想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

きれいな土の上の幸福

2012-07-24 11:09:25 | Weblog
おチビちゃん、もう一匹いました、黒!
うちの親分も黒だし、みんな黒。でかした江戸ちゃん。
黒猫が好きなの、どうしてわかったのー、と言って江戸ちゃん
をゴシゴシと撫でました。
森に時々表われる雄の黒猫がいるので、ヤツが父ちゃんだね。



チビが揃ってこっちを向かないのであります。
すごい早足で、目が合うとぴゅーっと逃げます。
一家が寛いでいる土はこの前入れ替えたばかり、きれいな土。
よかった、よかった。除染は人間のためだけではないのね。

でも、そこばかりで遊ぶので、動物的カンと言うのでしょうか、
身体にいいところを選んでいるじゃないか、なんて思います。
地上のいきもので、人が一番鈍感になってしまった‥という事?

いまだに放射能が大丈夫、ただちに問題はないから食べて応援
とか、福島のさかな~とか宣伝しています。
食べたいのはヤマヤマですが、検査しているのか?検出した数値
を公表して陳列すべきなのですが、そんなことはしないわけで
しないものは怪しいと思われてしまっても仕方のないこと。
出ているから大丈夫だろう、の「だろう」は原発の安全神話と
同じ話ですね。

厳密に言えばキリがない、そのキリがないような状態を作った
のは誰か? というところまで考えなければならない現在です。
電力会社の虚偽報告とそれを容認した政府、それだけではなく
監視をおこたった私たち全員の罪ではないか、そう思います。
いたいけな子どもたちから、「子ども時代の楽しみ」を奪って
しまいました。
夏のお日様の下で深呼吸ができない、川遊びもプールも大人が
するしないで争っていて、子どもは遊ぶのが本分なのに。
暑い最中にマスクをして胸に線量計の幼児や、ベールで被った
赤ん坊を見ていると、母親の切ない気持ちはいかばかりかと。

江戸ちゃんは、カメに守られてよかったね。
そこから遠くへ行っちゃダメだよ、と何度も言って聞かせ、
フンニャフンニャと返ってくる声がすごく甘えて、当分の間
野良を返上のようです、母は何にでも変身して子を守ります。

さて、次の日曜日29日の国会包囲網デモはキャンドルナイト
と告知がありましたが、火気厳禁のようなのでペンライト
持参で集合しますか?
あいにく都心にいないのでとても残念ですが、友人たちが
たくさんかけつけてくれるので、森の中から気合いを送ります。

新しいプラカードを制作中。





















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愛し子‥は黒です

2012-07-23 05:33:45 | Weblog
ガリガリに痩せた江戸ちゃんが夜更けの縁側にやってきた。
いつもの数倍、大きな声で挨拶して、ご飯をもらっても
目を合わせるたびになにやら鳴き訴えてくる。
なつかれて嬉しいわ、なんておひとよしな事を思っていたが
一夜明けて、理由がわかった。

庭の端の方、傾斜した地面を黒い小さなモノが転がるように
移動していく。その後を江戸がゆっくりと歩いている。
望遠レンズ越しに確かめたら、なんと、黒いのは子猫だった。
クルクル動いて江戸にまとわりついている。



レンズを移動させたら、コヤツがいた。
マツコデラックス、いやマツコドスコイであります。
物置きのご飯を独り占めしたか、ますますのドスコイぶり。
でも憎めないマツコ。呼べば立ち止まり振り向くのに人が
怖いらしい。縁側に置いたお皿を誰もいない(と思う)時
にがっつき貪る背中。でっかい背中にさびしさが滲んでいる
けんね、おばちゃんは知ってるよ。
さみしがりはほんとはやさしい。

しかし、今回の江戸ちゃんの痩せようは、あーたが全部
食べてしまったからじゃないの?
留守の間、物置に置いて行くご飯は三猫前はあるはずだけど
なぜに君だけがふくよかなのだろうか。

子猫写真、あとでアップします。



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国家の転覆ですかー?

