想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

すみません、PC不調につき

2008-11-30 12:31:42 | Weblog
    金、土曜日に更新しなかったのは思いがけないPC不調の
    ためでした。(金曜日に移動疲れで更新しないことはよく
    ありましたが、今回は元気なのにPCが不調であります)
    で、今朝さきほど直りまして、更新していないのに、いつも
    見てくださる方々がいつものようにいらしていた形跡があり、
    まず最初にお詫びと感謝を申し上げます。
    「どうもすみません、そしてありがとうございます!」
    ほんとに、予備のmacをたまたま置いてきた失敗でした。
    反省、反省…。

    上の写真は、事務所の窓から撮影。
    もちろん東京タワーはもっと小さいので、これはヘボカメラで
    ズームアップしたところです。右側には森タワーがでんと
    ズンドウな身体でいばってますので、それをカット。
    この景色を金曜からずっと見ていたわけではありませーん。
    そんなことは月一くらいしか、耐えられません。

    ケイタイでもブログ更新は可能ですが、わたしはケイタイは
    電話機能、ちょびっとメールくらいしか使用しないのです。
    ブログの写真はPCに取り込んでいますし。
    そういうわけでした。



    金曜夜は雨、ときどき小雪模様でしたが、翌朝はごらんの通り。
    枯れ枝の向こうには雪を冠った白い山が見えますが、ズームレンズ
    がないので鮮明に撮れるわけもなく、でも撮りたいのでややズーム。
    むなしいあがきをした写真でござる。

    そして、親分はこのとおり、元気です。



    PC不調なので、机にノートと辞書を広げ鉛筆で書く。
    頭の中の文章が手書きより早い、PCだと同時。
    いつもと違う感覚、ちょっと珍しくて楽しかったけど。
    でもPC依存はちょっと心配ではあります。
    紙とペン、そこへ戻りたい気もしたりします。
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何者じゃ! セーフ!

2008-11-27 10:03:58 | Weblog

     少年が家の前に立っていると、向こうから大学生が歩いてきた。
     学ランに角帽の大柄な学生だ。脇下に長い木刀をはさんでいる。
     そして、少年の前までくるとやおら
     「なにものじゃー」と言うではないか。
     少年は、ちょっと驚いた。
     それだけ言うと、うむ、笑うような笑わないような顔をして
     学生は来たときと同じ大股で去って行った。
     なんだ、あれ? なんか変。
     少年はその後ろ姿をしばし呆然と見送った。



     ある日のこと、少年が家の前に立っていると、向こうから
     大学生がやってくるのが見えた。前とは別の男だ。
     ちょっと身構えたが、今度の学生は木刀は持っていない。
     少年の前に来ると立ち止まり、突然、「セーフ」と言った。
     両手を広げ、審判のするあの格好である。
     油断した少年は、なにがセーフなのか、わからないまま
     あまりの言葉に驚いた。が、ま、セーフでよかった。
     学生は歩いて行った。

     なんか変、おかしかった。

     また別な日、学生は近づいてきて「アウト」と言った。
     半笑いである。
     でもセーフで免疫があるので、今度は飛び下がったりしない。

     少年は家庭教師に来ていた親戚のお兄さんに尋ねることにした。
     あの学生たちと同じ大学に通っているからである。
     ねえ、大学に変な人いる?
     どんな?
     木刀を腰にさしてる人。
     ああ、いるね、いるよ。どうして?
     いや別に。 セーフって言う人もいるの?
     セーフ? なにそれ?
     いや別に。
     木刀さしてるヤツ、変わってるよ、見たのか?
     うん、何者じゃって言われた。
     ああ、あいつだな。いるね、ときどきみかける。

     少年は、納得した。
     大学生にも変な人はいる。オトナも、けっこう変なのだ。



     昔、大学生にからかわれていた少年は長じて、
     いっしょうけんめい話をするうさこをからかう。
     真剣な顔をすればするほど、目の前に人差し指をじーっと持ってきたり
     して、笑う。意味などなにもない。

