想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

最もわかりやすい、原発本

2011-07-29 10:19:47 | 
メルトダウンがどうのメルトスルーがどうのプルサーマルって
なんだというような本ではなく、今起きているフクシマについて
書かれた本の中でわかりやすさでイチオシが「津波と原発」
(佐野眞一著、講談社刊、2011.6.18第一刷)

草が臥すを続けると、草臥れる、クタビレルと読むね。
草も樹も今一番盛りでシャキシャキ起きているので草臥れて
いたのはいつものことでうさこだけであったね。
でも草臥れていたからといって寝ころんでばかりいたわけでも
ないんだね‥、ハタライていたよ、いろいろ忙しくして。

それで旧事という古伝書を傍らにして現実離れした思考をして
いると思われるかもしれないが、古伝書から歴史を読み取って
満足するオタクではないので、旧事も今起きているリアルも同じ、
むしろ双方の裏付けをする相互作用なような読み方をするのであるね。

で、冒頭のオススメ本は冷やし中華部としてぜひ読んでから9.19の
大集会へ馳せ参じてほしいのであるね。
読んでいるのと読まないのとでは大違いだと思うからさ。
テレビニュースで津波後の映像をさんざん見ただろうけど、活字の
表現力のほうが数段勝っているのであるよ、ノンフィクションの王、
佐野眞一氏の文章に緩んだ脳みそがガツンと刺激を受けるだろうから。

ノンフィクションの王道は「信ありて私心なし」だと思う。
3.11以来大量に流された現地報道の、しかしその内容たるや薄い事
このうえなく、取材する側の上から目線と紋切り型のお涙ちょうだい
に辟易してもう見たくないという声も少なくなかった。
テレビとはそういうものなのだと割り切っている人はネットから情報
を取っていたし、本もぼつぼつ出始め今は書店に津波と地震と原発の
コーナーができた。見ない知らないでは済まされないからね。

たくさんあるとどれを食べていいかわかんないってタイプいるね、
嬉しいけど、どっから手をつけようか、なんてね(アタイだよ)。
で、コレほんとにいいと思う。
グルッと一巡り、スルッとわかる。
勉強なんてしてなかった人にも一発でわかる。
原発が悲惨だってことが。
この日本の近現代史に埋もれて生きた人々のことが。
そして自分らもその一人として刻々と過ぎる時に呑まれてしまうかも
しれないってことも、な。

詳細な地図と「原発には唄も物語もない」の章だけ読んでもいいぜ、
グルッと一発でわかる‥(うさこは九州の出だから炭坑節が生まれた
背景は身近だしね、映画フラガールも観てるしね)
ま、内容のことは読む楽しみがあるから書かないで置くとして
図書館にも置いてあるだろうし、買える人、借りれる人、とにかく
チャチャチャと読んでくだせえ。

大江健三郎の定義集(朝日の月一水曜日コラム)にははっきりと
9.19に行きますと記されていたよ。
メッセージは利害や議論を超えて、魂の在処について、であったね。
旧事とオンナジなんだ、冷やし中華部の活動は。
能書きだけで現実に活きないのはダメダメダメよとカメに教えられて
きたからね。

ところでTシャツはさよなら原発事務局が販売しているものを
購入して着ることにしました~、一枚千円なので作るのと同じで
おまけにやっぱ集会だからお揃いのほうが迫力あるからね。
じゃ、よろしく~。








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くたびれましたので

2011-07-26 10:38:52 | 

人アタリしたので休憩中。
ひさかたぶりに会ったシマコちゃんはダニをぶらさげていた。
ダニ退治の薬を首筋につけてあげてミルクを振舞った。
ありがとなんし、ありがとなんし、ミャーゴと鳴いてくれた。
縁側と廊下に猫サマと犬サマがねそべって、そのそばで座敷に
寝っ転がったうさこ、ひんやりした畳が気持ちいい。
時の流れがそこだけ止まっていたね。

くたびれますね、悪い人には。
びっくりしますね、腹グロには。
増えてますね、どこもかしこも。
原発は儲かるそうで、金儲けのためなら何をしてもいいのか!と
子どもの頃に教わっていないのかな、あの人々は。

ツィッターの原発記事は経産省の下請けが監視しているそうだけど
そんなに素人(大衆)をバカにしちゃいけない。いや、恐れるから
監視してるんだろうけどさ。すればするほどみんなしてつぶやくね。
ネットが監視対象とは民主主義を標榜しながら隣国の中国共産党と
似たり寄ったり、原発マフィア国家なんて言われて当然だ。

