想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

無農薬にんじんケーキは甘いです

2011-01-30 17:56:40 | Weblog
オイラの前にあるのはクッキーです、ケーキはまだ
もらえない、おあずけです。
いくらでも待てる、それがボク、いやオイラの特技だかんな。
根負けするのはおっかあの方である。



新潟の新米ファーマーのO君が作った人参10キロを送って
もらいました。主にジュース用にするので繊維滓が残ります。
ジューサーを新しくしたら、予想以上の滓が出て使い道を
色々と思案中なのですが、定番のパウンドケーキを作って
みたわけです。と言っても我流のテキトーケーキですから。

試作№1は普通に薄力粉を使い、予想外に美味しく出来て
びっくり。調子に乗って(すぐに乗ります)2号目を本日
薄力粉とそば粉の二種類で作りました。
レシピ通りだと無塩バターやグラニュー糖、卵を入れますが
卵以外はアレンジしてみました。

無塩バターではなくカロリーオフの普通のバターを10g、
(普通は薄力粉100gに対してバターも100gくらい)
そしてバターを減らした分だけバージンオリーブオイルを
大匙で1杯、糖分もグラニュー糖は10gにしてラカント糖で
補い、ベーキングパウダーを小匙3分の1、卵2個。
これを泡立て器でグルグルと混ぜて人参滓をテキトウに入れ、
(けっこうたっぷり入れました)粉気がなくなるくらいに混ぜ
合わせて準備オーケーです。
型へ入れて170℃オーブンで40分で焼きあがりました。



蕎麦粉の方でクッキーも焼いて親分におすそ分けしたら、
一口でパクッといく、もっと味わいなよと言っても、
もひとつくれよ、という顔であります。


けっこうおなかいっぱいになるので、食事用パン代わりに
なりそうです。
人様におすすめするようなもんはできないけど、おままごと
みたいでけっこう楽しかった。人参の甘みが滲みてしっとり
しています。寒さの中で甘みを増した人参です。

窓の外は雪まんまん、冷え込みもこの冬一番。
外に出る時間が減った分、台所仕事が気分転換にちょうど
いい具合です。
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ママもうやめて

2011-01-27 00:54:09 | Weblog

昼間陽が高いときは美しい。
しかし夕暮れてこの道を行くと、ドキドキする。


車中でこの方はおねんね、どこでも爆睡ワザですが、運転手はドキドキ。


スリップ事故からもう三度目の冬だからいいかげん忘れ、慣れても
いいんだけど、と自分でも思うし客観的に考えようとしている。
ドキドキすると、よけいドキドキするんだから。
ギアをセカンドからローにしてゆっくりと凍結路面をゆく。
でもここ↓よりマシだと思った。


(北海道苫小牧よりがくちゃんが送ってくれた写真)
ロシアみたな風景(行ったことないけど)でしょ?と書いてあった。
そうだね、

(彼の歌「母という名の人生」に出てくる苫小牧の海岸)
今週は苫小牧で歌ってるがくちゃんが、昼間の暇な時間に写メを送ってくる。
写真をばとリクエストしたのはわたしだが、見れば寒さが増すばかりの景色である。

で、現在部屋に流れるBGMは清志郎の「ママもうやめて」(アルバムGODより)
どうかしてるママが増える一方、止まらない。
十数年経って不気味な若者が増殖したからって、不思議でもなんでもない。
歌、次に変わって、G,O,Dと叫んでる清志郎の声。

そろそろ夜らしく気持ちを落ち着けたいので、フィリッパ・ジョルダーノの
歌声に変えて、オペラ「ノルマ」のアリア「清らかな女神」を。
月の神に祈る。



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詭弁と傲慢、厚顔

2011-01-25 10:39:13 | Weblog
(以下、先週の夜の走り書き)
カシコソウナなしゃべり方に要注意である。
よく聞いていないと正しいことを言ってるように聞こえ
はい、なんてうなづいてしまいそうになったりする。
なんか?な気が頭のスミっこにあるのを感じるんだけど
なんかが何かわからないので、んー、ま、いいかと流れる。