     真面目に話を聞いていると、オチはとんでもない冗談だったりする。
     力が抜けて、ちょっと、楽。

     数々おちょくられて、要注意とさとったうさこは、気をつけている。
     気をつけようとするこちらを見て、ほくそえんでる変な人である。
     突然、セーフとか言って両手を広げられたときは驚いた。
      なんだかな~と聞いてみると、先の話だった。
      可笑しい。
      少年の日、自分が驚いた以上にうさこが飛び上がるのをみて
      さぞかし、うれしかったろう。へへへ。違うのはうさこは少年の歳より
      ずいぶんいってたってことだが。ま、いいか、心は少年。
     
     「何者じゃ」って立ち止まった大学生の直感は冴えていたかも。
     数十年後、たくさんの人がオトナになった少年に助けてもらったり
     教えられたりして、「セーフ」だ。

     うさこは、「アウト」って言われないよう努めているけれど、
     ドジってばかりで、そのたびに、ねずみ師は「セーフ」とからかい
     かくして、うさこは落ち込む手前で立ち直る。
     
     深刻な顔をした人が帰るときは決まって明るい顔をして出て行く。
     ユーモアは柔軟体操みたいだ。
     ねずみ師は、変なひと、である。
     
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主役はどっちだ

2008-11-26 17:06:12 | Weblog
    ガンミ! マジっす。
    集中力勝負なのだ。



    親分が主役か、それともパンの切れ端を手に
    したN君が主役なのか。
    この場合、どちらもおのれを主役と思っている。
    「はよ、くれよ」と親分の眼に力がこもる。
    「ちょいまち、待てば海路の日よりあり、いい子だ」と
    頭を使っている感じ?のN君。   



    どうだい? うまいだろ?と
    N君得意の上から目線で。
    へ、たったこんだけ? と力が抜ける親分。

    自己中二人芝居はすぐに幕。
    誰しもおのれが主役の舞台、人生は劇のようなもの。


    

    端役でよござんす、いえ、通行人でよござんす。
    いえいえ、死んだり生きたりなんどでも登場する
    エキストラが一番でがんす、なんちゃって。

    全身これ眼、うまいものがあるなら主役はります。
    それがおいらの生きる道。
    無心、これ極意っす。

   

   
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冬のあいさつ

2008-11-25 01:00:05 | Weblog
    さっきまで射していた陽は、すぐに雲に隠れて‥‥
    地上は暗みのなか。



    光に温もりがあることが、よくわかる。
    陰ってしまえば、冷え冷えとして。



    遠方にのぞむ山々、白い点々が消えぬうちに
    すぐやってくる黒雲軍団。
    晴れているはずの空から、ときおり舞い降りるひらひら。
    軍団からの白い挨拶状だ。

    外に立って、出迎える。
    気分だけはひらひらで、少し凍えて立っている。
    ヒトミシリな雪に手を伸べて。    
    
    

   
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ラッキーではないマンデー

2008-11-24 14:31:32 | Weblog
   勤労感謝の日、祝日と日曜日が重なったのでおまけしてもらった
   ラッキーな月曜日となってしまった連休、昨日はただの日曜ではなく
   新嘗祭を行う日でした。
   いまやただの休日となって日本全国津々浦々、行楽客が大移動中のもよう。
   夕方の幹線道路、高層道路は渋滞必至、それでもおでかけするんだな。
   それは働き過ぎを労うため、つまりふだん勤労してるからね、と勝手な
   解釈をしている人はオオマチガイです。いるか? そんなの‥‥

   新嘗祭では民主主義の新憲法に反すると考えて、どうにかひねり出した
   勤労感謝って名称なんでしょうね。でも本来は、五穀の豊穣、収穫を
   天地の神々に感謝する日だったわけで、自分にご苦労さんの日ではない。
   ずるずるすべって外してます。時代とともに入れ替わって、本来の意味など
   消えていくのでしょう。

   知ったかぶりするわけではないよ。
   新嘗祭ニイナメサイって打ち込めば、ぱっとウィキペディアとかで意味を
   知れるネット社会。誰でもかる~くは知っていて、知ったつもりです。
   だから、知ったかぶりするわけではないよ。(二度言ったねえ)

