想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

猫にしょうがないはない

2015-09-23 13:40:58 | Weblog

夏も終わり涼風になり、落ち葉散る秋、森は肌寒い
時節になりました。
雨が多かった月初めの頃、久々の日差しの下の
特等席になっているボンネットの上。
カメラを向けていると、



ポーズを変えましたね、ジョリコちゃん。

猫をいくら見ても、彼女彼らの生態は不思議
なことばかり、よくわからないが、わかること
は一つありました。

猫はあきらめない。
猫に「しょうがない」は無い。
猫は寝ているからと言って怠けているのではない。
ということであります。

人は起きて怠けます。無駄じゃね? つうか~
寝だめして病気になる、アホじゃね? 
嘘ばっかついて、でもあのその…と上塗りする、
嫌らしくね?

まだまだあるが、これこそバカらしいので
やめときます。
ようは猫礼賛です、犬礼賛の次は猫愛。
脳みそ肥大したのを利口と勘違いして、
天性を失い畜生以下に劣化したヒト科いきものが
いかに迷惑千万であるか。

日本人の8割が反対していても、2割の人でなしが
支配できる国ってなんじゃらほい。
黙って自分さえよければいいって思ってるヤツほど
バカなんですが、すみません、気が立っているわけ
ではないですが、ほんとのこと言って何がわり~
とかまでは言いません。

ごめんなすって。
じゃね? じゃね? って若ぶって語尾ってみました。
にあわね~とわかっとります。やめます。
昨日の疲れで脚が腫れあがって、今日はじっとして
百人一首でも読んで憩うとします。




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猫のノーテンキに救われる日

2015-09-08 08:09:17 | Weblog
しっとり濡れた樹々の色はいい。
晴れた日のよりも、いくぶん好きで眺めてて飽きない。
時間が止まった世界にいるようで。

しかし…雨が上がると…



庭の草むらでくつろぐ(腹ごなし…)親子たち。
望遠レンズで観察中。
右がチャプ、よく見えないがおっぱいあげの最中。

左がジョリコとその子。この子はおっぱい卒業し、
やんちゃ盛りである。



何かを狙っている。



じゃ~んぷ、したが、逃げられたらしく
まだ小さなバラの木にて爪研ぎでごまかそうと
して、うさこにパンと手を叩いて呼ばれ止める。
呼びにくいことこのうえない
「ジョリコの子!」「だめよ!」



イトコのチャプコをどけて叔母チャプを襲う
ジョリコの子。猫はシッパイすると、かようにごまかし
さっぱりと忘れる、ノーテンキさが最高である。


格闘中、どさくさにまぎれ、おっぱい泥棒か…
ジョリコは右手から背後へ移動。





ついにチャプ叔母はキレる。
うっせーよ。
母ジョリコはくつろぎ場所を移動して背後へ。
緑の大きな葉の後にジョリコ、だまし絵みたいに
隠れているが、全員の視線はカメラ(縁側)を注視。



縁側のおばちんが呼んでるから~って呼んでない。
呼んでない。
来なくていい。
そこで止まれ、と言っても犬のように聞いてはくれず。



一番乗りじゃ。
たぶん、チャプの脳内にはミルクのお皿が浮かんでいる。

秋雨が激しく降って、ちょっとした晴れた間の
やさしい風景。
みどりの草むらに、紅く染まった桜の葉が落ちて
樹々も夏の名残りの夢をみているようだ。
楽しさのあとの、やすらぎ。

これから実りの季節。
木の実が成り、黄や赤の恵みの色に染まっていく。
夏櫨(ナツハゼ)の実もたくさんついて赤くなって
きた。赤から赤黒くなったら収穫する。

収穫した実は今年も放射能測定所へ持って行く予定。
ジャムにしたい気持ちは山々だが、まだ食べない。
まだ4年半、でも4年半、そういう葛藤よりも
冷静に観察する、という苦手なことをやっとります。
木の実は一つのバロメーターになると思うので。

