四年ほど前の庭です。庭というのもナンなのですが…
この頃はまだ、枝下ろししていない木がたくさんあって、
奥の方に夕焼けにそまった空があるけど、木立に隠れて見えないのです。
燃やしているのは、木の根っこ。
大きな木の、しぶとい根です。遡ることさらに五年前に掘り起こしたもので
やっと燃えるくらいに枯れた。
今では少し庭園らしく形が整ってきたので
荒地みたい頃もあったのねえと懐かしんだり、納得したり。
樹木を間引きしないと森が死んでいく、日本のほとんどの山がそういう現状に
さらされているようです。
この森も長いあいだ放置されてきたから、木が密集し陽が射ささなかった。
年数のわりには太い木は少なく径30センチ前後で背丈だけ伸び放題でした。
代替エネルギー、脱炭素資材など、今では再び木材は注目され始めたね。
あれがだめならじゃあこっちという実用的発想。
こういう話は盛り上がるのも早いなあ…。
困ると必死になるってことですかね。
杉の一斉植林は、花粉症を増やしただけでなく鳥や生き物
の棲み処も奪いました。森にとってよくない環境は、生き物すべてに
いいわけがない。資源=環境=命ですね。
一つづつばらばらに考えるのではなく、エコも人も社会もみな同じで、
全体を見よ!であるな。 (全体主義っていうあの主義じゃないよ)
森の木と風、旧事を読み、歩き、じっと考えていて気づきます。
書物から多くを知るというけど、ではたくさん読む必要があるか?
そうも言えなくはないが、逆はない。
いくら多くを読んでも、肝心な大事なことへは行き着かないこともある。
気づけないこともある。
世の中、後者のほうが多い。近年はさらにズリズリ滑ってて、ほとんど末期症状。
東京で読み、考え、移動して考え、ここで書く。
木をみて頭のなかを整理する、するとわかってきます。
東京への移動中、それがふっと形になることもあります。
旧事紀に学びはじめて、たった20年かよでもあり、
もう20年もたったか、とも思う(なにせ飽き性なうさことしては)。
この重くて分厚い古伝書(七十二巻)を、早いとこそっくり頭の中へ刷り込みたいわ。
まだ登り坂途中。
今は跳ね回っているが、うさこもやがて婆さんになるだろうから、なおさらのこと
急ぎたい気持ちはある。
日々、決意し、日々だらだらである。
思索中‥‥でしょうか‥