想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

木に学ぶ

2008-06-05 09:23:16 | Weblog

  四年ほど前の庭です。庭というのもナンなのですが…
  この頃はまだ、枝下ろししていない木がたくさんあって、
  奥の方に夕焼けにそまった空があるけど、木立に隠れて見えないのです。
  燃やしているのは、木の根っこ。
  大きな木の、しぶとい根です。遡ることさらに五年前に掘り起こしたもので
  やっと燃えるくらいに枯れた。

  今では少し庭園らしく形が整ってきたので
  荒地みたい頃もあったのねえと懐かしんだり、納得したり。

  樹木を間引きしないと森が死んでいく、日本のほとんどの山がそういう現状に
  さらされているようです。
  この森も長いあいだ放置されてきたから、木が密集し陽が射ささなかった。
  年数のわりには太い木は少なく径30センチ前後で背丈だけ伸び放題でした。

  代替エネルギー、脱炭素資材など、今では再び木材は注目され始めたね。
  あれがだめならじゃあこっちという実用的発想。
  こういう話は盛り上がるのも早いなあ…。
  困ると必死になるってことですかね。

  杉の一斉植林は、花粉症を増やしただけでなく鳥や生き物
  の棲み処も奪いました。森にとってよくない環境は、生き物すべてに
  いいわけがない。資源=環境=命ですね。
  一つづつばらばらに考えるのではなく、エコも人も社会もみな同じで、
  全体を見よ!であるな。 (全体主義っていうあの主義じゃないよ)

  森の木と風、旧事を読み、歩き、じっと考えていて気づきます。

  書物から多くを知るというけど、ではたくさん読む必要があるか?
  そうも言えなくはないが、逆はない。
  いくら多くを読んでも、肝心な大事なことへは行き着かないこともある。
  気づけないこともある。
  世の中、後者のほうが多い。近年はさらにズリズリ滑ってて、ほとんど末期症状。

  東京で読み、考え、移動して考え、ここで書く。
  木をみて頭のなかを整理する、するとわかってきます。
  東京への移動中、それがふっと形になることもあります。

  旧事紀に学びはじめて、たった20年かよでもあり、
  もう20年もたったか、とも思う(なにせ飽き性なうさことしては)。
  この重くて分厚い古伝書(七十二巻)を、早いとこそっくり頭の中へ刷り込みたいわ。
  まだ登り坂途中。

  今は跳ね回っているが、うさこもやがて婆さんになるだろうから、なおさらのこと
  急ぎたい気持ちはある。

  日々、決意し、日々だらだらである。



  思索中‥‥でしょうか‥
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