想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

母さんの畑

2009-01-31 02:20:46 | Weblog

 母がまだ今より少し元気だった頃、住まいの脇の空き地を耕して
 畑を作っていた。
 コンクリートの団地のどこに空き地があるのだろうと思っていたら
 母の部屋は1階で、その入口近くに土のある場所がちょっとだけあり、
 本当は共有場所なのだろうけど、それを母は「畑」にしたのだった。

 葉ものを植え、それが青青と育つと団地の他の住人のだれかれに配り、
 喜ばれていた。みそ汁の具にしたり浅漬けにしたりするのである。
 誰が作っているのか、毎日見ているのだから、もらう方も安心している。
 小さな小さな畑である。

 今はもうずいぶん弱って、外に出てもちょっと歩いてみるくらいだから
 この畑は荒れたようだ。母に言わせると、一年も放っておいたらただの
 土くれだからという有り様らしい。
 昨夏には姉たちが行き雑草を取ったりしたと聞いたが、もとより忙しい
 勤め人だから耕したりまではしない。
 自分で作った野菜を食べていた頃、今より母は勢いがあった。
 ときどき電話で文句を言い合ったりした。
 生きる勢いがあふれて、はみだして、互いを傷つけた。

 数年前に撮った上の写真、母に会いに帰った日のものだ。
 この日、母は曲がった腰が少し伸びていた。
 あさつきを摘んで、食べさせてくれた。
 
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早く人間になりたーい、

2009-01-29 23:11:18 | Weblog
     (オイラは犬神だい、好物はメシ。お供えものはパンの耳とか‥でいいヨ)

  帰り道、ずっと後ろをついてくる声高なおしゃべり、改札口で立ち止まったら
  すぐ後ろにいる。あまりにうるさいのと、耳にしたくない内容なので、
  ついに振り返った。で、ちらっとみて、滞留時間は十秒くらいか?

  声の主たちは、厚化粧、おしゃれしてます的な、オバはん三人だった。
  てっきり若い女性のよっぱらいかと思ってたから、びっくりした。
  眼があったとたんに、普通の話し方にもどり、普通の声に戻って路線表を
  指差し始めた。

  いえ睨んでないよ、眼飛ばしたわけじゃないよ、振り返っただけです。
  ほんとです。
  それにしても、悪口であんなに盛り上がるのか、楽しいのか、まさか!
  早く人間になりたーい、ベムベラベロ、という言葉がつい頭をよぎった。
  切符販売機の方を向き直り、妄想と独り言を広げるのを止めてホームへ。

  妖怪人間ベムベラベロ、子どもの頃の人気アニメ。好きだった。
  昨年の秋、スカパーでやっていたのでつい見たら、その日がラスト回だった。
  子どもの頃にはなかったラストではなかろうか。
  つまり、妖怪人間は人間の悪に焼き殺されてしまう。彼らは最後まで
  人間を傷つけてはいけないという掟を守り、迫害の炎に包まれても、
  身動きしないまま果てた。その気になれば人間なんてやっつけられる力が
  あるのに使わないのだった。やさしい妖怪人間ベムベラベロ‥、
  悲劇のラストシーン、ぐったりし、ふーっとため息ついた。
  アニメなんだけど、心打たれてしまうんだなあ。

  人には優れた知能があるけれども、それは必ずしも善行に
  生かされるわけではない。
  善によざすのは、脳ではなく心のほうだろう。
  心って何? って青春のキーワードみたいなこと言ってなんなんだけど
  何よ?

  旧事的には、神心理気境の心しかない。
  心は修めるものです。
  野放しの感情を我が心と勘違いしてしまうと、自分を疑うしかなくなります。
  妖怪が棲んでるんじゃないかって、さ。
  なかでも嫉妬という名の妖怪は化粧しててごまかすのが得意なんだから。

  
  
 

  




  

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夢見る力

2009-01-27 10:34:25 | Weblog





   それほど太い木ではない。けれども、見た目以上に重い。二人がかりで支え
   短くしていく。この段階はまだ先端の方を伐っただけである。
   主幹を倒すのはこれから。

   冬の晴れた日、風がない日はめったにないので、雑木の間引きをして景観を
   整える。木を伐るのはもったいない、という考えもあるけれど、ここは住処
   でもあるので日当りをよくし、選んだ木がよく育つようにして、景観を作る。
   十年前には木ばっかりで先が見えないほどだったけど、今は歩道もあって
   ちょっと庭園に近づいてきた。

   根気と継続。言うは易しだし、人の批評はできても実行には時間と経済と
   それから精神力がいる。

   どんな精神かというと、夢を描く力。
   大地ははじめ、みんな荒野だったのだ。
   人が降り立った場所は、楽園ではない。
   荒ぶる神々が支配する地を、実りの地に変えていく。
   その前に、豊穣と楽園を夢見る力、理想を想う力がなければ
   はじまらない。

   


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親分稼業

2009-01-26 01:06:19 | Weblog

  親分しだいである。
  世の中には親分稼業がたくさんある。
  内閣総理大臣も自治体首長も会社社長もがっこの校長せんせも親分である。
  親分さんしだいで、子分のはたらきは違う。子分の行く末も定まる。

  日本の政治は長い長いながーいこと、親分さん不在である。
  船頭が多いばかりで舵取りはいない。よって日本船団はようとして
  大海へと進めない。
  そうなると猛者は勝手に小舟で飛び出し、帰りは行きよりでかい船で
  帰ってくる。

