バラはどうやら流行っているようだ。
たまたま見たテレビでオープンガーデンを始めたバラ愛好家のお宅を
紹介していた。造形がほどこされたバラ園であった。
バラの木を造形というとなんだか変なようだが。
たしかに、園芸の仕事は植物育成の他に造園という要素もある。
植栽の技法はさまざまにあって、それを駆使し形を造っていく。
しだれ柳、しだれ桜、しだれ梅みたいな形にすることだってできるのである。
すーっと真っすぐ上へ伸びた幹のかなり上の方で行く本も接ぎ木がなされ、
そこから下へと枝が延びて、枝垂れているような形。しだれバラである。
モーツアルトだったかなあ、奥さんは「造りましたわ」と自慢してたなあ。
けっこう手間暇かかるから、自慢したくもなるよなあ。
そのお宅にバラ愛好家の仲間が集って、テレビカメラの前で
皆さん嬉しそうであったね。
およそバラの似つかわしくないおじさんがバラを花束にして
「気をつけ」の姿勢でカメラを待っていたね。
畑いっぱいに育てているそうな。
通りかかった人がきれいですね、と声をかけてくれると嬉しい、
きれいですね、と言ってくれた人にはタダであげますよ、と。
う~~んとですね、風の谷、想風亭に植えた、うさこのバラは
そんなに豪勢なものじゃないです。
三年経ってやっとちょっと背が延びたくらいです。
農薬、まったく使わないのが理由でしょうか。
(ニーム、竹酢液、乾燥牛糞を施しています)
ここら一帯がクンクン親分の縄張りです。
薬を撒いたり散布したりすると、いつ、くんくんされるか心配です。
ベロベロだって、したいときにするでしょうから‥‥
シマコさんもバラの根元の近くで昼寝したりするでしょう。
子猫も丈夫になるまで敷地内で歩行訓練しているようだし。
バラは好き、でも、ずっと素人。
オープンガーデンはやらない。(やれない、だな)
友が、知人が、仲間が、やってきて
年に数日しか咲かない花が、たまたまその日に咲いていれば
幸せを分かち合える。
うさこのバラ栽培はフェンスを越えて入ってこようとする
無茶な人(泥棒ともいう)対策で始めました。
バラを乗り越えたい人はいないだろうと思って。
そういう気持ちがバラを見ても消えない人には、花がなくても
棘があるから。
森の中にフェンスを建てるのは忍びなかったのですが、
やもうえない、せちがらい事情。だったらツルが延びて鉄柵を
覆い隠してくれればいいなあと思ったのです。
あと十年くらいはかかりそうですが、十年後を夢想して
バラのしろうと道、続けようと思っています。
わたくしは飽き性、好きなことだけ続けています。
誰しもそうかもしれませんが、わたくしは自分の飽き性なとこが
好きではないのです。なんか薄情な気がするからね。
三十歳の時、旧事紀を学び始めて、これが飽きずに継続した人生初の事、
いろんな習い事をして、スポーツもして、でも最長に継続は旧事紀。
仕事はもちろん生活もそれを軸足にしているなあ。
飽きないとはなぜなのかを、そこでわかったからでしょうね。
二つ目がクンクン親分、三つ目がバラ。
そうやって暮らしの周辺を見渡してみたら、飽き性だったはずなのに
取捨選択をしていることに気づきました。
腹八分目、分相応、いろんな言葉を知っているけど
意味を深くわかっていなかった。
八分も相応も、ゼロとマックスを体験してないとわからない。
マックスは無理でもゼロは意識的に作り出せますね。
意味は実感して初めて身に沁みました、以前よりも深く。
好きなことを飽きないのは、あたりまえだけど、
好きを実感するのは、その対象に深く深く心を寄せるから。
好きだから寄せるのか、
寄せるから好きになるのか?
