想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

お役立ちかな、君

2011-12-29 09:56:34 | Weblog
ぼかア、例のイヤシってんですか、アレやってるとこ。
おっかあが黙ってる時が多いんで、ぼかぁ心配してるっつうか
甘えてるっつうか、いえ、いやしてるんですな、こうやって。



あはははは、とおっかあが声を出したので、まあお役立ちで
はないかと‥。



あんた、けっこう温かいね、う~んお役立ちお役立ち。
そこらのアホバカチンタンより、よっぽどお役立ちのぷ~ちゃん
だわよ、とおっかあからのお言葉。

で、うさこはバタバタしてるんですが、あと一つ、大事な仕事を
年内に終えて、どうにか一応年越しだぞぃ。
それにしてもこの冷え、仮設住宅、寒いだろうなあ。
ぷ~の温もりをお裾分けしたい‥‥。こたつに匹敵しますです。
何もできない、と思わず、へこたれず、その分はたらこう。

ではまた。
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佳き日を思い出そう

2011-12-23 14:08:06 | Weblog


雪が降り始める前の、静かな時間。
雪は積もる具合によっては楽しさが怖さへと
変わっていくのだけれど、それでもいつも喜びから
始まる。



うちのオヤジ、いやベイビーは後ろ脚が悪くなって
雪に足をとられて滑るようになってしまったけれど
カナダ極北産のご先祖の血が騒いでか、やっぱり雪
の日は喜ぶ。ヒトも喜ぶ。猫こたつで丸くなるはず
だけど、食客3代目のブチャいく猫は顔だけまん丸、
犬小屋に陣取って飯、飯とひっきりなしに鳴く。



原発東電の悪い話ばかりに浸かっていると目の前の
美しいもの、楽しいこと、嬉しいことをスルーして
いる自分がいる。
そこにゆたっとしていられない、気持が落ち着かない。

つくづくと重い日々であるけれど、恵まれていると
いう自覚もあるので重いくらいでちょうどいいのだ、
そうでないと申し訳ないのであるよ。

雪はもうこんこん積もって、ドキドキしながら急坂の
山道を行ったり来たり。まだ忙しいさなかだが今年の
仕事の山場は実はこれから。
まだまだこたつで暖まるヒマはない。
美しい銀世界をただ美しいとだけ思って過ごせた日を
思い出し、小さな勇気。
小さなことを積み重ね、しのいでいく日々。

福島の飯舘近い山ぎわのほうで雪のなかで落葉拾いと
樹皮を削る作業をしている100人ほどの集団がいた。
(某大手建設ゼネコンに雇われて)除染作業だという。
あの落葉を中間貯蔵施設に溜め込むのかと思うと頭が
くらくらする。後先考えない場当たり的な仕事をして
良心はとがめないのか。
日雇い作業員の多くは高齢者だった。

最後の砦は良心。
今行われていることは時の神に問われないのか。







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取り返しのつかないものを取り返す

2011-12-21 11:11:28 | 
取り返したくて、そればかり思い続けている日々。
今年はずっと原発と放射能のことばかりで暮れようとしている。

取り返しのつかないものを取り返すために‥は大江健三郎さんたち
9条の会が鎌倉9条の会で(井上ひさしさんを追悼する講演)
内橋克人さんやなだいなださん小森陽一さんたちと話された内容が
収められた岩波ブックレットの題名。

取り返しのつかないことをしたらどうするか、逃げる人もいれば
そこに立ち向かっていく者もいて、それは取り返せるかどうか
ということではなく、何が大事と思うかなんだろう。

わたしは取り返したい。
失いたくない。
失ってしまって先に逝った人たちに、また失いましたと言うのは
あまりにもむごいことだからだ。
自分の命が惜しいわけではない。
自分のことだけを思って生きられるこの世ではないことを突きつけ
られた今年、それまでだって余分に命をもらったような気でいたんだ
からいまさら命惜しくて騒いだりはしない。

奪った人たち、これは人に奪われたのだから、全力で返してほしい。
愛しみを生み出してくれる大地と大気を、元の持ち主へ返してくれ。
持ち主は人ばかりではない。
あらゆる生きもんに、返してほしい。