  でかい船で帰ってきた猛者は、もはやただの猛者ではなく親分待遇である。
  ビジネス関連書や自己啓発書の類は景気に関係なくよく売れている。
  成功した企業の親分が、どうやってうまくやったか、人はそれを知りたがるゆえ。

  国家や会社だけではない。
  家のなかにも親分はいる。家庭は最小単位の組織、原点である。
  家長とむかしは言ったが、今の世、おっかさんが親分的な家庭も少なくない。
  たとえば姉の家庭は姉が親分である。元夫にかわって長いこと親分をして
  いるので長男は若干、子分肌‥に育ったかと思いきや、
  最近は天性の親分気性を発揮しつつあるらしい。
  ぜひとも子分思いの視野のひろーい、かつ胆の座った親分を
  こころざしてほしいものである。

  子分になれない境遇の子も世間にはたくさんいるのだ。
  親分のもとで育ってこれたことを感謝してこそ将来の道は
  開けるというものだ、子分の心得を忘るべからずだよ。

  ‥‥うちの親分は看板だおれである。
  先生に親分肌ってもち肌? とか尋ねている。
  先生も先生で、そうだねー、とりじゃないなあ、とか答えている。

  わたしは親分に恵まれた、しあわせものである。
  たぶん‥‥、いや、ほんとに、しあわせだ。
  生涯を子分(瘤、昆布ではないよ)で行こうと思う。
  親分稼業は、親分の資質があってこそ勤まるものだ。

     (最近のマイブームは昆布料理、いろいろ入れて楽しみます)

  

    
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脳みそぐるぐるぐる

2009-01-25 03:07:23 | Weblog
  この週末は再び冬本番の寒さ、融けかけた雪が凍りついてツルツル滑る。
  でもみんなは外で木工、作業小屋の扉を修繕していた。
  うさこはときどきそれを窓から眺めていた。
  ちょっとお疲れちゃんな週末なのである。

  脳を活性化するのに、指を動かすのはとてもいい。

  「瞑想をして脳幹を鍛える」以前に、やらねばならないのは
  脳にはびこった垢落としである。
  固まった情報を揺り動かして、使わない神経を使い、ぐるぐるぐるぐると
  かき回す。かき回されて、整理されなおして、その上で瞑想するなら有効
  であるが、固定概念でこりかたまった脳は、深呼吸して眼を閉じただけでは
  深い瞑想には入れない。
  雑念がわいてきてできない、というのは当然なのである。
  水泳みたいに準備体操が必要ということ。
 
  そこでパソコン初心者の練習はボケ防止にもなるし、便利なツールを使える
  ようになるし一石二鳥、暮らしにも役立って趣味にもつながる。
  表向きはそれで、脳の活性化というサイドBの効果、実はそれが狙いである。

  そうそう、今日の話は先日のパソコン初心者の練習のこと。
  中年以降(70代も含むぞ)の女性が集まってのプチ講習会をしたら
  楽しくて、盛り上がった。
  ブラインドタッチの練習はそれぞれ自宅でやらねばならないが、
  講習(というほどのことでもないが)という名目で集まって、なんだか盛り上がり
  しゃべりまくって、ご飯まで食べて解散した。

  パソコンの画面を見ないで、正確にキーボードで文字を打つことを
  ブラインドタッチといいますね。
  ビジネス文書を打つ人はあたりまえのことだが、趣味でPCを触る
  くらいなら一本指でも差し支えないので、ブラインドタッチなぞ知らんと
  いうひともたくさんいる。

  これを覚えるのに、1日10分を数ヶ月積み重ねる。
  キーボードの定位置(ホームポジション)に4本指を置き、親指は自由にして
  めんどうでも決まった位置を決まった指で打つ。
  10分が20分になり30分になり、と継続して練習しているうちに
  だんだんと指が自然にキーをさすようになる。
  このための練習ソフトもあるようだが、ただキーボードを前に毎日練習すれば
  いずれ上達するので、必要なのはキーボードのみ。ないときは紙の上にキー配列
  を書いたのでもいい。

  では何を打ち込むか。テキストはなんでもいいのだが、ました。 です。
  である。など文末はだいたい同じなので頻度が高い、そういうテキストを使う。
  すると打った量が多いキーを先に覚える。
  すっと指が動き、目的の字が打てる、その箇所が増えるにつれ、
  えーっとどこにあるのかい? とキーを探すのにストレスを感じないようになっていく。
  ストレスから快感へと移行しはじめると、さらに覚えが早くなり上達していく。
  1日10分から始め、数ヶ月すれば、ブラインドタッチで打てるようになる。



  大昔のことだが、わたしは1日2時間程度を続け約一ヶ月くらいで覚えた、
  仕事で使うのだからやむを得ずではあったが、覚えてからはその便利さが
  よくわかった。
  最初はワープロ時代だから親指シフトキーボード、そこからPC、Macへ
  移行するたびにイライラと苦難のときを迎えたが、これまた覚えれば楽であった。
  知るよろこび、これもその一つではあるな。

  そうそう講習会で試しに作ってみたSさんのblog、あと晩ご飯日記もWORDで書いたり、
楽しみが広がりそうだと言う話。
子どもや孫には無理だと言われたけど、意外にやれるわ、と意欲的です。
  そうなんです! ぼちぼちでも続けていくといいと思います。
  

