想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

雨あがり、つかのまの

2014-06-23 16:21:39 | Weblog
雨があがったら、こんにちは。



やってきました、隣の縁の下から。
ごはんですよ、ミルクですよ、と足踏み踏みしております。



森庭はすっかり緑におおわれ、雨がよく似合います。
つかの間の晴れ間ですが、木の枝がしなるような強風です。



大好きなヤマボウシが咲き始めました。





アゲハがアヤメに留っています。
カメラを近づけても動かない、密を吸っているのかな。
蝶は横から撮らないと蝶らしく見えないので苦心している
うちに飛び立つかとひやひやしました。

季節がめぐり、時の流れが目に見える場所。
めぐりのなかに、永遠もまた見える場所。
ここにいると、人が何を失ったかを感じます。

何がいちばんしあわせなのか、
忘れていた遠い、とても遠い記憶が、陽の光や雨の音とともに
訪れる場所です。





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祖父の写真

2014-06-08 04:16:40 | Weblog
(月が美しかったある夜、2012.6撮影)
月の光は父の思い出だ。

昨日からの雨、都内もずいぶん降っていたが、山もざんざ降り。
本当は月は見えないけれど…父つながりの話なので月影の写真を。

紋付羽織に着物姿で椅子に掛け、まっすぐに前を見る恰幅のいい
男性とその後ろに立つ二人の青年男子、左手横にはヨソユキを身に
つけた少女。
黄ばんだ古い写真に写っているのは、祖父とまだ若き叔父叔母であった。
私は写真を発見して歓喜した。
想像の中にしかなかった祖父の顔を初めて見たのである。

祖父の口元が父の唇の形と似ていた。
その唇はわたしの唇でもある。
上唇が厚いことを子どもの頃はからかわれて嫌いだったのだが、
大人になって気にならなくなった。同時に父に似ていることに
気づき、それはひそかな喜びでもあった。
目元もやや似ている。輪郭は似ていないけれど、全体のかもす
雰囲気が父そのものであるような…
威厳のある感じが在りし日の父を思い出させる。
黙って仕事場に座っていた父の姿を。

祖父の横に座る少女は末っ子だった叔母である。

写真の裏には、昭和十五年、七十歳、そして祖父の名が記されていた。
叔母は五十四、五歳の父親の元に生まれたことになる。
私は父が五十歳の時の子である。
叔母の若い日の、中年の頃の、旅行先での、たくさんの写真が
あった。着物やワンピースを着て、澄ましたり笑ったりしている。
その顔が自分に少し似ている気がした。
口元は同じ、そして輪郭と目元とどことなく表情が似ている。
同じく末っ子で晩年の子である。
そして想うに、叔母はファザコンではなかったろうか…。

なんだかしあわせな気持ちに包まれた。
父が亡くなって37年が経ち、初めて祖父の顔を拝めたこと、
愛らしかった叔母の顔を知ったこと。
父の郷里は遠く、叔父叔母たちとの交際は手紙と贈り物が
数えられるくらい行き来しただけで、父亡き後はパタリと途絶え
私は辿れる糸が切れてしまったことを長いあいだ悔やんでいた。
それが突然つながって、願いが叶った。

肉親の情やら絆やら言うものをわたしは深く考えずにきた。
それは切っても切れず、最初からあるもので、ほどきようにも
決してほどけないものだから、その意味や何故かなどと考えたりは
しないのだった。
考えれば底なし沼に足を取られてしまうような感覚さえあった。
まとわりつく重みがわずらわしいことさえあった。
執着を怖れた。

み親なかりせば吾またあらじ

これは神を祝る詞である。
人は生まれようとして生まれたわけではない。
親があって生まれてくる。
全てのものが無から生まれ、生まれ生まれてつながっていく。
そのことに「何故」の問いはなく、在るだけなのだ。
在ることを拝むだけであるという、そのしあわせを感じた。

家族は小さな宇宙なのだと思った。
父に、母に、そのまた父上に母上に、深く感謝した。
感謝という言葉ではぴったりこない、もっとやさしい気持ちで
いっぱいになのだった。

(かかか、をひさかたぶりに更新しますたよ)



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