2012-07-19 09:21:27 | Weblog
(渋谷公園通りのカフェで)

官邸前デモを「左翼団体が背後に隠れている、彼らの目的は
国家の転覆。気をつけた方がいい」と時事通信社解説委員が
テレビ番組に出演して言ったそうだ。視聴していないが
ネットニュースで知った。気をつけてと言われたのは
山本太郎氏。どんな反応をされたか、想像に難くない。

これに即座にツッコミを入れるのはカンタンである。
国家ってなんでんねん。
国家っていえばそりゃそうですわ、現政権に辞めろと言って
る、それが何が問題ですか?


(ここはパリではありません)

あーた達の言う国家って国民じゃないでしょう。
国民の総意と国土があって国家なんですけど、現在の
体制を国家というなら、体制そのものが間違った方向へ
行くのを止める、転んでひっくり返ってもらおう、つまり
転覆のどこが悪いんですか。
あーたも国民の一人でしょうが。

それとも、なんですか、あーたは原発推進したがってる
嘘つき電力会社と官僚、財界のヒモつきの政治家が国家の
主人とでも思ってるんですか。
そんなの時代錯誤ですよ、今は2012年、元号でいっても
平成の御代24年。議会制民主主義の日本です。
徳川三百年の江戸時代じゃないんですよ。

もひとつ、左翼っていえば悪、赤、そんなことを言って
権力に反対する運動を弾圧してきたのが大正から昭和の初期、
平時ではなく国が戦争おっぱじめている時代だった。
日本の左翼はテロが目的ではなく、庶民を見捨てる政治に
対して異議を唱える運動だったのだが、ソビエト社会主義や
中国共産党、毛沢東のイメージ、つまり赤、危険思想として
一般に植え付けてきた。
いまだに左翼が~とか言ってるオッサンは今日、くたびれて
なんにもしなくなっている左翼看板の団体を調べるべきである。
危険なのは善人面した大企業の方かと思いますが。
こんなことを言うアタシは左翼か?と言う、そういう思考
回路はお勉強不足です。そんなのがテレビには出る、そんなの
しかテレビは出さない、ということでもあります。

時事通信社いうたら新聞社を始めメディアにニュースを
配信する会社でしょう、そこが間違っててどうするんですか。

あ、時事通信社には正しい見解の記者さんもたくさん
おられますから個人の資質の問題かと思いますが。
朝っぱらから取り急ぎ、ぶっちゃけておきます。

本日はこれからベイビーを連れての病院へ鍼打ちに行ってきます。

〈おまけ〉
左、右、カンタンに使ってるけど、実はカンタンに分けて
はいけない。カンタンに分けて都合がいいのは反国民の
政治体制側である、ということを今度じっくりと書きます。
そして官邸前の集会は原発の再稼働を反対する抗議活動です。
再稼働一点に絞って抗議しているように見えても、その内に
諸問題を含んで集約しているのです。
集まっている人々はご存知のように、カフェで手を振ってる
ような人です。音頭とってるのはナイスで元気(体力的に)な
反原発活動を続けてきた集団ですが、一個の集団だけで運動
を持続することはできません。
共感し、共鳴することができる目的がそこにあるから人々が
集っている。それは左翼的活動なんかではなく、主権者の訴え
と言いますね、正しくは。
この訴えを聞かないと、次の総選挙ではボロ負けします。
この集会は憲法で認められた国民の権利ですから、つべこべ
いうなら逮捕してみろってんだってことです。
誰も逮捕などされない、平和な集会を、今は金曜だけでなく
水曜日の夕方にもやってます。


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たりないのは愛 in yoyogi7.16

2012-07-18 13:45:53 | Weblog
「でんきはたりてる、たりないのは愛」と胸にぜっけん。背中
にはNO NUKES どこの記者さんかな? こっち向いての声
が届いたようだ。カメラマンを撮るの図。

7.16代々木サッカー場のメインステージ前に報道陣が詰め
かけ向かって右手にカメラマンが陣取った。後方に座って
いる集会参加者の高い壁になってしまっていた。
参加者は黙っていなかった。
口ぐちに、怒号を飛ばした。

