想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

梅雨入りまえ、ささやかな宴

2021-06-30 22:56:15 | Weblog
芍薬が虫に食われずに咲いた。

ベランダ—園芸家の方々も虫との闘いは
あるだろうけれども森庭は比にならない
のであります。
芍薬の花が開くまで、咲かないかもしれない
という半ば諦めにも似た覚悟をもって
見守っているしかないのであります。
雪解けのあと、土からもこもこと芽が顔を
出し、おお、今年は増えたと喜び、
茎が順当に伸びて葉を茂らせ、緑濃くなり
そして葉と葉の付け根の間に蕾みの赤ん坊が
現れると、すぐに蟻がたかってきます。



蟻はソフトクリームにかぶりつく夏の子らの
ように、一斉にびっしりとまだ小さな芽の
周りに集まります。
根元からよじ登ってくる蟻にニームスプレー
をお見舞いして蕾を守るのです。
しだいにまん丸に膨らんでいく蕾に
期待と不安の眼を注ぎつつ過ごします。

しかし花はいつ咲くのかはわかりません。
ちょっと東京にいる間に気温が上がって
さーてーっと、咲くわよ!てな感じで
芍薬嬢がばっと開いてしまうかもしれず
その時に居合わせることができれば、
それはもう、薔薇が10本咲くよりも
いや、それは言い過ぎだけど、
とにかく芍薬の花が咲くことができれば
吉祥なのです、平和です。
(人は珍しいことが起きると吉と思うか
凶と思う原理ですなあ、都合がいいと吉、
単純やね、はい)

で、今年はめでたく、ほら、咲いて、
蕾があといくつか残っています。
順々に咲いていきますように!



この薔薇、名前を忘れました。
(ブログを遡るとわかるけど……)
ずいぶん前に植え、滅多に咲かない
けど、今年はつぼみがたくさん。
この紫はなんともいえない、
この色に染めた布が欲しいなあ。
叶わないからそばに飾って愛でます。
ほのかな香りです。


ペネロープはいつもより早めに
咲きました。甘い香りが漂います。



このお客さんは名乗りません。
連れ添って現れます。
ゆったりと木の実や虫を啄んで
ゆったりと遊んでいかれます。
近寄っても逃げもしない。
鳩より一回り小さいくらい、
小鳥というには大きい、
はっきりいってかわいくはない
けど、まあ、居てもいいよと思って
ますが、あちらは我らがシマだと
いうことなんでしょう。



撮ったのは6月半ば、今は梅雨に入り
雨続きです。
森庭の雨を眺めていると、激しい降りも
しとしと雨でも、気持ちが安らぎます。
きっと雨のなかにたつ木々が美しいからでしょう。
こころが洗われるよう、とありきたりな
ことをマジで、思います。

では次は木々を撮ってupします。
予告編、これは何の木か、な?







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桜のあとには庭仕事

2021-06-09 12:00:00 | Weblog
九輪草が咲いた、咲いた、無事に。



なぜ嬉しいかというと、土から新芽が出て
若葉だけの頃に草と間違えて摘み取られて
しまう「事故」に合わなかったからである。
事故るのはだ〜れの仕業かは言わないが、
あそこにクリンソウガアルカラサ、ハーイ
というやりとりの後、その時期が来ても
花を見ない年が何度もあって。

似たような葉の、花のつかないよもぎに
似た、よもぎではない草が生えていて、
花がついていないとむしられてしまう。
その時がきたら、冬から春へ一気に、
ほぼ数日で変わるので、花が咲いて春を
知り、あ、春だ、と気づく。
春の気配はあるのだが、暖かい日が数日
あっても、最後の雪が降るまで本当の春は来ない。
来たら、とんとんとんと騒がしく芽吹きだす。