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無知のススメ

2009-01-24 14:37:30 | Weblog
      
  知らないから、知るとおもしろい。
  知らないから、知って喜べる。
  知らなかったから、だから興味がわいて楽しい。
  あるいは、知らないことで生きていられるという皮肉。

  反対に
  知らなかったら、恥ずかしい。
  知らないから、できない。そう思う人もいるだろう。
  または、知らないから犯した、しかし知は連続する。
  間違いを犯したら終わり、ではない。

  昔の人は「聞くはいっときの恥、聞かぬは一生の恥」と教えた。
  意味深いことを簡潔に言ってくれたものである。

  知ることは楽しい、常々そう思ってきた。
  余裕があるときの興味としての「知」を言っているのではない。
  仕事上のことで何人かの弁護士とつきあいがあった。
  彼らは物知りであるし、頭の回転が早く、嘘もつく。
  言葉を武器に闘う職業なので言葉巧みはあたりまえだ。
  しかし策士策に溺れる弁護士もいたし、詭弁が露呈してしまったときの
  素顔はお粗末であったりした。
  最初はおずおずと、しかし観察をおこたらずに彼らと接していた。

  ある日、一人の弁護士を解任した。
  解任通知を裁判所へ出すと、エラい弁護士はわたしをののしった。
  私を誰だと思っている! と言うのであった。
  だからあなたを解任した、とわたしは答えて丁寧に礼を述べた。
  知った上での決断なのだ。
  それからも、エラい弁護士に何人か会い、共に仕事をしたが、
  その中には尊敬できる人はいなかった。
  彼らはよく「知っている」が、足りないものがあった。

  わたしが今もつきあいのある、仕事上は無論の事、私的にも心強く思う
  職業、弁護士という人が二人いる。(二人もいる!)
  経歴、キャリアがそれぞれまったく異なるが、共通しているのは
  熱い人、知識を骨肉化し、血を通わせているのだ。
  単に法曹の専門家ということでなく、人であった。
  もう一つの共通点は大酒飲み、ふたりとも酒好きで酒に飲まれない。
  ちなみにわたしは酒にめっぽう弱いので一緒に飲んだことはない。
  彼らにわたしは本音を言い、彼らもまた正直で、嘘がなかった。
  単なる物知りでも専門家でも法曹のエリートでもないのであった。
  (弁護士の一人は知る人ぞ知る、偉いといえば偉いが‥)

  死刑囚永山則夫の言葉「無知の涙」、これも文字通りに
  受取ってはいけない言葉だ。
  この涙は、知る喜びを含んでいるのだから。
  知ることから、生きることは始まる。
  知ることから、闘う勇気はわいてくる。

  誰かに自慢するためでもなく、誰かに聞いてもらうためでもなく、
  自らのために「知る」のである。
  もしも「知」のよろこびがなければ、生きることはなんと味気ない
  ことだろうか。

  意識せずとも毎日が、新しい「知」にあふれ、それを無意識に享受し
  感謝して生きてきた古代の人々は本当の意味でかしこいのではないか。

  そういう思いで生きるならば、知らないことを知ったとき
  今ここにいることを喜べるのではないだろうか。
  苦しんでいる時に喜んでなどいられない、という声もあるかもしれない。
  けれども、苦しいのはなぜだろう。
  苦しみに深く沈む前に、まず智恵をさずかること、知ろうとすること、
  それがあるではないか。
  葛藤のとき、ぐるぐると渦巻き堂々巡りする脳みそに風穴をあけるのは
  逃げ道を探すことでも言い訳でもなく、知ることなのだ。


       (親分もいろいろ知っていますが、日々精進、日々楽し)

  わたしは困難なときに、いつも新しい知と出会い、救われてきた。

  死にたいとばかり考えていた若い日に、司法試験の浪人だったある女性が
  「君、世の中は興味にあふれているよ、本をたくさん読みなさいよ」と
  声をかけてくれた。その言葉はちょっと、いうなれば稲妻のように
  わたしを刺し貫いた。
  だからといってすぐに立ち直ったわけでもなかったけど、彼女の顔と声を
  いくたびも思い出したのだった。
  立ち直った後に、さらに大きな知との出会いが待っているのだとは、
  その頃はなんの予感もなかったが、知の糸をたぐることだけは続けた。
  人生はおもいもよらないもの、大きな知との出会いはその数年後であった。

  知は、智であり、覚(ち)である。
  初めのときは知、それが育っていき覚となったときの大きな喜びは
  次の一歩を歩ませてくれる力となる。

  知らないことは決して悪いことではない。
  知らないは、知ることの可能性を秘めている。
  「知っている何もかも」ならば、神サマになってしまう。
  人は人、無知の自覚があれば、知るへ至るのだ。
  ゆえに、無知のススメ。


  (上の写真はねずみ師の門下生みんなで作った棟、冬景色もいいよ、
       M君、S君、OBみんな忙しい仕事の合間を縫って寄っていきなせえ)









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信じるということ

2009-01-22 00:33:50 | Weblog

   信じてください。
   信じています。

   そんな言葉を交わしたことが、一度ならずあったと思う。
   あったと思うなどと、他人事のような言い草をしているが、
   このところ、言わないからである。

   不信のとき、だからなのではない。
   むしろ、逆かもしれない。
   信じることで生きていられるのだと思うから。

   しかし、信じるという言葉は不思議な、ビミョウな、落とし穴のある言葉だ。
   信じると口にしたとたんに、ガラガラと音をたてて崩れる気がする。
   口の端に上せてはならず、腹の奥底に秘めて大事に守るべき言葉ではないか、
   そしてそれは誰のためでもなく、己のために。