黙っていても、じっとしても、返らないことはわかっている。
それだけがはっきりしている。
彼らは返さない。責任もとらない。
だから、ずっと、そのことばかりにかかりきりになって
今年は暮れようとしている。
同じ事をしている多くの人たちに幸ありますように。

知ることが今一番大事なのだから多くの人に今読んでほしい、
隠されてきたこと、知らないままやり過ごしてきたことを、
わかりやすく訴える原発の本No.2のオススメです。
(佐野眞一氏の津波と原発をNo.1で先にオススメしたので)
そして人が生きるとは何かを考えさせる本でもあります。
短く、薄ーい小冊子なのですぐに読み終えますからどうぞ、
お手にとってください。
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oh!baby なにもかも♪

2011-12-19 12:45:11 | Weblog
なにもかも~と歌うキヨシローの声が耳の中で鳴っているので
このタイトル。

ちはー、雪です、雪です、きれいな雪です。
ぼかあ、うれしいです‥‥。
気持ちじゃ走ってるつもりなんすけど‥。


おっかあが笑うので、追いかけてるつもりなんすけど‥。
ぼかあ、ここで雪みるのもう14回だかんね、なにせ。

と、歳を自覚したりしなかったりのベイビーを心配しながら
雪にはアレは入ってないだろうなと雪を眺める。

心配した除染マシンの不具合は修正完了し昨日まで郡山にて
作業を続けていた。実験施設での結果はおおむね良好で8~9割
減少させることができたが本番ではどうか。緊張の中での作業で
おまけに寒い。磐梯山に見守られるようにして、雪が降りしきる
なかで除染用の特殊水を撒き続ける。
結果は平均7割除去。オーケーをいただいてさらにデータの分析を
行うこととして終了した。
ご心配いただいた皆様に感謝申し上げます。
これからも精査しながらさらに上をめざすと一同移動しました。

これから数日さらに高線量地域で実証作業を進めるけれど、
ショウガ湯が大活躍でっせ。

上を振り仰ぎ、空を、山を、樹々を、仰ぎ見て
ありがたくて涙こぼるるの数日でした。
来年に少し希望が見えてきました。
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みんなで歩こう1000万人まで

2011-12-12 16:17:34 | Weblog
12月10日、日比谷公園内の野外音楽堂にて。


司会進行の講談師・神田香織さんはよく似合う着物姿、
もっとスバラシかったのが絶対噛まない良く透る滑舌。
バンバンしゃべってよく伝わる話し方はさすがにプロで
後に登場する「しゃべりは素人」の人達を最初からぐ~んと
引き離していたね。

今回もデモの時間を気にしてか、演壇へ向けて時間を知らせる
ボードでスピーチを急がせるのが気になってしょうがなかった。
大江先生も最後はとても早口で原稿を棒読みされたが、〆だけは
ボードを無視して会場の方を向いてきっぱりと話されていた。

政治家に原発を止めさせるには法制化するしかない、1000万人分
の署名は最低でも必要なんだと。
1000万人が反対していることを無視できる政治家はいないだろう
からと。だから100万では足りない、1000万だと。
1000万という数を思いついた澤地久枝さんは体調の都合で本日は
来られないが、澤地さんの思いはそういうことだと。

黙っている人、署名しない人が原発を容認しているとは限らない。
声を掛け続けて団結するのが今大切なこと。バラバラにやってると
力を発揮することができない。運動とはそういうものだ。

時間ですよの制止を振り切って、檄を飛ばし続けた来年3.11郡山
集会の告知をした登壇者へは会場から怒濤の拍手と応援の声。
制止すんなよ、最後までしゃべらせろーと隣の兄ちゃんが言った。


どっかーんとみんなで笑っている。大受けしたのは神田さんが
大江先生の経歴紹介を間違え、間違えられた大江先生がお茶目な
フォローで話をおもしろくしたのであった。
「わたくしも早熟な人間とは自分でも思いますが、それでも23歳で
ノーベル賞をとるほどではございません、とても無理であろうかと
思います」とかなんとか。芥川賞とノーベル文学賞を言い間違えた
神田さんも後で出て来て、さらに話をおもしろくしてくれた。

