少し起きれたので墓参りをした。
日曜は雪がやんでよく晴れわたった。ぷーちゃんの墓は
春先まで雪に被われて、化粧したように美しい。
深い眠りを守っているように。
おっかあも君のせいではなくて、変な病気に罹った。
こんなに寝続けるのは君と出会う前に戻ってもなかった。
熱と痛みでインフルエンザでもないのにシンドイことだ。
思考力もないから君を思わずにすんだのかもしれない。
カメはいつも用意周到で、「ほれ、お線香」と渡されて、
あ、へ、と受け取って嬉しかった。
先生のお線香は特別だから。
なんか、ぷーちゃんにお線香手向けるのって不思議な気持ち。
おさまるところにおさまった感である。
安心しながら、丸い小さな円墳を見つめた。
S君は遠くから拝みますなんてアホなことを言って近寄らない。
サンダーにまだ慰めてもらいたいのかな。
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雪が融ける春先には芝タネを撒き、一ヶ月もすると鮮やかな
緑色の小さな墳丘になる。
お線香台や花台は今立っている反対側にしつらえるそうだ。
ぷーちゃんのからだは西を背に北枕で眠っているから東から
お参りするんだよ、とカメが説明してくれた。
埋葬の日、わたしが考えなかったことを全部考えダンドリ
していただいていた。
「死んだら墓はいらない」というのが時流になったけれど、
逝く者の言い分と遺される側の事情は違う気がする。
人間が死者を弔う形を作り残してきたわけが、今わかるように
思う。生き残る此岸と死者の彼岸をつなぐ場。
その場があることで、わたしはサンダーの死を超え、彼を
永遠に胸にとどめることができる。
私自身に墓は要らないと思うのだけれど…。
胸の中で、とてもあたたかい。
すぐそこに息づかいを感じている。
なんてしあわせな時を過ごしてきたんだろう。
ベイビーが爺ちゃんになってヨレヨレになるまで一緒に
いてくれた。ずっとそばにいてくれた。リッパだったね。
悔いが消え、喜びに変わってきた。
そのままをうけとめることが少しづつできるようになっていく。
アホなのは昔からのこと、悔いたりしても何の益もない。
生きてきた道を振り返る節目になったこの月、以前も以後も
虚飾なく行く道であるように、それがサンダーから受け取った
幸福のサインだ。