   信じる、まことするのは、誰か?
   己がか、それとも対象がか? 
   前者ならば秘めておくこと、後者にならばなおさらに控えるべきである。
   「あなたを信じている」はすなわち「あなたは真実、間違いがないと思う」と
   言うことである。良いことだと思って口にされるのだが‥‥

   言えば泡のように消える。
   信、それは心そのものであり、また行いそのものであり、
   その究極のありようをさした言葉だからではないだろうか。



   約束をしない恋人を、むしろ誠実なのかもしれないと思いなおした日、
   そのときから少しずつ愛に近づけるように、
   形にしないこと、ならないことのなかに、ほんとうがある。
   それを見、感じる心眼。

   虚しさを知ると、口数が減り、その分、愛は深まる。
   
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介護保険と老後の平穏

2009-01-20 10:29:51 | Weblog
       ーー親分も今年は11歳、老境へさしかかったなあーー


  もしもし、という母の声はひさかたぶりに明るかった。
  介護保険の要支援の認定を受けられないかもしれないのと電話
  してきたのが少し前のことで、その日はひどく沈んで暗かった。  

  およそ90度近く前傾し曲がった背骨で自立できないのでよりかかって立つ。。
  それがどれほど難儀なものか、身の回りのことさえおぼつかないものなのか、
  ひどい腰痛を体験でもしなければ、ただ見ているだけではわかるまい。

  ケア・マネージャーが言うには、施設に入るという方法もあるので
  考えておくようにとのこと。
  施設の意味を母はよくわかっていなかったが、一週間に一度訪問して
  くれていたヘルパーさんが来なくなり、自分も今の場所に居られなく
  なるという話に、しょうがないね、と言う。
  言葉とはうらはらに、不安がにじんでいる。

  知人のSさんやOさんは母より十歳以上若いが、一週間に二度ヘルパーが
  来てくれるそうだ。
  Sさんは都内の瀟酒な住まいに一人だが、裕福な暮らし、Oさんも一人暮らし、
  まあまあの暮らしで財産もあるらしく将来を案じていない。
  月に何度か観劇やら買物や食事に孫や子どもと出かけることもできるので
  ときに誘ったり誘われたりして楽しんでいる「いきいき世代」である。
  母は市営住宅に住み、老齢年金から健康保険料と介護保険料を天引き
  された残りとわずかな仕送りで暮らしている。
  双方の介護認定の内容を比べて思う。
  東京と地方とで格差があるのだろうか、
  それにしてもどういう認定のしかたをすればそうなるのか。
  本当に必要な人のところへ、行政は目を向けているのか、否ではないか。

  不安なのに不安と言わないで、こう言われたよとだけ話す母に、
  だいじょうぶですなんて言っちゃだめだよ、遠慮ばかりしてたら
  だめなのよとわたしは普段より強く言った。

  田舎で暮らしていた人が年老いて住み慣れない、それも東京なんかへ
  移り住むのは酷なことである。
  毎日、お茶のみにくる友達がいて、歩きなれた近所十数メートルかそこらを
  行き来して運動するというだけの楽しみさえ奪われ、テレビだけが相手の
  日々になってしまう。

  数年前、いつ歩けなくなるかわからないから今のうちにと思い立って
  東京へ連れてきたことがあった。
  伊勢丹新宿へ行き、階上の寿司屋で昼食をとった。エスカレーターは危ないので
  エレベーターを使った。
  表参道の花屋の前で写真を撮り、ブティックの前のベンチで休憩した。
  青山通りから一本入った場所に、当時の東京での住まいがあって、
  そこへ向かうために大通りを歩いた。
  歩きながら母を見ると、緊張でこわばっていた。
  わたしに気づいて笑い顔を作るのだが、どう見てもそれは疲れきっていて
  介助用の手押し車を使って歩いていた母は足早にすれ違う通行人に押されて、
  ときどき立ち止まり動けなかった。

  故郷に着いた日、母はしきりに楽しかったよと言ったが、帰路の空港での
  航空会社の対応やその前の鉄道会社の車いすの人への配慮のなさに萎縮していた。
  抗議する老人もいれば、母のように小さく縮こまって消え入りそうになる人も
  いる。
  作り笑い、すまないという気持ち、母は自分に対する他者のおもいやりの
  なさに怒るのではなく自分をふがいないと思い、周囲への遠慮でつぶれそうに
  なっていた。
  同行していたわたしはもちろん黙っていなかったが、それを止めるのであった。

  連れ出すのをやめようと、そのとき以来思ってきた。
  ある意味、迷惑な思い出づくりであったなと反省した。
  母は今もときおりそのときのことを語り、写真を見、またいつかと言うには
  言うが本気でないことくらいわからなくない。
  今回、施設という話が出て、それならばこちらへ来ればよいのだから施設には
  入れないよ、何言ってるのよと叱ったのだが、電話を切った後、母の不安は
  わたしへ感染していた。

  そして今日、これまでと同じようにヘルパーさんが来る、半年間、半年たったら
  また見直し、と話す声は明るく大きくはっきりとしていた。
  その場所で暮らせることが母の余生にはもっとも大切なことなのだった。
  母の生活レベルはとても低いのだけれど、贅沢を知らない人なので
  苦にはならない。とりたてて望みも持たない。とうに諦めているから。
  不安がなければよい、それだけのこと。
  市営住宅の居室にて読書して過ごす時間が人生の充実なのである。

