谷間の上空にはいつも分厚く黒い雨雲がわくけれど、今年はまだ
豪雨にはならずに済んでいる。このままできれば均等に降って
くれることを願うばかりである。
ゲリラ豪雨は平成10年に経験し、近くの川は決壊したし崖崩れも
起きた。道が消えた。その後数年間、道を迂回し、道のないところは
川を渡って森へと通うハメになったのだった。
ふつうはもう行かないだろうと地元の人には言われたが、行かないって
自分たちの土地だもの、放るはずがない。
想風亭はまだ建っておらず、一号棟の基礎部分スレスレ
まで増水し、浄化槽の鉄の蓋が流された。
蓋は小川の下流200メートルのところで引っかかったため、川は
溢れ、そばの道路は水びたしになっていた。
道路を直しに行って、水を川へ逃がそうと溝を掘る作業中に蓋を
発見した。蓋でせき止められていたのだった。
川の中へもぐって取り出すと、とたんに、溢れていた水が川へと
戻っていく。溝を掘らずともよくなった。
雨が降り続くと、この年の災害を思い出さずにいられない。
そして家や土地が被災した方々をニュースで見ると胸が痛む。
家に、その土地に、帰りたいだろうと。そこに居たいだろうと。
水にも道がある。
通り道を作ってあげればどんな量でも流れ、走っていくのだ。
増水しあたりじゅうを破壊しながら進んでいく。
被害甚大な場所はたいていは通り道が塞がったところだ。
ふだんから水の逃げ場というより通り道があるのだから、
それをよく知って管理しておくということを、ゲリラ豪雨は
思い出させてくれた。
(先週、カメが芝生のヘリに溝を掘っていたのをなにげにみていた‥、
雨が降ってその意味がわかった、仕事が丁寧‥なんだなあ)
自然に逆らい、頭の中で絵を描いた造作物の中に暮らす。
そのことの限界は知っていても、地上の土も水も繋がっている
のだから小さな声ではどうしようもない。
ゼネコンや大建設会社は災害で壊れればまた造作する仕事が降って
くるくらいにしか考えない時代が長かった。現在進行形‥。
いいことをする人の声はデカクない。
声のデカイのはたいていは周囲のことに考えが及ばない、
はっきり言って自己中が多いのである、これ事実。
(マナーブックには必ず大声を出すなと指摘されているしね)
ただし地声がデカクて且ついい人もいて、その場合は自覚して
ボリューム調整機能を正常に作動させているから問題ない。
そういう人はたいていがカワイイ、男性でも性格カワイイ。
ふだんから大声のしゃべくりには疑念を持ってかかるに
越したことはない。下心があると声はデカクなる。
声は肝心なときだけ、ボリュームをあげればよしだ。
もっと小さな声に耳を傾けよう。
静かな声に耳を澄まそう。
大事なことは、大きな声にかき消されてしまうのだから。
その声が悲痛の叫びに変わってしまう前に、聞いておこう。
大切なものが消えてしまう前に、耳を傾けよう。
日本の八月、それは小さな声が集まる季節だ。
遠くから彼方から、望みを断たれた幾万もの小さな声が地上に溢れ、
祈る季節だ。
小さな声を、ちゃんと聞く。聞こえる耳を持たねばならない。
豪雨にはならずに済んでいる。このままできれば均等に降って
くれることを願うばかりである。
ゲリラ豪雨は平成10年に経験し、近くの川は決壊したし崖崩れも
起きた。道が消えた。その後数年間、道を迂回し、道のないところは
川を渡って森へと通うハメになったのだった。
ふつうはもう行かないだろうと地元の人には言われたが、行かないって
自分たちの土地だもの、放るはずがない。
想風亭はまだ建っておらず、一号棟の基礎部分スレスレ
まで増水し、浄化槽の鉄の蓋が流された。
蓋は小川の下流200メートルのところで引っかかったため、川は
溢れ、そばの道路は水びたしになっていた。
道路を直しに行って、水を川へ逃がそうと溝を掘る作業中に蓋を
発見した。蓋でせき止められていたのだった。
川の中へもぐって取り出すと、とたんに、溢れていた水が川へと
戻っていく。溝を掘らずともよくなった。
雨が降り続くと、この年の災害を思い出さずにいられない。
そして家や土地が被災した方々をニュースで見ると胸が痛む。
家に、その土地に、帰りたいだろうと。そこに居たいだろうと。
水にも道がある。
通り道を作ってあげればどんな量でも流れ、走っていくのだ。
増水しあたりじゅうを破壊しながら進んでいく。
被害甚大な場所はたいていは通り道が塞がったところだ。
ふだんから水の逃げ場というより通り道があるのだから、
それをよく知って管理しておくということを、ゲリラ豪雨は
思い出させてくれた。
(先週、カメが芝生のヘリに溝を掘っていたのをなにげにみていた‥、
雨が降ってその意味がわかった、仕事が丁寧‥なんだなあ)
自然に逆らい、頭の中で絵を描いた造作物の中に暮らす。
そのことの限界は知っていても、地上の土も水も繋がっている
のだから小さな声ではどうしようもない。
ゼネコンや大建設会社は災害で壊れればまた造作する仕事が降って
くるくらいにしか考えない時代が長かった。現在進行形‥。
いいことをする人の声はデカクない。
声のデカイのはたいていは周囲のことに考えが及ばない、
はっきり言って自己中が多いのである、これ事実。
(マナーブックには必ず大声を出すなと指摘されているしね)
ただし地声がデカクて且ついい人もいて、その場合は自覚して
ボリューム調整機能を正常に作動させているから問題ない。
そういう人はたいていがカワイイ、男性でも性格カワイイ。
ふだんから大声のしゃべくりには疑念を持ってかかるに
越したことはない。下心があると声はデカクなる。
声は肝心なときだけ、ボリュームをあげればよしだ。
もっと小さな声に耳を傾けよう。
静かな声に耳を澄まそう。
大事なことは、大きな声にかき消されてしまうのだから。
その声が悲痛の叫びに変わってしまう前に、聞いておこう。
大切なものが消えてしまう前に、耳を傾けよう。
日本の八月、それは小さな声が集まる季節だ。
遠くから彼方から、望みを断たれた幾万もの小さな声が地上に溢れ、
祈る季節だ。
小さな声を、ちゃんと聞く。聞こえる耳を持たねばならない。