想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

制御不能のまま

2016-12-29 10:55:34 | Weblog

今年の初積雪は24日、1センチ。
この森に来て20年過ぎますが
こんなに少ないのは初めてです。
大晦日から吹雪いて正月は15〜
30センチは積もってしまうのが
例年のことで油断はならないけど。

放射能汚染水はコントロール
しています、で始まった
オリンピック誘致も予算大超過、
築地市場は土壌汚染、床下空洞
問題で大揺れし、しかし小池女史
グリーン旋風も吹き抜けたけれど
終ってしまえば元の木阿弥で、
あれこれと制御不能のまま、

汚染水は海は流すしかないと
そろそろはっきり言っちまって
いいんじゃないかという雰囲気
作りをし始めてますが。

どこにそんなお金あるんすか?
と外遊好きの首相に聞きたくも
なる米ロへ中東へと大盤振る舞いで
今年も終わります。
戦後レジームからの脱却はどこへ
やら今度は和解。空虚な言葉が
次々に吐き出され、
今年も終ります。

福祉は切り捨て医療は改悪され
老後不安は諸々募るばかりです。



原発事故から6年目の正月となり
いまだ喪中の気分が抜けない、
それが正直な気持ちです。
が、が、が、が、と気持ちを
立て直したく、どうやっているか?

ぷーちゃんの円墳のそばにある
石の上に腰掛けて、目を瞑ります。
じーっとしていると
ふわりとあたたかくなって
ぷーといた時間に戻ります。

それは過去ではなくて永遠。
時を刻んでいるのは人の世だから
常なる時へ戻ります。
そこには恨みつらみも憎しみも
なんにもない空。
仁が溢れて、包まれます。




(慰めにきてくれてる?
 No, Give Me milk !)

今年もあと三日。
もちょっと、バタバタとやる事が
あるので、また書きます。
皆様、風邪などひかれませんように
ご無事で過ごされますように。




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熊本地震後を訪ねて

2016-12-24 05:27:43 | 
(三角西港、左手に天草五橋の
一号橋が見える場所)



姪っ子の運転で観光地へ行った。
帰郷の目的は別に色々とあったが、
珍しく身内が歓迎してくれ(笑)
断りきれずにでかけた。

熊本文学館へ行きたいと言うと
それよりもっといいところ、
室内より遠出でしょといわれ
随ったのだが…。

で、世界文化遺産登録となって
張り切っているらしいココへ。
「明治日本の産業革命遺産
製鉄・鉄鋼・造船・石炭産業」
として登録され、石積みの港は
埠頭、水路が遺っている。
明治の三大築港の一つ。

朝から空は快晴、それもいいね
とは言ったものの彼女は片手運転、
スピード出すんである。
助手席でヒヤヒヤした。



三角へ向かう途中、宇土を通る。
宇土は地震被害が大きく道路が
波打ったままの箇所や、壊れた
家屋、ブルーシートで覆われた
屋根が点在していた。

続けて二度の大地震に襲われた
熊本は、人々がようやく余震に
慣れ、生活を取り戻すために
どうにかこうにか立ち上がった
ばかりという印象であった。
まだ当時を思うと涙ぐんで
しまい言葉に詰まる人もいた。

短時間、街中を車で走っただけ
だが、そういう思いで見るから
という以上の沈滞した憂いの
気配を感じもし、記憶にあった
カラリとした威勢のいい雰囲気
を失ったように思えるのだった。

この地震によって忘れていた
〈隣人との絆〉を思い出し
それぞれの共同体で助け合う
ことの大事さを気づけたのが
よかったという話を耳にした。
渡辺京二さんが熊日新聞に
そのようなことを寄稿され、
また実際そういう話は多いとか。

それは東北震災ではなかった話で
ある。当然助け合いはあったが、
それを台無しにすることの方が
上回っていた。

東北大震災は地震津波に原発事故
が加わった三重苦の震災であった。
特に放射能汚染が被害の深刻さ
を増し、風評被害、自主避難、
帰還困難区域などの表現は、
同じ被害を受けたはずの人々を
分断していった。

曲線でつながる古い土地を行政は
机上の計算で線引きした。
あっちは高汚染で強制避難で
道路の真ん中からこっちは自主
判断でどうぞ。
先祖の代から続いた近隣の
人付きあいを地図上の線が
引き裂くこととなった。

不公平、不手際、おおざっぱ。
そこに人が人を思う心は見えず、
助け合いをしたくともできない
切迫した状況に人々は追いやられ
やがて黙った。
元々、思いを率直に話す土地柄
ではないところに周囲を慮って
口をつぐむ。

不信感を押しのけ手を繋ごうと
外から働きかけてくれる人々が
いなかったら地元住民だけでは
難しい状況だった。

公共広告で盛んに使われた絆は
官製の形式にすぎない。
福島で気づかされたのは行政
つまり公務は誰のためにあるのか
ということ、その根本がすでに
腐りきっているということだった。



被害の大きかった熊本城の修復
を望む声が大きいと聞いて
それよりも優先すべきことが
あるのではないか?
東京そして福島にいるとそう
思うのだった。
けれども電車通りから見えた
向こう側に波打ち傾いた、漆喰の塀
を目にしたとたんに、嗚呼これは…
と気づいた。

熊本市は城下町である。
城が人の胸の中に根を下ろし
生活の一部になっている。
あってあたりまえの故郷の景色。
歴史的遺産という建造物の物の
価値を超えている。まあそれを
文化と呼ぶのだが、目で見て
実感し、腑に落ちたのだった。

一方、福島ではあまりに多くの
ものを失い、地面そのもの、海
そのものという取り返しのつかない
ものを失った。いまだに解決する
術無く、巨額の費用が垂れ流され
ている現状だ。実は修復できる
ものが少ない。