   先代旧事本紀七十二巻本の第五巻は、神祇本紀。
   天照太神とスサノオの争いの話を中心にその周辺の神ハタラキも含めて語ら
   れていて、旧事の第二の核にあたる巻です。
   その中に地食保媛神(くにつみけもちひめのかみ)が登場します。
   これが新嘗祭の主神、五穀豊穣をつかさどる神。
   え~っとあの、白狐さまですね。化けてますね、化けるには理由があって
   その理由が神祇本紀に語られています。

   「山城國の飯成山にまします、大神は天下の狐を使いて富をつかさどり
    よく災いを祓い、邪魔者を伏しておさめるなり。」
   ということで、それを秦氏が祀ったのが伏見稲荷の起源です。

   山城國というのは京都府南部地域にあたります。
   その山城の國造(くにつくり、くにのみやつこ)は、
   「天八意命(あめのやごころのみこと)の孫 天星照命(あめのほてるの
   みこと)をもって国造とさだめたまう。天照太神は民をおさめる法を
   天思兼命にさずけ、今、天星照命に代々の王師(ひじり)として奉るなり」
   と書かれているのは、とても興味深いことです。

   天思兼命 →→ 天八意命 →→ 天星照命 とつながるハタラキの國に
   五穀豊穣をつかさどる神が白狐さまとして降り立った。
   秋、一年分の人々の命を養う五穀が実り、もろもろの富は五穀に育まれる命
   あってのこと。よって人は豊かな恵みに感謝することから始まらねばならない
   となり、ここから全国にお狐さまが飛び散って大小の稲荷神社が見張り番
   をして感謝せよ、励めよ、ひいては商売繁盛、家内安全と伝わってきたわけですね。
   神のハタラキが一番人に近い形でハタライて結果が目に見える形となるのが
   五穀豊穣、末端の神ハタラキのお稲荷さん。
   人の世にとって、ニイナメサイは大変重要な神事、原点のお祭りなんです。
   「おいらやあたいもよく働いたわよ」って言い分もあるでしょうが、
   働かせていただいいてありがとうございます、ってほうが正しいでしょうね。

   エコエコってエコ流行の今日び、こういうことを知っておくと
   循環する環境の中の人間という位置づけも、よくわかるのではないかと
   思ううさこであります。


       すこしだけ新境地、来年の収穫を祈って準備中、Nつよし君‥

   追記:
   新嘗祭などの神事の意味を薄くしたのは最近のことではありません。
   大化の改新(646)の時代には国造制度も廃止していったのだから、
   古代からの神事の意味が薄れ同時に感謝もうすれ、神事抜きの政治に
   変えてはや1300余年がたちました。
   政教分離で、文化の根っこがわからなくなって、意味が消えて、形だけ
   残って、意味も変えられてしまうので、なにがなんだかわかんない、
   こんなのつまんない、となってうもれていった古神道の世界。
   古事記日本書紀を読んでもピンとくるでもないし、形骸化はなはだし。
   形を消して精神をのこせばよかったのにね。その逆をやってきたわけで
   残ったのは勘違いの右翼的神社参りや商売繁盛の神社詣でばかり。
   神道の世界と無関係ですから、あんラッキーマンデー、おつかれさんです。

   

      

   
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だーりん、らぶゆー

2008-11-23 09:59:48 | Weblog
サブタイトルはひらがなであいらぶゆう、です。
   ・・・だーりん、だけでもいいのです。

   言葉にしないとわからないの! という台詞は
   映画やドラマの中のことであります。
   それをそのまま鵜呑みにしたりカブレタリした人が
   「わかんないのお!」と主張したりしますね。
   わからないなら、わかるまでじっとみつめよう日本人、
   それがひらがなであいらぶゆうの世界なのですね。

   しみじみする横顔。
   そう思うのはうさこだけでしょうか~。
   この眼が好きなのです、物言う眼。

   だーりん、べいびー、ぷーちゃんと呼ばれてこの十年間。
   ふたりの間は縮まる一方です。
   わからないということはありません。

   それはだーりんがむやみに言葉を使わないから。
   態度(眼と動作)で示してくれて、それをこっちが察するからです。
   惻隠の情という言葉もあるな、それそれ。

   それに、なにせ我慢強いわけです。
   だーりんが犬であってくれて、ほんとうによかった。
   犬族でなければ、うさこを信じてじっと待ってくれたり
   しないと思います。