二重被爆者の山口さんを「世界一運の悪い男」と笑いの
対象にしたBBC放送の番組プロデューサーのコメントも
そういう典型的なものである。
「日本人がそういう(原爆)問題に敏感であることを
過少評価していた、申し訳ない」だと。
これは正しくはない上に傲慢である。
馬鹿にしている、とは思いたくない、相手がバカすぎて。

イギリス人である自分は原爆も被爆者のこともまじめに
考えたことなどないもんね、運が悪かったくらいにしか
思わないもんね、だもんでそんなに怒られるとはね、
日本人からさ、びっくりだもんね、想像以上だね。
これが本音であろう。
少しの反省もないコメントを言い換えただけである。
過少評価なんて余計に失礼極まりない。
上から目線な言い方をして謝罪になるか、バカ者だ。

メディアだけのことじゃなくて、日常にこういう話は
たくさんあって、本人は気づかないまましゃべりまくって
いるのだが、性格のワルサが露呈するんである。
見抜くための特徴をひとつ、まず、「いいと思う」とか
「悪いから」とか「それでいい」とかいうフレーズが
頻繁に使われ、いい悪いばかり言いたがるのである。

何が基準か不明なまま、いい悪いばかり言いつのる。
あなたのために、とかもいいやがる。
レーセイに聞いていると、それって結局自分の都合が
いいって話じゃないの? と気づくのだが、人のいい人は
それをツッコンで質したりしないので助長させる。
いい人ってだめな人でもあるね。

ちょい性格のねじれた人は黙って聞き受け流しているように
見えて実は書いたりする(うさこ、アンタもね)。
ただ聞き流す、なんてできる器ではないもんね。
黙ってても腹の底に重たい石が入ったみたいに怒りがこみ
あげて来るもんで…。

さらに例を挙げると、枝野新官房長は沖縄県知事仲井氏に言った。
「沖縄の基地負担軽減を真剣に取り組むが、これは基地
移転問題とリンクしない」ってさ、こりゃなんだ?
県知事は県外移設を公約に当選しているのは周知のことで沖縄の
本願である。軽減するんなら県外移転しなさいよ、日米合意通り
に進めることに変わりはないと補足するのは矛盾なのだ。

こんなことは誰にでもわかるのであるがシャーシャーとおしゃべり
になる、分厚い顔だ。
マイクの前で、カメラの前で証拠を残してしゃべる。
面の皮が厚いなんてもんじゃなくて、麻痺しているのである。
自分の都合のいい結論に導くための話をすることに夢中で
論旨が破綻していることに気づいていない。というか、
破綻を恥じない神経の鈍さ。議員バッジの魔力だろう。
弁護士バッジもしょっちゅうチラつかせたりのバッジ好きである。

詭弁と傲慢は毎日テレビでたれ流されてきたが、小泉政権で
市民権を得たと思ったか、あろうことか国民の期待を背負った新政権が
さらにそれを磐石のものにしつつある。興ざめである。
嘆きなど通り越した、悪党街道まっしぐらをもう1年見続けなんだから。

人生長く生きると色々な目に合うもんだと年寄りが言うのを
聞いて、ふーん、なんて思っていたが…本当にびっくりする。
しみじみと驚いている自分に驚く。
堕落していく政治を同時代に目のあたりにせねばならないのは
どう整理していいかわからない。
歴史で勉強するだけでじゅうぶんだったのにリアルだもの。

反面教師になるならいいが慣れ、諦め、麻痺させるのがメディアの
影響力の怖いところである。
バカもアホウもいい人も誰でもテレビには映る。
映ったものが刷りこまれていく。
見分けるには人に心が必要なんだけど、心は行方不明で
虚言と詭弁、約束不履行の詭弁、鉄面皮の傲慢が溢れている。
どうしたら、人があれほど人らしくなくなれるのか?



