想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

山桑の実

2021-07-25 17:11:52 | Weblog
前回の最後の写真は山桑でした。
植えたものではなく実生の若木です。
以前はなかったので、たぶん小鳥が落とした
種から育ったのでしょう。この夏に急に
背丈が伸びました!

桑の実はラズベリーによく似ています。
桑の葉は蚕の、実は野鳥と子どものごちそう。
甘酸っぱくて、抗酸化作用のあるビタミンEや
ポリフェノールが豊富です。ナツハゼの実と
同じですね。

樹木から、鳥やさまざまな生きものが命を養う
糧を恵まれてきたことを知って触れると、
眺めているときとまた違う気持ちになります。
人と桑の歴史の古さはよく知られていて
身近なのですが、今では実物を見るのは難しくなりました。

樹木の価値は温室効果ガス吸収源として注目
される一方で、森林破壊や環境破壊を招くという
矛盾が露呈してきました。
熱海の土石流災害は、まさしくその人災でした。

再生可能エネルギーとして太陽光発電が急速に広まり、
福島では放射能汚染に悩む地主から牧草地や森林を
事業者が安値で買収し、広大な太陽光発電所が造られて
います。これらは10年前から会津など県内各地で
取り組まれてきた地産地消を目的にした太陽光発電
とは趣旨の異なる商用発電事業です。
地元は造成が済めば雇用もなくなり多額の事業税が
入るわけではないのに、なぜ許可してしまうのか。
安易な気がしてなりません。

放射能汚染で失われた森、田畑を放置したままより
活用した方がいいという意見は、自然の力を無視
したあまりに早計な考えかと思います。
除染の努力を怠ったのは東電と経産省、環境省で
あり、地主の力ではままならないわけでしたが、
樹木を伐採せずに自然が回復する力を見守ること、
環境保全は景観も含めてじゅうぶんに配慮される
ことが、未来を作ることになると考えます。
生きものの気配を消した黒いパネルの海は
殺伐とした未来社会を見るようです。





今年の春からいよいよ本格的に重機が入り伐採と
造成が始まっています。
ついこないだまで道の両側に豊かに葉を茂らせ
強い風を防いでいてくれた雑木群が、すっかり
消えて見晴らしのよい事、少しも嬉しくないです。

遠い山並みがすこーんと見えるようになったと
しても、そこに今度は黒いパネルの海が広がる、
それを想像すると怖気がわいてきます。
完成すると国内有数のメガソーラー発電所になる
とのこと。(上海電力日本株式会社)





写真では広すぎて撮りきれていないのですが、
ここで長いあいだ営巣してきたオオタカは
どこへ行ったのだろうと思います。
手嶌葵の歌うテルーの唄(ゲド戦記)を
を思い出します。

生き物たちは奥へ引っ越しするしかないのですが、
まだ造成に着工していない飛び地にいるとしたら
また突然に重機の轟音に襲われる、心配です。

西郷村ではこの電力事業に対して新しく
条例を制定しました。
「自然環境と再生可能エネルギー条例」

事業者に対して環境に配慮するように
求めるならば、これほど大きなメガソーラーは
そもそも許可しないのではないか、
村では県が許可したのだからと言っています
(村議会議事録)

政治と行政の仕事の質を問いたくなりますが
住民はそれらを監視する役割があることを
自覚せざるを得ないということかと思います。
この発電所に、鳥や生き物の次に近くにいる
のが自分なので。

朝まだ早い時間、朝日を背にしたギボウシを

ギボウシの花は昼ころにはしぼんでしまう、
ちょうど蜂がやってきて、花の奥へ入って
いきました。







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カシワ、柏か槲か

2021-07-03 21:17:42 | Weblog
よく柏餅と書かれているけれど餅を包んで
いる葉は、槲(かしわ)の葉。ブナ科の
落葉樹で、いわゆるどんぐり(実)がつく。
樹皮も縦にギザギザの筋が入っていて、
若木でも老木かと見紛ってしまう。



これは家の裏を流れるせせらぎ沿いに実生から
育った。幼木のころから大きな葉がかわいくて
観てきた朴の木だ。
日陰のわりに、背丈も伸び枝も増えてきた。
朴の冬芽は、不思議なかたちなので花なのか
葉なのかわからず観ていたがしだいに開いて
葉になった。

開ききって大きくなった頃、中央に蕾がつく。
もうじき咲く頃だけど梅雨が止んでからだろうな。
クリーム色の花弁はモクレンに似ている。
いい香りがして、実もつける。

調べたら朴の木はモクレン科だった。
だけど古名はホウガシワという。
若葉は食べ物を包むのに使われているから
ホウガシワには納得がいく。
端午の節句に朴葉巻、また朴葉味噌、朴葉寿司
等々、山間部の名物になって今も馴染み深い。
ここでも山道を歩いているとよくみかける。
殺菌効果など効能があり旅や山仕事の携行食に
いいと知っていた昔の人の智恵はどうやって
得られたのだろうか。



お伊勢参りには赤福餅、参らなくても赤福、
ということでお土産のお裾分けにいただいた。
(M君、ゴチになります、ありがとう!)
赤福は賞味期限が夏は翌日まで。無添加で折箱に
直接入れてあるから食べきらないと傷んでしまう。
抑も賑わう参道の茶店の餅は、売り切り食べきり
だからあたりまえではある。
保存したいときは一つずつラップに包んで冷凍
する。一方、朴葉で包んだ餡入り餅の朴葉巻は、
賞味期限が五日。
包んでいない赤福より少しだけ長持ちなのね。


今の人は(わたしもそうだが)智恵というより
知識、それを本(今はネットか?)でちゃちゃっと
得る。しかしそれは本当に得たわけではない。
昔の人が得たものは「身になる」ということで
それは実生活に結びついていた。
実生活は実利という意味だけでなく、生きる
という本質を含んでいて、興味深い。

古くはカシ・カシワは、炊または膳と書く。
祭祀の食べ物(供物)を置いたり、
保存食を包むのに使われたのが由来のようだ。
一方の柏の葉は、包むのには適さないが
土器に詰めて蒸し物に用いたという。
槲も柏も料理に重宝されてきた木である。

木がなかったら暮らしはどうなっていたか。

古伝では木は「よく万物を美(よく)し、
美く生きるをもって性と為す」という。
質は仁(めぐむ)、美くめぐむはたらきだ。
心性に木徳有り、これを養い、百行を善く
するとある。
生けるものすべてにめぐみ、美しく育てて
くれるのが、木というはたらき、という。

さて次も木の話。これは何か、な?




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