悪人という映画(小説も)があったけど、主人公とヒロインの涙が
美しかったなあ。
善人が悪人にやられてしまう世の中である。毎日ウソばっか。

東電OL症候群という本が十一年前に出ている(佐野眞一氏)。
いま又、突如として東電OLの四文字がテレビニュースに登場して
ああ、あの冤罪かと思い出された方が少なからずいるだろう。
わたしも本棚から本を取り出し再読した。
すでに読んでいるので斜め読みだが、今だからわかる驚くべき事実が
書かれていた。
十数年の歳月が流れたけど、時の神さまはじわりと悪を裁くんだね。

冤罪といえば記憶に新しい菅家さん、無期懲役の判決で18年服役し一転、
DNA鑑定で無実となり釈放されたのは昨年春のことだ(足利事件)。
東電OL殺人事件で有罪判決を受け服役中のネパール人ゴビンダ氏の
再審請求をし、今回のDNA鑑定の結果を導きだした弁護士は菅家さん
の事件も扱った神山啓史弁護士、裁判長も同一人物、高木某とあった。
こんな偶然があるか。偶然ではなく、ここに司法の闇があったことを
佐野氏は詳細に暴いていた。
冤罪を生むのは権力と司法の癒着であるし、原発問題もまた然り。

担当弁護士事務所が掲げた「道理はトオル、アキラメルナ」という言葉
を真に受けるのが難しい世情ではあるが、それでもアキラメルわけには
いかない当事者達。それを他人事にしないことがメッセージを夢幻から
現実へと変える力ではないか。
草臥れた気持ちを上向きにするには、寝ころんで深呼吸。
諦めたら負けて食われてしまう世の中じゃ、策をねるつもりの憂さ子、
結局寝てしまった疑惑‥。







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修繕の日々、屋根班。

2011-07-25 15:13:50 | Weblog

屋根塗り日和であった。暑いのを覚悟していたら薄曇り、ときおり
涼しい風が汗をかいた膚を撫でていく。
作業場兼物置、井戸小屋、二棟ある道場と一日半かけて塗り終えた。
作業前の二日は大雨が降り続いて屋根上のやっかいなゴミは押し流して
くれて、洗浄作業の面倒な手間が省けたのも幸いだった。

生活するとは年中の四季折々のやるべきことを一つづつ片付けて
いくことである。暮らしの手帳という雑誌があって暮らしの中の知恵
のようなものをちりばめた、いわば主婦の知恵袋のような編集である。
本屋には数年前から似たような趣旨の若い人向けの雑誌が数種類あって
例えばクウネルなど暮らしの手帳亜流が増えた。
それなりに需要があって、このごろの若い人は小さく生きるなあ、まあ
それもアリかと思っていた。本は売れないより売れた方がいいし‥。

若い頃には料理本も含めてかような類いを小馬鹿にしたものだ。
人生は修繕の日々であると気づいた時などは絶望的だと思ったし、
生活臭を嫌って包丁のないキッチン(ナイフはある)を当然だと思って
いた。
それが今ではどうよ、もう料理本もずいぶん増え、家庭菜園まで作る
ようになったのだから変貌ぶり著しい。「買うより直す」はあたりまえで
面倒だとは思わない。年代モノや中古が好きである。
生活に慣れ、暮らしを楽しめるようになったということだろうか‥?



こうなってようやく一人前ということで、と言いたいところだが、
それは言い過ぎで、七分目くらいであるなあ。
一生かけても一人前とはいかないだろうというのがうさこ的生活で
きっちりと暮らしの手帳のように小知恵をスクラップしたりはしないし
できない。
出来る人とそこが違っていて、七分のままでいいやとも思うのである。

いかに楽しいかそれが一番重要なので、しゃかりきにキチントさん風
を吹かすのは他に譲りたい。
そうなると一日でできるものが二日かかったり不完全であったりもする
けれども、それを承知でやっていて、大事なのはプロセス。
いつも何かを発見してそのたびにちょっと自分が大人になった気が
するのは、たぶんわたしは元来が生活派ではないからなのだろう。

生活に長けた人というのは一家に一人、嫁さんには欲しいが自分ではない。
うちには暮らし上手の犬がいるのでバランスもとれているし。
彼は二日前の鍼が効いて、ひさかたぶりに庭でくつろぎ、ゆるやかに老いを
楽しんでいる。シマコとともにカメにまとわりつく係を遂行中なのである。
餅は餅屋で、うさこは原っぱで。

人間は動物と超人のあいだにかかる橋であるとツァラトゥストラは言って
いて、それをヤマト的クジキ風に言い換えれば五常五行の人の道が神(超人)
への橋である。
橋の欄干に飛び上がったりぶらさがったりしながら、うさこはうさこの
まま、端っこから少しづつ遠のいてはいる。長い耳を洗ったりしながら。

