想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

青春ありました

2008-06-18 08:04:21 | 
     

     多喜二がブームだという。コバヤシタキジ。
     えっと驚いた。
     いや、えええっというくらい驚いた。
     プロレタリアじゃなくて、プレカリアートという言葉にも。

     雨宮処凛ってなんて読むの?というくらいぼんやりしていたら
     あっというまに、貧困関係がブームになって社会現象、さらに社会問題にまで
     なってしまったではないか。
     下流社会が出たと思ったらプロレタリア文学までもが
     日の目をみるとは恐れ入る、いや冗談じゃなくって。

     小林多喜二の作品、蟹工船が収められた新潮文庫
     「蟹工船・党生活者」が書店に平積みされていて店員さんに
     何処ですか? とか、ありますか? とか尋ねなくてもよいのである。
     絶版じゃなかったのが不思議だが、
     いまや重版しているそうだ。

     多喜二はある意味でわたくしには青春のシンボル
     のような、奥にしまってあったものである。
     その青い頃、赤い自転車という名(チーム2名)で
     16ミリ、35ミリの自主上映に燃えていたことがある。

     いろいろやったがその一つが「小林多喜二」であった。
     自分で選んでおいて、上映中、後半目を開けていられなかった。
     そのころも今と同じく弱虫であった。
     理不尽に傷つけられる、その痛みと悲しみのために
     病んでしまいそうに苦しい。

      1974年 今井正監督
      主演 多喜二役は山本圭。
      恋人タキ役が中野良子だった。

     他に思い出深いのが「サンダカン八番娼館・望郷」
     ルポライター山崎朋子を栗原小巻が、元からゆきさんの役を
     名優田中絹代が演じている。監督、熊井啓。
     今でもときどき田中絹代の台詞とシーンが蘇る。
     「あーたが持っとる、そんタオルばくれんですか」
     古いタオルがなかなか捨てられないのは、この映画をみてから
     なのかもしれないなあ、とにかく思い出してしまうのだ。
     映画のワンシーンなのに、私の中にピタッと張り付いてしまった。

     多喜二の小説を読んで、特高の弾圧など大昔の話だと思いたい
     のはわからなくもない。
     ファザコンうさこの父は、特高の手から逃れるために満州へ
     渡った、多喜二の苦しみをリアルで体感した人だった。
     その父が流さないで胸にしまいこんだ涙が
     ときおり、うさこの目からあふれ出す。
    
     階級差別は厳然としてあるが、潜行して見えない。
     人々の注目が金のある方へ向かい、金のない者からは
     目を背けてきただけのことである。
     
     我が国は、貧困を社会全体が取り組むべき課題とする
     ことを先送りし、いつのまにか臭いものに蓋をしてきた。
     多喜二が闘った時代と今と、どれほどの変わりがあるだろうか。

     赤い自転車の相棒だったビジョ姉は、ある日、転がるように自死し、
     ひりひりと熱い青春は過ぎていった。
     弱虫なうさこは生き残って、青は深い群青になった。
     
  
     


     
   


   

コメント
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