ホロヴィッツの弾くショパンがずっと
流れている。
その前はマルタ・アルゲリッチの。
思考停止したかったので…。
生まれは熊本市、阿蘇で幼少を過ごし
また熊本市で数年を過ごし、東京を経て
福島南部の、阿蘇によく似た山んなかに
棲むうさこですが、親うさぎは熊本にいます。
母うさぎは、子兎子があまりに頼むので
もう90を超えましたが、生きています。
二度目の大きな地震の夜、母うさぎは
ベッドの上で荷物がぽんぽんと跳ねる
ようだった、と隣の部屋から駆けつけた
大姉兎から報告がありました。
とても久しぶりに故郷の人々の声を
テレビの中から聞きました。
懐かしいイントネーションで話される
言葉には刺がなく、淡々としていて
ちょっと意外でしたが、それはうさこが
忘れていただけのこと、淡々と聞こえる
のは、気のせいにすぎません。
命があるだけで、よかったと、
一様に事の次第を受けとめているのは
確かですが…。
困り事や泣き事をあからさまには
言わない、立派なふるまいをする、
そういう慣習が根付いた土地柄です。
いかんもんはいかんたい、とハラの
中では思っています。
ならんこつはならんたい、と。
しょうがなかたい、と。
さっそく支援拠点HUBを作ってくれた
俳優の伊勢谷氏は「がまだすばい」と
言っていました。
がまださんといかんけど、それはこんな
ときにはキツか感じのする言葉ね、
元気な人が言う言葉たい。
がまださないかんとは、外の人たち、
中央の人たちです。
岩手、宮城、福島の人々と同じ、
熊本の人も、みな耐えているとですよ、
いのちはありますが、傷だらけです、
だいじょうぶじゃなかとよ。
最初の地震の時、幼なじみとSMで
やりとりして、たいしたこたなか、
高菜ば送るけん、で終って安心してた。
丸一日が過ぎた頃、夜中の震度6で
翌日連絡すると、家が傾いたとあった。
高菜は送らんでいいよ、無事でいてね
と返した。
だだっぴろいカルデラのどまん中、
田んぼは壊れていないだろうか。
明日は我が身というじゃなかですか、
助けおうていかんと、と言いながら
ほんとうに他のためにはたらくのは
いつも、国じゃなくて人々であると
今回も思った。
この国は、国のていをとうに失って
しまっているから。
人々がしっかりと目を見開いている
しかないので、そうなっているわけで。
それにしても、何やってでも生きて
いればいいと破廉恥な人々は口先だけ
の後出しジャンケンのズルばかり
高見の見物しとられますが、
人が生きるというのは、そういうの
じゃなかとです。
来るのはわかっとったばってん
どうしょうもなかった、
原発ば、止めんとやろか、
避難所の友は、せいいっぱいの
から元気声のように聞こえました。
うん、そうだね。
5年前、家族や友は何もしてやれない
もどかしい気持ちでこちらのことを
思っていたことがよくわかります。
で、ショパン…。
何もできんとです。
今朝9時までの試験配水が始まって
チョロチョロと出ているという話、
明日から本格的になるかなという
状況。熊本自慢の水が一時も早く
戻ってくるよう願っています。