  母は若い頃から苦労しつづけで、五十歳で寡婦になった。
  老齢の今が一番おだやかな時間。
  そういう人から平穏を、人としての誇りをとりあげる制度、
  新しい介護認定の基準が施行されている。
  福祉が貧しいなどと批判する気力も萎える、圧倒的に悲しいことだ。

  感謝も誠実さもなく法案を作るのは、誰か。
  その人々には、老いた父母はいないのか。
  誰にも老いの時は訪れる。自分には蓄えも財産もあるという甘い考えの奴らは
  人生の幸不幸はそこにないことを、いずれ知るときがくる。

  人の生涯というのは、その意味で平等であると、わたしは思っている。
  現実の不安の前にまだ立っていられるのは、かろうじて、そのことを
  覚っているからである。
 
  
  
  
  
    
  
  
  
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記憶の整理

2009-01-19 11:55:30 | Weblog

        ある夏の光景、記憶(って、日付があるじゃん‥‥)
        雪にうもれた庭を見ていると、花が恋しくなる。
          でも温室のバラはいらない。


   オートマチックのカメラで撮ると、日付を入れることができる。デジカメでなくとも
   バカチョンと呼ばれたカメラにもその機能はついていたと思う。

   ある友人がデジカメはプリントしないですむから使わない、と言った。
   友人は年配者であるが、さほど年配というほどでもないとわたしの感覚では思えるが
   一眼レフのアナログしか使わないのである。理由はさきにいった通りで。
   それで長く使わずにしまいこんでいた一眼レフをあげることにしたのだった。
   彼はとても喜んでくれたが、デジカメの方が楽でいいよというのは頑として否定した。

   たしかにプリントしないことが多い。しなくても確認できるからである。
   PCに取り込んでディスプレイで見る、あるいはCDやDVDにコピーして見る。
   見るためだけなら必ずしもプリントする必要はなく、これらは保存方法である。
   フィルムで撮ったものはネガのままだと傷むのでプリントしたりポジにしたり
   して保存してきたものである。

   そのファイルを取り出してみると、日付がないものが多いことに気づいた。
   日付がないと、思い出せないものもある。
   あれ、こんなのいつ撮ったっけ? となる。

   目で、目の先っぽのほうで、見たものは記憶しない。

   記憶するには、もっと奥の方へしまいこまなければ、消えてしまうのだ。

   政治家の答弁、「記憶にございません」はあながち嘘ばっか、とも言えない
   かもしれない。
   出来事に対して上っ面でしかつきあわず、他人事であれば覚えてなどいない。
   さっさか片付けてどんどん先送りしていけば、頭にも、腹にも、入らない。
   事実について深く見つめたり考えたりしないで、金勘定だけは気にする。
   それも額面だけ。
   預かった血税を証券化して運用すれば、かならず増えるなどという話を
   耳元でささやかれたら、「増える」のところだけが耳に残る類いである。

   歳をとるにつれ、ふとしたときに思いがけない記憶がよみがえり、
   それが自分のものだったか、はたまた妄想なのか、夢なのか、唖然とし
   しばしわからなかったりする。わたしだけか‥‥
   しかし、一度蘇った記憶はそれからひんぱんに出て来るようになる。

   理科の理。ことわりとも訓むが、り である。
   縁 生 極 易 定
   この五つのながれを総称して 理 という。

   理に沿って 定 じょう 定まるのところまで行かないと、記憶の
   装置にとどまって、それは夢のようにふいうちに再現される。

   わたしは幼いころの記憶に中年にさしかかったある日突然さいなまされる
   ようになった。話には聞いたことがあるが、これはトラとウマなのかと。
   それをどのように解決したか。
   理にそって、考えつきつめ、定のところへ運んだのである。
   それで、記憶は消え、おだやかである。
   正確にいうと、記憶がきえたわけではないが受けたストレスによって
   動揺したりしなくなった。

   記憶の入れ替えとでもいうべきか。
   いや、人は目の前にある事実を整理しておかなければ、脳は未整理のものを
   はい、これ、と提案してくるということだろう。
   数十年前のことを提案され、ビビっている場合かよ、とわたしは思った。

   数年前のこと、数ヶ月前のことでも同じだ。
   眼前にあらわれたものを、右へと流さない。

   流していいものとそうでないものとある。
   流したと思っていても、消したと思っていても
   日付の入った写真をみれば、蘇ってくるのだから、消えたりはしないのである。
   ならば、定め のところで落ち着かせておいたほうが後々の平穏のためでは
   ないか。うさこはそう自分に言い聞かせている。

   注:理=五鎮(神、心、理、気、境)のひとつ。
     五鎮は神のハタラキ。
     この神とは拝む対象の神様ではないよ、拝んでも届かぬぜよ。
      



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通いあうのは難しいけど…

2009-01-18 11:54:48 | Weblog
   お天気のよかった日にとったシマコ。
   顔の近くに寄れるようになりました、ズーム撮影では
   ありませんよ。
   片思いも粘れば通じる、こころが通うようになったわけで。
   みかえりをもとめないおもいやり。



   ずっと降り続いているので、空は暗く冷え込んでいます。
   いまも縁側にシマコはきていて、まんまるになって
   居座っています。
   片思いからちょっとだけ、相思相愛へメモリが傾いてきたと
   思いたいのはヒトの勝手な都合でしょうか。