「報道しないくせにひっこめ」
「そこに立つな」「撮ったら下がれ」「見えないだろ」
「邪魔すんな」「いばってんじゃねーよ」「ひっこめ」
「役立たず、壁になんなよ、どけよー」
もっとヒドイ言葉も飛び交っていた。
一人のお父さんが立ち上がり、背を向けているカメラマンの肩を
叩いて何か言ったが、振り返りもしない。それに怒って二人目
も行こうとしていた。

主催者がアナウンスするまで報道陣は壁を崩そうとはしな
かった。自分だけは残ろうとするからだろう。
他の取材場所ではそれは当たり前のことで、我さきに陣取り
しないといい写真は撮れない。勝手知ったるのふるまいに、
人々はおとなしくはしていなかった。

そうこうして諍いの後、取材陣の波が少し納まったあと、ひとり
ふたりとまた戻ってきた。
そして、冒頭のぜっけんのカメラマン。他の人もメッセージの
ついたシャツなど着ている。装いを変えて表れ、仲間ですよと
いうことだろうか。
人々は今度は誰も何も言わなかった。

どけよ、の声に腕に巻いた○○放と書いた腕章を指さしてみせ
ても人々は黙らなかったが、愛がたりないには笑いが起きて
いた。指さし、あれ、あれ、あれみて、と言いクスクスと笑っていた。
ナイス、と叫んでいた。

深い悲しみが底をつきぬけ、激しい怒りになって表れていた。
この場所で人々が受入れられるのは、同じ気持ち、同じ目的
同じ意志を明らかにいている相手だけだった。





その意志が広い代々木公園を埋め尽くし、参加者17万人と
主催者から発表された。10万人集会と銘打って大きく上回り
喜びの声があがった。
夕刻のニュースでは6万とか7万とか、17万と正しく伝えた
ところはわずかで、マスコミの報道はこれまで通り正確には
ほど遠いものであったようだが。
最たるものがNHK、すぐそばで見え、聞こえていたはずだ。


(会場を見下ろしているように見えたNHK、権力の象徴のよう)

帰れ、どけ、と言われてもしかたのないことだ。
フリーランスのカメラマンや記者たちがいなかったら、日本中で
起きている激しい怒りの意思表示はそこにいない人には
伝わらない。それは恐ろしいことだ。
知らない、知らされない、隠ぺいが原発をここまで推し進めて
きたことを忘れてはならない。

金銭という見返り抜きに、圧力に屈せずに、走り回って伝えて
下さるジャーナリストに心から敬意を表したい。












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7/16 さようなら原発10万人集会 大江健三郎氏スピーチ

2012-07-17 00:04:55 | Weblog
7/16 さようなら原発10万人集会 大江健三郎氏スピーチ


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そんなの関係ねえ、ぜんぜん関係ねえ

2012-07-15 00:04:44 | Weblog

13日の官邸前抗議は警察の警備が強化されて地下鉄出口
が一カ所に規制され、国会議事堂周辺駅から徒歩で目的
の場所へ向かうことになっていました。
いったん地上にあがってデモに加わると、多数の人に埋
もれてしまって全体がどうなっているのか、その先で何
が起きているのか見えないのです。



そこで東京駅から友人をピックアップするとそのまま車で
霞ヶ関へ向かい、そのままグルグルと周辺を探索することに。
いつもは通れる車道もバリケードに阻まれて進入できません。
デモに向かう人が四方から歩いてきます。
手にプラカードを持ちリュックを背負って、足どり軽く
グングン歩いています。



国会議事堂前の第2ステージではいくつもの白い風船が
見えます。車で周回するたびに人が増えてブロックが
大きく膨らんでいきました。
国会前の大きな道路を挟んで角ごとに警官が多数立ち塞がり
行く手を阻んでいるのを車窓から見て悔しい思いと怒りが
こみあげてきました。

首相官邸前へ行こうと何度も試みましたが無理でした。

回を重ねる毎に増え続け、官邸前道路を圧倒した人々の群れ
を警察のバリケードはうまいこと分散させるのに成功した
ようです。
けれど、分散されても人々の心は一つです。別に固まって
なくてもかまやしません、そんなの関係ねえの小島よしお
でございます。
全国各地で同じようにデモが行われた夜、ぜんぜん関係ねえ
でまったくもって、わたしたちは引き下がりません。

