眠れない夜、
眠れないまま迎えた夜明け
心臓が高鳴るので深呼吸をして
こふくせいきょう(虚腹清胸)
呪文は効かず
森を歩きまわる
紙魚の出た文庫本を
ポケットから取り出して、濡れた石に
腰掛けて読む
この石はぷ〜ちゃんの墓標であるが
同時にわたしの安楽椅子。
「正しく強く生きるということは
みんなが銀河全体を
めいめいとして感ずることだ」
と、とうのむかし賢治が書いていた。
詩人は古伝を習わずとも神さまが
見えているのだ。
いや、見える人を詩人という。
詩を書く人は いくらもいるし
詩というラベルを貼った偽物も
そこらへんに
ころがっているが…
わたしはぞくぶつである。
詩を書けないだけではない。
心臓の高鳴りが何よりの証拠。
詩を書けないのは悲しみではなく
心臓の高鳴りをただ止めたい。
詩はわたしには護符のようなもの。
むかしのひとが恵みを喜び
畏れを訴え、祝詞を唱えたように
それを口ずさむことで
この身が洗われるもの。
「ーー(祀られるざるも
神には神の身土がある)
ぎざぎざの灰いろの線
(まことの道は
誰が考え誰が踏んだというものでない
おのずからなる一つの道があるだけだ)」
(春と修羅第二集、作品三一二番)
「祭祀の有無を是非するならば
貴賤の神のその名にさえもふさわぬと
応えたものはいったい何だ
いきまき応えたそれは何だ」
福岡の朝倉の地は、局地的に降った
豪雨で山土が崩れ土石流となり家々と
幼子を抱いた母親を押し流して止んだ。
むかしむかしと言っても人の記憶に
ある昔のことではないむかし
朝鮮の戦の陣へ赴く途中の女帝が
仮宮つくりのために木を伐って
神を怒らせたという伝説の地。
木を伐ったことで神は怒るのか。
礼を尽くさなかったからではないか。
慌ただしく造営した橘広庭の宮で崩御
した女帝は、大の普請好きで民を苦しめ
なかったか?ましてや百済を救うのに
軍を押し立てたのは大義か。
その場所がどこなのか、定かでないが
現代(いま)の人は、こここそが!と
碑を建てた。
宮跡も碑も、神を祀るものでなし。
神を想ったものでなし。
荒れ狂う雷神は、いまだ列島の上に
居座りつづけ、宴会中だ。
「神には神の身土がある。」
山並をいくつか越えて奥のほうでは
雷雨と記録的大雨と注意報が出ている
ここは小雨、ときどきどしゃ降り。
視界が煙るほど降る雨を見るのは
気持ちがいい、
そう言っていられる降りで止んだ。
わたしには神は見えない
見えないけれども
いつもそばに在ることを
感じている。
やさしい雨。
わたしがそばにいようとしている
だけかもしれないが。