   いいんです、ネコは家につくと昔からいいます。
   いいんです、イヌがうさこにはついていますから、
   欲張りません…。
   ネコはねずみ師が手なづけたんですから、ねずみ師が現れる
   頃をみはからって居座るんでしょうね。

   おかしいのは、昨日やってきたやまざるさんがカメラを構えて
   「あ、いるいる」とシマコの方へ近づいたら、逃げたこと。
   呼び寄せたら縁側の下の端っこからじっと様子をうかがっていて。
   やまざるさんはネコに机の上を占拠されてもされるがままの
   ヒトなんでやさしいんですけど、シマコに認知されるのは
   時間がかかるようです。よくわかりました。

   昨日雑言はいて次の日には何事もなかったかのように
   つきあう人もいるにはいるけど、筋が通らないのはいずれ
   破綻します。過ちを心から詫びれる人になれるには
   どうしたらいいのでしょうね。

   いいわけの通じない自然のなかにいると、いいわけが
   とてもちっぽけで無駄なことだとわかります。
   過ちをおかしたことよりも、いいわけをしている自分のほう
   こそ消してしまいたくなります。
   まちがいもよいことも、一つ一つ積み重なって森の土になり
   木を育て季節がめぐり恵が訪れるのだと、よくわかります。

   生かされているという言葉、簡単には使えない。
   自分を甘やかす人には、似合わないでしょう…
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諦めを知る

2009-01-15 09:32:31 | Weblog
    目覚めると、まず障子を開けてみる。雪の降りぐあいを‥。

雪を食べて、食べながら走る。


    クリスマスツリーの綿みたいな雪?、雪みたいな綿? どっちがどっち?
    模倣が先に刷り込まれる傾向の昨今、ホンモノに反応するのに時間がかかる。

    しばらくして、あーあーあー、雪だー、って
    都会から来た少年少女は言う、回路がつながったらしい。

    切り身の魚しか食べないので、開きの干物をみて、
    どうしてこうなってるの? これ、と聞いてくるので
    それはね、あきらめている姿よ、と教える。

    へーーへーー、諦めたんだーと少年が言い、少女は
    おばちゃん、おさかな?と皿を箸の先で押しのける。

    金持ちらしいがしつけのなっとらん家だわね、と小姑のように思い
    お箸で押しちゃだめよ、と少女に言い、魚も観念すると美味しくなるわよ
    と言ってきかせる。骨があるんだからね、こっちのほうがいいの!

    少女もあと十数年もすれば、だれかの朝ご飯を作ったりするのだろうから
    そのとき株価がどうなっているかなどわからないのだから
    干物の旨さを教えておくのはやぶさかではない。

    森の外からやってきたら、森流にもてなされ、ヘーヘーと驚き
    けっこう、それはそれで愉快なようである。
    今夜は魑魅魍魎の都会へ出るのでこのへんで。
    がくちゃんの歌を聴きに行ってきます。    


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空にまぼろしを描く

2009-01-14 02:40:34 | Weblog


   ここは奈良平野の広がり‥、ではなく冬の陸奥、寒々とした景色である。
   森の中で撮ると樹々ばかりなので、ちょっと開けたところで撮ってみた。
   でも開けすぎ! ひろびろとして、なーんもない。

   ヒラサカというのは境界をさす古語。
   この世とあの世の境界線、よもつひらさか。
   このだだっぴろい道路は約10キロ続いていて、三十年ほど前に
   時の県知事の関連会社が建設に関わったという噂がある。
   つまり地元では必要とされない道路だが、あたいには重要な路。
   この路が集落と森を隔てる境界線である。

   森の中へつきすすむとアヤシげな闇へ入りそうだが、
   こちらの立場では、この広々の道路を降りていった先に魑魅魍魎が
   跋扈している気がして、よう降りていかないのである。



   だがしかし、こもりくに籠って夢を見てばかりもいられないわけで、
   買出しに来た。人は生活する。
   神性と人間性、どちらにもかたよるなかれ、中庸が肝心というのは
   ねずみ師の厳重なる教えだ。
   なのでうさこは生活生活、生活。生活も難しい、夢に入るもの難しい。

   肌をさす風のなか、しばらく立っていて思った。
   千年前、二千年前、人が境界線を引いたのは、あの世とこの世だけで
   隣町、隣国ではなかったろうな。
   人の数が増えるにつれ、あちこちに線を引いていった。
   けれど、地平線と山の稜線の向こうに彼の國を思いながめた昔、
   月がまだ大きく今よりずっと輝いていた頃、
   神と人と地があっただけの頃、その頃を生きた人を、
   そのまぼろしを空(くう)に描いてみた。
   人はせっせと道路を作り領地を広げてきたが、人に道ありというのは
   ついぞ置き忘れてきた。
   交通と書いて、とろけあうという意味は消えてしまった。

   空(くう)に目をやり思う、遠く遠くはなれてしまったなあ。
   でもほんとうは同じ、人は同じ。だからあたいにもわかるんだわ、と気づく。

   うさこは目を開けていても、こうして時々現実にはないものを見ようと
   する癖があって、ほとんど癖の域。だから親分は見張り番。
   日々、活躍してくれていて感謝。
   でも今日は車から降りないで、グーグーグー、よう寝るなあ、どうしたの?
   寒すぎるかい?


