想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

奈良旅、樹下山人忌にて

2014-04-24 00:32:43 | Weblog
先週4月16~20日 奈良県文化会館にて開かれていた前登志夫展。
3月半ばに予告を見つけて行きたいなあと切に思いはしたが、本当に
行くと決めたのは同じ週の月曜日だった。口実に仕事を一つ作って。





「かなしみは明るさゆえにきたりけり一本の樹の翳らひにけり」

短歌結社「山繭の会」主宰の前登志夫は短歌世界を超えて広く
知られた歌人だ。吉野に住み家業の山仕事をし、魂の歌を詠んだ。



「銀河系そらのまほらを堕ちつづく夏の雫とわれはなりてむ」
この歌の前に、わたしはしばらく立ち続けていた。
病み臥した友へこの歌を書き送ったことを思い出していた。
自分自身への言葉でもあった。
瞑想をし私を虚しく虚しく虚しくした先へ広がる世界だと
思った。そこにずっといたい、その私が私であると。
時空をはるかに超え、生きているこの瞬間が無限で永遠のよう
無音の言祝ぎがひろがっていく。うまれたての私。
うれしいのかさみしいのか、やはりうれしいのか、涙が溢れる。
孤独で、そしてこのうえなく幸福なのだった。



「大空の干瀬のごとくに春山のけぶれるゆふべ桜を待てり」





「ゆっくりと桜の枝の杖突きて尾根ゆくものとなりにけるかな」





「山住みのこの単純に歌あれと野花の蝶を空にばら撒く」



「ゆうらりとわれをまねける山百合の夜半の花粉に貌塗りつぶす」



「三人子はときのま黙し山畑に地蔵となりて並びいるかも」

ヤママユ同人で演劇集団【小町座」を率いる小野小町さんが
「前先生は…」と語る顔には師事できた喜びと誇りがあった。
会場のオブジェやしつらいは劇団のアートディレクター蒲地さんと
西村智恵さんの手によるもの。
歌人の往年の日々と歌世界をできるだけ再現してみせようという
熱意が溢れていた。ぬくもりのある空間だった。
師の心に報いんとする人々がいた。

歌は習い事でも教わる事でもなく、こころを磨く技であると
昔聞いたことがあった。もう二十数年前だったか、わが師に。
こころなくば歌なし、とも言われた。

歌を詠み万葉集にふれおのずと記紀にふれていくのと逆順で、
私は先に古伝を学び歴史を学ぶこととなりそれがまっすぐに
歌へつながっていった。
日本の思想の根本がそこに顕われていることを理解した。
そもそも本居宣長も折口信夫も歌人であった。
そして「空にも書かん」と不遇をかこつことなく書き続けた
保田與重郎も佳き歌をいくつも遺している。

生きることと歌を詠むことが一つであった古の人びと。
生まれの貴賤ではなく、高貴さは魂ゆえのことであり、
幾千年の時をも跨ぎ、言の葉が生き続ける理由であると。
和歌の存在の意味がすとんと胸落ちしたのだった。
歌が絶えないかぎり、だいじょうぶかもしれんとも思うと
少し安堵した。

会場の展示写真は前浩輔氏、一部福田昭一氏。
展示短歌の選歌は喜夛隆子氏(歌人・ヤママユ編集委員)
2013.6 短歌研究社より「前登志夫全歌集」刊行されている。
おすすめでございます。

次は吉野へ参りましたの巻です。
 





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良旅の途中

2014-04-18 02:45:53 | Weblog

奈良県立文化会館で開催中の前登志夫展へ行った後、吉野へ。
桜は下は散り始め、中千本が満開でした。
樹上山人 前登志夫展は日曜日まで開催、行ってよかったの一言。
展覧会の模様も撮りましたがカメラからダウンロードできていない
ので後ほど。

まだ途中なのでとりあえずスマホで撮った写真を。



吉野山の奥千本のあたりです。
バスを降りて金峯神社へ詣で、さらに奥へ行くと西行庵があります。
そこへ行ってはみたいが、激しいアップダウンの険しい山道をさて
歩けるかしらと不安でもありました。
考える間もなく足が歩きだすので、もう引き返す気もなくなり、
一年余り長い距離など全く歩いていなかった足なのに、あれよあれよと
廻ってきました。
不思議な気持ちでした、よくもまあ歩けたものだと。
当然、悪かった右脚は腫れているのがわかりましたが、痛みがなくて
歩き続けることができたのでした。