どちらかというと戦闘態勢で張りつめた集会場が笑いにどよめいて
なごんだ空気が広がっていくことは珍しく、その一瞬なごんだ。
大江健三郎の小説の展開とよく似ているなあ。
笑いは必要だ。どこでどう笑うか、必死になっている人間が笑う、
ふっと息を抜いて笑ってしまう時が訪れて、それがいいんだ。
そういう幸せ。







偶然知人にも出会って、記念にパチリ。
旗持ちしてくれたママさんたちとずっと離れてしまったが、
みんな最後まで歩いて有楽町で打ち上げして帰ったそうな。
来年2月は代々木公園イベント広場で全国一斉さよなら原発
1000万人署名アクション集会、3月は郡山市開成山球場にて
大集会の予定。またお会いしましょう、仲間を増やして。







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日比谷野音へオイラも行きたい

2011-12-10 10:43:42 | Weblog
さあ、行ってきますぅぅぅぅぅ
エレカシのライブ以来だわ日比谷野音なんて久しぶりだ。
オイラも一緒に行きたい行きたい。



連れてけ、連れてけ、と訴える親分さん。


お気持ちだけいただきます、と言うのに。


バリバリとダンボール製のプラカードを齧るのであった‥

13:00からですよ。さよなら原発日比谷野音12.10集会

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除染技術の現状と科学者の良心について

2011-12-07 10:50:51 | 
(放射能雨が降り出す1日前、まだ美しかった時に撮った1枚)

以下、特定の誰かを非難するために書くのではなく、事実について
知っていることを述べるだけであることを予めお断りしておきます。

日本原子力研究開発機構(JAEA)が募集した除染のための技術に
よるモデル事業が始まり一部公開されているが‥。
技術と言っているものの主流は1.水または湯を用いて 高圧洗浄機で
押し流す。2.重機で掘り返して天地返しもしくは表面15センチ位
を剥がし除去する、というものである。(他にこれらに細かな工夫が
施されてはいるが大別すればこうなる)

流したり剥がしたりした後の処理については汚染土、汚染水のその
後の処理が、仮置場と海や川への垂れ流し問題につながるのだが、
そのことはこのモデル事業では問われていないようだ。
まずは、そこにある放射能物質を除去する方法、が事業の目的だ。

上記のような稚拙とも思える方法になぜ大金の税金が支払われるのか
と思われるだろうが(業者はJAEAから支払われ、JAEAは国家予算で)
新たな技術がないからである。
そのことはフランスのアレバ社から60億で買った第一原発の汚染水
浄化装置に始まり東芝のサリーはまだマシだが同じことで、結果
このたび発覚している高濃度の汚染水が建屋内、側溝と流れて海へ
流入したという事でも明らかになった。
汚染水の濃度を下げる技術という触込みで高額の装置を導入してきたが、
いかんせん放射能相手にお手上げなのが現状である。
ゼオライトはセシウムは吸着するがストロンチウムには効かないなど
今ごろ白状するのはおかしすぎないか? 研究開発はドシロウトが
したわけではあるまい。けれど、できないことは言わずに、できた
ことだけを評価するという方法でゴマカしてきたのだ。

つまり放射能を除去する方法が見当たらん!というのが実情なのだが、
お手上げといっているわけにもいかないので対処していますよ、と
公募もし、予算も組む。これは建前だけのことでもなくあたりまえの
努力であり、やらねばならないことでもある。
ほんとにみんな困っている。それは一般住民だけでなく官僚も行政も
本音でいえばなんとかしたい、だができないでいるのだ。
悪気があるなしではなく、JAEAとて本気で画期的な技術が欲しいはずだ。
本気に見えないのは東電とその関係企業のゼネコンくらいで帝国主義的
思考をそのまま引き継いだ連中は戦艦大和などと自社を比喩し悦に入り
金算段の話ばかりしている。