   PS:東京から新潟へ移住した赤坂育ちのO君が今年の作付け予定表を
     見せにきてくれた。農業は地ツ神(くにつかみ)のハタラキの内で、と
     話をし、みんなが美味しい野菜を待っているよと伝えました。
     収穫できたらまた報告します。そのときはよろしく。
   

   
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夢のつづき

2009-01-13 00:53:17 | 
       雪が風にあおられて舞い上がる。


       雪の量はたいしてないが風が強くて吹雪のよう。

 
  人に宿る魂が、寝ているときのような現(うつつ)の狭間にいるときに
  旅をする。
 (つまり、夢は寝ているときに見ているもう一つの世界、真実。
  夢の古語は寝目(いめ)だそうで変化してゆめとなったとも言われる。)

  現代の人々は何につけ、証拠がない、科学的根拠がない、と言いつのって
  信じないし取り上げるとバカだと思われるというのを恐れて口の端にも
  上せない。
  小説という虚構の中でだけ書くのが無難ということである。
  だが、昨日書いたことは周知のこと、知る人ぞ知るの事であるが、
  ただ真面目に考える人はあまりいないだろうな。好奇心、数寄ものはいるが。
  よって小説の断片だと思われないよう、話の続きを書こう。

  魂がはたらいて未知のことを夢に教えてくれるのを期待して、沐浴斎戒して
  堂に籠る。
  そして、夢のお告げを聞こうとして長旅もいとわなかった中世の人々を、
  愚かものの迷信と決めつけてしまうのは勝手ではあるが、無粋ではないか。
  「虚と実の皮膜の間に真実がある」と民俗学の大家柳田先生も言われたのだし、
  迷信にもふりまわされてみて、興味を抱いてこそある真実に辿りつくのだ。
  根も葉もない話を千数百年語り継いできた愚だと切り捨ててしまうなら
  では、今という時代のどこが確かなのか。今ほど根もなければ枝葉も見えない
  時はないのではなかろうか。
  未来へ、どう生きていくのか、見えているか?

  聖徳太子の夢殿は禅定のざんまいに入るための場所。神と相対するためであった。
  そののちの中世の人々が夢に求めたものは個人的な願い、平安や病気平癒の方法
  を求めてのことと変化した。つまり今と似ているのである。
  このような話は中世の日記文学、僧侶の文や源氏物語などにもあり夢見にまつわる
  話は万葉集の歌にもよく詠まれている。

  わたしがいう夢とは、それらの中世のものではなく、飛鳥以前の夢の見方、
  それは求めた者の品格を映す鏡ともいえる。
  誰にでも見れるものでもないが、全く無理とあきらめるのも早い。

  人里を離れ、交通を絶ち、前頭葉大脳にかけめぐる現実生活のさまざまを
  ふりきる。そして魂が自我の域を越えてうごきだすのを待つ。
  夢があらわれるのを待つ。

  さて、平成21年の今。夢で魂を飛ばして神に問うて帰ってくるなどということを
  信じるもなにも、神に問うべきことがはたしてあるか、だ。
  なにもかも、オレオレ、ワタシワタシで決めていくのなら、問うことも占うことも
  なくなる。ここでいう占うとは最も古く正しい意味での占いである。
  つまり己のまことを以て神に問うという意味の「貞善」のこと。
  命がけである。

  人はただの肉塊だと言われれば何を、と怒りもしようが、では魂は、あんたの
  マブイはどこだ?と聞くと、そりゃなんだと鼻で笑うというありさまで‥。
  精神的な退化がいちじるしい。精神が退化して全体は進化するなどありえない。

  退化した己をどうにかこれ以上汚濁にまみれた肉塊に堕ちてしまわぬように
  森のなかで、目を閉じる。
  風の音を聴いて、夢のなかへ入る。
  肉を捨て、虚実皮膜の内へ入り、軽い身の毛のほどの存在になって飛翔する。
  あるいは肉を被う球体となり、膨張しつづける。輪郭が融けるまで。

  (親分はたまに犬神となり、魂を現へひきもどし誘導するお役目である)

  
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夢殿で見る夢

2009-01-11 12:49:22 | 
  奈良の法隆寺に行き、運良く夢殿の聖観音を拝観できれば
  願いが叶うと聞き、ではそれはいつかと尋ねたくなるか?
  その前に、なぜそれで願いが叶うのか?
  そう訝しくは思わないか?

  わたしは夢殿で願ったりはしないが、その場に立ち、
  遠い飛鳥の御世を思うことはあった。
  そして、この一度ならず燃え落ちた八角堂を再建した人々の
  思いが、夢殿にて夢を見たという聖徳太子への篤信によるもの
  なのか、はたまた仏教隆盛を願う僧侶のたくらみかと考えたり
  したのだった。

  そんなことを思うのは法隆寺は重要文化財という国宝であり、
  昨今流行の世界遺産登録の名所、つまり観光地であり、信仰の
  場ではないという理由による。
  それはその場にたち、歩いてみればわかることである。

  信仰の場かどうかは、そこを訪れた人々の行動に現れる。
  手を合わせる人は数少なく、足早に歩き回り写真をとる、禁止の札
  などおかまいなしにフラッシュをたく。落書きこそ見当たらないが、
  法隆寺がそもそもが斑鳩宮跡であることを知るならば、滅びた王族の
  怨み遺恨、嘆きを感じ取ったりしないものなのか。