ということで、今年はひさびさに九輪草の
写真が撮れてめでたい。
気ぃつけてくれて学ちゃんありがとう。

そして春になって植え替えたのがコレ。


冬のあいだハウスに置いていたヒメリンゴを
日当たりのいい花壇にいったん仮植えしていたら
花がついていた。おお、かわいい。

それからまたすっかり春が落ち着いたところで
定位置を決めて移植した。





2本で小径を挟むように植えた、この先に
ぷーちゃんの円墳がある。


新しい芝で覆われたぷーちゃんの墓。
帽子みたい、ぷーは春のうたた寝かな。

まだ小径は作っていないから土の道だけど、
広い森庭には、歩く小径がある。
だだっ広くて、どこからどう歩いてもいい
けれども、道順があって木々の配置もある。
カメの頭の中にある図面に沿ってゆっくりと
森が庭になっていく。
あ、そゆことでしたか!?と、
いつもあとで驚く。作業しながら全体が
見えているのはカメだけなのである。

でも、このまえは2本の苗木がこの間隔で
植えられたのはきっと小径をここに作るから
だろうと思った。
たずねてみたら、案の定であった。
ぬかるまないようになにか敷いていく。
小径沿いにもっと花を植えようと、妄想。

長いあいだ、庭仕事から遠ざかっていたけど
また楽しみになった。
庭仕事の楽しみこそが人生の粋であるなと思い出す。
ヘッセもメイ・サートンも、麦わら帽子と
手袋に長靴を履いていたな。




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天空の村マチュピチュと仲良しの村

2021-06-08 22:03:22 | Weblog
ある日の東京駅構内、大玉村という幟があった。
福島県の安達太良山を望む山村から来た野菜売りの
ブースだった。

お店の人に、高村光太郎の?とたずねると
そうそう智恵子抄ね、と返ってきたw
南米ペルーのマチュピチュ村と友好都市協定
を結んでいて、日本で最も美しい村連合!だと
いうのだからトマトもカブもタマネギもみな
オーラを放って……なんてことではないが、
美味し、安し、なので荷物が増えるが買ってしまった。
重い……後悔……







天空の村マチュピチュはアンデス山脈の尾根に
位置するので標高が高い。安達太良山のすそ野に
ある大玉村はマチュピチュより四季の変化に富み
緑豊かだ。

福島県の地図、すぐに放射能測定マップが頭に浮かぶ。
あの日、雲の流れは安達太良山を除けていったか、
放射能プルームは郡山から北上し、大玉村には
かからなかったか、、、
野菜を洗いながら思う。
元気を取り戻したんだな、
こんなに立派に育つものを、大変だったろうなと。

2011年から10年経ち、線量は下がった。
放射性物質は木の根元、表皮、土中、渓流の底に
沈下して循環しまだ震動しながら消えきっていない。
除染されていない山の木々も10回芽吹いた。
それでもすっかりさっぱりとはならないのが
放射性物質である。

土や水によざす生業の人だけの苦しみではない。
廻り巡って、みな我がこと、じぶんごととならない
人はいないのだが、大丈夫アンダーコントロールと
うそぶく永田町住まいの方々には、ぜひ福島から
お取り寄せしていただきたい。
パフォーマンスで手に持つだけとかではなく、
常備菜にできますよ、ほぼほぼ。
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ののあおやま

2021-06-06 19:31:11 | Weblog
246で思い出すのがイッセー尾形、
彼の一人芝居(舞台)に246というのが
ある。(それがタイトルだったかはdvdが
手元にないので判らないけれど)
バブル期の話だったと思うが246に
ドライブするカップルの会話で、
246を連呼してノリノリで歌う。
オチは「ただの道路じゃん」だ。
靑山通りをネタに爆笑できる話だ。

表参道交差点から赤坂方面あるいは渋谷寄りへと、ショッパーを下げた遠来とおぼしき人が連れだって周りを見渡しながら歩いている。
近隣に住んだり働いたりの人とは歩く速度が違って、たぶん景色の見え方も違うだろうと思う。

でも今の靑山通りは凡庸な商業ビルが並ぶ
「ただの道路」になってしまった。
そして人通りもコロナ以前は原宿並に多くなっていた。
個性的だった昔モダンのビルは老朽化で
次々に建て代えられ今風のガラス張りになった。
キラキラした通りは、歩く速度をゆるめる場所がない。
ちょっとさみしい。