   うさこの味方は犬やねずみ、最近は子分の多いやまざるさん
   ともお近づきになったりしたので(ブログのおかげ)
   森のなかでも心強いし、あちらふうにいうと
   「愛にあふれてます」
   ここは草衣の心が好きなものたちには楽園です。

   
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雪 こんなんでした

2008-11-22 16:36:51 | Weblog

   びくびくしながら森へ戻ったのですが、
   不安だった道路の凍結も、水道管破裂もなく
   ほっとしたのでした。

   ほっとしたというのは、じつのところは
   すごーーーーーーーーーーく力が抜けて
   急にお腹がすいてきたなあと思うくらい
   安心した具合なのでした。
   備えあれば憂いなしの、まったく反対であります。
   急な雪にうろたえまくりで冬を迎えたわけです。

   夜になったらちらちらと舞いはじめた雪、
   明日は晴れの予報なのになあ、やっぱりここでは
   降らないってことがないんだなあと思い出します。

   で、一夜明けて、朝から窓の外をたしかめると
   モノトーンの世界がありました。



   パウダーシュガーをまぶしたチョコケーキみたいな
   庭の石。
   座禅をするためにも置いたはずの石だが、発想は
   このとおり極めつけの俗臭。
   言い訳をさせておくんなせえ、だって先週はずっと
   ずっと腹立たしいこと続きで未熟者としては妄想スイーツで
   逃避してるわけですよ。 
   
   明日は、うちのダーリンのどアップでいきます(うふ)

   
   
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雪、妄想と現実

2008-11-20 04:58:29 | Weblog
  いくら降ってもおいらは、たのしい。      



   07年12月16日の風景。

   なにもかも凍りつくので、帰る前から妄想中、不安であります。
   でかける前にはまだ秋だったので、用意が足りなかった。
   東京も冷たい風で、凍る森のことを思って二重に寒い。

   明日帰れば、はっきりする。無事、帰れればの話だけど。
   今年の始めはスリップ事故から始まったから、ドキドキである。

   新しい雪を撮ったら報告します。
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ひやひや、雪は早いよ

2008-11-19 08:25:16 | Weblog
    まだ木立に葉が残っている。けれど、日本海側では雪らしいし、
    高地では雪の予報が‥。心配なのでネットで明日の予報を調べたら
    晴れとのこと。テレビのニュースと違うなあ‥。
    三年前は枯れ葉の上に雪が降って、すこしも美しくなかった。
    茶けた地面に白がまばら、周りは茶色の葉をつけたままの木立で
    ただただ寂しく貧しい風景になってしまうのである。
    おまけに、早すぎた後はしばらく降らないので、木枯らしが寒いだけ。

    ここの暮らしで冬も楽しいのは、雪があるからなのだが
    いつどのくらい降るか、重要なのであーる。   


                 (すすきもまだこんなんである)

    だから、ひやひやして案じている。
    夜空には、星。

    親分はすでにグーグー、です。
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完全燃焼、紅葉

2008-11-18 09:26:55 | Weblog

    北西へ伸びる道に沿って奥へつづく敷地の中を歩くと、
    もっとも奥の小川のへりに、紅く染まった木がありました。
    最後の一本、まだあったのね!
    ということで持っていたケータイで即撮りました。(14日)

    紅葉(もみじ)というのは楓のことだと思いますが、

    書物によれば、楓は。
    カエデ科の落葉高木約26種。
    はっぱが手のひら状で、紅く染まる。
    なかには裂け目のない葉や紅葉しない種類もある。
    イロハモミジ、ヤマモミジなどあるが、実はモミジと名のつく楓は
    少ない。○○カエデが主流。
    用途は細工物や器具、火鉢(古木は空洞になるから)など。
     蘊蓄はさておき、完全燃焼のこの赤い色、しばらくため息です。