(一夜明けて)
BBCが英国日本大使館へ謝罪したという文面が若干変わっていた。
理解が足りなかった、そうな。過小評価と前日言っていたのが、
反省する主語が明確になっている。謝まり方を知らないわけでは
ないらしいし、翻訳ミスでもないらしいけど、原文はどうなのか
少し勘ぐってみたりする。
でももういい、もういい、オシマイ。

なぜならば、人間の世の中は根本的に悪である。
悪ではないなどと言うのも悪である。性善説など簡単に言っても
まやかしだ。(性の意味を考えよ、うまれでどころと訓むのだから)
ヒトは肉体を持ちそして悪を為す。そういう存在であることを、
もう否定はしないだけだ。
だから、グズグズと世の中の現実を愚痴って書くのは退屈だ。
だから、オシマイ。

で、かように「悪を認識するところに善が生まれ出る。
悪を悪と認識し善を行おうと志す。(それは希望と名づけられ)
そして悪の渦巻くなかにあって善を示していくだけである。
それは虚しさとの闘いで、孤独な道だ。
そもそも、生きることは苦行と知れば然りである。」


そしてまた、知る者はより深く喜びを感じ、顕われた尊さに気づく
こともあるだろう。真の喜びや楽しみとはそのことを指すのだ。
一日一日のなかに見いだすこともあろうし、歳月をかけねばならない
こともあるだろう。

「悪だ悪だ、世の中は結局悪まみれだ」とカメにこぼし、こぼして
ばかりだと申し訳ないので、ちょっと理屈をこねてみたらかように
(太字)最後にまとめていただきました。
で、枝野もKANもBBCも、遠くへ放り投げ、希望を取り戻しました。

(2月講義の日もたぶん雪でしょうね、駅まで迎えありますけん)










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愛ってなんね、それなんね。

2011-01-23 18:17:00 | Weblog
こどもにきかれました、はい。
アイ I 愛 相 哀。
文字を並べてみたところでアイってなんねは収まらない。
気のない返事で納得しない。

見返り求めず尽くすことだよ、とそばから言う人がいて
ミカエリってなんね、とまた子どもが聞く。
聞かれても、これあれと教えられない。
大人になったらわかるから。ウソを言ってもなあと内心
思っている。
ヤサシイことだよ、なんて言ったらそれなんね、とまた
聞いてくる。



そうだねーなんだろうねーと同調しつつ、ゴマカシに入る。
お父さんとお母さんに聞いてごらん、そう言ってしまう。
お父さんとお母さん、いないもん、と子どもが言い、場が
一瞬しらける。

いないなら君はどこから来たんだい?
かならずお父さんお母さんは誰にでもいるんだよ、
みーんないるんだよ。ゴリゴリと頭をなでる。猫のあごを
なでるみたいに頭を、髪の毛をゴリゴリ。力が入る。

あーはらへったー。おなかすいたー。
子どもはもう話など忘れ、出てきたお皿に箸を伸ばし、
肉団子をとり損ねて手で拾う。あ、と言うと、皿に戻したり…。
ヘヘヘ、と笑っていて、愛はどうした、と聞いてももう忘れた
ような顔をしている。
ほら、とお皿に取り分けてもらってパクパクと食べる。

いっぱい食べなさい、もっと食べなさい。

おなかいっぱいになって身体があったまったかい。
愛を食べたんだよ、君は。
毎日人は食べて生きてるんだよ、愛を。
ブツブツ言ってみたいが恥ずかしいから言わない。
言えば泡ぶくになって消えていくし、な。

愛してると言わないおっかあにオイラは毎日ひっついて
愛してるかと聞かないおっかあの寝息を毎晩確かめる。
オイラはどこから来たのか考えたこともないが、
おっかあが今目の前にいて、オイラの足の裏を拭く。
オイラの背中を撫でている。

世の中の決めごと、明日の都合の約束、もろもろの契約、
一切があてにならない。

それは目でも耳でも口でも頭の前のほうでも身体全体でもなく
もっと奥のほうでじんじんと伝わってきて、ずっと前から
自分のなかにあったもの。
言葉を捨てたとき、萌え出してくる。
生まれたときから誰もが持っている。



