想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

土を喰らう

2023-06-15 20:01:53 | 
水上勉「土を喰う日々」が映画になり、
ジュリー(沢田研二です)が水上役で主演した。
映画はまだみていないけれども原作は
典座の僧が書いたものに水上勉がさらに滋味を
重ねたようで、とてもよかった。

同じ精進料理でも人生の辛みを悟った作家は
ちょっと甘みを足す。けれども酒は使わない。
小僧時代にもったいなくて酒は使わなかった
経験と、野菜本来の甘みや苦味を引き出して
作る。品のある食事である。

穀物や野菜を通じて土からいただく滋養で
命をつないでいく。
聖俗に関わりなくこうした方法が暮らしの
中心にあった時代、人は土を大事にした。

ところで、神文伝の四十七言のなかにある
男田畠耕(おたはく)は農耕の役目を男性の
務めと教え、女蚕績織(めかうを)に衣服を
調え快適な暮らしの元を支える女性の役目
を説いている。
これを男女の違い(差別ではなく)と狭義に
読まないよう留意がいる。陰陽のはたらきが
事となって顕れるとこうなるという一形態だ。
そして、古代から生活の基本がほぼ変わらない、
その本質を読み取ると興味深い。
男女に分けた両方の仕事が、生きるために
不可欠な衣食住を成り立たせる。
人の暮らしの基本を表している。

しかし千年数百年かけてそれらの意味を
人の世は変えてきた。
いまや土を耕すことが生活から切り離され
土も虫たちも生命を亡くしつつある。
自然も額縁の中の絵のように扱っている。



道元「典座教訓」にある細やかな決まりは
表現は異なるが宗徳経の教えにも重なるので
すんなりと入ってくる。
むずかしいことではなくあたりまえのこと。
そうしたほうがどれほどよい結果を生むかと
いうことをこうしてじっとしている時間には
なおさらわかる。

典座教訓は食事のみならず、人が命の原点を
思い出す方法を教えたものともいえる。
それがなければ祖霊供養も神仏祭祀もまた
意味をなさないのである。
典座は僧堂の役目の一つで食事と湯茶の仕事を
担う。大勢の僧侶の命を養う大事な係である。

典座の務めの困難はまずは一日たりとも休みが
ないこと、一日どころか四六時中、離れていい
ということはない。それを難儀に思わずにする
にはなぜそこにいるのかを思い定めていること
かと思う。

求道心がないのに地味で質素で面倒な料理を
他者のために作り続けることはできない。
他者に喜んで食してもらうことを喜びとする
利他心が自然に備わって料理という小さな仕事に
大宇宙を感得するようになる。

さと芋の皮を薄く剥くというのはあたりまえのこと
だと思っていたが、テレビに出ている料理家が
器用に包丁を使うけれどもずいぶんと分厚く
芋の形が残らないくらいに剥いてザルに投げ
入れていくのに驚いたことがあった。
さと芋に触れるとそれを思いだすことがある。

料理ほど心が表れやすい仕事はないと思う。
見栄えよくおいしくできるのがいいという
のではない。典座の仕事から教えられるのは
心からそれを扱い生かし、拵えているか
ということの大事さだ。
だから集中しなくてはできない。
考え事やよそ見をしていては失敗する。
食べる人のことを思って作らず自分の為すこと
に没頭してもだめである。
落ち着き、よく頭をめぐらし、ていねいに
行う。なにより清潔でなくてはならない。

朝食が終われば昼を、昼が終われば夕食を
そして明日のことを備えておく。
こういうことを惓ことなく何年も何十年も
やるのだから、悟りの域に達しもしようと
思う。
また途中投げ出しても、また戻ってやる
ということができればそうすればいい。
許されればありがたい事だが、山門を追われ
戻る道などまあ実際にはない。



山中のわが家のそばには道場があって週末には
人が訪れる。
食事をする台所もある。
そこで三食を拵えて食し森庭仕事などをして
我が身と我が身を置いた空間を観る。
利害と我欲から離れることは難しいので
あえて自然のなかで、見て見ず、触れて触れず
という時間を過ごすのである。
無心になってといっても‥‥作為的にならず、
そこに在るだけということ。
それがとても難しい。

先生は道場でいくらしくじっても怠けても
教えている先生のほうがそれらをぜんぶ
受け止めておられるようだ。
俗世の濁りや醜さの類はニュートリノみたいに
通過させ何をも滞留させない。
私の身体はその反対に、醜悪さと憎悪を
受け止め満身創痍といったところか。
あのギリギリとした痛みが走った時、
自分が何に対して怒るのかを思い知った。
それがとても悲しいのだった。

人は怒ることも悲しむこともある。
理不尽にも遭遇する。
それをどう乗り越えようかと思い
自分をなだめながらの帰り道だった。

自分自身を許すことが一番難しい。
できない分、何ごとにも感謝する。
それで折り合っていくかと思った。
母を思うと母はずっとそうしてきたのでは
なかったろうかと思った。



病はようやく癒えたけれども自分が
負った傷の深さに気づいた。
器が小さく、ただただ未熟なのである。

森は樹々の緑が日々濃くなっていく。
もう梅雨に入った。
バラも咲き、芍薬も大輪をつけ、
甘くて優美な香りを放っている。

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神文伝 人これをさとらざるも‥‥

2023-02-23 18:49:20 | 
先代旧事本紀大成経伝(五)は神文伝。
発売中です。
師、安房宮源宗先生の解説を本にする
お手伝いを致しました。

昨年のほとんどをこの本に費やした、
というと分厚い大著のようだけれども
厚さ1センチ96ページのサイズです。
片手で持つことができバッグに収まる
ことを考えて作ってあります。

そして表紙カバーをあえてつけていません。
この本の用途は神文を唱えることです。
カバーがめくれたり外れたりする面倒が
ないようにしました。
カバー本来の目的は本の問屋や書店が
商品が傷むのを防ぐためです。
帯の幅を広めにとり本を扱うときに
そこを持ってもらうと表紙に汚れが
つくのを防げます。
これ、実は知人の編集者のアイデアです。
なくてもいいよ〜、と実際にカバー無し
の本を持ってきて教えてくれました。
すっきりしててよかったのです。



この本にとっては「すっきり」は大事です。
神文は四十七文字で表されているのですが
そこに人生まるごと表現されています。
実にすっきりとしていて、単純明快でした。
それを理解できたのは本が出来上がる頃、
編集中は深い霧のなか、頭も靄っていて
あああああ、もうだめだと声に出して
言っていたほどでした。

入稿寸前の校正のための読み合わせの時、
ふっと視界が明るくなって、ああそうかと
四十七文字がくっきりと見えてきたのです。
先生に、これって意外と単純ですね、と
電話で話すと、そう、単純ではないけど
明解ね、と言われました。
それで余計なもの、色をつけないでと
言われた意味もわかり、猫の手のような
仕事をしていた私も元気になりました。

元気になってからは校正が重なり入稿が
ずれていってもへいちゃら、いつもならば
イライラするのだけれど粘りました。



聖徳太子が当時も謎だった神文を解読し
人々に意味がわかるようにされたという
ことなのですが、太子が尊い方であるのは
いうまでもないですが‥実は私のアイドルは
そばに仕えた秦河勝なんですぅ・・・・。