16日月曜日は代々木公園でのさよなら原発10万人大会、13日
の過剰規制と抑圧は、人々の怒りを煽りました。
怒りは16日へのアクセルになるでしょう。
暴動や血の革命とは一線を画した、理性と心が突き動かす
抗議行動。紫陽花革命はまだまだ続きます。

議事堂前のブロックでは田中康夫議員が声をかけ、白い風船を
手渡して歩き「水の中のどじょうに聞こえるように声を出そう」
と言われました。
誰かが風船は集まった人の魂のようだと言っていました。
そして「ふるさと」を合唱する声が、警備する警官の胸にも
確かに響いたのではないかと思うのです。







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大地の声、草木の涙

2012-07-13 00:12:50 | Weblog

太古の人々は草木は語るものと伝えています。
詩人が作った話ではありませんよ、日本の古い文献の記述に
残っているのですなー。草木は大地の毛だと。
毛が焼けこげたら、どうなるか‥
泣いちゃうね‥痛い。

文献など見なくても、いつも一緒だかんね、わかってると
山里暮らしの爺婆は思ってる、理屈なんか知らんけどわかってる。



福島を始め東日本から熊本や大分へ避難移住した人がけっこう
いるようなのだ。(ツイート多し)
その熊本と大分の県境の竹田から阿蘇へかけて豪雨の災害
が発生した。阿蘇から熊本市街地へ流れる白川が氾濫した。
原生林の間を縫ってゆうゆうと流れる白川、おいしい水の
水源地でもある。

濁流で大木が押し流され、山土から流れ出した泥で道は塞がって
いる光景。長生きした年寄りも体験したことのない災害だろう。

友と連絡がとれず、夜になって家が被災したとメールが
返ってきた。生きてたかと安堵した。
家族は無事だったからと書いた彼は市役所職員で、災害対策
のために役所へ詰めている最中だという。
死者行方不明者の捜索が続いている。

自然に抱かれて暮らすというのを体感できる場所、阿蘇は
そういうところではなかろうか。
外輪山に囲まれカルデラの中央の五岳は日ごと違った顔を
見せる。雄大で、原初に近い風景が残った山は富士山とは
また別の大きさで人間を包み込んでくれる。父でもなく
母でもなく「祖先」といった風景。

友は阿蘇の草原保護の活動をしている。いい歳なのだが、
最年少らしい。草原の草は阿蘇では昔から循環型農業に
使われていた。赤牛を草で養い、牛糞は堆肥になり田畑の
栄養にされる。収穫後の稲わらは牛の寝床になる。
牛飼いが減り、農薬が使用されるようになって草刈りを
する農家が減り、草原は荒れてきた。再生し維持しようと
いう取組みは容易ではないけれど、新しい生き方に沿って
いる。使い捨てから循環型、共生への取組みだ。

昨年の3.11以後、何かを変えなければならないと気づいて
気づくだけでなく行動に移している人が増えた。
若い人が動きだした。
今夜は悲しい夜だけれど、阿蘇はまだ放射能に汚されたわけ
ではない、今年の稲はダメでも来年は作れる。
全部がダメになったわけじゃない。拾う神あり、だ。
フクシマを体験した今、心底そう思う。
フクシマは今、捨てられたままなのだから。

阿蘇で暮らしている人はあまりにのどかで隣の県、鹿児島に
ある九電川内原発の存在を知っていても知らんフリしている。
知らないで済ますのもそろそろやめよと、大地の声、樹々の
涙が降りそそぐ前に、動きださなければ‥‥声を挙げ続け。

今日はとても疲れました。
でも、だいじょうぶ。
新しい一歩を、一歩づつ。












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四万円くれるそうですが

2012-07-05 02:26:33 | Weblog
(庭の汚染土をきれな土と入れ替え中のところなのね、6月末に)