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雪と親分

2011-01-19 23:28:16 | Weblog
 ひゃっほーーー、行くぜーー、と気分は上々。



思うほど足進まず、なんでだ? ま、いいか、と雪を舐める。




ま、いいかが得意のこの方、長生きさせてもらってます。
結局、10メートルも走ってませーん、騒いだだけです。
ま、上々っす。




絶景かな、かなかな。
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別世界のよう

2011-01-17 23:36:30 | Weblog

      

地続きなのに、別世界。
数キロ下へ走ると俗世間が待ち受けているとはとても思えないわけで、
実際、この景色を見ているとすべてが遠くに思えてきて、内観的になれて
落ち着く。頭を通り越して、海馬も横切って、脳幹を貫いていくわけで。

カメが講義のとき、「古伝書で得られるものって、要は秘訣なんです、
物事をどう捉えるか、どう対処していくか、その秘訣がここにある、そういう
読み方、聞き方をしてもらえればと思ってるんですが」と言われた。

秘訣は行わないものには無縁であって、知識を入れるだけならいらない、
無用の長物になるのが秘訣。
机にかじりついているだけ、話しているだけ、聞いているだけなら
秘訣は死んでしまうのである。

話を聞いたり読んだりだけではわからないことに本当の意味があると
いうことではないだろうか。
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墨絵のよう

2011-01-17 22:57:01 | Weblog

大雪注意報が出てたなんて知らなかったぜ。
30センチ、除雪車が来てその後にさらに30センチ、よく降った。
いやまだ降ってる。
音を消してしまう雪を見ながら、「愛は高くつくからいいよ」という台詞を
考えたりしていた午後。

ただより高いモノはない、じゃなくて愛ほど高くつくものはない。
そりゃあ、そうに決まってる。青天井さ。
返す言葉はどうするか?

だったらもらいっぱなしにしといてよ、と言えばどうする?
借りは作りたくないぜ、と男。
貸し借りなんて水臭いこと言わないでさ、と相手。
水? 水じゃないよ、どっちかってえと石ころさ。

堅いこと言わないでさ、いいよ、じゃあつけとくよ。
ああ。倍にして返してやるさ。
うん、サンジュウバイくらいがいいなー。
ああ、高くつく、けどもらっといてやるから忘れんなよ。

うん、愛してるからね、ずっと、返しに戻っといで。

右と左に別れる影。
狸と狐の尾が二つ、夕暮れの雪の道。




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劇的変化

2011-01-16 11:04:12 | Weblog

一昨日の庭と今朝の庭。
雪がいつもの冬らしい嵩で積もりました。
風でびゅんびゅん。陽が射してきたのに吹雪みたいに舞い上がってます。
猫も雪見してます。
風の谷から中継しましたよん。
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フブキジロベ

2011-01-15 17:46:31 | Weblog
小沢議員秘書、事情聴取中に特捜検察官サマの声を録音したそうな。
誘導尋問だそうな。タイピンかポケットの中にレコーダーか?
まさかケータイで録音じゃないよな?
小型録音機器はありふれた形をしてどこにでも潜んでいる昨今の事。
場所が場所ならメッタなことは言えないんであるってのは常識。
検察官のエリート、特捜まで出世なさると口も驕ってうっかり?
それとも常々のやり方が露呈したまでのことだろうか、こっちの方
が近いかな、証拠改竄事件にも懲りないのか。
こういうことがもう珍しくもない話になっちゃってーの
ニッポンの日々……。

ごんごん吹雪いてます。
ときどき立ち止まってまっすぐ降ってます。
そのわりに積もらないと言われる。
それならばと、吹雪白平衛さんはぐるんぐるん渦巻いて。

ニュースでは家庭内暴力の息子を絞め殺した父の話。
息子は18歳で中学生の頃から精神疾患で暴れていたと
家族は説明していると続けるアナウンサーの声。

そんなんで何もわかんないがとにかく若者一人死んで、
息子殺しの親一人という話。ぺらペらな話。報道ではない。
悲しみはぐるんぐるん広がるのに、センセーショナルに
上っ面だけ垂れ流し。大事なことはお蔵入り。
そんな話を全国版でおせーてくれないほうがいいわって
スイッチを切る。時報代わりのニュースが今は害悪だから。