河勝の文が好きで大成経の序伝の伝の文
といい、この神文に添えた神文伝という
文も熱いのです。熱すぎて泣けるほど。
(本のタイトルの神文伝は河勝のこの序文
を指すのではありません)

河勝が太子から賜った弥勒菩薩像が本尊の
広隆寺(京都)はよく知られていますが
聖皇本紀には秦氏一族の庄を太子が訪れた
日のことが書かれていて現在の広隆寺辺り
とおぼしき地名が出てきます。

そして秦河勝を祀った神社は大避神社です。
神職憲法に人を祀らないとありますから、
ここは後世に里の人々が創建した社ですね。
秦氏と赤穂市坂越のつながりは瀬戸内海を
挟んだ対岸の土地も含めて六世紀前後の
古い時代からあったと思われます。
その地を歩くことでまた何か感じられる
ことがあればという淡い期待を持って、
春になったら旅に出て赤穂市の海辺に
寄り道してみようと思います。



河勝といい儒学者の学哿といい太子に仕えた
人がどのようであったかを大成経各巻の
行間に読み取り、その熱情とまっさらな
忠信にいつも心打たれています。

神文伝の12ページにある秦河勝の文、
「その言(ことば)には数あって数の実に
理を含みこの理は玄(おく)にあって
人これを知(さと)らざるも、
これ先天(たかあまはら)の伝なり」
とあります。

人これをさとらざるも‥‥と人である河勝が
書く、それがとても大事なのです。
聖人である大王、太子は訓と解きを成した
という次の行の前にそれがすんなり書かれた
それが河勝その人を語っているようで。

河勝は太子にすべてを教わり、順じた人
でした。素直さと私心のなさ、そして
そうあることができる聡明な知性が
備わっていた人なのでしょう。

四十七文字の人含道(ひふみ)祝詞は
神職者でも唱える人は少なく(皆無かも)
一般書籍にしたのには源宗先生なりの
お考えあってのことかと思います。
私自身は三十数年来つねに手元にあり、
その重みも知っていました。
秘書ともいうべきこの文が書棚に並ぶ日が
くるとは思いもよらないことでしたが、
今だから必要ということかと思います。

吉と出るか凶と出るかという踏み絵のような神文を口誦する。
人生の節目を作ることになるかもしれない。
そんな本です。

現在アマゾンよりもhonto が早く配送します。
または最寄り書店か版元でお問い合わせください。

ISBN978-4-908665-07-3
書店に注文するときは、これをプリントしていくといいです。





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クララ・リルケ=ヴェストホフ 人と作品 藤坂信子 著

2021-01-06 23:00:39 | 
「クララ・リルケ=ヴェストホフ
人と作品」
藤坂信子 著
(2019.12 トライ出版刊)
同作品展が下記で開催予定。
カフェレストランみなみのかぜ
(熊本市中央区出水)
https://minaminokaze.org
1月8日〜29日



リルケに関する著作は数多くあるが
詩人藤坂氏によって、ようやく
その妻クララの生涯と作品の詳細を
知ることが叶った。
クララはリルケの陰に生きたのでは
なく、自立した一個の芸術家として
生ききった人である。

クララにスポットを当てれば詩人の顔
以外のリルケもまた垣間見えてくる。
短い結婚生活と、その後のリルケを
俗世間の常識で測れば身勝手にしか
映らないというのが一般の見方であり
そこに触れれば男女問わず、婉曲に
あるいはストレートに非難がましい。



クララはリルケを慕い励まし、何より
芸術家としての姿勢を学んでいく。
二人は普通の夫婦ではなく芸術の成果
を求めて違いに協力し、また切磋琢磨
していったようにも映る。
藤坂氏はリルケの熱心な読者で研究者
だが、妻としてのクララの心情を慮る
ことを忘れず、不在のリルケには冷徹
な一言を添えている。そこに真実を
感じられ、人間の複雑さと業を思った。

一方リルケが生涯をかけた詩を読めば
他を犠牲にしたのではなく詩のみを選び
とったということもわかるのだ。
芸術家といえど世間は広しだが、
リルケの凄惨なまでの決意は詩に結実し
その名をヨーロッパ中が知るところと
なったのだから、クララと女児ルート
以外の者は黙って詩を読むべしと思う。

リルケは命を削って詩を書いた。
その詩は人の世の実りを称え、
啓示を書き取り、喪失の嘆きを伝えた。
それとクララの熱い情念の作品は対の
ように私には思える。

クララの彫刻作品について語る時、
藤坂氏はそこに人なつこい温もりの
人間性を見ている。
その温もりは平穏な暮らしを棄てたリルケ
にとって、心中に灯る明かりではなかった
だろうか。
二兎を追わず詩神に仕えたリルケの孤独
をクララが理解しないはずはない。

リルケの悲歌があまりにすばらしく
また生涯がドラマティックであるが
故に、日の当たらない脇役(それも
過去形の)であったクララだが、
藤坂氏によって語られた人物は魅力に
溢れている。
未知の女性たちの興味を大いに惹き、
20世紀前半をたくましく前衛的に生きた
姿に励まされることと思う。

参考:藤坂信子 著
「リルケを辿る」
「藤坂信子 詩集」

発行 土曜美術出版
【目次】
詩集「あなたでないだれか」抄
詩集「われらのものがわれらを去る」抄
詩集「野分」抄
「藤坂信子詩集」抄
1 未刊詩集「塵の眼」抄
2 未刊詩集「生命の周辺」抄
3 未刊詩集「夢の家族」抄
エッセイ
解説
年譜
 





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ジャッカ・ドフ二

2020-01-20 01:10:08 | 
津島佑子作「ジャッカ・ドフ二
海の記憶の物語」
文庫上下巻になっているのを求め
正月休み用にとっておいた。



二〇一一年 オホーツク海
冒頭の情景描写から引き込まれ、
序章を読み終えるのに時間はかからなかった。

カムイ・ユカラ(神の歌)が文章の合間に
あり、作家が現実と夢幻のはざまを行き来
する何者かに導かれ、知床から女満別空港
へ向かう帰路の途上、寄り道をする様子の
通奏低音として聞こえ続ける。

アイヌの伝えの他に初めて知る名があった。
その前に、知床ではなくシレトコ、網走では
なくアバシリと書かれていることに気づく。
この小説の主人公たちにとって日本人が宛て
た漢字ではない、昔から音としてある地名。
そしてサハリン少数民族のウィルタ。
ウィルタはトナカイ遊牧民族で日本語では
樺太、千島と呼ぶサハリンの原住民族だ。

日本はサハリン南部を統治し、北海道の
アイヌと同じように、ウィルタ人を追いつめ、
戦時中は軍役に連行し、そして棄民した。
辛酸辛苦の末、生き残った彼らに対し、
政府は軍人恩給の請求を拒否したのだ。

言語と文化を奪い、人権を否定しながら、
「単一民族国家日本」という偽りの歴史が
伝えられもしているので、日本人の多くは
ウィルタのことも知らないのではないだろうか。