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ノン・ファブリーズ

2011-07-21 09:05:39 | Weblog

ツィートすると、いま隣で寝ています、ゴロンって。
そして、ぷす~と小さく聞こえましたね、小さいけど
はっきりと。
漂ってきますね、ぷ~チャンの存在の証が!
この香りとともに過ごしてきたこの十数年、ファブリーズは無用です。


シッポが写ってないと、なんだか珍獣ですな。
ぷ~ちゃんは退院して2ヶ月がすぎようとしています。
ウンチの具合は普通になりまして、とても優秀な経過ではないかと
喜んでおります。

時々めまいはしますがおっかあがそばにいるので倒れるまえ支えます。
おっとアブねえって、タイミングバッチリ、危ない気配を察するコツを
習得したのであるね。
旅に行けなくてもいいんです、いっぱい旅した記憶があるので、
寝ころんでぷす~って音させてるベイビーの夢につきあって、幸せです。

入院中の友人たちよ、はよ元気を取り戻して、出ておいでなせ~。
待っとるよ。


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小さいカラダで見た夢を

2011-07-21 01:39:16 | Weblog
こどもだったころ、誰もが夢見たね
大きくなったら、大きくなったら 何々になろう
何々になるんだ 夢は叶うか叶わないかなんて思わない
小さなカラダに反比例の大きな夢、いっぱいつまっていたね
トモダチがいる子もいない子も、おしゃべりさんも無口な子も‥

どこへ行ってしまったんだろう 
背が伸びて 手が伸びて 脚も長くなって 靴のサイズが
止まった頃には 夢はカケラだけ残して時々確かめても
色あせてぼやけた輪郭は形を変えてくばかりで‥
大きくなると夢が小さくなってしまうなんて 知らなんだ
 
ツァラトゥストラがニーチェに言ったように、うさこも言おう。
大人になるってのは頭が小さくなることなんだよねって。
小さくまとまっちゃって、ほとんどからだの保身に費やされる。
食うために生きるようになるのさ。

いい歳して少年とか永遠の少年とか少女とか呼ばれて喜ぶってのは
どうしたものかね、幼稚で低能で恥ずかしいぜ、そうカメが言うので
ふんふんとうなづいていたら、隣のオヤジは少年風が憧れらしく
エエッ、いけないんですか~ときた。

どっかり腰据えてて、少年もないもんだ。
意志の塊が旅してるみたいな覇気もなく、見る夢ときたら宝くじ。
いいさ、宝くじでもさ、ただし、宝みたいな夢があればのことで
金だけ手に入れたいんだったらオヤジだぜ、そう言ってやると
とりあえず金あればなんとかなる、って言いやがった。

子どもの頃からアータはそういう子だった?もしかして?
一応聞いてみると、忘れた、と返ってきた。

森へおいで、子どもだった頃を、たぶんアータでも思い出せるよ。
たぶん‥。カミサマに近かった頃を思い出せるよ。

ps:肉食系ではないうさこも、さすがのセシウム牛にはびっくり!
新幹線の弁当に使われていたのはショックであるよ。
びっくりした後に、でもあったりまえではあるな、と思い直す。
枝野は「ただちに健康に被害はありません」と言わないのか?
放射能が3月の風に乗って北上してたとき大丈夫って言っただろ?
いまや風評被害がどうのっていう段階を完全に超えた。
風評じゃなくて、実害が蔓延中なんだからさ。
負けないぞー。





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こんなふうに日が過ぎていく

2011-07-19 10:42:26 | Weblog

時の音が聞こえる。
春先に起きた悪夢の現実から始まって
日に日にそれは増し、音無のかまえだった森にも
近づいてきた



例年より控えめだった雨量で、梅雨後だというのに川の水は
嵩を増さず、夏の光が早めにきたと申し訳なさげに照っている
音は聞こえる

このごろは毎日、新種の音も加わって、リズムさえ刻みはじめた
ひと月、ふた月、三月、四月、やがて一周忌さえやってきて
その頃には大音響となっているだろうか
かつて誰にも聞こえなかった時の音

数えてみても終わりのない時の音
胸苦しさとともに刻まれる音に、来る日も来る日も思うだろう
こんなふうに日が過ぎていくとは 思わなかった
こんなふうに時はきちんと過ぎていくのだとは 思わなかった
止められないことを知らなかった、と



去年と違うところに咲いたねじり草をみつけ、咲いたんだね
あなたはこの夏も咲いたんだね、話しかけると
わたしの名前も時なの
わたしについておいで
小さなからだで力強い声を発した。



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避暑地にて…

2011-07-16 15:29:00 | Weblog
って、ウソです、いつものボクんちですがな。
でもトウキョーに比べると天国のよう、ってそれも
ウソです(テンゴクはもっといいとこかもしらんし)