フブキジロベが出張して真っ白な世界へ。
イケイケ、フブキジロベ。
どこもかしこも白く塗りつぶせ。
雪解けの土の上に新しくまっさらで汚れなき命が芽吹くように。

新しき芽が日陰にならぬよう、春になったらそんとき祈ろう。

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母の愛

2011-01-11 00:54:19 | Weblog
おっかあーさーん、子どもの足には遠い田舎道を駆けてきたわたしは、あぜ道に
立って母を探した。親戚の田植えの手伝いに行った母に会いに来たのだった。
うつむいた姿勢で田の泥の中で立ち働いていた数人のうち一人、小柄な女が顔を
あげた。こっちこっちと手を振ってくれるまで、胸のなかでなんども大声をはり
あげて母を呼んでいた。実際には声にはだせず、ウッウッと泣きじゃくっていた
らしいが。

あの時わたしはまだ小学校に上がる前であった。人見知りが激しくて保育園にも
行かず、家で仕事をする父のそばで毎日遊んでいた。そしてある日父に叱られ、
ワーッと泣きながら家を飛び出して母を探しに行った。
その日の情景は、ある時は叱る父の声で、ある時はやさしく包んでくれた母の
腕の安心感として、大人になってからずっと、いい歳になった今に至るまで
よく思い出されるのである。



叱られたのは今も変わらないおっちょこちょいがもとであった。
近所の農家から買ってきた生みたての赤卵が笊に入れて板の間に置いてあった。
バタバタと走り回っていたわたしの片足がその笊の中に入った瞬間、父の怒声が
飛んだ。母のために父が買ってきた卵であった。
母は身体が弱い人であった。父はあれこれと薬を求め栄養のあるものを食べさせ
ようとしていた。その貴重な卵をふみ割ってしまったのだ。
その時のグシャッという感触と父の声に、とんでもない失敗をしでかしてしまったと
いうことが瞬時にわかった。そして、わたしは脱兎のごとく逃げたのである。
おかあさーん、と思ったことを覚えている。

母に連れられ後ろに隠れるように戻ってきたわたしを見て父は笑っていた。
母も、もう戻ったよ、と残り半日もあったはずの作業を切り上げてきたことを
笑いながら話していた。
あの日、父と母は珍しくおだやかだったこともよく記憶している。

こんなことを書いたのは、友人のお母さんが田舎から出てこられて子どもの心配
ばかり話されるのを聞いているからである。
子どもと言ってももう50に手が届くし、お母さんはじきに80歳になられる。

母の愛はいくつになっても変わらず、これでいい、ここまでということがない。
どうあっても子をかばい子を案ずるのである。
深く澄んだ湖と、そこで好き勝手に泳ぎ太った魚を思い浮かべる。
湖の愛が滲み出して、湖畔に立つわたしにも温もりが伝わってきた。
そして、あの日の両親の事、まだ若かった母の白い腕などがふっと思い出された
のであった。






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まっとう人間

2011-01-10 23:42:30 | Weblog

なんだかやたらと人あたりのいい親分である。
なんかもらえんのか?



うん? ちがうか?
そうか、指導してんのか、そうかそうか。
そいつはいいや、ありがたや。
そこの若いの、まっとう人間になれるかもなー。

おっかあは指導してくれんでもいいよ、重いけんね、あーたは。

ps:山形は雪どんなかな~、元気でいるんだよ~。
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脳内みどり

2011-01-09 09:48:29 | Weblog
(2日午前中。山にも雪がまだ少なかった。)



東京からここへ戻ってくると、さーっと雑念が飛んで行ってしまう。
さらばじゃー、荒行しなくても雑念煩悩は払ってしまえるので、
この数キロ先にある我が修行の場(っつうか隠れ家なのだが)の門前
ではすっかり清らかな心地になって、ウソみたいに晴々している。