そこんとこ、ツボ。
‥‥考えた。寄せて、好きになる。
まず、寄せて考えるのだから。
畑でバラを育ててると言ってたおじさん、バラを愛でるように
「美しいよ、君。バラみたいだ」なんて奥さんにも言うかなあ。
ま、言わないか。
思っても言わない、それが日本のおっさん道だもんなあ。
言わなくても通じるものがあればいいねえ。
たまたま見たテレビでオープンガーデンを始めたバラ愛好家のお宅を
紹介していた。造形がほどこされたバラ園であった。
バラの木を造形というとなんだか変なようだが。
たしかに、園芸の仕事は植物育成の他に造園という要素もある。
植栽の技法はさまざまにあって、それを駆使し形を造っていく。
しだれ柳、しだれ桜、しだれ梅みたいな形にすることだってできるのである。
すーっと真っすぐ上へ伸びた幹のかなり上の方で行く本も接ぎ木がなされ、
そこから下へと枝が延びて、枝垂れているような形。しだれバラである。
モーツアルトだったかなあ、奥さんは「造りましたわ」と自慢してたなあ。
けっこう手間暇かかるから、自慢したくもなるよなあ。
そのお宅にバラ愛好家の仲間が集って、テレビカメラの前で
皆さん嬉しそうであったね。
およそバラの似つかわしくないおじさんがバラを花束にして
「気をつけ」の姿勢でカメラを待っていたね。
畑いっぱいに育てているそうな。
通りかかった人がきれいですね、と声をかけてくれると嬉しい、
きれいですね、と言ってくれた人にはタダであげますよ、と。
う~~んとですね、風の谷、想風亭に植えた、うさこのバラは
そんなに豪勢なものじゃないです。
三年経ってやっとちょっと背が延びたくらいです。
農薬、まったく使わないのが理由でしょうか。
(ニーム、竹酢液、乾燥牛糞を施しています)
ここら一帯がクンクン親分の縄張りです。
薬を撒いたり散布したりすると、いつ、くんくんされるか心配です。
ベロベロだって、したいときにするでしょうから‥‥
シマコさんもバラの根元の近くで昼寝したりするでしょう。
子猫も丈夫になるまで敷地内で歩行訓練しているようだし。
バラは好き、でも、ずっと素人。
オープンガーデンはやらない。(やれない、だな)
友が、知人が、仲間が、やってきて
年に数日しか咲かない花が、たまたまその日に咲いていれば
幸せを分かち合える。
うさこのバラ栽培はフェンスを越えて入ってこようとする
無茶な人(泥棒ともいう)対策で始めました。
バラを乗り越えたい人はいないだろうと思って。
そういう気持ちがバラを見ても消えない人には、花がなくても
棘があるから。
森の中にフェンスを建てるのは忍びなかったのですが、
やもうえない、せちがらい事情。だったらツルが延びて鉄柵を
覆い隠してくれればいいなあと思ったのです。
あと十年くらいはかかりそうですが、十年後を夢想して
バラのしろうと道、続けようと思っています。
わたくしは飽き性、好きなことだけ続けています。
誰しもそうかもしれませんが、わたくしは自分の飽き性なとこが
好きではないのです。なんか薄情な気がするからね。
三十歳の時、旧事紀を学び始めて、これが飽きずに継続した人生初の事、
いろんな習い事をして、スポーツもして、でも最長に継続は旧事紀。
仕事はもちろん生活もそれを軸足にしているなあ。
飽きないとはなぜなのかを、そこでわかったからでしょうね。
二つ目がクンクン親分、三つ目がバラ。
そうやって暮らしの周辺を見渡してみたら、飽き性だったはずなのに
取捨選択をしていることに気づきました。
腹八分目、分相応、いろんな言葉を知っているけど
意味を深くわかっていなかった。
八分も相応も、ゼロとマックスを体験してないとわからない。
マックスは無理でもゼロは意識的に作り出せますね。
意味は実感して初めて身に沁みました、以前よりも深く。
好きなことを飽きないのは、あたりまえだけど、
好きを実感するのは、その対象に深く深く心を寄せるから。
好きだから寄せるのか、
寄せるから好きになるのか?
そこんとこ、ツボ。
‥‥考えた。寄せて、好きになる。
まず、寄せて考えるのだから。
畑でバラを育ててると言ってたおじさん、バラを愛でるように
「美しいよ、君。バラみたいだ」なんて奥さんにも言うかなあ。
ま、言わないか。
思っても言わない、それが日本のおっさん道だもんなあ。
言わなくても通じるものがあればいいねえ。