ウソばっかのうさこと親分は暑い暑いと言いながら
木陰で涼んでいます。
と、そこに大きなキノコを発見。グロテスクでちっとも
おいしそうじゃないところが怪しい。まずそうにみせて
食われないように防御しているのかもしれません。



キノコだけじゃありません。虫なんか樹の皮にへばりついて
知らんふりを装ってカメラを近づけてもジーっとしています。
世の中の生きとしいけるものらすべてがウソをまとっている
昨今ですからね、ホントを見つける術を知ってればウソに
驚いたりしませんよ、あ~れ~とちょっと声を上げる位。

東電の記者会見でまどろっこしい話し方をして頭良さそうに
みせている細野原発担当大臣、出世なさいましたね。
ただの担当者だった二ヶ月前の話し方とぜんぜん違います。
ウソのつき方を習得したようです。
逆ですね、バカですね、習得すべきはウソの見破り方と
真実をいかに述べ伝えるかであるものを。

3月以来、このブログは硬直した文章ばかりになっていて
自分でややうんざり気味ではあります。
ウソつきうさこの名折れってもんです、現実に負けるなんて。



うさこは木のベンチに寝転んで、ぷ~ちゃんはその脇で
一緒に水音を聞きながら涼んでたなあと、元気な頃を思い
ながら、ほんとは一人で写真を撮って帰ったのよん。
ちょっと寂しかった。

ジジィになったぷ~は達観しているようで用足しすると、
とっとと帰ってしまいました。ここまで歩いてくるのは
もう難儀なんだね、たぶん。




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原子炉は海辺だけではない情報

2011-07-15 01:05:48 | Weblog
冷やし中華部のM氏から連絡。
知人からこんなのあり
聞いたけど知ってます? ということだった。

映画「東京原発』を見た時にはブラック
ジョークにしてはスゴイの作ったなと思っていたが、その後、都内に研究用原子炉があり
大学の敷地内に廃炉になった原子炉と核廃棄物がどんと置かれているのを見てしまって、
どこも逃げる場所がないニッポン核列島だいうことを思い知った。

絶望すると人は無口になるのですね。
諦めるのはまだ早いし、諦めて黙っているわけにもいかんのですわ。

9月の集会用のTシャツデザインを試作中だけど、冷やし中華と関係なく
なってしまいそうで、どうも‥、皿の上にてんこ盛り‥。
SAYONARA GENPATSU のロゴだけは間違えんように入る。

でもなんでGood byeじゃなくてSAYONARA? とふと思った。
グッバイじゃ軽い、確かに。日本人はグッバイは軽ーく使うが、
さようならはその時々に意を含ませて使いまわすが、きっぱりねと
いう永遠の決別にも使えるんだな。
やっぱひらがなで、さようなら、かな。

今夜、シャワーを浴びながら、またまたふと思った。
テレビってほんとにつくりもんだよなーって。
作りもん、なんてあったりまえじゃ、と言われそうだがそういう意味
ではなくて、報道番組もリアルじゃないってことだ。
リアルを求める人はテレビを観ないだろう。

テレビを眺めている間じゅう、目と耳は現実逃避のために働いている
そんな気がした。
おなじ作りもんなら、創ろうと心血注がれた映画のほうがリアルだ。

資本主義の匣、金勘定が流れるテレビという装置を若い人は見離して
もっぱらネット派が増えているのだが、地方在住や高齢者はネットは
使わないだろうから、NHKか?それでは偏向した情報しか受け取れない。
情報など頼らないで自分の感性と知恵で判断する年寄りは逃げ遅れたり
しないだろうけど‥。
お墓にひなんします、には無口になってしまった。
 

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腹時計しか持っていないぜ

2011-07-14 10:43:14 | Weblog
梅雨明け直後の森は猛然と蒸し、湿度はジャングル並かと。
うさこは先週末の外仕事でちょっと熱中症にやられてしまった。
熱中症についてメディアで盛んに注意を呼びかけているのは
かかった後に気にするようになってから見たのであったね。
そんなもんだね、アホの習性。



症状は比較的軽かったけれど、頭痛、視力低下、吐き気、だるさ。
風薬を飲もうとしていたら、カメが「あなた、熱中症だね」と一言。
ももももっと、早く言ってくださーい、先生。
と言ってうろたえたが、「なんか様子がおかしいと思って」だと。
子どもじゃないけんね、言ってくださいもないもんだ。

ぷ~ちゃんのことばかり気にしていたら、自分の不調に鈍感に
なってしまった。無理ばかりしてけっきょくロスをする。
あまり聡明ではないなあとしみじみ思う(端的に言えばアホだなあ、だよ)

365歩のマーチみたいな日々、一歩進んで二歩さがる人生はワンツー
パンチ(だっけ?)
ぷ~ちゃんはよかったり変だったりしながら今日もだいじょうぶだったねー、
とか、おはようー、今日も元気だねーとか、一日単位の犬生を過ごしている。