    枝の下のほうはまだ色づきの途中で、黄色から紅へのグラデーションが
    陽を受けて波打っています。
    寒暖の差と、日中の光と、そして秋の雨。穏やかな陽ざしが少なくなる
    日に、それまでの厳しい日を乗り越えた完全燃焼の姿を見せます。

    翌日には低気圧で強くなった風に、おおかたの葉が舞い散り、数日後には
    すっかり寂びた茶色に変わっていくのです。
    木の立つ姿は、見事です。
    だらだらと生きていない。



    カエデの古語は「かえるで」、蛙の手の意味。
    もみじとは、元々は葉が変色することをさす動詞でした。
    「もみつ、もみつる」など。
    楓がいちばんきれいに紅く染まるので、しだいにもみじと言えば
    紅葉と漢字をあて、楓の別名となったのは平安期くらいから。
    そしてまた秋の象徴として定着したようですね。

    「もみじと楓は違うよね」と言う声がたまにあるけれども‥‥。
    

    万葉集ではもみじに黄葉の字をあてていたなどとは、学校でも
    教えていないですからね、しかたない。
    「もみつ、もみぢ」ではなくて「もみじ」と書いてしまうと
    色づくことをさしていう古語の意味がわからなくなり、
    さらに一番色のキレイな楓にもみじを代表させ紅葉(もみじ)と
    宛てたのです。
    もみじは、秋に木の葉が色づくことという本来の意味ではなくなり
    木の名前だと思われるようになったのです。

    そこで、カエデとモミジは別だと思いがちで、
    「紅葉狩り」に行き、楓をみてモミジ~キレイ~と言ってます。
    カエデもキレイ~、と脇から声があるかもしれませんが。
    
    日本語はだいたい、こんなかんじでおおざっぱ~に変わってきたし、
    変わりつつあるね。
    渋谷センター街でしゃがんだりタムロったりしてる人の言葉が
    いまいち通じなくても、まったくわかんなくてもしょうがない。
    
    日本語とは風景を読む言語、近頃の省略されてる若者語では
    なにを見ても、キレイ~とか、ヤバ、とか繰り返すだけで
    すこぶる簡単な感嘆。味けないことです。
    表現したいことをいい足りないと、身体で求めたりぶつけたり
    して感じるしかなくなるのです。
    寡黙に感じることに耐えられる人は、稀なのですね。
 
     この山の黄色(もみち)の下の花を我れ
       はつはつに見て なほ恋ひにけり
                    (万葉集巻七)

    紅葉狩りにきて、そこにいた若い女性にひとめ惚れ、忘れがたくて歌に
    したのか、その場で詠んだのか、それとも妄想中か‥アヤシい歌なり。

    ヤバ、ヤバって、真っ赤な完全燃焼の前で繰り返し言う彼女(彼)にも
    歌こころは、あると思います。

    
     

 

    

    
    
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なにゆえに君はここに

2008-11-17 00:54:05 | Weblog
     ちわー(ミャー)
     ハイハイ、シマコちゃん、いらっしゃーい。



     ご飯を食べにきたのに、どうしてあっち向いてるのか。



     みんみんミルクもちょっといただいて、ご飯もちょっと食べて
     でもまだ帰らない。

     シマコはずっと縁側でくつろいでいました。
     そんな日は初めてではないのですが、それにしても長居!
     くつろぐ犬サマはいつも見ていますが、猫のしなだれる寝姿なぞ
     めったに見たことないのでおもしろかったのですが。

     夜になって、現れたのは大きな子猫。
     そうです、下の写真の子と同じ柄の猫が縁側へ近づいてきました。
     並んだ顔はそっくりで、どうみてもシマコの子。
     でも身体も顔も一回り大きい、シマコは首周りが細いけど
     子の方は首も太く身体もずんぐりしています。
     ほぼ白い毛に薄いグレーが乗っていて、とてもきれいな子!