麻生大臣は今月、地元支援者の前で講演し
「わが国は単一民族、わが王朝は世界
で唯一途絶えたことがない」と語った。
新聞は一面で報じたところもあった。

これまでも何度もニュースになっているが
誤りを修正する気がないらしい。
明治政府の閣僚、役人たちと変わりない
思想と言われもするが、思想というほど
のことではなく、一つ覚えを繰り返して
いるだけのことだろう。
罪を自覚しないことが、より大きな罪に
なる。
そのことを今とても恐れる。



サハリンに反応した私は、次にウィルタと
トナカイ遊牧民というワードに惹かれた。
ソビエトのツンドラ地帯に暮らすトナカイ
遊牧民や、スカンジナビア半島北部ラップ
ランドに生きるサーミ人など、トナカイと
暮らす人々の生活を描いた映画や、写真
を最近も仕事で扱い、その生き方にとても
共感を覚えていたからだ。

第二次世界大戦下、ナチスドイツに抵抗
するデンマークの人々を描いた映画では
ドイツ軍の追っ手を逃れて国境を越える
軍人(諜報員)が窮地をトナカイに救われる。
大きなたくましいトナカイだった。

わたしの伯父は戦前に官僚として任地の
満州からさらに樺太へ渡った。
そこで生まれ、亡くなった子どもがいたこと
を最近知った。
終戦に前後して樺太から内地へ引き揚げた
日本人の戸籍の多くが失われ、消息が不確か
な人が多くいることも知った。

亡くなった幼子は女の子で、いとこにあたる
わけだがこれまで存在を知らなかった。
外務省に問い合わせ、家裁に申請し、新たに
その後の北海道内の住居地に戸籍を作る
手続きをしたのは、遺産相続のためだった。
父の一番下の妹である伯母の死の知らせ
を受け、親族十数人の所在確認が必要に
なったのだ。

身寄りないままに亡くなった伯母が働いて
貯めた遺産よりも、父の故郷である北海道から
散り散りになった親族たちの、そののちの
足跡を知りたい興味がわたしに面倒な役割を
引き受けさせた。伯父が樺太にいたことを
知らずにいたので(満州は知っていたが)
驚きつつ、そしてサハリン島がトナカイ同様に
身近に思えたのだった。



ジャッカ・ドフ二の話はえぞ地から始まり
北の日本海から南シナ海まで続く。
その柱にあるのがキリシタン弾圧の物語だ。

日本にやってきた宣教師たちの苦難は
さることながら信仰を守るために命を
かけた人々の知恵と、鋼より固い結束が、
どのように生まれ、引き継がれていったか。
壮大な旅路は、生きることの意味と、
奪われ失ってもなおその胸に熾火のように
残るものを信仰という一つの形で語られている。

人が信じるものをカミという。
カミは「一神」とは限らない。

古来、豊かだった多様な文化の気配が
均され、別のものに置き換えられ、消えて
しまいそうな今日にあって、知らないこと
ばかり出てくる物語なのに、どこか懐かしさを
覚えながら読んでいる。
(続く)
(これは松の内に書いて、そのままだったので
いいかげんに更新して今年のブログ開始としたい)

今年もドジで間抜けなうさこを
どうぞよろしくお願いします。

















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永瀬清子の、愛の詩

2019-08-20 18:28:30 | 
「あけ方にくる人よ」思潮社刊 
永瀬清子の詩集。

〜枕元によみさしの本をがらくたのように積んで
夜中に眼ざめてその一冊をとりあげる
それが時々地くずれするわ蝶がとびたつふうに〜

「黙っている人よ 藍色の靄よ」の一節。
先に逝った想い人への切ない愛の詩だ。

「悪い妻 心なしの私は
 できるだけあなたに尽くしたいとは思っても
つい遠い夢の方へ心がいったわ」

切ないよりもっと深く、
ちぎれようがなく
地の底までつづくように想いは果てしない、
愛するがゆえの悔いは愛を哀しくする

そして、悔いのない愛は愛ではないし。
人を恋いうること 愛することとは
悲しみの縁にいずれいかねばならないが
若く力のある肉体で隠されてしまう

永瀬清子はその上で、さらに書く

「でも世の中の男の人は
どんなに大きな岩みたいな仕事を彫りあげても
そのため妻に不在を詫びようとは思わないのに」

永瀬清子は女であるがために
夢を見つづけた自分を悔いて泣く

「なぜこうも可哀想でたまらないの
あなたの方ばかり私が向いていなかったことが—ー」と
「つまらない女 くず女」と自分を責める

愛はさまざまなかたち、
さまざまな色彩を帯びて表れ、
消え去り、人生を翻弄する。
たとえそこに姿が見えなくなっても
「藍色の靄」として表れる
愛のかなしさ

枕元に本を積んでいるわたしにも
そういうかなしみはあって
かぶりを振って、鍵をかけて
みないようにしても
ふいにやってくる地くずれに
あらがえない。

やっかいな愛
そのいとしさがどうやってこの胸に芽生え根をはってしまったのか
わからない

遠い夢の方を見続けていればわかるというのか
そうだろうか
ときどき重すぎて捨てていきたくなっても
離れないのはわかっている

いつからわかったのかわからないけど
それだけはわかってしまっている

あらがえないことを知っている

写真は川上順一作 「待つ人」








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学ぶに才も歳も関係ないぞよ

2019-04-25 16:09:41 | 
上の写真は熊本市中央区にある肥後藩主
細川忠利ゆかりの「水前寺成趣園」、
中鷺の脚が水面から見えているのは
熊本地震の影響で水深が低くなっている
からだそうだ。

鷺も幾種類がいてカモメや鴨や水鳥が
まだいてくれることが救いである。
豊かな水のなかに隠れていた石の肌が
見える景色は少し荒涼として、以前を
全く知らない観光客にはそれでも
ビューティフル!らしかった。



撮影はまだ桜の蕾が固かった頃なので
茶色い芝の色も寒々しく、雨天の中を
地元の出水神社にご挨拶して早々に
退散した。

と、そんな前の写真を桜も散って青葉
の盛りになろうかという時になぜ?
と思われるかもしれないですね、
それはですね、、、、、、、、、、

なんとなく、まあ江戸時代の風情を
醸した数少ない手持ちの写真という
こと、とこじつけておきましょう。
撮ったけどアップせずじまいだった
だけということでもありますが…

さて、本題は…
本居宣長が書いた「うひ山ぶみ」と
いう随筆があります。これは古典の
学び方指南、初心者向けの心得であり
かつ学問とは何かという基本姿勢を
古事記伝という大著の大仕事を成し
とげた後、じゃあ後進の為にひとつ
さらっと書いとくかってな感じで
「世に物まなびのすぢ、しなじな
有て…」と始まっています。
さらっととはあちきの感想ですが…