西行庵はちょっとした広場のようになっていて、歩き疲れた人たちが
弁当を広げてくつろいでいます。
西行庵などどうでもいい感じであります。
桜さくら、桜、と浮かれています。
それでいい、と庵に座る西行さんが笑っておられるような気がしました。
奈良市内で吉野の山人、前さんの歌と写真を見て来た後に西行さんに
会いにきたわけでした。

「落人の家とこそ言へ風荒らき山の斜面の谷間に臨む」(前登志夫)
展覧会場で分けていただいたヤママユ23号にあった歌です。

来ました、来ました、とそんな言葉しか出てこない挨拶を庵の前で
繰り返し、胸がいっぱいになったので、また上り始めました。
杉や槙が頂きを作り幾重にも連なる緑の山を見晴らせる場所へ出ました。
そこからさきほどの皆さんが座っている場所を見下ろす格好でスマホ
で撮りました。
桜は弱り、植えられた若木がまだ十分に育っていないのでぜんたいに
寂しい景色でした。山肌のところどころ荒れているのが侘しい。

人々はさくらに浮かれて喜んでいる、桜を目で見ているのではなく、
吉野の山の精に魅せられているのか化かされているか、どちらかは
知らないけれど、そんな風なのでした。
この場所に俗世を持ち込んでしまった現代人ですが、そうはいかぬ
と足下をすくわれているような、惚けた顔ばかり。



金峯神社、遥か昔、この山の金鉱が大和の支配者たちを潤した証。
修験者とはそもそも何者か。神道と仏教に股かけたにはそれなりの
理由、地政学的にも資源の山としても吉野が重要な場所だったことが
わかります。
後の世に風雅を歌われた「吉野」だけ一人歩きしているけれど、
古代へと思いを馳せるとまったく違う姿が浮かんできます。

ではまた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう降るなよ~雪

2014-04-03 02:00:56 | Weblog
ずっと夜更かしで、どうしても仕事が乗ってくるのが夕刻過ぎの
人の出入りがなくなってからという日が続いているせいか、
はたまた春眠暁を覚えずなのか、午前中はなんだかぼんやりして
目薬をさしてもまだ醒めず、ウコンを飲んでも一瞬しか効かず、
そんなこのごろであります。

写真をアップしないまま、春になっちまったのです。
晴れた日の雪景色はいいもんです。
昨年も4月半ばに降りましたから、一応言っときます、
もう降るなよ~





雪に伸びる樹影、陽射しがないとこうはならないからね、
冬のあいだ晴れる日は少ないから喜び、写真を撮るのです。



これは子猫の足跡です。ここらへんで、腹ごなしの戯れ合い
をした形跡なのです。うさこの足跡も混ざってるかな。
ぷ~ちゃんの足跡を思い出します。


人間の夫(つま)か子を想うように、もっとああして
やればよかったこうもしてあげたかったと、ベイビーを
思い出しては胸が痛んだものでした、この一年余り。
雪のたくさん降った日に亡くしてしまったので、雪は
辛い思い出でありました。

いないことに慣れていくというよりも、わたしのなかに
ベイビーの居場所ができたみたいな感じです。
陽だまりです、胸のなかにいつもあります。
だから、今もしあわせです。

ps
老犬と過ごしておられる方から時々、手術はしたほうが
いいかどうかと尋ねられます。
なんともいえないですね、と答えて、申し訳ないなあと
思うのですが、過ぎたことを悔いてはいないことをお伝え
しています。
術後の大変さや寿命が伸びるわけではないというような話は
あまり関係ないと思うからです。
麻酔は成功しても老犬にとって負担が大きいということを
わかっていても、ではやらないでいられるか、それはわかりません。
ただ看ているだけということも同じようにどちらにも負担は
あると思います。犬は自身で選択できないわけで、すべてを
委ねていることを忘れてはならない、それが大事な気がします。


一瞬一瞬、いつもそばにいて、何もかもいっしょに過ごし
分け合って暮らした時間は、ぜんぶ「幸せ」で括れます。
胸がはりさけそうなくらい心配したことも含めて、です。
ぜんぶ、倍返しで愛が返ってくるのですから。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする