~んとですね、風の谷、想風亭に植えた、うさこのバラは
    そんなに豪勢なものじゃないです。
    三年経ってやっとちょっと背が延びたくらいです。
    農薬、まったく使わないのが理由でしょうか。
       (ニーム、竹酢液、乾燥牛糞を施しています)

    ここら一帯がクンクン親分の縄張りです。
    薬を撒いたり散布したりすると、いつ、くんくんされるか心配です。
    ベロベロだって、したいときにするでしょうから‥‥
    シマコさんもバラの根元の近くで昼寝したりするでしょう。
    子猫も丈夫になるまで敷地内で歩行訓練しているようだし。


    
    バラは好き、でも、ずっと素人。
    オープンガーデンはやらない。(やれない、だな)
    友が、知人が、仲間が、やってきて
    年に数日しか咲かない花が、たまたまその日に咲いていれば
    幸せを分かち合える。
    
    うさこのバラ栽培はフェンスを越えて入ってこようとする
    無茶な人(泥棒ともいう)対策で始めました。
    バラを乗り越えたい人はいないだろうと思って。
    そういう気持ちがバラを見ても消えない人には、花がなくても
    棘があるから。

    森の中にフェンスを建てるのは忍びなかったのですが、
    やもうえない、せちがらい事情。だったらツルが延びて鉄柵を
    覆い隠してくれればいいなあと思ったのです。
    あと十年くらいはかかりそうですが、十年後を夢想して
    バラのしろうと道、続けようと思っています。

    わたくしは飽き性、好きなことだけ続けています。
    誰しもそうかもしれませんが、わたくしは自分の飽き性なとこが
    好きではないのです。なんか薄情な気がするからね。

    三十歳の時、旧事紀を学び始めて、これが飽きずに継続した人生初の事、
    いろんな習い事をして、スポーツもして、でも最長に継続は旧事紀。
    仕事はもちろん生活もそれを軸足にしているなあ。
    飽きないとはなぜなのかを、そこでわかったからでしょうね。

    二つ目がクンクン親分、三つ目がバラ。
    そうやって暮らしの周辺を見渡してみたら、飽き性だったはずなのに
    取捨選択をしていることに気づきました。

    腹八分目、分相応、いろんな言葉を知っているけど
    意味を深くわかっていなかった。
    八分も相応も、ゼロとマックスを体験してないとわからない。
    マックスは無理でもゼロは意識的に作り出せますね。

    意味は実感して初めて身に沁みました、以前よりも深く。
    好きなことを飽きないのは、あたりまえだけど、
    好きを実感するのは、その対象に深く深く心を寄せるから。
    好きだから寄せるのか、
     寄せるから好きになるのか?
    そこんとこ、ツボ。
     ‥‥考えた。寄せて、好きになる。
    まず、寄せて考えるのだから。

    畑でバラを育ててると言ってたおじさん、バラを愛でるように
    「美しいよ、君。バラみたいだ」なんて奥さんにも言うかなあ。
    ま、言わないか。
    思っても言わない、それが日本のおっさん道だもんなあ。
    言わなくても通じるものがあればいいねえ。
    
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