白鷺の脚みえ写真とうひの山ぶみの
組み合わせはなかなかシュールで
キュンと来る気もしたのです。

以下、学びのツボ
1.結局のところ学ぶというのは
ひたすら年月をかけて倦まず怠けずに
長くやり続けることが一番である。
2. 学ぶ方法の善し悪しや、才能が
あるかないか、はたまた若いとき
からやったほうがいいとか歳だから
無理だとか考えることもあろうが、
そうともいえないのである。
3.才能は生まれついたものでは
あるけれども、大抵は努力して
怠けず続ければ結果がついてくるし
遅くに始めたにしてもなおさらに
励むから思いのほか実りがあること
もあるものだ。
4.時間のあるなしによるかと
いえば、忙しい方が意外に結果を
出したりするものだから、時間が
ないといってあきらめて止めるのは
よくないことだ。
5.とにかく、努めればできると思い
定め継続することが学びには一番大切
であり、投げ出す事は最悪である。
結論を言えば方法にこだわるよりも
怠けず続けていくことで結果は必ず
出てくる。そこに才能や年齢は関係
ない。それが道を学ぶということで
あーる。

というようなことを始めに書いて
繰り返し読む、読む、そして慣れ
ていく、というような素朴な基本を
宣長さんは提唱しているのであります。

才能なく、飽きっぽくふらふら過ごし、
思いつくと跳ねる、転ける、という
ていたらのうさこはおおいに慰められ
ました。

先代旧事本紀大成経伝だけは長くじみ〜
になが〜く、やってきてよかったなあ、
だんだんおもしろくなってきたなあ、
と実感した経験があるので、宣長翁の
言われることに合点がいくのです。

まずくりかえし読むことという
指南にはウンウン、と松坂方向に
向かって御辞儀したいくらいの
気持ちです。

ここから思うついたのは…
物を知ることも人を知ることも
同じではないか、倦まず飽きず
諦めず、ながくつきあってこそ
奥深い味に気づく、ひいては
自己を倣い、自己を忘れる
という域に行けるのではないか、
旧事紀という教科書から離れ、
ただ息をしただ歩くという人に
なっていくのではないか、
と気づいたのでした。

それまで……長いみちのりです。





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新刊「神教経」発売中です

2019-03-12 11:01:24 | 

「神教経 先代旧事本紀大成経伝(四)」
シンキョウキョウ
センダイクジホンキタイセイキョウデン
と読みます。
うさこよりアホ度少なめな方
の想風亭宿六の新しい本です。



前著「宗徳経」から1年半ものあいだ
なにしてたんかい!と言われても仕方
ないくらい時間かけて、ようやく形に
なった今年、譲位と即位の年にあたります。
タイムリーな出版ですねえ、とか
言われますが、そんな器用なことは
ありえませーーーーん。

偶然そうなっただけのことですが、
「天皇」について詳しいですね、
当然のことですが、神教経は神道の
教義なので天皇のお仕事のこと、そして
官(つかさ)の務めについてです。
この官という字が最近はアノ管に見えて
仕方が無いという悪夢の日々に、一服の
清涼剤となりそうな古代の理想です。
(理想と書くのが残念でならない…)

昨日の東京新聞には三種神器の変遷が
図表にしてありました。
メディアの注目度も高いのですが、
そこでも神器の意味については全く
触れられていません。モノの行方と
在りか、形状の話ばかりです。


で、他本にはない内容になっています。
ふだん天皇に関心を抱く人は少ないかと
思うわけですが(かくいう自分もそう
だったので)この機会に明治天皇を
はじめとした近代の天皇観と異なる古代の
もともとの天皇とはどういうことだったか
を知るのもいいかと思います。
なぜって、日本人はほぼほぼ天皇のことは
知らないからです。知らせないように
ひたすら時の政府がしてきたのだから。

今の人が知る天皇とは明治以降、
あるいは終戦の人間宣言以降の
天皇ではないでしょうか。

古事記日本書紀を読み、天皇陵を
巡るのを楽しみにしている人も古代史
に興味があるということであって
神道と天皇のつながりは知らないし、
宮中祭祀も大嘗祭の意味もよくわかって
いないので儀式の規模ばかり話題になる、
ということかと…

侍従の日記なるものが近年よく発表され、
それはなかなか興味深い内容です。
それらの文章はお人柄をよく伝えています。
しかし「天皇で在る」ことにまで言及した
ものではありません。今上天皇のやさしさ
やおもいやりについて多くは触れられて
いるけれども、それがどこから生まれた
ものかまでは想像が至らず、当然のことと
して書かれています。
あるいは当然がまかり通らない一般人や
政治を私物化する官僚との差異を言いたいが
ためということもあるかもしれません。
いずれにしても情に訴えるものです。

それは本当に「当然」なのだろうか、
当然であるならば、そこには理=すじみち
というものがあるはずということが深く
書かれているようです、
情のみに終わらせないで。

帯文の
「かくもやさしく、悲しい
悲しみ知るゆえに克ち、義をつらぬく」

この「悲しい」に、?と疑問を感じる
のではないでしょうか。
人々に「寄り添う」優しさはメディアを
通して知っているけれど
悲しいってなんのことやねん?と。
実はここがこの本の肝かもしれません。

勇壮かつ聡明な天皇像はいくらでも
あります。そこに悲しむ天皇を想像
することはむずかしいでしょう。
日本武尊の犠牲は悲劇的美談で語り
継がれているけれど天皇ではないので。

アホ度やや低めの方が「涙しながら
書いた」とまえがきで言っているので、
よかったらお手にとってやってください。



猫もよろしく、と。



うんニャ、言ってねえ、
チュルチュルはどうした!だそうで。


定価1,800円+税
エー・ティー・オフィス刊
全国書店で注文できます。
アマゾン、honto は迅速に配送中、
楽天ブックスは取り寄せのためやや
時間がかかるようです。
ご注文、問合せは以下でもOKです。
 info☆edition-at.co.jp
(☆を@に変えてくださいね)





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「私、ひとりで死ねますか」松島如戒著

2018-08-28 16:00:20 | 
冒頭の「私、ひとりで死ねますか」
(日本法令 定価1500円+税)
というドキッとするタイトルの本が
尊敬する弁護士 清水勇男先生から
届きました。

清水先生が法律用語や法律上の専門的
知見によって本書を校閲されたご縁で
紹介して下さったのですが、ちょうど
相続に関する相談を受けていたので
さっそく開いてみました。

サブタイトルが「支える契約家族」
契約家族とはいったいどういうもの
でしょうか。
本書の注釈によると契約家族とは
「血縁家族に対する言葉で、自分自身
の生前事務、後見事務、死後事務(祭祀
主宰者指定)などの事務を委任、受任
することによって成立する、いわば
契約上の家族関係。とあります。

遺言書を公証人役場で作成して預け、
相続を執行する人を定めておくこと
ことだけでは、自分の死の準備と
後始末をするには足りないことが
いろいろあるようです。

その時がくるまでに準備しておこうと
思いながら、その時はいつくるのか
実はわかりません。
家族がいる人、信頼できる身内がいる
人も心配ないとも言えないのが現実
です。ましてや独り暮らしならば、
自分の判断能力がある段階において
さえも、入院や入所で保証人が必要
になったり自分以外の人に頼む必要
が生じることは起きるのです。