政府が決めた放射能安全基準値は100ベクレル上限。
都合にあわせた数値だ。誰の都合か?
東電関係各所関係かたがたの都合である。
食べて応援はできない。

本来はゼロ。自然のなかに元々あるものはかぎりなく
ゼロに近い数値で検出される。
前回測定時は5ベクレル/kg検出だった。NDではない。
このくらい食べてもいいんじゃないか~と測定所の
兄さんは言った。オレなら喰うね、と。
そばで聞いていた受付の姉さんは、この人の話は
いつもこんなふうだから相手にしなくていいです、
と半笑いだった。

冗談にできる数値だったから暗くはみんな暗くは
ならずに済んで、でも食べないよ~と返した。
実際、2本しかない夏櫨の収穫全部を測定に使った
のでもう食べる分はないのであった。

夏櫨の樹が大きくなるころ、わたしがおばあさんに
なっている頃、測定に出しても余るほどの実がつく
頃には、セシウム137は減っているだろう。
またまた上から降ってこなければの話だが。

再稼働に賛成する人々は、何も失っていない人か
失ったことに気づいていない人である。
あるいは自分の持ち物を失なっても、
また手に入れればいいと、金さえあれば手に入ると
思っている人だろう。

この庭の夏櫨は、この世でひとつ。
この樹のいのちは、この樹だけのもの。
代わりはないのである。










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おばあさんの気分

2015-09-01 02:18:05 | Weblog
杉良、スギリョーポーズ。
流し目で誘ってくるという意味ね。

猫の喉、ゴロゴロは岩合さんによればご機嫌
よし、甘えてよし、なんだそうだ。

うちのお客さん猫のジョリコは小さくゴロゴロ
を聞かせながらガラス戸の隙間に頭を入れてくる。
ミルクください、に聞こえる。
親子だと、「てぶくろを買いに」を連想する。

ミルクはつまり、わたしにとっての薄皮饅頭
みたいなものかと思うので、そう度々はあげない。
大好きでおいしいものは我慢した方がもっと
おいしいのだ。
だから、あげ時がある。
ご飯食べる前にくれ~というのは無視する。



腹いっぱいである。
親子でひっくりかえって寝ている。
うつぶせだと、おなかを圧迫してクルシイ
と見受ける。
ここまで安心されると、悪い気はしない。

縁側にみかけない猫がそおっと近づいてきて
ジョリコとチャプに緊張が走った。
真っ白な猫、雄のようだった。
ま、ここに来る猫たちはみな親戚なんだろう
と思うが、縁側を中心に縄張りができている。
様子を見ていたが、緊張が高まり二匹とも
臨戦態勢のポーズになってきた。
しょうがないなあと、真っ白の猫の方を向き
パンと手を叩いた。

いや~、そんなことじゃ逃げないね。

だるまさんがころんだ、みたいになった。

しょうがない。
玄関からサンダルを持ってきて、縁側から
降りた。一歩二歩、歩いたら白猫はパッと
逃げた。そして、止まった。
そこでじっとしている。

ちょうど植木の下で、枝葉に隠れたような
具合になっているが、こちらから丸見えである。
しょうがない。
また歩いて近づいた。
ようやく、白猫はフェンスをくぐって出て
行った。

さようなら、またおいでと言えなくて
ごめんね、と見送る。

こうやって、ジョリコは我が代の夏を
寝て過ごす。母猫の江戸から譲られた場所。
しかし、思うに江戸にしても、そのまた母の
シマコにしても、さらに母のミャアちゃんに
しても、みんな野良猫時代の苦労があった。

それに比べ、ここで産まれ、ここで育ち、
若くしてママになり、相続したおうちで、
ご飯つきである。おやつもある。
お嬢様育ちじゃないか、ジョリコ。

親のスネかじりや遺産で楽するヤツが
嫌いなんだけど……
ジョリコのしゃーわせそうな顔を見てると
憎めない。
孫かわいいのばあさんになった気分、
いやだねえ。





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