犬には暦も時計もない。禅僧みたいだなと気づく。
(ま、腹時計はスグレものを持ってるらしいが)

追記/冷やし中華部は元気に活動中で賛同される方々との出会いも
あったりして、いい感じで進行中。まだ参加していない人はどうぞ
この際だから、この夏だから、売り切れる前に。
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犬児仏心 

2011-07-11 20:09:50 | Weblog

猫児仏心(道元)をもじってみたね。
人より天道に近いところにいるからね、ベイビーの様子を
見て、自分の脳みそなぞ余計な考え休むに似たりであると
思うのである。

しみじみ、ひさかたぶりの森の家で一緒に過ごし卑俗な
人の世を超越した感があって、なかなかいい。
ベイビーもこころなしか体力回復し、目がきらきらして
舌(ベロ)の色がピンクになってきた。



日に日に落ち着いて今朝などは走り出しおっといけねえーと
自戒するそぶりなどもみて立ち止まった。
歩き方は東京にいる時より格段に軽快である。
回復の兆しのように思えるが過度な期待をするのは人の欲と
いうもので、確実に一線を越えベイビーは老境に入ったのだ。

おだやかな老後というのは、人生の恵みであるな。
恵みは恵まれていることに気づかなければありがたく思えない。
かるがると手にはいると気づかないかもしらんが…。

頭のてっぺんに草履を乗せ(道元)てふたりで散歩、
半径20メートル位になってしまったけど楽しい。


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水道水のセシウム137、ビミョ~

2011-07-07 01:33:02 | Weblog
(シマコも怒ってる? いや、警戒中‥なんだよね)
ニュースをみて心臓がギュッとなった。
7月2日、東京都健康安全センターが検査している敷地内の水道
蛇口から摂取した水からセシウム137が検出されたという。

数値は1kgあたり0.14 ベクレル。食品衛生上の暫定規制値は
200ベクレル/kgだから大幅に下回っている。
こういうと大丈夫なような、心配いらないような、いやでも
不安はあるような、とよくわからないことでもあるが‥。

わからないと思ってはいけない明確な理由をあげておこう。
本来、元来、もともと、身体内に存在しえない物質である。
水として摂取したら半減期30年の放射性物質は光を放ち続ける。
それを内部被爆というのである。だから問題ないレベルという
言い方をするのは利害関係者の言い回しだろう。

たとえばご飯を炊く前に水道水で米を研ぎますね、その時ふいに
黒い小さな粒があるのを発見したら、米をより分けて取り除こう
としますね、ゴミか虫か何かわからないから不審なものは除いて
真っ白な米粒だけにしようとさらに洗います。一粒でも嫌ですね。
目に見えればそうやって純粋を心がけますね、たいていの人は。

米殻や米ぬかや破片、あるいは米虫など身体に即刻害を及ぼすわけ
のないものだって気にします。ササッと洗ったからいいとしたり
しないでしょ、目に見えたらダメですね。
放射能は見えないから問題ないと言われたら鵜呑みにする?
だとしたら変じゃない? 見えないだけであることはあるよ、
なら米虫もゴミも食っちゃえばいいよ、そう思うんだな。

ほぼ毎日、放射線量をチエックしていると、ベクレルもシーベルト
もどのくらいだとどのくらいのヤバさか、わかってくるようになる
のですが、一般に不慣れな単位であることは確かです。
わかりにくいと考えるのを止める、そういう習性につけこまれる
のも嫌なもんですなー。(おまけに長文も読みづらい‥スマンね)

いいことを考えてくれた人がいますので、それを紹介します。
http://testpage.jp/m/tool/bq_sv.php?guid=ON

上記は利用規約によると営利目的以外のリンクフリーなので使用
いたしました。
ちなみにテストページで入力した数値は、一日2リットルを一ヶ月
飲む場合の試算で結果は0.1092マイクロシーベルトとなりました。
0.10マイクロシーベルトは高いか低いか?
年間被爆限度値が1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)、
だから関係者の多くはだいじょうぶ、ただちに健康に害はないと言う
んでしょうね。割り算すればそりゃあ低いよ、だけどなあ‥。

半減期が30年のセシウム137だから高いと考えるべき数値ではない
でしょうか。ヨウ素のように8日で半減し尿と一緒に排出される
ものではなく骨に付着する性質があります。体内に異物が入るのOK
ですか?

