想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

バラ 復活

2018-06-17 10:19:54 | Weblog
薔薇という字を相変わらず
書けないうさこです。



昨年晩秋にビニールハウスで
覆ってもらったおかげで
移植したバラたちがつぎつぎに
つぼみをつけてくれました。



今はほぼすべてのバラが満開。
数年間咲かなかったカクテルも
愛らしい一重の花弁が開きました。
まだ背丈がとても低い。
この夏に倍ほどに成長させてあげよう
というので(わたしが)せっせと
ニーム撒きをしてくれるカメ先生。

ビニールハウス施行で働いてくれた
M君も、働くだけでなくてバラ鑑賞の
味を覚えて、ひとりハウスの中で寛いで
いたようです(目撃してないけど)。
いいことです、ほんとに。
バラは人を変えてくれます。

胃がん手術後の生活改善に、バラを植えた
女医さんが20年経って現在は約百本に増え
たという庭をTVで公開していました。
門を入るとバラの香りでいっぱい。

香りに癒やされるし、土いじりが身体に
良いのだと。再発もせず健康になったと
話されていました。
もちろんバラだけでなく食事も運動もされ
てのことですが。
バラは人の生きる気力を引き出してくれる
のは確かな気がします。

山の家にいる時間がめっきり減っていて
バラも人任せになっていました。
放射性物質の除染と土の入れ替え、移植、
みなわたし一人ではできませんでした。
ほんとうにうれしい。
感謝しています。

またバラと暮らせるのが、うれしくて
なりません。
それと同時にやはり、庭のある自宅に
帰れないまま、あるいは家を棄てねば
ならなかった浜通り、飯舘、川俣、葛尾、
等々の方のことを想うと心が晴れるわけ
もなく、忘れることはできないのです。


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五月の想い出

2018-06-16 17:51:11 | Weblog
中央の絵は、「トリアナ橋」
両脇の向かって左は「初恋」
向かって右は「想い」
スペイン、セビリア在の画家、
川上順一氏の作品展へ今年も行くこと
ができた。

慌ただしい日程で短い時間しか
いることができなかった。
トリアナ橋は、セビリアにある。
この橋の物語はいずれ本にしようと
川上さんと約束した。
画家がこの場所をなぜ描いたのか。

トリアナ橋の正面、反対側、斜め側
と三方から描きわけた作品があった。
橋梁の鋼鉄の質感と、川面の水の色。
川上さんの絵は毎年、変化している。
いや、進化している。
実際の歳よりも若く見えていた画家が
今年は少し歳をとっていた。
わたしと同じように。


(音楽家)

セビリアからポルトガルの浜辺まで
車で一時間ほどで行くのだと言った。
海を描いた絵が数点あり、尋ねたら
「ぼかあ、海は好かんとよ、砂浜が
ねえ、砂が足にまとわりつくとがね」
と言って笑った。
泳がん? と聞くと、「泳ぐよ」
と言った。
セビリアの自宅も、毎日掃除をする、
風に運ばれて砂が入ってくるからだと
言った。
「ぼくが掃除せんと、うちじゃ誰も
気にせん。あっちの人は慣れとるね」
と30年過ぎてもエトランジェみたい
に言って笑う。

個展が終わったらすぐに帰ると言った。
帰るのは日本ではなく、スペイン。
もう帰るの?と言うと、じゅうぶん、
と言った。居心地がよくないの?
と尋ねたら、そんなこたなかよ、
みんなよくしてくれるよ、と。

ギャラリーにいた短いあいだにも
閉店後の誘いの電話が何本もあって
年に一度の帰郷を待っていた人々が
いることがわかる。
わたしもその一人だが画家の帰る
場所はここではないのだ。

暮らしのある場所が故郷。
大西洋の風と砂と強い陽光の街に
根を降ろそうとしている画家の物語
を聞きに、次はわたしが行くよと約束
して別れた。

帰京して写真に納めた絵を見ていて
気づいた。
めまぐるしく変化していくEU各国は
地方もまた変化に乗り遅れまいとして
開発が進み、アジア圏ほどではないが
古いものは姿を変えている。
けれど、彼の描いている風景は
セビリアの丘や川辺、農地、ポルトガル
の浜辺と海に浮かぶ船、どれも古色を
漂わせ、郷愁に溢れている。
彼が日本にいた頃に営んでいた珈琲店
も木造のレトロは内観だった。
その店を愛している人たちは今も多い。
けれど数年後には建て替えでなくなる。
彼は、違う景色のなかに自分の故郷を
描き出しているように思ったのだった。








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あくどいカードの切り方をする

2018-06-15 15:44:42 | Weblog
(まだ悪を知らない子猫ちゃん)


「東電、柏崎刈羽頼み」
福島第二原発廃炉へ
今日の東京新聞一面見出し。

昨晩のニュースを見ながら、悪い奴らだ
なあ、とチャンネルを変えた。
メルトダウン(炉心溶融)ではない、
事故直後も数年後もそう言い続けた
奴ら。平気で嘘をつき保身を図る人。

メルトダウンと隠せなくなったら、
当時の民主党政権が「炉心溶融」という
言葉を使うなと指示したからだと言い
責任転嫁と隠蔽を続けていた。
事故当時の混乱が治まった後は賠償
問題のために嘘をつき続けた。

みつかった社内マニュアルには
炉心損傷割合が5%ならば「炉心溶融」
と規定されていたことは昨年冬に発表。
なぜ今か?

彼らは公に対して今在ることではなく
とっくに過ぎて時効になったと彼らが
勝手に思い、開き直れると考えさらに
新たな策謀に利用できるカードとなる
と踏んだ時、公表するようだ。

政治家も大企業もそんなものだろうが
東電や日立は特に顕著である。
彼らは「今」の意味をわからないのか
「時は我が手にある」とでも思うのか。


こっちは酸いも甘いも知っている
どすこい野良猫だわよ。

昨日、福島県知事と面会して「廃炉」
を告げたのは、新潟県知事選が勝利
した今こそ「廃炉カード」を切って
柏崎刈羽の再稼働にはずみをという
ところか。

「廃炉」はいいことのように見える。
しかし廃炉は使用済み放射性廃棄物
を片付けることだ。
どこへ片付けるのか。
廃炉をした原発はまだ一基もない。
稼働中の原発と貯め込んだ廃棄物
をできるだけ「安全」のベールで
覆ってきただけで、片付け方は
先送りにして考えないようにして
きたのだ。
「廃炉」はいいことでもなんでも
なく原発保有国と企業と私たちと
皆の背負うべき重い責任なのだ。


(責任だわよ、縄張り見回り)





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