葬儀や墓地のことだけでなく、
現在の法律の下に、どんなふうに
身を処していくのか、何が必要か、
細かに書かれています。

その一つに個人情報の取扱いに
関することがあります。
クレジットカードをほとんどの人が
持っていますが、使用しなくなった
カードが不正利用されないように
しなければなりません。
また、パソコンやスマホの中にも
自分だけの秘密がたくさん入って
いるものです。
それをどう守り、あるいは処理
するのか。
このような細かな身近なことも
具体的に対応策が書かれています。

著者の松島如戒(にょかい)氏は、
NPO法人りすシステム
(任意後見・生前契約受託機関)
契約監視機関NPO日本生前契約等
決済機構。
NPO地球に恩返しの森づくり推進
機構、などを設立されています。

目次
第1章 
生前契約ってどんな人がどんな時に?
第2章
人が死ぬとこんなにたくさんの仕事
がある。パート1
第3章
人が死ぬとこんなにたくさんの仕事
がある。パート2
第4章
「家族力」の減退を支える。
第5章
「私、認知症にはならない」そんな
自信ありますか。
第6章
生前契約の理念と実務

なかほどの頁にある言葉
認知症患者 正気に戻る瞬間がある
——そのとき満たされていると
感じるケアをめざして——

日本は、いえ世界じゅうが嘘に
まみれていく昨今、正気でない人を
欺くことくらい罪だと思わない人が
介護や後見職の現場にいます。
それが悲しいかな現実です。
この、りすシステムの目指す実践は
単なる標語ではないでしょう。

これがあたりまえになる世の中を
心から願いながら自分にできる努力を
していこうと思っています。
誰しも誰かのお世話になる日が
いずれやってくる、そのことを
恐れたり案じたりしなくて済む社会を
希求していきたいですね。

NPOりすシステム
電話0120(889)443
24時間365日対応。かけ間違いの
ないようにお願いします。













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トメアスの月 詩集になりました

2017-11-12 13:59:49 | 
(津留清美著「トメアスの月」
        11月3日発売)



以前紹介しました津留清美さんの詩
「トメアスの月」を含む詩集が発売に
なりました。

写真にあった本物の月の代えて
大きな月が描かれた表紙は著者の
案によるものです。

カメラで撮った月は小さな点のように
写りますが、人の目には月は大きく輝いて
見えます。津留清美さんはそのことを
「写真は事実を写し取るが、人は頭と心で
月を見る、これは真実」であると言われ
ました。事実と真実、両方あるけれども
詩は真実を表現すると。

この話は11月4日に都内で行われた
「詩と歌のゆうべ」というライブで
披露されました。
朗読は著者本人、バイオリンと競う
ようにして語られた詩は、切々と心に迫る
ものでした。

始め、序にある「はじめての、雨」を
チャールダッシュの伴奏で。
テンポが速いこの曲と、津留さんの
読む声が重なりあって本で読んだ時と
また違った風景が見えてくるのでした。

………
 あとになってわかることだが、
過去は死んでいない、過去にすら
なっていない。壁紙は乾かない。
ーー今のところできるのはこれくらい
です。あとは様子をみておいて
くださいーー
屋根や壁、からだやこころの修理業者は
そう言って立ち去るのだ。
「初めて」を前にそう言うしかない。
死と、詩と、雨。

どんな傘でも覆いきれないものがある。
そこを小さな手で覆い、ふさぎ、雨粒を
はらう。安心というものは束の間のもの
でしかない。ささやかなくり返し。
壁紙は乾かず、しみは広がる。
それでもすべては新しく、美しい、
はずだ。
(p6 序 はじめての、雨
   〜熊本地震のあと より)

ふつうは「しとしと雨」と書くところを
死と、詩と、雨 と表された意味もお話
にありました。大きな地震によって死が
身近に感じられ、またそれは生きること
を意識させることでもあったと。
死を前に、今生きてある事を自覚させら
るということではないでしょうか。
そして詩はそこにある真実を表すと。

この詩集は繰り返し読み、声に出して
読み、なれることのない新鮮な感動が
湧いてきます。
特に地震や台風で被災された方、原発
事故で避難されたままの方、大きな喪失
を抱えたままの人の胸に響くだろうと
思うのです。

単なる感傷を詠んだ詩ではない、
事実を感受し、生きることの意味を
新たにしていく力を得られるような
そんな気がします。

この詩集で流れる涙は悲しい涙ではなく
自らが浄化されていくための涙のように
思えてなりませんでした。

詩集にある詩についてまだ色々と
書きたいこともありますが、
今日はこのくらいにして。
どうぞ書店でお求めになって手にとって
いただければと思います。

全国書店、ネット書店で取扱中です。
書店にないときはご注文で取寄せられます。

amazon
honto






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ガッコ出てないからなんなんだ、

2017-08-05 09:40:12 | 

字がよめないからなんなんだ、
トクを身につければかみさまは
はたらいてくれるのだから
すなおにしょうじきに
生きていれば
いいんだよ



ヘタなこと考え余計なことを考えすぎ
考えたあげく
自分でいいと思って
間違える!
間違えてばかりいるのだから。

ガッコ出てないからなんなんだ!
と言ってくれたのは源宗先生でした。

徳の本ができました。
うさこじゃない方が書きました。
いえ、古伝にあったのをまとめただけ。
先代旧事本紀大成経伝、三冊目です。
8月の終わり頃、書店に並びます。
まだ予約受付も始まっていませんが
追記/(amazon 受付中になりました)

宗徳経 先代旧事本紀大成経伝(三)
ソウトクキョウは音読み、やまとことば
では、かんつもとのおしえぶみ です。
ネット通販はアマゾンではなくhontoや
楽天や紀伊国屋書店のほうがオススメ
です。
町の本屋さんからも書名で注文できます。

アマゾンにも配本はされます。
しかし在庫を置かない主義になったので、
初期仕入れを売り切るとすぐに高値に
なっていて、びっくりします。
古代憲法が6000円なんてね、
他店では定価1500円+税で買えるのに。
このまえ問合せしてこられた方は
うさこに抗議されましたが、アマゾンの
営利主義のせいなので…いかんとも
しがたく…直販か他ネット書店では
買えますと説明しました。
ついでに言いますと楽天はポイントが
つきますね、hontoもキャンペーンが
ありますね、送料無料とか。
脱アマゾンへ向かいつつある版元集団
の回し者ではありませんが、一般読者
は知りようがない謎々なので書いて
おきます。




かんつもと は神津元 かみさまの
もともとのこころ、神さまが人に与えた
恵みの諸々がここにあります。
それを徳といい、その一番最初の徳、
源の徳だから宗徳ということだそうです。

大学で国文学を学びたかったのですが
間違えて! 放浪しました。
たくさん間違えて、苦しんで、
三十才の時に出会った源宗先生に師事
(いえ、弟子はとらない先生ですが)
することができたのは、これも徳だと
思います。

徳のある人というのは良い人を指して
言いますが、徳はそもそも誰にもある
ものです。
それに気づくことが学び、自らの徳を
生きることが人はみな誰にもでも
できるのです。

