想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

被災犬猫を救おうの活動は

2011-03-31 09:05:41 | 親分

以下はコピーして貼付けて拡散してくださるとありがたい主旨のものです。
置き去りや被災などで飼主と一緒にいられない犬猫を救う活動です。
支援活動の詳細は各ページをご覧になってください。



東北地震犬猫レスキュー.com


UKC JAPAN

南相馬市のブロガーががんばってる

ps:ベイビーの病状その後
内視鏡による手術が震災直後に日程が組まれていたため、延期になり
あまり思わしくない状況ではありますが、これまで通り投薬を続け、
計画停電その他の事情が明確になって安心してオペできるように
なってから行うことにしています。

バキソについてのお問い合わせについては獣医さんに尋ねられるのが
一番いいのですが、わたしのかかりつけ医はサプリと同じ効果くらいに
考えてほしい、抗がん剤ではないと言われています。
バキソで完治することはないということです。
ベイビーはバキソを1年間、このところは一日おきに1個投薬です。
その他抗生物質も一緒に服用させてます。

取り急ぎ以上お知らせいたします。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

午後遅いランチを

2011-03-29 11:29:34 | Weblog

昼もとうに過ぎてランチをやっている店はないのでピザ屋に行った日。
あの日以前の写真は、どこか長閑にみえてしまう。

戻らない、帰らない、というフレーズが禁句のような湿っぽい空気が
東京に蔓延しているので、森に留まるしかなかった日より辛いなあ。

灯りが減って暗いことなどあまりみんな気にしていないようだ。
前は明るすぎたねと言う。
停電も困りながらも諦め受け入れている。
商売あがったりだというのに。
生活はこれから苦しくなるだろうに。
受け入れながら、我慢しているのは同じだ。

東京は被災地からみれば楽に見えるけれど、この大都市に暮らす不安は
人々を確かに侵しているようだ。
いまはまだ表に出ていなくても神経を病む人がいないわけがない。
かろうじて踏みとどまるには、どうしたらいいのか。

被災地の人が自力で片付けをし、避難所で互いを助け合っている姿は
自らを鼓舞しなければ息が止まりそうだからだ。
明日を信じる余裕などどこにもなくなって、しかし、止まっていては
狂ってしまうからだ。
死んだほうがましだなどと思わずにすむには自ら以外を助けることで
助けられているから。

私を滅すなど、禅ごっこや理屈でやってる場合ではない状況が身近に
あることを、いや自分自身に起きていることをひと月満たない前の写真
が突きつけてくる。

調布味の素スタジアムで炊き出しが行われた。
都の仕切りではなく近隣有志の方々と福島出身の芸能界の人が行った。
「一日限りでないためにはやはり行政は壁をとっぱらってすぐに動いて
ほしいけど、ハイパーレスキュー隊は動かすのに無名の人の食事の世話は
焼いてくれない。再選などとんでもないわ、許さない」と憤って話して
くれた人がいた。選挙権はないが同感。

憤る気持ちもまた、自らを鼓舞するものに今はなってはいまいか‥。
命令や指事待ちでしか仕事をしない人など、この際あてにしないと腹を
くくったほうがいい。文句を言っても間に合わない。
気づくのが遅かったわけである。
先の人が言った「平和ボケじゃないわよ、戦争の時だってみんなボケて
たからああなったのよ」というのにも実は同感せざるをえない。

さらに戦後何十年もこの国はそうであったということが明らかになっただけで。
国を為しているのは人であることから免れ得ない。
大江健三郎氏が言われた「再び日本は核の被災国に」というコメントの
再び、という「繰り返す過ち」ということの重大さに鈍感すぎたのだった。

明るいボケた話を書きたかったのに、書けなかったです。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

縄張り争い

2011-03-28 12:22:28 | Weblog
(シマコではないよ、シマコの子でシマデブ)

地震で居続けになったせいで、これまで知らないできた事を見て
しまった。

ある朝のこと、縁側に変なモノがあるのに気づいた。
シマコは昨夜と同じ場所でニマっと笑って「なんかちょうだい」
と言っていたが、その近くにあった。
なんだろうと目を近づける(近眼)と、それはネズミの死骸で
頭だけと腸のようなものだった。

とうとうヤラレタと思った。飼主に猫が獲物を献上するという
アレではないだろうか。
こんなに長く続けて縁側でご飯もらい続けたことはなかったので
よほど嬉しいのか?そのお礼か? いや、迷惑なんだが。
シマコは笑っている、得意げである。