福島県南部、南会津地方の皆様へ、という封書が届きまして。
原発被害対策事業給付金をあげますから同意書にサインして
請求して下さい、ただし今年の12月10日までにしないと
もらえなくてもしかたないですよ、という内容であった。
妊婦さんでも子どもでもないうさこは4万円に該当します。
でも同意書というのがどうも気になりました。
東電相手に訴訟を起こしたりしても、コレ貰ってたらダメ的
にもとれなくもないような内容なのでありました。



庭の除染にいくらかかると思ってるんでしょうね。
それは関係ないです、これはだって、風評被害対策として
県内で地元のものを買っていただくためにバラまくんですよ、
とも書いてありますね。
風評被害対策としてうさこが貢献しているわけでもなく自主的に
地元産として愛してやまないのが柏屋薄皮饅頭ですよ。
ちゃんと食べてますよ、お土産にもしてますよ、安心ですから。
でも交付金の使い方はもっと他にあるのではないかと思います。
けっこう腹が立ちます。
お金は欲しいです、でも4万円請求すると、野田政権の政府と
東電に負けた気がしますから。
しません。

被害者として福島原発告訴団に加わりますから。




ボクもみんなが外に出て働いているので、縁側で見張ってます。

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紫陽花の乱!

2012-07-02 15:33:01 | Weblog
市民によるデモンストレーション(集団示威運動)ー紫陽花革命。
これからも続く。どんどん増えていく官邸前抗議行動。
政治に興味を抱く年頃になった時には安保闘争の灯火は
火種がくすぶる程度にしか残っていなかった。
だから学生と労働者がいっしょくたになってデモする光景は
映像と写真でしか知らない。何人なのかも知らなかった。

60年安保の頃学生だった知人のフォト・ジャーナリストが
日本には革命は起きないと言っていたのが忘れられなかった。
ずっとその言葉が頭の中にあって、ベトナムも安保も知って
いるその人の、経済成長に酔っぱらった日本人に対する忸怩
たる思いはそのまま、わたしの中に根付いていた。
紫陽花革命、この言葉を聞いてその人が今どう思っているか
聞いてみたい気がする。喜んでいるだろうか。



誰かが始めなければ変わることはない。
誰かが始めなければ、最初の一歩がなければ、最初の一人が
いなければ、何十万人はそこへ集うことはなかった。
けれども、官邸前へ出向き、最初に「再稼働反対、野田ヤメロ、
原発ハイロ」と叫んだ少数の人々は「我々が始めたのだ」
なんてことは言わない。「我々は~」と以前の革命家たちは
言ったものだ。革命家などいたかどうかは別として、デモの
シュプレヒコールと共に「われわれは~」があった昔と、
主語抜きの今のスタイル、私が望んでいたものはこれだった。

群衆の中の一粒、一粒に名前はない。名はいらないが主権は
要る。主権者たる意志を示しに、そこへ馳せ参じる。
そういう粒粒があつまって、18万になり、やがて30万にも
50万にもなっていくだろう。
なんども言うが、このデモの印象は「やさしい」だ。
集まっている人の胸中深くに怒りと憎しみがあるだろうに
表立って流れている波動はやさしさなのだ。



国家という大きすぎる敵を相手に独り呪い毒づいていた
人々が同じ思いの人々に出会う場所、それが官邸前だ。
連帯する気持ちが、やさしさを生んでいる。
人の命とふつうの暮らしを守ろう、子どもに負の遺産を
残さない未来をという思いは、大きなやさしさでなくて
何であろうか。
人間は捨てたもんじゃないと、教えてもらった。

紫陽花の季節の雨、しとしとと細かい糸のような雨が降り
止まない。この雨は人々の涙だ。
やがて梅雨開けの真夏が来ても、紫陽花の花は終わっても
紫陽花は枯れない。葉や茎があおあおと育ち、陽を浴びて
根を太くしていく。
そしてまたさらに大きな花をつけるために育つのだ。