大坊珈琲店のあったあたりに金子眼鏡が出店したのはご愛敬だ。けれど、立ち寄れる場所はほとんどなくなった。
カフェではなくて珈琲店が流行りとなって、するとまた新しい店ができる。
でもスペシャリティコーヒー豆を売りにした、1杯の価格が高い専門店だ。まあまあのブレンドコーヒーがあればぐっじょぶ、軽食ありのいわゆる喫茶店はみかけない。

若い人にとっては新しい形態やカフェはいいのかもしれないが、わたしは居心地がよくなくて座っていられない。
有名な人気店はあるんだが、自分にとっての居場所はあるようでないんだなあ。

5丁目の方へ行き一本小道へ入るCICADAと、パン屋のbreadworksがあるので、元気があればそこまで歩く。



ののあおやま」は北青山側の通りに面した公団住宅跡地に建った住宅複合施設一帯の名称。
広い敷地の中心はマンションなのだが隣地との間に水辺と遊歩道がある。

自然林を模した植栽がなされ、憩いの場が設けられている。
緊急事態宣言で延期になっているが、催しものに靑山音ノ会など、古典やクラシックの演奏会が開かれる。
木に囲まれた小さなステージ。

遊歩道は表参道への抜け道になっていて、隣の善光寺の裏へ続き、元からあった小さな公園も位置をずらして残っている。
幼児を連れたママ達をみかける。ブランコ、シーソー、砂場、子ども遊ぶ声が聞こえ、なごめる景色だ。


( ドッグローズ)

日本に自生するドングリの木は20数種類ある。
山の家の森庭には秋冬にウリ坊がやってくる。目当てはシイの実。
他にコナラ、ミズナラ、クリ、ブナなどがあって、葉っぱをみながら覚えた。
他にもいろいろあるけど全部はまだ知らない。
先住の木々たちを名で呼びたいので図鑑が手放せない。

自然を模したという「ののあおやま」の植栽はモッコク、コナラ、エノキ、ケヤキヤマザクラなどがあった。
まだ若木、住む人々に見守られ、大きな木に成長できるよう願う。
その間にところせましと植えてあるのは、茶花でよくみる山野草など。

緑や花、木陰があって水が流れる小さな森が、身近に出来たのは嬉しいことだ。
スクラップアンドビルドでコンクリートで固める時代から少しだけ変わった。
変えようとする人がいるのが希望だ。

メインの建物の高層マンションの家賃は高い。公団住宅だった頃の何倍になったのだろうか。
住める人は限られていて、自家用車を使うだろうから、あの散策路を歩いたりはしないのではなかろうか。眺望も東京タワー、森ビルの方へと作られているだろうし。


(都わすれ)

ののあおやまの遊歩道へ入らず直進して右へ行くとキラー通りへ、
その途中にカフェがいくつかある。
左へ行くとお箸で切れるとんかつが名物の「まい泉」から表参道へ。
どちらにも行かずに脇の小道に入るとチョコレート屋があった。
前はなんだったか……新しく出来た店で珈琲のテイクアウトができる。
できたてを売るチーズ屋に寄って、再びののあおやまへ。

1階飲食エリアにスタバの創業者エリック・ローズの店が出店していた。
そのわりには人気がないのはコロナ禍のせいだろうか。どちらにしても縁の無いレストランだからいつも素通りだ。
木のテラスでちょっと休み、仕事場へと戻る。こんな感じで近場を歩くのは、外出を控えた日々のちょっとした気晴らしになった。
人出が少ないからできることで、正常に戻ったら靑山通りはやっぱり観光地で246だ。ゆるゆる歩けるのは今のうちかなと思う。


静寂と、木の息に包まれた森庭にほんとうはずっといたい。
よく眠れるからだ。
東京では不規則で寝不足が日常、後しばらくは往復しながらの生活だ。
この暮らしかたになってもう20数年。思いがけない変化は森にも、そして都会の真ん中でも起きた。原因はヒトノナセルコトだ。

あしたのことはまるでわからない。
今を生きるしかないのだ。
しかし今を充足して生きるのは言うほどた易くはない。
いつまでたっても悔い多き日々。
都忘れとイタリアン・アスターは似ているけれどもぜんぜん違う。












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