チラチラと死んだ獲物を見、わたしを見、交互に見、そして獲物の
そばに行き、食べるのかと思ったら匂いを嗅ぐような仕草をして、
また元の位置に戻り、デンと座っていた。

一日、そのまま放置した。だってどうやって片付けたらいいのか
気持ち悪くて触れなかった。外は冷たい風が吹き荒れていたので
乾涸びるだろうから腐ることはないと、逃げ口実を考えながら。

びっくりな話その2は、せちがらい猫の世間のことである。
シマコの子同士が縄張り争いをしているのを目撃した。
松の木の上に追い上げられたのは一年先に生まれた筈の子である。
シマコと同じ額に紋所をつけシマデブと呼んでいる。
目が怖い系(つり上がってて)で損しているタイプだ。
しかしうなり声をあげタックルし、物置の梁から屋根へと逃げるのを
木の上へ追いつめたのはブチャなのであった。驚いた。

いやな感じである。
親のそばにくっついて縁側を陣取ってるブチャは弱いから母親が
かばってそばに置いてるのだろうと思っていたら、なんのその。
どうも様子が違うではないか。ブチャの腕力は相当強かった。
おまけにしつこかった。

ブチャはアゴに奇形があるので下の牙が外にはみ出していて
歯の噛み合わせが悪い。狩りで獲物を捕る時は不都合だろうと思う。
シマコは自分のご飯を食べ残してブチャに与えるので、こちらは
ブチャの分もと考えて用意するようになっていた。

シマデブは時々物置に現れるので、留守の時には食べにきている
のだろうと思っていたし、それはそれでかまわなかった。
雌同士で譲りあっている風でこれまでの数年間、争いもなく過ごして
きたので、物置は共有のえさ場であったはずだ。
ブチャは一番若いのにすごい独占欲だ。

嫌いである、ワリーがそういう猫はゴメンである。
ブスでも奇形でもどうでもいい、性格がカワイイと可愛い。

ここには「江戸猫」という名前の猫もいて、その子の顔ときたら
なんともまあザンネンである。
身体は白黒で白の方が多く、頭はカツラを冠ったみたいに黒く
顔は白なんだけど鼻先の右側に黒がちょこっとある。
鼻くそがついてるみたいに見えるので、それさえなければ美人さん
なのになあとカメが言って笑った。そして江戸猫と命名した。
昔の屏風絵や掛け軸に描かれた猫に似ているというのだ。

エドネコは道場の床下に住んでいて、物置に時々遊びに来たり離れた
ところからこちらを観察しているようでおとなしい猫だ。
カメのベタベタしないほどよい距離の慈愛に預かって育っている。
たぶんブチャと同じ生まれではなかろうか、色柄が同じなので。
片や縁側、片や床の下と別れているけれど。

ここはシマコ一家の縄張りである。
生き残ったシマコの子はそれぞれ森のココソコ、近くにいて独立し
シマコはそこを巡回しているようだ。
たまに子をみかけるし、ご飯を食べにきたのかな?という時もある。
シマコがいいという態度であれば、こちらも了解、じゃあいいよと
合わせてきたが今度ばかりはヤナ感じである。

ブチャは跡目を継ぐのはアタイだと主張して、実力行使でいこうと
しているのではなかろうか。
考え違いも甚だしい、この敷地では仕切るのはうさこである。
うさこは先生であるカメの可愛がるシマコだから特別扱いなのである。
それだけのことなので、シマコの子とはいえ、もうブチャの過保護に
つきあうのはやめることにした。

お行儀よくしないのはダメなんである。猫とて同じ。
シマちゃんはとても行儀がいいし、親分ともいい感じ、だからやってこれた。

今、非常時で人の情も、隠し持つ真意もよく見える。
ナーバスになっているので、猫にも容赦ないうさこであった。
大人げないかなあとも思った。
「本気で怒ってるみたいだね」とカメに言われてしまった。
シマデブはほんとうは大丈夫なのかもしれないけど、あの日、ブチャには
ご飯あげませんでした。
ネズミの捕り方を覚えるいい機会だぜ、オマエ少しは自立しろと言って。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第二便、お届けしました

2011-03-27 10:46:47 | Weblog

旧事本紀研究会と関係者の皆さんが集めてくださった支援
物資の第二便を昨日届けてきました。
成人の被災者のみ受入れの場所なので、粉ミルク等は別の
避難所へ届けました。

