庭から見える桜のうち一番大きな木が
三分咲きだったのが4月24日でした。
いつもゴールデンウィークの最中に開花
するので、このまま咲き続くとしたら
帰ってくる前には満開になってしまい、
地面に散り敷いた花びらを見ることに
なってしまいそうで気になっていました。
29日に帰ってきたらちょうど満開の最中、
最初の木は葉桜になりつつありましたが、
次々に咲いて、森庭ぜんたいがふわっと
明るいのでした。
翌日も桜を見るために歩いて、
ふつふつと湧き上がってくる喜びに
父、そして母を想いました。
花に思う事柄はそのつど様々だろうけれど
高く伸びた桜の上の方についた花たちを
見上げながら、父を思い、今ここにいられる
この時を、感謝せずにはいられない気持ちと
喜びとが満ちてきました。
そして母を思うと、その苦しかった歳月ごと
抱きしめてあげたい、桜が咲いたよ、
咲いたよ、といっしょに包まれるよう
願いました。
降り注ぐ幸せ、
予想だにしなかった喜び
人生にこんな時間があることを知りました。
三分咲きだったのが4月24日でした。
いつもゴールデンウィークの最中に開花
するので、このまま咲き続くとしたら
帰ってくる前には満開になってしまい、
地面に散り敷いた花びらを見ることに
なってしまいそうで気になっていました。
29日に帰ってきたらちょうど満開の最中、
最初の木は葉桜になりつつありましたが、
次々に咲いて、森庭ぜんたいがふわっと
明るいのでした。
翌日も桜を見るために歩いて、
ふつふつと湧き上がってくる喜びに
父、そして母を想いました。
花に思う事柄はそのつど様々だろうけれど
高く伸びた桜の上の方についた花たちを
見上げながら、父を思い、今ここにいられる
この時を、感謝せずにはいられない気持ちと
喜びとが満ちてきました。
そして母を思うと、その苦しかった歳月ごと
抱きしめてあげたい、桜が咲いたよ、
咲いたよ、といっしょに包まれるよう
願いました。
降り注ぐ幸せ、
予想だにしなかった喜び
人生にこんな時間があることを知りました。