学んで、徳の方へ向きを直していくと
だんだんとひねくれた根性が消えて
もともとの素になって
肩の力も抜けていきました。

恨むことも憎むことも羨みも
消えていきました。
自分も消そうと努力しました。

徳が残ればいいからです。

書いているとき、学び直すことができ
その間はとてもすがすがしく
生きていることがうれしく
勇気のような(あまり縁がない勇気!)
力が湧いてきているのを感じました。
(だそうです)

広い宇宙の塵のような
広い世界のありんこのような存在が
すこしも孤独ではなく
自分ちの庭で遊んでいるような
楽しさを感じました。
(それはうさこにもよくわかる)

漢文は難しいですが、現代語訳が
ついています。

最後に付け加えると宗徳経は神道の
いわゆる教義です。
神道とは何かに明確な答えがないまま
自然崇拝をかんながらと言ってきた歴史
がありますが、そうではなくこれが教義
だと序文に示されています。

序文は大好きな秦河勝さまが書いて
います。会ったことはないけれど
ふだんは「かわかっちゃん」と呼んで
います。
いつか「かわかっちゃん」の話を詳しく
書きたいものです。

まだ書影が手に入らないので、次回に
載せます。
どうぞ、読んでやってください。








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雨に洗われて

2017-07-26 11:55:22 | 

眠れない夜、
眠れないまま迎えた夜明け



心臓が高鳴るので深呼吸をして
こふくせいきょう(虚腹清胸)
呪文は効かず
森を歩きまわる



紙魚の出た文庫本を
ポケットから取り出して、濡れた石に
腰掛けて読む
この石はぷ〜ちゃんの墓標であるが
同時にわたしの安楽椅子。

「正しく強く生きるということは
みんなが銀河全体を
めいめいとして感ずることだ」
と、とうのむかし賢治が書いていた。

詩人は古伝を習わずとも神さまが
見えているのだ。
いや、見える人を詩人という。
詩を書く人は いくらもいるし
詩というラベルを貼った偽物も
そこらへんに
ころがっているが…

わたしはぞくぶつである。
詩を書けないだけではない。
心臓の高鳴りが何よりの証拠。
詩を書けないのは悲しみではなく
心臓の高鳴りをただ止めたい。

詩はわたしには護符のようなもの。
むかしのひとが恵みを喜び
畏れを訴え、祝詞を唱えたように
それを口ずさむことで
この身が洗われるもの。
 

「ーー(祀られるざるも
神には神の身土がある)
ぎざぎざの灰いろの線
(まことの道は
誰が考え誰が踏んだというものでない
おのずからなる一つの道があるだけだ)」
(春と修羅第二集、作品三一二番)




「祭祀の有無を是非するならば
貴賤の神のその名にさえもふさわぬと
応えたものはいったい何だ
いきまき応えたそれは何だ」



福岡の朝倉の地は、局地的に降った
豪雨で山土が崩れ土石流となり家々と
幼子を抱いた母親を押し流して止んだ。

むかしむかしと言っても人の記憶に
ある昔のことではないむかし
朝鮮の戦の陣へ赴く途中の女帝が
仮宮つくりのために木を伐って
神を怒らせたという伝説の地。

木を伐ったことで神は怒るのか。
礼を尽くさなかったからではないか。
慌ただしく造営した橘広庭の宮で崩御
した女帝は、大の普請好きで民を苦しめ
なかったか?ましてや百済を救うのに
軍を押し立てたのは大義か。

その場所がどこなのか、定かでないが
現代(いま)の人は、こここそが!と
碑を建てた。

宮跡も碑も、神を祀るものでなし。
神を想ったものでなし。
荒れ狂う雷神は、いまだ列島の上に
居座りつづけ、宴会中だ。
「神には神の身土がある。」



山並をいくつか越えて奥のほうでは
雷雨と記録的大雨と注意報が出ている
ここは小雨、ときどきどしゃ降り。
視界が煙るほど降る雨を見るのは
気持ちがいい、
そう言っていられる降りで止んだ。

わたしには神は見えない
見えないけれども
いつもそばに在ることを
感じている。

やさしい雨。

わたしがそばにいようとしている
だけかもしれないが。

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承前)真心を以って死者を悼めよ

2017-01-04 02:36:56 | 
奈良時代以降わが国の官僚による
神道と仏教の政治利用はすさまじい。
天皇と宗教者はそれを止められず
むしろ、おのれの地位を維持すべく
私腹を肥やす者たちと手を結んだか、
圧力に負けたのか、いずれにしても
官僚のあくどさは今に引き継がれて
いる。
私心あるところに神は己現せず。

神職憲法の第十六条は後世の過ちを
予見していて興味深い。
「(前略)釈氏の自意を以て修い、
神祇をして成仏たらしめんと以て
浄土に送りまつる等の法においては
永えにきめてとどめ、僧をして
おこなうことを得せしむことなかれ」
僧侶が神域で祈祷をし神を降ろそう
としたりすることを禁じたものだ。

奈良時代末期は、早良親王の怨霊
退治に陰陽師と僧侶が活躍した。
桓武天皇周辺のみならず、災難は
都一帯に広がって治らなかった。
祈祷も効めなく方策が尽きた。
あげくの果て咎人と断罪した筈の
早良親王に祟道天皇と称号を奉り
さらにその怨霊を鎮めるための
神社を造った。これは神道の鎮魂
の方法でない。

これらは御霊信仰のはしりであり、
飛鳥時代にはなかった考えである。
神道では怪奇をもって説くことを
厳しく戒め、邪道とされたからだ。
密教僧空海が重用されるようになる
下地が、この騒動の頃にできた。

疚しさが募って恐れ、猜疑心が生じ
苛まれ、そこにつけ込む宗教者が
いて、すがりつく。この悪循環は
自らを禊ぐことを伝える神官が
いれば、断つことができたのでは
なかろうか。
または慈悲を諭す僧がいれば…。


(疚しくないけどスリスリ)

この事件はそもそもが新興仏教勢力と
仏教伝来時よりの伝統を踏まえた南都
仏教との勢力争いが背景にあった。
宮廷政治に高僧が関与しすぎたことが
要因を作り、そして対抗勢力はそれを
改めさせるのではなく新興の仏教勢力
を用いた。どっちもどっちである。

争いの根にあるのは官僚の権力闘争で
あった。ましてや道を説き人を導く
立場で政治の外にあるべき宗教者自身が、
道を外してしまえば、混乱は避けられない。

仏教は伝来以来、僧は国の保護を
受けていた。それが次第に財力を蓄え、
官僚と同等の影響力を持つに至った。
本来は無欲、無闘、無我に生きるのが
僧(和合衆)の道で仏の教えであった
はずなのだが。お釈迦さまからみれば
堕落である。

釈氏憲法第一条に
「(前略)欲、怒を生じ、己我を発し
和徳を失い闘争を為すは廃倫の盗びと
なり(後略)」とある。
仏道から外れた僧は盗人同然と。 

また釈氏憲法の第十一条に
「効験の有無は僧たる者の徳に有らむ」
とある。徳なくば、神はおろか、仏も
降臨しないと諭している。これは僧
に限らず神官でも道士でも同じだ。
祈祷したにもかかわらず天災も疫病も
治まらず、国も民も疲弊した。