受け入れ先の窓口で物資は足りているという返答があった
という場所へ実際に行きますと、避難されている当事者は
少しも足りてなどいない、あれがないこれも欲しいと十分
なものなどないというのが実情です。

窓口でどうして足りているなどという対応をされたのか
考えてみますと、対応する行政の職員がいないので手が回
らないから、ということもあるようでした。

ボランティアを受け入れず、行政はうまく回らない状況が
どこも続いていて、おとなしく待っているしかない人々が
たくさんいます。待っているしかないわけです。
この状況で病気が悪化したら発病したりする人も出てこない
わけがありません。

出し惜しみせずあるだけの物を出す、効率よく出すという
ことを今やっているのは行政ではなく民間からです。



東京は穏やかで暖かったと電話で聞いているその時被災地
は雪でした。
ここは山に近いので吹雪いていたしここと同じ位の標高の
数キロ離れた場所にも避難している人が増えていますから
寒さと空腹のダブルパンチ。
家が被災した上、原発で逃げてきて三重苦四重苦もう数えられ
ない苦しみで、麻痺しそうになってるはずです。
麻痺して不安に耐える、それが本能的な知恵なので。

ご協力誠にありがとうございました。
うさこにまでお心遣いいただいて、申し訳ないです。
東北道が開通しましたので、いったん東京へ引き上げて、
また物資を集めて戻る予定です。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神さまも愚か者うさぎも理に沿って

2011-03-25 11:19:30 | Weblog

おはようございます。
少しの言葉が心に届く、普段なら聞き流す聞き慣れた、
ありがとうもおはようも今は一つ一つくっきりと聴こえる。

そういうときに書く一行はとても難しく、誤解や勘違い
を招かないようにと気をつけてはいますが、神話を引用
するのはこの国では多分に誤解の方へと傾きがちなのです。
国家神道の戦争利用というそう遠くない記憶もその理由
の一つではありますが。

天罰発言がこの震災で二度問題になったのも、使う側と
聞く側のズレと思惑違いから言葉尻がとらえられ、攻撃
の的とされるからです。
攻められると謝らなくてもいいものまで説明もせずに謝
ったり、言えば恥にしかならないことを口を滑らせたり
です。「天」にまつわる無神経さは嘆かわしいばかりです。

しかし解釈のあいまいさはわが国だけのことではありません。
キリスト教の国々において聖書にある「天」が都合よく
意味不明に使われ現代に至ってなおさらそうだというのを、
誰も質したりしないまま放っておかれ、時には都合よく
政治に利用されるというのはわが国と同じです。

カメに教わってきた旧事の神話は詳細がありそして厳密
なものです。
曖昧模糊とした物語ではないのでわかりやすい方ですが、
それでも行間を読み察することをせず文字通りに読むと
どっちサイド?と思うかもしれないんですね。
ウィキペディアなどで調べたら意味はズレると思います。
簡単に説明するしかないのがネット事情ですし、神話は
読めばわかるというものでもないですね。
考え、感じる余白が大切です。

うさぎはいつも短絡的で軽率に描かれます、そして痛い
目にあって改心する、この改心は文字通りの改めるでは
なく、もともと備わっていた心を取り戻すわけです。

鰐にしても同じ、兄神たちにしても同様で、悪意(利害)
を以て事を成就させることはできないという教えでもあります。
「神といえども理に沿わねば成らず」つまり理を諭す章
です。単純な勧善懲悪で解釈するのは浅いかと思います。
(理は五鎮の一つである「理」です)

そして、風の谷のうさこはちっぽけな人間なのであります。
けれど親に産んでもらったときから命(みこと)もそこへ
合流してちっぽけなうさこと共にあります。
人はすべからく皆そうである、カメに教わった希望とは
そのことでした。

このことを知ると知らないでは人生がまったく違っていた
わけです。愚か者のまま生きていたか死んでしまったかも
わからない、後者の方であったろうと思います。
逆戻りしたくない気持ちに後押しされて学んできました。

ただのうさこさんじゃないと言われましたが、いやいや、
ただのうさこで、ただの非力なうさこであります。
だから命の不思議を知ることができる、そう思います。
耳を澄ますことがなによりも大事かと思います。



おはよう、と言える一日一日。
新しい一日。
おはようと言えることがこんなに嬉しい
君が 目の前にいて ブンブンと尻尾を振っている。
ああ、君も毎日 うれしいんだね。

君は いつも常世の住人なのだね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

泣いた白うさぎのその後

2011-03-23 11:59:27 | Weblog
(ベイビーの白ヒゲが目立つようになったなあ…)