  奈良は古代の史跡だらけであるが、跡地という地面ばかりで
  建物を再興した場所は少ない。そこで感じることができるのは
  吹く風ばかりであるので、風に聴く、それしかない。

  夢殿の話に戻ろう。
  太子が観た夢とは、無論神託である。
  わたしたち凡人が見る夢と、神託の夢と、夢には二種類あるのだ。
  推古天皇に仕えた太子が観た夢は、ヤマトの行く末、行くべき道で
  あった。
  太子亡きあと、山背大兄皇子は謀殺され、その後の日本史のどこを
  みても太子の遺した道をなぞった跡は見当たらない。
  つまり、斑鳩宮が燃え落ちたとき、太子の夢殿は燃え、
  夢殿にて語られた神託も消えた。

  あれから1370年ほどが過ぎ、夢、つまり禅定に入りて
  神のことばを聞こうという人がいないわけではないことを
  わたしは知っているが、凡人である己とてその真似ができぬわけ
  でもない。
  夢を見るには、見る理由があればよい。
  神に願うには、願う理由がなければ願えぬ。
  沐浴斎戒し、夢殿に籠るように、自室に入りて人気を絶ち
  神が訪れるように自我を消してしまうだけである。

  七世紀にしてすでに人々はこれらのことを忘れ去って
  夢といえば我欲のことと思ってきたのであるから、
  太子以前のヤマトの人々、あるいは古代のアイヌの人々の魂が
  神の庭に行き来したことなど、よもや知ろうとも思わず、
  ニセ占い師のえじきになったりするのである。

  忘れようとも人には等しく魂がある。
  わたしは真似をして、夢をみることにした。
  愚かな頭で考えるより、よいはずで、
  理由もあるからである。
  わたしにとって、我欲ではない願い。
  太子の言葉をいかにつたえるか、という願い。
  太子自身はそれを夢に聞き、記し、旧事として遺った。
  
  
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歴史の泡ではなく、生きている

2009-01-10 09:24:23 | Weblog
    

    みぞれまじりの雪、ときどきぼた雪、昨日は一日中雪だった。
    そして昨夜は上空の雲が厚かったらしく、電波障害。
    年に何度かこういう夜がある。
    うってかわって今朝は大風、雲は流れたようで電波障害も回復したが、
    降り積もった雪が風に煽られ、吹きつけ、今度は地吹雪である。

    「秋田名物の地吹雪」で観光客を呼び町おこしという記事を読んだことが
    ある。地吹雪が珍しくて遊んでいるうちはいい、山の中は樹々が折れ飛ぶし
    立っていられないくらい吹きつけるので、親分も表へ出せない。
    赤松の大木が揺れている。
    今日もまだとうぶん吹くだろう。

    ところで10年前、君はあなたは何をしていたか? どこで? 誰と?
    10年ひとむかしというが、最近は一年ひとむかしといったほうがいいくらい
    変化が激しくなっている。忘れ去られてしまう。
    目先をどんどん変えて、ひとつのことにじっくり取り組んだりするのは珍しい。

    自分がどう生きてきたか、それを忘れないことは、歴史の泡にならないことだ。
    「インテリは歴史の泡を取り出して、それで歴史を創りあげ歴史はこうだという」
    と小林秀雄は語っている。(河上徹太郎との対談)それは歴史じゃないと。
    歴史は海、あるいは大河のように流れ、人はその中を泳ぐのだという。
    泳ぐというより、泳がしてもらっている、浮かしてもらっている、という。

    人ひとりひとりに歴史がある。
    それがうねりとなり大きな流れになってひとつの形に見える。
    けれどもそれを一枚の絵にとらえることなど無理なのである。
    とらえたつもりが、泡沫にすぎない。
    10年前、何をしていたか。それからどうしたか。だから今どうなのか。
    それを丹念に追い、自分という人ひとりが生きた時間をたしかにしていく。
    すると、人ひとりの重さもたいしたものだと思えてくるのではないか。
    あるいは、そう生きようとするのではないか。

    電波障害の夜に小林秀雄全集はうってつけだが、歴史について語った対談を
    数ページ、ふむふむ、そうやそうや、今もおなじや、と思いながら読み
    すぐに寝てしまったのであった。
    もう一冊、聖徳太子の夢殿(法隆寺にある)は、どうして夢殿なのかという
    考察をした文章も読んだな、眠りにつく前にはこういうわかりやすい本を読む。
    わたしにとってこれらは身近な、親しい本たちである。
    すでに知っていることをさらに確かにするために、師と語らうように読むのである。

    そうそう、昼間は10年前からのデジタルビデオをVHSやDVDに編集した。
    忘れていた風景や、この森が荒れ野だった頃、みんなが若かった頃がそこに
    映し出されていた。
    わたしはキャピキャピしていてなかかなに恥ずかしい女で、それがだんだんと
    低い声に変わっているし、ねずみ師は渋い顔、今よりずっと厳しい顔だった。
    今近くにいないあいつやアイツもそこにいて、いないはずだなとも思う行動が
    そこにある。そばにいないけど何をしているかよくわかっているアイツは
    なかなかにしぶとい面で、でもそれを隠してヘラヘラしていて、けなげだ。
    建設工事の数年間、とんでもなく辛い日があったことを、おそらく今では
    ほかのみんなも忘れているだろう。
    この映像をみれば、肌身に蘇ってくるかもしれないが。
    いつか、届けたいと思う。

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