賞金目当ての技術屋企業や大学研究室(産学協同で)が応募して
そこから選ぶしかなく、選んで試すしかないというのが実情である。
選び方は公平かどうか、もちろんそれも選考結果が発表される寸前
メディアを賑わしたが(みのもんたが取り上げた)、それはむしろ
瑣末なことで、大事なことは金をかけるだけの技術があるかどうか
である。予算消化のためにとりあえず選んだ感もなくはないが、
一社、無名だが期待されている企業がある。

この数ヶ月、この周辺を取材し開発に協力もしてきたが一昨日も書いた
ように、いい結果をまだ得られていない。
これはいわばダークホース的な技術であった。
3.12以降、東電のだらだらとした記者発表を見続けた日々にわたしは
考え続けていた。今なにを為すべきか、考えていた。
いつもなら周辺が賑わうはずの五月GWの森の中で、死んだように、
静まり返った森にいて、思い切って東京へ電話をかけた。
十数年来の知己だが、数年ぶりにかけた電話であった。

「そんなことはできない、放射能がとれるわけがない、ムリムリ、
無理ですよ、何言ってんですか」と電話の相手は応えた。余裕の声に
昔の記憶が蘇りもし、この人に電話したりして最低だと自己嫌悪で
あった。しかしダメに挑戦するのは仕事ではないか、この国難の時に
君は平気でいられるのか、自分さえよければいいというのかと言うと、
そんなことはないと彼も言った。
そこから始まったことである。
夏が終わるころ開発に成功したという知らせがあった。

前の記事に書いた放射能が落ちないという結果の原因もわかっている。
功を急ぐあまり、検証を重ねるという科学者の良心を打ち忘れたから
である。その上で目の前にある一つの結果に対して理論で裏付けした。
役所も官僚もペーパー、ペーパーと書面でばかり判断するから書かれた
数値がモノを言うのである。

わたしは現場で検証してくれと催促し、現場での数値でなければ信用
されないと促し、そして高濃度汚染地域の民家と、浪江町赤宇木の山へ
でかけてもらった。その頃は皆、はりきっていた。
放射能専門学者2名の立ち会いの元に試験は行われた。
その結果6割から7割のセシウム濃度低下の結果が得られたのであった。

これに喜んだ開発担当者はあとは公募、公募で、現場での検証を重ねる
ことをしなかった。営業した相手先への責任を感じていないのではないか、
と指摘するとようやく腰をあげて汚染地域で実験を再び行った。
その結果を明らかにしないので三たび催促し、面前で行ってもらった。
今度は本当に思わしい結果が出ない。
そうなると逃げ腰で、いいわけしかしない。
専門用語を使って煙に巻こうとさえする。普通の人の感覚をあなどって
いるから、べらべらとしゃべる。しゃべればしゃべるほど、目の前の
数値が現実性を帯びてくるのである。いったい何のための仕事であるか、
忘れ果てている。自己保身などどうでもいいことなのだ。誰も個人を責め
たりはしていない、東電は責めても。

ダメだったという結論は、すなわち「放射能には勝てない」につながり
「半減期を待って放射能とともに暮らし生きるしかない」ことになる。
土壌汚染を解決してもらいたいと思う気持ちは今も変わらない。
だから、軽卒で無責任すぎる諸々の除染業者にさらに技術改良を促し開発を
進めて公募技術の実証の約束を果たすべきではないかと話した。
するとダメかもしれない、ダメだったら止めるとあっさりと言い出す始末で
あった。それなら金目当ての東電関連業者と同じである。
やる気を出したのは除染でひと儲けできると思ったからということになる。
金を先に積んでもらえばやりますよというのと同じだ。
公募は先に予算ありきだったからはりきったというわけだ。
厚顔無恥には呆れる。やっぱりまだこういう人なのか‥と最初の電話の時
の後悔が蘇ってくる。

高圧洗浄機で約2~5割かた落ちるセシウムをそれ以上除去し濃度を下げる
ことができれば良しとし、もう今はゼロにせよという目標はわたし自身が
取り下げた。限りなくゼロにできますと聞き舞い上がって喜んでいた日々は
夢であった)
けれどもやはり何もせず見過ごして知らんフリしていいのだろうか。
苦しむ人をぬか喜びさせ、不相応な接待を受け、逃げていいのだろうか。