     推定2歳ちょっと前くらいでしょう。こんなに小さかったのに、
     大きくなって、やっと顔見世です。
     長居の理由は、子猫に縁側ごはんの食べ方を教えるためのようでした。
     (ふだんから物置で食べてはいたのでしょう)

 
    
     シマコもはじめはおそるおそる来ていたのですが、ある日、
     母猫のミャーちゃんと縁側で一緒になってから、安心して
     くるようになったのでした。
     親に教わっていくんですね。
     シマコはねずみ師にしょっちゅう甘えてますが、母親も
     ちゃんとやってるってことにちょっと感動。
     感動っていうと薄い感じがするのですが、とても楽しい時間を
     過ごさせてもらいました。

     ねずみ師はやれやれ、と言っておりましたが。
     

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意識のながれ

2008-11-15 09:54:21 | Weblog
       夕暮れの川べり(先週の紅葉、ほぼ散りました)

   無為空莫とはいえども、夢うつつにも意識のながれを
   感じる日々……。
   書くことは、流れを元に戻して大海へといざなうことで
   あるよ。
   そうすれば、夢もみなくなる。
   浅い眠りを繰り返さなくなる。

   と、思うのである。



   都心の仕事場の近所にヨガスタジオがオープンした。
   有名人の名札がつけられた花輪がいくつも置かれていて
   何屋さん? と思って通っていたら、ヨガスタジオだったと
   数日前に知った。
   でも不盛況のようである、なんだか。
   入り口前におかれた箱の中の携帯ティッシュペーパーには
   半額割引券がはさんであり、持ち帰り自由とあった。
   持ち帰った。

   富士山岩盤浴らしい。
   富士山というネーミングは誰でも使えるのか、登録商標には
   ならないのだろうなあ。
   富士山は、効果一発という感じのインパクトである。
   でもそのあったかい床のあるスタジオで、熱されながら
   ヨガをするというのは、しんどい。
   いや、半額券で見に行ったわけではないので、ほんとうの
   ところはわからない。

   あったかい床と想像するだけで、いまのわたしは眠くなる。
   それだけである。
   浅い眠りから深い眠りへ、憧れである。

   意識は流れつづけるので、寝ていても眠らない。
   目覚めて、続きを考える。
   さっきまで明確だった考えは、目覚めると他の神経に邪魔
   されてぼやけてくる。
   おぼろな輪郭をたどり、なんとか糸をたどって続けようと
   試みる。
   枕元のメモ帳に、意識のながれをそのまま、とあった。

   ヴァージニア・ウルフだなあ、それは。
   しかし、川のそばに住んでいても入水はすまい。
   川は、秋になって水かさが減り、落ちるとたぶん
   痛いだけである。
   冷たくて、ひえーっと叫ぶのがオチである。
   
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爆走シリーズ

2008-11-14 15:47:15 | Weblog




  元航空自衛隊幕僚長ですか、田母神というおっさんの
  国会での答弁を聞いて一言。
  「バイク乗って走ってる特攻と変わらんなー」

  「え、どういうことですか?」

  「質問者の話の合間に、首をこう縦にいちいち振るね、
   あれは、オス、オス、オスっていうアレと同じだろ、
   たぶんそう見えてるよ」

  「ああ、軍隊式ですか」

  「いや、暴走族だろ。あれもウィッス、ウィッス、っていちいち
   いうだろ? 空を飛ぶか単車で走り回るかのちがい」

  「ああ、戦闘機乗ってるか、特攻服揃えて原付改造バイクかの
   違いですね、走ってやたら喧嘩したがるものね。」

  「目立ちたがるとこが、同じだよ」 

   これ、文字にするとあまり可笑しくないけど、
   会話しているときは爆笑でした。

   親分も本日は青空の下、爆走し顔が揺れている。
   犬同士より、人とじゃれあうのが好きな「ぼくぼくタイプ」
   でも自己中じゃないから、○。
   
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松江のお菓子 路芝

2008-11-13 09:52:00 | Weblog
     松江銘菓「路芝(みちしば)」どすえ
       (松江弁はわからないので、京都弁で)。
        白胡麻が効いててほんのり甘うておいしいえ。
    
   松江(島根県)の喫茶店では、コーヒーより抹茶とお菓子が定番だそうな。
   というのは本当かどうか、行って見てきたわけではないのでわかりませんが
   お茶が盛んであるのは本当のようです。