海に汚染水を垂れ流した際にも魚が取り込んでいくまでには薄まると
言った東電や文科省。この言葉を真に受けてる人がいるんだろうか?
信じてるんじゃなくてこれまで通りの日常をこわしたくないからじゃ
ないんだろうか。もう壊れてるんだけど‥。

鈍感でいられる人はほんとうは鈍感なのではなくて、だいじょうぶと
いう言葉にすがっているのではないかしら。すがるというと大げさ
だけど、頼っているかな、悪くいえば責任転嫁。


(2年前のぷ~ちゃん、いいカラダしてたなあ)

ここから先は極私的なことではありますが‥。
ぷ~ちゃんが目を離せないのでお使いに行ってもらったら、◎◎地方
産の野菜を買ってきてくれた、それはいらないからと言っておいたのに
忘れたんだろうか。
お使いしてもらって悪いけど、産地指定したのになぜ?と聞きました。
そしたら「ま、いいか、だいじょうぶだろと思ったから」という返事に
びっくり。でもそう言うなら、ではどうぞとその方へあげました。
自分は気にしてないから、なんだそうです。

風評被害だなんだってことがあるので大きい声では言いません。話題
にもしませんでした。けれど福島のスーパーでも他県のを売ってる。
(放射性物質未検出の農産物は福島産でも店頭で売れてます)
自己防衛は悪いでしょうか?
できるだけ食べたくないので普段なら買わない(買えないか)京野菜や
岩手や青森や新潟、長野のものを選んで使っています。
山ほど食べるわけではないので値段が高いと言っても知れてると思って、
節約は他でしているのです。スイーツ代はほぼゼロに近いとか。

でも生協などでは千葉産を安全として販売しているのでそれを使うには
水でガンガン洗ったり、皮を剥いたり、根菜類だけは遠くのものしか
使わないと決めています。うちには子どもはいないんだけど、わたし
は自分の周囲の人に放射能を口に入れさせたくないのです。
ぷ~にも食べさせたくない、彼は高齢犬だけどさ。

しょうがないなんて言ってたら、冷やし中華は始まらないね。
「いったいあの人たちは何やってんだか、働けよなこの非常時に役立
たないなら存在意義なしだわよ」とボヤイていたから今日はちょっと
嬉しかった。午後の国会審議、九電のやらせメールを告発してくれた。
赤旗記事と共産党議員の質疑が最近やっとテレビニュースでも流れる
ようになって、ほんとにほっとしている。だって彼らは昔から日常的に
番犬みたいに不正の匂いを追っかけてるんだから今一番のハタラキ時。

ホットスポットで暮らしている友人にそこ危ないねと言いましたね、
そしたらへーってなもんで呆れてしまった。
けれど、死ぬのを恐れない人とも思えないので一応言っておいたわけ。
知らなんだというけれど、無関心すぎるのは罪だぜ、命に対して、と。
知らなんだと言いながら、被災者と絆をなんてウソ過ぎるぜ、と。




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けっこう可愛い、病気なのにさ

2011-07-05 00:03:57 | Weblog
(ピンぼけですが、こんばんは)

ご心配いただいて、ありがとうございます。
で、こんな顔してますよ。
写真見ると病気に見えないね、と言って下さいますので、
ますます調子に乗って可愛い自慢をしますわよ、親ばかちゃんりん。

そういうケはないはずだったんだけど、人並みにあるのかしらん。
いやー具合悪いときは写真なんか撮れないわけですが、カメラを
向けると笑ってくれるんですなこの方、フォトジェニックだし。

2年前の写真ですが、このころはなぜか仏頂面のが多い。

眉間に皺よったバージョンを'09.9に使用しているけれど、同時に
撮ったこの一枚は仏頂面だけど可愛いわよ、ね、ね、ね、ね‥
ってずーっと同意を得るまで言い続けるね。
(この縁台にはもう今は飛び乗れなくなったなあ‥)

発作が起きないように気遣って過ごしている。やさしくされて
いるのであるね、毎日。
そうやってみると、これまであんまりやさしくしてこなかった
んじゃないか、と自分を省みて、この子がかわいそうになってくる。
足らんことばっかだったような気がしてならない。

ラブラドールは順応性に優れているのでひたすら待つことも我慢
することも楽勝にできるのである。それをいいことに、仕事で多忙
なときは会社で留守番したりしてたんだもんね、社員のみんなに
かわいがってもらってるなんて思ってたけど、ほんとはおっかあと
一緒にうちにいるのが一番だったはず。

五千日余、君がうちにきてからの日々、ほんとに毎日心が通じて
いたのか、君をわかっていたのか、今思うと心もとないね。
いまになって隙き間を埋めようと、取り戻そうとしている、そんな
感じで君の寝顔のそばにいる。
朝、君のほうが先に起きて、おっはーと言って起こしにきてくれる。
それが今は何より嬉しいけれど、君が人の言葉でまくしたてるのを
想像すると、けっこう愉快です。