雨が降っていた二日間、そして今日は明るい空から
雪が落ちてくる。
森の暮らしで雨も雪もかまわず走り回って育った親分
である。けれど今の状況で雨に身体が濡れるのは心配
なのでおっかあのTシャツを借りて着ているのである。
放射能は基準値以下なので直ちに人の身体に影響がある
わけではないから心配しないでと報道されている。

動物や植物は自然である。裸で生きている。
よって一番最初にその影響を受ける。人は傘をさし、
雨合羽を着、帽子で頭を被い、マスクで顔も隠す。
黒くつややかな毛皮が雨に濡れるから待ってというのに
外に出たくてたまらない親分はいつもと同じように
駆け出そうとする。
駆けている姿を見ると胸が痛む。

ところで先日の記事で書いた「因幡の白うさぎにならない
ようにするから」とカメに言っていただいて安心したと
いう話はうさこの説明不足であったので問い合わせが
何件もきましたね、どうもすみませんです。

ご存知の通り、白うさぎが鰐を口先三寸で騙し海を渡ろうと
図って失敗した話。
渡りきろうとする寸前にうっかりと口をすべらし逆に鰐たちに
皮を剥がれてしまったうさぎは通りかかった大国主命の兄神に
体を海水で洗うと直ると教えられます。
その通りにすると潮風で体の傷はさらに赤く腫れあがり
ひりひりと痛んでしまったのです。
泣いているうさぎのところへ後からやってきた大国主命が
河口の真水で体を洗い蒲の穂で包めば直ると教えてくれます。
その通りにしたうさぎは傷が癒え、大いに反省したわけです。
うさぎは伝令の神となり大国主命の嫁取りの縁結びをした
というオマケつきの話ですが。

カメの言葉をうさこがどう受け取ったかと言いますと、
放射能漏れと続く余震でビビッテいるうさこを大国主命が
助けてくれる、そういうことです。
うさこはもちろん誰も騙してはいないし嘘は大嫌いですが、
東電の原発を知ってはいても見過ごしてきたわけですから
白うさぎのように自分の都合を優先して暮らしてきた、
原発の電気にあやかって東京で長年暮らしてきたので同罪
です。そしていざ災難に逢うと恐れて怯えているのです。

自分に災難が降りかからないと人の痛みはわからんという事
であり、原発は危険と隣り合わせだと知識では知っていても
周辺住民の方の複雑な気持ちまで考えていませんでした。
二の次でした。
人は生まれる場所を選べないですから、その後の選択は自由だと
言っても資産もない日暮らしの普通の人々が選べることは
しれています。わが町が安全であることを望まない人はいない
けど、国策に呑まれていくしかない庶民の哀しみです。
浪江町は美しい海水浴場のある町でありましたし。

風の谷のある森、ここは天国のような場所です。
なのに放射能は風に運ばれ雲に乗ってやってきます。
不安に怯え、未来を憂えているうさこを、カメが安心せよと
言ってくれました。
カメは神に通ずる人ですから、その言葉はとても力強いもので
そういうことから因幡の白うさぎの話になったのでした。

うさこの奉じる神さまの名は天物梁命、この神のハタラキは
天と人とを繋ぐことです。
因幡の白うさぎはその後、伝令の神となるのですが伝令は繋ぐ
ということでもあります。
泣いた白うさぎが悔い改め私を捨てて本来の善のハタラキを
思い出す物語をカメが引き合いにだしてくれて、うさこも
わが真を思い出したのでした。

カメ(安房宮源宗先生)は天思兼命につながる方です。
聞きなれない神名でしょうが、ハタラキは縦横無尽です。
陰陽を結ぶ中性子のハタラキというとわかりにくいでしょうか、
単に繋ぐではなく新たに生み、化けさせ、変えるハタラキ。

頼む者にとっては力強いし、逆の立場の者からはやっかいな
強敵です。うさこはこのたびは本当に落ち着きました。
ありがたや~でした。
これを多くの人と分かち合い繋ぐ仕事を続けなければならない
と思ったしだいです。
白うさぎ、うさぎ仲間の名折れにならないように。







コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

支援物資プラス、スイーツ

2011-03-22 20:16:19 | Weblog

福島県南部の西郷村には約1000人が避難している。
多くは福島原発の近くから逃れてきた人たちだ。
津波で家を失くし、原発の放射能汚染という二重苦
に遭遇した最も不幸な被災者たちだ。