一粒の「再稼働反対、原発やめろ」が週末毎に集い続ける。
官邸で「大きな音だね」と言った野田首相に音ではなく
人の心であることを知らしめる時はそう遠くないと思う。

今日は昨晩、福井大飯原発門前に身体を横たえ陣を張った
若者達をよくやった、ありがとうと、讃えたい。
あれだけまあ、よく踊ったぜぇと。
(おばちゃんも踊りたいのはヤマヤマだけど‥声担当で‥)

反原発デモは都内各所及び全国各地で行われている。
都内では「さよなら原発1000万人署名運動」
「首都圏反原発連合」「素人の乱」他、いくつものグループ
が互いに連帯しながら集会、デモを展開している。
都合がついたら参加しようから、都合をつけて参加するに
変える人が増えたら、この国も変わっていく。
テレビの伝えないことがこの国の真実だということを知れば、
メトロに乗ってでかけたくなるかもしれない。

空から見た紫陽花革命←クリックしてね




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もう一つのギリシア - Eleni Karaindrou

2012-07-01 00:47:02 | Weblog
The Weeping Meadow - Eleni Karaindrou


「旅芸人の記録」「シテール島への船出」など今も忘れえない
作品がある。映像の断片がふと脳裏をよぎる、何とはなしに。
なぜなのかは自分でもわからない。DVDはまだない時代で
日本公開時に映画館で観たのだった。
監督はギリシアのテオ・アンゲロプロスだ。

アンゲロプロス作品は曇天のほのぐらい、独特の映像とともに
その音楽が印象に残る。作曲家はエレニ・カラインドール。
上の曲は「エレニの旅」から。
今年初め、アンゲロプロスの突然の訃報に驚いた。
もっとたくさんの作品を観たかった。
DVD-BOXで過去の作品を繰り返しみるしかなくなったが、
テレビニュースに映し出される混迷のギリシアとは別の
情感深い内面が確かにそこにあるのだった。

その国に生きる人にとって歴史とは何なのだろうと思う。
人が実感できるのは、産まれて生き、死ぬまでの何十年かだ。
短いともいえる人生に、想像もしないところで歴史の大河が
重くのしかかってくる。
今、こうしてあることの発端が、自分のあずかり知らぬこと
で、幸も不幸もなく、ただつながっているのだということを
歴史は教えてくれる。だが、それはいつも後からのことで、
未然に知ることは難しい。不可能ではないが‥。

歴史に学ぶこと、などというが、人はあまり学ぼうとはしない。
予測は頭の中で行われるのだから、そこに己の都合が
入ってくる。今を満たされていると思う人は未来を案じたり
はしない。そのまま現状維持で行ける方向へ思考していく。

反原発デモを眺めて「ユルイね、あんなんで変わる?」
などと言ってしまう人が、「そりゃ誰でも反対っていうでしょ、
今はね。でもこの先どうするの日本。ただ反対って簡単
すぎない?」とか続けて言う。
彼らには今のことも実際、わかってはいないのだが…
自分だけには明るい未来があると信じているのだろう。
同じ国の中に違う歴史を見ている、おかしな話だが、自分が
正しいと思い込んで、彼岸から眺めている態度だ。
河はもっと上の方から流れているのがわかっていない。
そして、その大河の波に乗り、泳ぐ事を選んだ人だけが
歴史を感じることができるのだ。

絶望の縁に立った者しか、変革や革新などと思い浮かべない。
大河の流れを変える石、集まれば岩になる今はまだ小さな石。



アンゲロプロス作品の主な主人公はアレキサンダー大王を
除いて、中央ではなく隅に生きることを選ぶ人だ。
しょうがなくて隅に行くのではなく、選ぶ。
ギリシアはフィロソフィー起源の地であるのに、欧州の隅に
追いやられて久しい、あまりに長い歳月。
経済主導の思想がはびこって、ついに破綻などという烙印
を押されるまでになってしまった。
けれどもギリシアは今も偉大だと思うのだ。羨ましくもある。

このエレニ・カラインドールのサウンドトラックCDはギリシア
全国でヒットし、アンゲロプロスはギリシアの誇りである。
国亡ぶとは、文化が根絶やしになったときのことだ。
わたしの国はだいじょうぶか?
わたしの国?






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