   不昧公という号を持つお茶好き藩主、松平治郷の遺産は茶室や
   茶器よりも、お菓子と茶をたしなむ習慣ではないでしょうか。
   茶室や器は一般ピープルは触れることはできないもの、
   けれどお菓子は手軽に味わうことができるでしょ。
   お茶席に菓子はなくてはならないものですが、美味しいお菓子が
   他所から取り寄せというのでは味気ない茶になってしまいます。
   不昧公は茶で財政を圧迫したという説もあるけれど、徳川時代に生きた武士や
   京の公家は、今からは想像もできない息苦しさだったことだろうと思います。
   茶道は単なる道楽にしてできるものでもありません。

   松江に行ったら宍道湖を見て、風流堂によって、「山川」という不昧公好みの
   お菓子と、この路芝をいただいて、お抹茶を。
   えーっと、いつもの地図をみながら行ったつもり旅。
   日本海の潮風はもう寒いだろうなあ。

   このおみやげは、茶道師範で松江に通っているストーン女史から。
   甘味を抑えたお菓子を選んだのは、糖尿病を恐れる大甘党への配慮か?  
   全部食べれば同じこと?
   いえ、お皿に乗せた分は撮影用、一つしかいただきませんって。
   ほんとに、おいしゅうございますねー。
   お茶を煎れる前に消えてしまいます。
   うーむ、もひとついいか。

   

   うさこは親分と戯れるねずみ師にお茶を教えていただきました。
   茶室へたまには入ります。
   想風流はちょい厳しく、ほぼ楽しです。
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きへん

2008-11-12 15:25:08 | Weblog
   きへんって言っても気変ではありません、
   部首の木へんのことであります。
   木のつく漢字、読めないのがたくさんあって
   漢和辞典を取り出しています。
   木へんのあまりの多さに驚き、気変と打ち込みたく。

   木の写真なのですぐわかる? 木篇です、はい。
   駄洒落を言ってみたい今日この頃なのです。
   誰かさんの影響です。
   誰かと誰かと誰かさんです。(当事者はおもいあたるでしょ)
   
   気変は大変です、が、気をとりなおせば平気です。
   平らはいやだ、とんがって、できれば目立っていたい
   という人が多いからか、気変で大変になる人も増える
   のでしょうか。平らがいいよと、言ってあげたい。

   気変増加のせいか昨今、臨床心理士の仕事が大流行のようで
   にわかに学部学科を新設する大学があちこちありますね。
   そこへどどどっと志願者が行けば、十年後は…
   横丁曲がれば臨床心理士というくらい増えるかもしれません。
   青山界隈裏通りの、軒並み美容室というのと同じ。
   激戦区にさらに新しい店が出き、増える一方なのに、
   以前からあったところもそのまま営業中、需要あるようです。
   美容室と臨床心理士は不景気にも強し、か?



   脱線しましたので、モトイ。
   木へんの漢字です。木の名前になっているものだけでも
   すらすらと読みたいと思っています。
   木にまつわる話、木が出てくる話を読んでいるとき
   読めずにひっかかってしまうのが情けないので。

   杉は誰でも読めるでしょうね、花粉症のせいか?
   松、桐、柿、梅、桜、柳、柚、柏、椿なども初級かな。
   よくみかけるし苗字にあるからわかりやすい。
   ああ、桃ももちろん。

   檜ひのき、樫かし、橡くぬぎ、椚くぬぎ、樅もみ、
   楢なら、楡にれ、楓かえで、欅けやき、椴とどまつ、
   槙まき、樺かば、楠くすのき、樟くすのき、橘たちばな、
   檀まゆみ、櫨はぜ もっとありそうです。
   くぬぎというだけでも三つありました。
   この木を加工し材になったものに、また呼び名があり、
   樵きこりなど、山仕事をする人を尊敬します。

   山仕事の歌人、前登志夫の本がこのところいつも机上に
   あるので木になるのですよ。うふふふ。

   日本は森と水の国、気鬱のときは木を見たり
   水辺に行ったりして、その音色を聴くといい。
   行き過ぎて変になれば、それはそれで歌が涌いてこようと
   いうもので、人しかいない場所というのは人にとって
   不自然ではなかろうか、と思うのであります。
   
   


   
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