平安時代に続いた混乱は武士の台頭を
招き朝廷はその権力を完全に失っていく。
法を修して私すれば邪道となる、の
結果である。
怨霊に負けたのではなく自滅である。

古代憲法の前文に
「高慢にして以て新たに異則を立て
政を為さばその世はおだやかならず、
社稷(朝廷、国家)は必ずひさし
からざらむ」とある。
失ってから悔いても遅いのだ。

古道の戒めは破られ続ける。
明治政府は新たな国家建設の核として
神道復興を画策した。この影響が
現在にまで及んでいるといえる。
公務員化した神官は祈るよりも帳簿
つけが仕事になったのである。

死を悼むのはヒトだけではない。
象は仲間と身内の死を悲しみ墓を
作るという。
死者は墓へ埋葬し弔う。古今東西、
古代から人はそうしてきた。
墓石があってもなくても、死者の霊を
敬い慰め、弔う気持ちを表した。
それが人の自然な素直な姿である。


(未だカナシミを知らず…太っちょ)

昭和の太平洋戦争で戦死とされる兵士の
多くが餓死である。
大岡昇平の「野火」より現実は悲惨で
あったろう。
銃後の人々もまた無差別の空襲で焼け
出され、傷つき、命を落とした。
死んだ人を弔うのはその人が生きていた
時を知る人の役目である。
悲しみ悔やみ悼む心が死者を慰め、
送ることができる。

これらのごくあたりまえのことを
腐敗した政治家と官僚がねじ曲げたまま
未だに誠実に死者を送ることをしていない。

古代を想うのは、人々が今よりもまだ
誠実であったことを感じることができる
からだ。
そこへいっきに戻ることはもうできない
と思うけれども、まっとうで率直な言葉に
励まされ、まだ立っていられるのである。
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死者を、社に祀るなかれ

2017-01-03 19:43:41 | 

年末年始にかけて首相閣僚の靖国神社
参拝が世界中に配信され、批判されて
いる。

天皇陛下も外国の賓客も靖国には
行かず千鳥ヶ淵の戦没者の慰霊施設
を訪れるのは、靖国神社が戦死者を
慰霊するためではないことが明白
だからである。

神社はその名のとおり、神の鎮まり
ます処を指す。
「古代憲法」神職憲法の
第一条に
「大社は天下を衛り国社は
国家を護り県社は群民を守る。
三社は風雨を領し禍福をつかさどり
これを以てはたらきとなす。(後略)」
(現代語訳省略)

第十四条に
「吾が国は天尊齊元の国なり。神代
すら尚、未だ人魂を祭りて神明に
混えず。人の代も之に随え。
皇、王、臣、連たち、先人たちを
崇むといえども神号を以てせざれ。
陵廟をまつるといえども祭締を以て
せざれ。之によって芳野、菟狭の
如く己現の霊神に非ざれば社祠を
造り祭祀を致すことなかれ。」
とある。

つまり、神社の区別と役割を示し、
神代の由緒ある神社以外に、新たに
神社を造り人を祀ってはならないとし、
また神と人を一緒に混ぜて祀っては
ならないと定めた。
吉野(金峯)や宇佐(神宮)は霊験
(由緒)あってのことなので特別で
あり、それ以外は神社、祠を造ること
を認めない、としたのである。

ジャーナリスト清水潔氏のtwtを
引用RTしたところ、ふだん静かなTL
に多くの反応があった。
戦犯合祀の問題以外に、そもそも論
として、靖国神社も明治神宮も神道
の原則から外れているのだ、という
ことを書いたのである。
twtでは文字数が足りないのでここに
条文を補足した。

古代憲法(聖徳五憲法)はまったくと
いっていいほど知られていない。
そこには、腐敗しきってしまう以前の、
この国の儚い夢が描かれている。

聖徳太子薨去後、晩年の推古天皇が
中臣御食子や河勝とともに憲法を
遵守したことが記録にあるが、奈良
時代になるとこれらの禁は完全に
破られ、まるで別の国と化していく。
法が変われば国は変わる。
憲法の重みとはそういうことだ。



神を祀る意味と、人の死を悼む
ことは別のことであり混同しては
ならない。
葬り方を伝えるのは仏教の務めだ。
人魂を神の位置に置くのは、神の
尊さに便乗するもので、死の意味を
欺くことになる。神に仕える神職者は
これをわきまえ禁を守れと定めている。

墓参を神社参拝にすり替え、死者に
偽りの格式を与えることで、遺族の
悲しみを誉れに置き換える。まさに
靖国神社はそのための装置であり、
神社とは名乗ってはいけない場所だ。











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熊本地震後を訪ねて

2016-12-24 05:27:43 | 
(三角西港、左手に天草五橋の
一号橋が見える場所)



姪っ子の運転で観光地へ行った。
帰郷の目的は別に色々とあったが、
珍しく身内が歓迎してくれ(笑)
断りきれずにでかけた。

熊本文学館へ行きたいと言うと
それよりもっといいところ、
室内より遠出でしょといわれ
随ったのだが…。

で、世界文化遺産登録となって
張り切っているらしいココへ。
「明治日本の産業革命遺産
製鉄・鉄鋼・造船・石炭産業」
として登録され、石積みの港は
埠頭、水路が遺っている。
明治の三大築港の一つ。

朝から空は快晴、それもいいね
とは言ったものの彼女は片手運転、
スピード出すんである。
助手席でヒヤヒヤした。



三角へ向かう途中、宇土を通る。
宇土は地震被害が大きく道路が
波打ったままの箇所や、壊れた
家屋、ブルーシートで覆われた
屋根が点在していた。

続けて二度の大地震に襲われた
熊本は、人々がようやく余震に
慣れ、生活を取り戻すために
どうにかこうにか立ち上がった
ばかりという印象であった。
まだ当時を思うと涙ぐんで
しまい言葉に詰まる人もいた。

短時間、街中を車で走っただけ
だが、そういう思いで見るから
という以上の沈滞した憂いの
気配を感じもし、記憶にあった
カラリとした威勢のいい雰囲気
を失ったように思えるのだった。

この地震によって忘れていた
〈隣人との絆〉を思い出し
それぞれの共同体で助け合う
ことの大事さを気づけたのが
よかったという話を耳にした。
渡辺京二さんが熊日新聞に
そのようなことを寄稿され、
また実際そういう話は多いとか。

それは東北震災ではなかった話で
ある。当然助け合いはあったが、
それを台無しにすることの方が
上回っていた。

東北大震災は地震津波に原発事故
が加わった三重苦の震災であった。
特に放射能汚染が被害の深刻さ
を増し、風評被害、自主避難、
帰還困難区域などの表現は、
同じ被害を受けたはずの人々を
分断していった。

曲線でつながる古い土地を行政は
机上の計算で線引きした。
あっちは高汚染で強制避難で
道路の真ん中からこっちは自主
判断でどうぞ。
先祖の代から続いた近隣の
人付きあいを地図上の線が
引き裂くこととなった。