説教されたい、ベイビーに。だってもう追い越して、年上じゃん。

追記:久々にかかかを更新しました、すみません久々で。
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老犬のしあわせ2

2011-07-03 08:30:00 | 親分
ベイビーは日に日に老いていくのがわかる。しかし老いの進行を麻酔
のせいだとは思わない。いや、思いたいくらいあれから老化している
けれども、治療のための処置として行ったことを忘れてはいない。
高齢者が入院し、治って退院しても急に老け込んでしまうというのに
とてもよく似ている状況である。

治療のためにと、諸々のことをその時々によく考えてきた。
考えが足りないことも知らないことも多々あり、後に知ったりすると
わたしは自分を責めるタチである。悔いれば立ち直れない。
悔いがあれば今生きていることを、現実を、否定することになる。
そういう自分を思い知っているので、目の前の今を受け入れる。


(4歳の頃だぜぃ、かっけー、ヒーハー、親ばかちゃんりん)

ベイビーは退院後、週に一度は病院へ行き鍼を打ってもらっている。
気持ちよさそうにしている。その日は帰ってからも調子がいい。
だけど翌日翌々日はまた腰がひけたようなたよりない歩行へ戻る。
カメに相談すると、鍼で治すというより進行を遅くするということ
なのだと言われた、まさにその通りだ。やってて今の状態なのだから。
アスファルトの上での散歩はもう危なくて無理である。
森の土の上なら自分のペースで歩けるだろう。
すっかりじいちゃんになった。

じいちゃんのベイビーのからだの触りごこちはやわらかい。若い時は
全身が弾き返す固い筋肉だった。マッチョだった。
今それがふにゃっとして、細い脚。
シオシオのぷ~ちゃんと呼んでいる。
膝枕して寝ている耳元へ、しおしお、しおしお、しおしおのぷ~、と
ささやく。ベイビーはシッポの先をかすかにかすかに震わせて応える。
(キャベツに塩を振ってよく揉む、キュウリに塩を振ってよく揉む、
縮んでシオシオになるでしょ、あの感じ。食べやすいのであるね)

老いを先に体験しているベイビーに、今、わたしは老いを教わっている。
わたしが本格的なバアさんになったらどう過ごしたいかを思えば、彼が
どうありたいかもおのずとわかってくる気がする。
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老犬のしあわせ1

2011-07-02 22:30:33 | 親分
  (4歳のころ)
MRIの結果を記すといいながらベイビーの診断結果だけしか
書いていなかった、起承転結のない文章を書いてるねー、アホです。
いかに狼狽した日々を送っているか、露呈しています。
で、続きであるよ。

MRI検査をした部位は脳である。ネックは全身麻酔だった。直腸の手術の
際にも決断まで1年越しだった。
とにかく麻酔が怖い、そう思うのである。覚醒しなかったらどうしよう、
ダメージを受けて障害が残ったらどうしよう、と悩ましい。

高齢犬はそこまでやることないだろう的な意見もよく聞くし、わたしも
そう思っていた、ちょっと前まで。
けれど結局、わたしは両方を短期間に行った。もう終えたことで今さら
数えたくもないが、全身麻酔は都合3回である。
いずれもベイビーはよくふんばって無事生還したわけなんだが。
知人はこのことををとても驚いて、非難した。いったいどうしたの?
あんなに嫌がって、よけいな事はしないと言ってたじゃないのと。
そうれもそうだ、そう思うよ、自分だってさ。

なぜそこまでして、と思うのか?
早晩、命は尽きるから苦しめなくてもいいじゃないか、ということか?
高齢犬はおだやかに過ごさせてあげるほうがいい、そういうことか?

犬は言葉にして訴えないが、ヒトと同じに病気は辛いものである。
病気の犬は我慢強くさえ見えて、かえってけなげである。ヒトはそれに
対してどうするのが一番いいのか考えてきたが、不快感を除いてあげる
ための最善の方法を知りたいし、そうしたいのである。

今現在のその状況を、「おだやかに」に変えるにはどうすればいいのか?
何もしないでは「おだやかに」過ごさせてあげられないのだから医師に
相談し、調べまくり、聞きまくり、いいという物があれば東へ西へと駆け、
なんとか助けようとするのはあたりまえのことである。
しかし、方法はそんなに多くはなく、選択肢はほぼ、やるかやらないかの
二択しかないのであった。
そして、やらない方を選ぶのもけっこうシンドイことなのだ。

直腸にできた腫瘍は結果として悪性のものではなかったけれど、あれが
あったばかりに長いあいだ血便をし排泄はスムーズにいかずひどい時は
唸っていた。
手術を勧められたのを麻酔が怖くて渋り、バキソを飲ませ続けた。
(バキソは持続性抗炎症剤、癌に効いたという症例もあれば、いや効かない
という医師もいる、未だよくわかっていないらしい)