東京にいると、この風景があたまをよぎること、日に何度も。
わたしの脳みそは心化しつつあって、緑色である。
ベイビーはいつもガム色(緑)を噛みながら、駆ける夢をみてるらしいし。
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進化と古典、自分で考えるために

2011-01-08 08:59:02 | Weblog
いにしえの教えをひもとく。
そこにあることを思考してつきつめていくとき、物証を裏付けにしないと
理解できない人がいるので、いたしかたなくカメは先端の科学を応用した
話をしてくれるけれど、それはあくまでも物質の話で、そこから想像力を
はたらかせないと本質を掴めない。

新聞の一面ぶち抜き広告に出てた書籍の抜粋を拾い読みしたら、
宇宙の微粒子が生命の源とかなんとか、そんでもって魂も、宇宙とか
ミクロとかマクロとか、70年代のニューサイエンス的な言葉が羅列して
あったけど、言っとくけど(聞いとくけどと間の手入れてね)、物質は
物質、無機物から生命は生まれませんねえ、と科学者に嘲笑されるなあ。
魂も生まれないねえ、宇宙は確かにロマンに満ちているけど、あそこじゃ
ないと思うね、物質世界だから。魂は物質ではないんだもの。

話逸れた、本題に戻る。
科学者がなにがすごいって、ニュートリノの実験設備なんかで思うのは
あれってとても原始的なモノ的発想である。
事実を観察するシビアな眼。そこから生まれる推論がある。そして実験
して検証してみようとするのだから行動力もあるわけで、サイエンス、
テクノロジーの舞台裏は、実はとてもアナログであるなあと思う。
精神的なものが土台にあって数値を追いかけている。
要らないのは感情で、情緒はとっておく。それは観察する眼に必要で想像力の
源泉となる。



進化の前線と、古伝書の解読は、つながっている感じ。
そりゃそうさと言われそうだなあ、カメに。
古代ギリシアの哲人アリストテレスも登場しそうだ、次々回の講義あたり。
いろいろ出てきて並列し裏返し逆さにして再び基い、ふっと本題が解るって
しかけが想像力を活性化してくれる。

ついてけない、って思わずにまずは聞いてプールして後、よく吟味咀嚼する。
入れるのがまずは必要だ。前頭葉を使わずとも聴ける。
素材がないと、感覚だけで思考はできないのであるし、俄仕込みでパクったり
知恵者をみつけて人頼みとばかりじゃなあ、自分で考えるんだ。
自分でも考える。考えると疑問が湧いてくる。そして一コマ進む。
思うだけじゃなくて考える。そうすると人生は倍楽しい。

楽しいからじゃなくてそうしなきゃ生きていけんぞ、とオヤジさんに
怒られそうだけど。
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毛皮の方々、寒波にめげず

2011-01-07 00:12:11 | Weblog

新年あけましておめでとうございます。
謹んでお慶び申し上げます。
さあ、はりきっていこうぜー、あいさつが遅かったわりに、元気だーー。

大晦日元旦とどんと降ったきり、あとはサラサラパラパラと散り花みたいに
降る程度だった雪が、とうとうどんとくる模様。
降り始めにはしゃぐ親分と、それを醒めた眼で見るシマコさんの2ショット、
今年の一枚目の写真に選びました。

年始からずっと仕事しておりましたので、頭がすっきり。
遊ばないといいね~、ボケッとならないから。
誕生日も過ぎて、自分の年齢にはたと気づき、それから遅すぎる驚きが‥。
いけねーいけねー、はたらかねば。
そういうわけで、遊ばないで固まっておりましたよ。
楽しかったです。

明日は七草、本当の仕事始めなので気持ちを新たに正月の初心を忘れない
ようにせねば。
一週間で、忘れちまわないようにせねば。
自分に言ってきかせているんでございますー。

今年もどうぞよろしくお願いします。
ご批判、叱咤激励、たまにはお褒めのお言葉で甘やかし、スケベなメール以外でしたら、
大歓迎ですので百﨤先生みたいなことはいいません。
おまえではなし、ではなくおまえさまでよろしおす。

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