不公平、不手際、おおざっぱ。
そこに人が人を思う心は見えず、
助け合いをしたくともできない
切迫した状況に人々は追いやられ
やがて黙った。
元々、思いを率直に話す土地柄
ではないところに周囲を慮って
口をつぐむ。

不信感を押しのけ手を繋ごうと
外から働きかけてくれる人々が
いなかったら地元住民だけでは
難しい状況だった。

公共広告で盛んに使われた絆は
官製の形式にすぎない。
福島で気づかされたのは行政
つまり公務は誰のためにあるのか
ということ、その根本がすでに
腐りきっているということだった。



被害の大きかった熊本城の修復
を望む声が大きいと聞いて
それよりも優先すべきことが
あるのではないか?
東京そして福島にいるとそう
思うのだった。
けれども電車通りから見えた
向こう側に波打ち傾いた、漆喰の塀
を目にしたとたんに、嗚呼これは…
と気づいた。

熊本市は城下町である。
城が人の胸の中に根を下ろし
生活の一部になっている。
あってあたりまえの故郷の景色。
歴史的遺産という建造物の物の
価値を超えている。まあそれを
文化と呼ぶのだが、目で見て
実感し、腑に落ちたのだった。

一方、福島ではあまりに多くの
ものを失い、地面そのもの、海
そのものという取り返しのつかない
ものを失った。いまだに解決する
術無く、巨額の費用が垂れ流され
ている現状だ。実は修復できる
ものが少ない。

除染のためといい掘り返した土を
フレコンバックに詰めて数万㎡の
土地に仮置きしているのもそうだ。
解決ではなく先送りしているだけで
それに次々に公費をつぎ込み、失敗
し続けている。
その責任は誰も取らないまま次へ
次へと予算は膨らむばかりだ。
帰る家、土地を失った人への補償は
あいまいにして、汚染地域へ帰還
せよと迫っている。
補償打ち切りも決まった。
福島の現実が熊本で繰り返され
ないようにと思うのだった。



熊本あそ空港は被害甚大だった
西原村のそばである。
帰路へつく前、空港への途中に
西原村へ続く道を走ってもらった。
しばらく行くと新しい仮設住宅が
ぎっしりと並んでいた。
ああ、ここも大変だと胸が詰まった。

ドア部分を木製で作ってあった。
大自然に囲まれた暮らしから一転、
狭い住居、庭のない場所でこの冬を
しのがなければならない。
心ばかりの工夫なのだろうか。

二重ローンへ配慮した法整備が
なければ住宅再建も難しい。
生活弱者は、再起できなくなり
子どもの教育にも支障が出る。
何を見ても福島のようにならない
ことを願うばかりだった。

長い繰り言のようになったが、
福島で体験したことを踏まえず
に熊本を訪れることはできない。
福島は終わっていないのだから。

金子光晴の自伝「どくろ杯」
冒頭に関東大震災の描写がある。
大正12年(1923年)9月1日の
地震は東京、横浜を火の海にした。
燃えさかる火によって死んでいく
者、生き延びようとする者、
そして詩人として世に出ようと
していた矢先の災難である金子
自身の状況とが詳細に綴られて
いく。
そこに気になる言葉があった。
長くなるが引用する。

「ふりかえってみると、あの時
が峠で、日本の運勢が旺から墓
に移りはじめたらしく、眼には
みえないが人のこころに、
しめっぽい零落の風がそっと
しのび入り、地震があるまでの
日本と、地震があってからあとの
日本とが、空気の味までまったく
ちがったものになってしまった
ことを、誰もが感じ、暗黙に
うなずきあうようであった。
乗っている大地が信じられなく
なったために、その不信がその
他諸事万端にまで及んだ、と
いうよりも、地震が警告して、
身の廻りの前々からの崩れが
重なって大きな虚落になって
いるということに気づかせら
れたといったところである。」
(金子光晴「どくろ杯」)

この後、日本全体が軍国主義
一辺倒へと向かっていく。
百年周期で歴史は繰り返すと
いうが、やがて百年がくる。

























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「古代憲法」明日発売。何かと使える本に…

2016-12-10 23:49:33 | 

ええっと、想風亭居候の新刊です。

「古代憲法」先代旧事本紀大成経伝(二)
これは十七条憲法の原典である憲法本紀
を現代語訳して解説したものです。

前作は序伝でしたから次は一、二と続く
ところですが、すっとばして七十巻目の
憲法本紀にしたんですねええ、理由は、
まえがき、あとがきにしつこく書いて
おるらしいです、読んでやってください。

夏休みもとらずにヒーヒー言いながら
漢文だらけの日々を送ってきた居候は
クリスマス前に仕上げてほっとして
この数日はのんびりしている…はずだった
のだが、そう甘くはないんですなあ、
発売前には色々と忙しいらしい…
アクシデントもあったようだし…
寒いし…

このブログに来られる方は、たぶん
たぶんですが、そりゃあそうだろうさ、
ふふん古代憲法ときたか、とお気づきに
なるかもしれません。

この数年、けんぽーという言葉を耳に
しない日がないくらいになってしまい
イッパンピーポーうさこにも否が応でも
アホでも、ん? 憲法かいな? と
どんなんだっけ、と気にせざるをえない
わけですが。

9条だけならいざしらず、
96条がしきりに聞こえます。
96条は憲法改正につて定めた条項です。
9条だけを変えると思われたくないのか
基本的人権を定めた条項やその他も

そして96条に合わせ、明治憲法を美化
する声もデカクなってきてますね。
神武天皇紀を読んだこともない議員が
誰の受け売りかは知らないけど
やたらと神武という名を使いますが
神武帝二千六百年記念のせいですかね、
便乗して天皇を元首にという改正案も
出してきましたね。
勉強不足の議員さんたちが多いです。

でも先日の国会でカジノ法案反対の
意見を述べた共産党清水議員の
持統天皇西暦689年の双六禁止令
に始まる1327年の歴史…
共産党のわたしが言うのもおかしい
ですけれどほんとですよ! は
面白かったです。

双六禁止令を発令せねばならなく
なった日本の、その半世紀ほど前に
あった古代憲法、五憲法を破棄した
天武朝の後の話を清水議員はされて
いるのですが、今またそれを破棄し
とうとう賭博オーケーにしようと
しているわけです。

あまりにずるずると緩めて壊して
いくと、何がまっとうだったのか
わからなくなって、まあいいかと
なっていくものですが…
そこで、ごくまっとうだった古代
日本の原則が書かれた聖徳太子の
五憲法に、いんや、ダメなものは
ダメだとはっきり戒められている
のを読むと、もやもや気持ち悪いのが
すっきりします。
そして勇気もわいてきます。

憲法は国の根幹を創りそこに生きる人々
に平穏な暮らしを与えるためのものです。
古代憲法にはそのあたりまえの原則が
書かれているっちゅうことです。
憲法改悪を論破するのに、使えるし、
日本国憲法全文もついてるし、
何かと使える本になっとります。

全国書店、ネット書店、amazonで
予約受付中です。
よろしくお願いします。










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