というわけで、モデル事業の実証とは別に実験をさらに繰り返す事と
している。秘密裏に事は進め非公開なのは企業側の事情である。
NHKはJAEAの情報で取材申し込みをしてきたそうだが、今応じられる状況
ではない。テレビカメラの前で放射能測定器の数値をどう言い訳するのか
嘘をつけば罪である。嘘をつかなくていい結果を得てからの顔出しでしょう
と出たがる社長に言った。

実験の結果はこれから先はお知らせしていこうと思っている。
良いことも悪いことも明らかにして前へ進まねばならないと思うからである。

シモーヌ・ヴェイユという詩人は、人の苦しみに寄り添い生きた人であった。
寄り添うだけなら普通だが、自分だけ幸福にはなれない、温かい場所に我先
にいるわけにはいかない、そのような幸福を幸福とは呼ばない、と。
疲れきってしまい、風呂の中に分厚い詩集を持ち込んで読み、慰めとした。
こんなことくらいで嘆いてばかりもいられない。




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いやー、もうほんとに落胆

2011-12-05 02:44:58 | Weblog

この風景も汚染されているにちがいないなあと思いつつ
試験場の牧草地を撮った。
この日まだ、落胆は少しの予感だけであった。



シマコがこなくなって三月。姫がもしかしたら森の奥で
帰らぬ猫になってしまったとして、そのことを落胆したり
はしない。シマコはよく生きたね、と思うから。
放射能で汚れた森を地面から15センチくらいの場所を歩く
猫の身になって考えるだにおそろしいことで、悪い病に
冒されるより寿命をまっとうしたと考えたいし。

除染の良い知らせを早く書きたいと思ってこの二カ月を
過ごしてきた。関係各所に差し障りがあって書ける日を
待っていたのです。

でも、またその日が遠のいてしまった。
除染、できたはずが、できていない!!
放射能は残っている、という結果が出たので、それじゃあ
ダメなんである。企業は少しでも落ちれば落ちたことしか
言わないけれど、除染を依頼する側は限りなく0に近い事
を希望している。いろんなインチキがまかり通っているが
通っているわけではない、我慢しているのだ。

除染の技術開発者は取材に応じて自信満々であったけれど
今は雲隠れ寸前である。
逃げるわけにはいかない、開発を続行するしかないのでは
と言ったけれど、利害で動いていた者の考えを変えるのは
重い岩を動かすほどにわたしには難しい。

人の災難が金になる、そんな商売は世の中にあふれていて、
そのことをとやかく言うほど閑でもないが、今起きている
ことは別次元のことではなかろうか。
放射能で住めない、作物が作れない、どうにかならんかと
苦悩し、除染業者と放射能専門家を神か仏かというように
拝まんばかりの対応をしている人を前に、業者は気持ち
よさそうだった。

まさか、人の災難が金になるとほんとにそんなことしか
思っていなかったとは夢にも思わず、がっかりしたことで
あった。
しかし、落胆とかがっかりですますうさこではござーません。
仕事は仕事、責任は果たしてもらいましょう、と首に縄。
国の金、つまり税金使って何しとんねん(こういうときは
関西弁がええよねえ)とどついてやります。

某大学の放射能研究者という肩書きで人を信用させて、
除染事業を請負ってきたのだから、専門家らしくしっかりと
最後まで研究開発せんかい、ということ。
あきらめると思ったら大間違い、諦めたりしないんだから、
ワリーやねー。どだい成果も出さずに金だけ持ってこうなんて
甘い、甘すぎるよ。火事場泥棒って言うのよ、そういうの。
ちゃんと働かないとNHKにばらしちゃいますよ、マジで。
(開発担当研究者はついこないだまでNHKに出たい出たい
言うておりましたが、なかったことにしたいでしょうから)

と落胆から立ち直るために、息巻いているつもり‥‥。
いい知らせができなくて、ほんとうに申し訳ないです。










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