放置しておけばいずれ症状が悪化する、たいていの場合は医師に悪化
した場合のケースをじゅんじゅんと説明され、聞いているだけで卒倒
しそうになるんだな、これが。
排泄が困難になる、垂れ流しになる、それがどんなに辛いことか、想像
したくない。

2年近く血のついたウンチを朝晩見てきて、血の量がいっこうに減らず
散歩のたびに憂鬱だった。赤く染まったティッシュに息が詰まった。
そういう日々を経て、後悔もあって手術の方へ掛けたのだった。
しかし手術日をはさんで前後の1週間、自分が自分ではないまるで別人
のような精神状態で過ごした。
そして、結果として検査も手術も滞り無く終わり、幸いかなとてもいい
経過を辿って手術そのものは成功だったといえる。マトモなウンチを
ひさかたぶりに拝んでいる(本当に拝みたい心境なのね)

そこへ今度はあらたな問題として脳の検査だ。
今回、これを即断したのは以前の1年間を思ったからと主治医への信頼
からであった。

外部のMRIの検査センターで事前にリスクについて丁寧な説明がある。
承諾書にサインする前に、わたしは一つの質問を幾通りもの言い方で
重ねて問うたが(いつものしつこさとは又別の精神状態かな)検査を
担当した医師はわたしの問いを自分の言い方に要約したりしなかった。
面倒がらず、目を見て質問の数だけ答えをくれた。
そのあいだに、わたしは心の整理をしたのであった。そうでなければ、
それができなければ、たとえ直前であっても連れて帰るつもりだった。

説明が終わり、医師に頭を下げ退室し廊下に出て、手洗いへ行った。
リスク説明はかなり不安を倍増させるものだった。洗面所で手を洗い、
鏡に写った顔は白くて歪んでいた。深呼吸して手をていねいに洗って、
待合室へ戻った。

覚醒しない場合以外のリスクとは‥。
麻酔をしたことによってそれ以前にはなかった症状、潜在的にあった病
が発現することがある。たとえば歩けなくなるとか‥、病変が新たに出て
しまう場合があるということだ。つまり結果として弱ってしまうわけだ。
特に高齢犬の場合は当然のことリスクは高くなる。
その確率がどのくらいのものか、しつこく聞き出した。
万が一の話、個体差の話、予見はできないことであることもわかった。
だからこそ説明と承諾書が必要なのであった。

待合室で看護士に抱きかかえられて出てくるコーギーに駆け寄る飼主を
見て、そのヨロコビようをみて、大丈夫だったんだろうかと思いつつ、
ベイビーは歩いてくるだろうか、抱かれてくるだろうか、目を覚まして
くれるだろうかと、待っている間じゅうグルグルと思い続けた。

予定の時刻をとうに過ぎても現れないので気が気でなかった。
通路を横切る看護士さんを呼び止め、うちの子は目は覚めたかと聞いて
くれませんかと頼んだ。
明るい顔で、ああ、黒ラブちゃんならもう終わってますよと言われて、
今度は見ないうちは安心できないに変わり、この手に触れないとに変わる。



しばらくして担当医から呼び出しがあって検査結果の説明があり異常無し
という結論をまず最初に言って下さった。
よかったと応えるとそう言っていただけるとこちらも嬉しいですと言われ
たがそれ以外に何を言うことがあるというのか、考えられないが、医師達
は飼主である動物の家族達のさまざまな感情とつきあわねばならず、その
苦労がにじみでて、かような言葉となったのではなかろうか。

麻酔が残っていて立ち上がれないベイビーは抱き抱えられて車に乗った。
途中、信号停止のたびにわたしは後部座席を振り返り、彼が生きている
ことを確かめた。じっとしているので不安だった。
帰宅後2時間ほどで麻酔は完全に醒め、よく食べよく飲んで爆睡したので
あったが‥不安は高く迫っては引き、また来る波のように続いた。

いまのところ、リスクで言われたような新たな症状は顕われていない。
問題の視神経の過敏な反応と立ちくらみのような症状だが、腫瘍や水頭症
や脳梗塞、血栓の痕跡などは検査で除外されたので結局、原因は不明だ。
脳の外側を被うように走っている電気が時々ショートするらしい。

MRIの件を検索してこられている方へは詳細な説明にはならないと思うが、
あえて結論めいたことをまとめるとすれば、結果を受け入れる覚悟が
いるということだ。悔いるのはダメだ。悔いないために行う方法である。
ペットと言わずコンパニオン(アニマル)、パートナーという表現にも
あるように動物とのつきあい方も変化している。
同時に獣医学は著しく進化し、ヒト同様の高度医療で多くの命が救われて
いるのは確かだ。(続く)

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