除染のためといい掘り返した土を
フレコンバックに詰めて数万㎡の
土地に仮置きしているのもそうだ。
解決ではなく先送りしているだけで
それに次々に公費をつぎ込み、失敗
し続けている。
その責任は誰も取らないまま次へ
次へと予算は膨らむばかりだ。
帰る家、土地を失った人への補償は
あいまいにして、汚染地域へ帰還
せよと迫っている。
補償打ち切りも決まった。
福島の現実が熊本で繰り返され
ないようにと思うのだった。



熊本あそ空港は被害甚大だった
西原村のそばである。
帰路へつく前、空港への途中に
西原村へ続く道を走ってもらった。
しばらく行くと新しい仮設住宅が
ぎっしりと並んでいた。
ああ、ここも大変だと胸が詰まった。

ドア部分を木製で作ってあった。
大自然に囲まれた暮らしから一転、
狭い住居、庭のない場所でこの冬を
しのがなければならない。
心ばかりの工夫なのだろうか。

二重ローンへ配慮した法整備が
なければ住宅再建も難しい。
生活弱者は、再起できなくなり
子どもの教育にも支障が出る。
何を見ても福島のようにならない
ことを願うばかりだった。

長い繰り言のようになったが、
福島で体験したことを踏まえず
に熊本を訪れることはできない。
福島は終わっていないのだから。

金子光晴の自伝「どくろ杯」
冒頭に関東大震災の描写がある。
大正12年(1923年)9月1日の
地震は東京、横浜を火の海にした。
燃えさかる火によって死んでいく
者、生き延びようとする者、
そして詩人として世に出ようと
していた矢先の災難である金子
自身の状況とが詳細に綴られて
いく。
そこに気になる言葉があった。
長くなるが引用する。

「ふりかえってみると、あの時
が峠で、日本の運勢が旺から墓
に移りはじめたらしく、眼には
みえないが人のこころに、
しめっぽい零落の風がそっと
しのび入り、地震があるまでの
日本と、地震があってからあとの
日本とが、空気の味までまったく
ちがったものになってしまった
ことを、誰もが感じ、暗黙に
うなずきあうようであった。
乗っている大地が信じられなく
なったために、その不信がその
他諸事万端にまで及んだ、と
いうよりも、地震が警告して、
身の廻りの前々からの崩れが
重なって大きな虚落になって
いるということに気づかせら
れたといったところである。」
(金子光晴「どくろ杯」)

この後、日本全体が軍国主義
一辺倒へと向かっていく。
百年周期で歴史は繰り返すと
いうが、やがて百年がくる。

























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「古代憲法」明日発売。何かと使える本に…

2016-12-10 23:49:33 | 

ええっと、想風亭居候の新刊です。

「古代憲法」先代旧事本紀大成経伝(二)
これは十七条憲法の原典である憲法本紀
を現代語訳して解説したものです。

前作は序伝でしたから次は一、二と続く
ところですが、すっとばして七十巻目の
憲法本紀にしたんですねええ、理由は、
まえがき、あとがきにしつこく書いて
おるらしいです、読んでやってください。

夏休みもとらずにヒーヒー言いながら
漢文だらけの日々を送ってきた居候は
クリスマス前に仕上げてほっとして
この数日はのんびりしている…はずだった
のだが、そう甘くはないんですなあ、
発売前には色々と忙しいらしい…
アクシデントもあったようだし…
寒いし…

このブログに来られる方は、たぶん
たぶんですが、そりゃあそうだろうさ、
ふふん古代憲法ときたか、とお気づきに
なるかもしれません。

この数年、けんぽーという言葉を耳に
しない日がないくらいになってしまい
イッパンピーポーうさこにも否が応でも
アホでも、ん? 憲法かいな? と
どんなんだっけ、と気にせざるをえない
わけですが。

9条だけならいざしらず、
96条がしきりに聞こえます。
96条は憲法改正につて定めた条項です。
9条だけを変えると思われたくないのか
基本的人権を定めた条項やその他も

そして96条に合わせ、明治憲法を美化
する声もデカクなってきてますね。
神武天皇紀を読んだこともない議員が
誰の受け売りかは知らないけど
やたらと神武という名を使いますが
神武帝二千六百年記念のせいですかね、
便乗して天皇を元首にという改正案も
出してきましたね。
勉強不足の議員さんたちが多いです。

でも先日の国会でカジノ法案反対の
意見を述べた共産党清水議員の
持統天皇西暦689年の双六禁止令
に始まる1327年の歴史…
共産党のわたしが言うのもおかしい
ですけれどほんとですよ! は
面白かったです。

双六禁止令を発令せねばならなく
なった日本の、その半世紀ほど前に
あった古代憲法、五憲法を破棄した
天武朝の後の話を清水議員はされて
いるのですが、今またそれを破棄し
とうとう賭博オーケーにしようと
しているわけです。

あまりにずるずると緩めて壊して
いくと、何がまっとうだったのか
わからなくなって、まあいいかと
なっていくものですが…
そこで、ごくまっとうだった古代
日本の原則が書かれた聖徳太子の
五憲法に、いんや、ダメなものは
ダメだとはっきり戒められている
のを読むと、もやもや気持ち悪いのが
すっきりします。
そして勇気もわいてきます。

憲法は国の根幹を創りそこに生きる人々
に平穏な暮らしを与えるためのものです。
古代憲法にはそのあたりまえの原則が
書かれているっちゅうことです。
憲法改悪を論破するのに、使えるし、
日本国憲法全文もついてるし、
何かと使える本になっとります。

全国書店、ネット書店、amazonで
予約受付中です。
よろしくお願いします。










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