我がふるごとの学び舎、旧事本紀研究会の修養道場から車で
15分くらいのところにある「太陽の国」にはあの浪江町から
障害者の方60数人が避難されたと聞いた。

旧事本紀研究会が募った支援物資の第一便たいした量では
ないけれどこれから届けたいと連絡すると、ありがたい、
玄関で待ってますからという返事。
カメ先生にお供したうさこはある意味ジモッティなんだけど
「太陽の国」へ選挙投票以外で行くのは初めてであった。




何が一番ありがたいか、なんでも、と言われる中でも介護用
(大人用)紙おむつが今回は一番不足しているという話であった。

森にずっといるうさこを気遣って差し入れて下さったスイーツ、
手つかずであったのでうさこはそれも持って行った。
好物の銘柄をわざわざ下さった気持ちだけでじゅうぶんで。

しかし大人数だから皆にいきわたるには足りないことが申し訳
なかったけど、職員の方にそこんとこよろしくでいくしかない。
医薬品や毛布や衛生用品などのダンボールを搬入し終わった後、
そお~っとお菓子が入った手提げ袋を差し出した。
すると予想以上に喜んでくださり、安堵した。

おにぎりは主食で必需品目で災害用支援物資として割り当ても
あろうけど、甘いものは贅沢品である。
こんなときにはなかなかありつけないのではないか。
そう思って一粒のスイーツ力を知るうさことしては、ここは
是非にと思ったのであった。

今現在、普通の暮らしを維持できている人にとっては贅沢でも
ないような飴玉やクッキーやグミや、チョコ菓子なんかだけど。
ひとつぶの甘みが脳にキューっと届いたとき、悲惨な記憶や今も
続く不安、不自由さからほんのちょっとだけ、逃れることが
できるんじゃなかろうか。

太陽の国の事務局の穂積さんは電話と同じく実際にお会いしても
柔らかくやさしそうな人であった。
職員の皆さんは我がことのように腰低く挨拶されるのであった。
第二便、届いたらまたきますと約束して森へ帰った。

迅速な支援物資寄付のご協力ありがとうございました。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おはよう、朝の光

2011-03-19 11:22:04 | Weblog

夜は冷え込むし灯油をケチっているから早寝したわけで、
とーぜん今朝はすごく早く目覚めた。
(燃料屋シナネンも在庫切れとガス欠で配達できない)
起きぬけから、スモーキー・モーニング。
いやタバコ吸ったわけではないよ、ブルースなわけ。
浅川マキの歌が耳元で聴こえたので。

LPレコード「裏窓」を取り出して耳元にささやく歌を
幻聴ではなく実際に聞くべくかけた。
「こんな風に過ぎて行くのなら」という歌だ。
このメロディとマキさんの声が頭の中でゆっくりと流れ、
ああ朝、朝はこうして来るんだと思った。地震のあと、
初めてそんなことを思った。
でもこの歌、歌詞は夜を歌ってて、スモーキーなんだ。
朝でも夜でも気持ちは同じさ。

早起きは三文の徳というけどうさこは低血圧傾向にある
のでゆっくりでないと後でたたる。なのでレコードを
聞きながらもう一度横になった。
一曲終わらないうちにベイビーが物音に気づいておき出し
そうなるとすっかり身支度して散歩に行くしかない。


(昨日いただいたフルーツ、まぶしくみえる、食べられない)

歩きながら避難所にいる人を思う。どうしても思う。
寒いだろうと、眠れないだろうと、おなかがすいている
だろうと。
朝は来る、朝の光が平等に降りそそぐ。
いまほどこの光を体の芯から感じるときはないだろう。

旧事本紀「神事本紀」にある一記述、現代訳すると
諸々のまがことつみけがれを祓うに天物梁之命は火を
もって善悪ともに焼き尽くし白い灰となりはつる。
そして灰に再び萌す、恵みの芽。

そして「人、罪のなかにいて罪を知らず
罪認めたるとき、死あり
ゆえに死、よみがえりなり」(安房宮源宗)

今朝の光が、よみがえりの陽でありますことを。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイパー消防車ケンザン

2011-03-18 22:08:27 | Weblog

今日は晴れて表も暖かかった。
東京からハイパーレスキュー隊がいわきへやってきた。
やっとコミック劇画みたいな展開になってきた。
ずっと思ってたんだ、映画海猿みたいに危機に臨んで
果敢に闘う隊員たちの画を思い浮かべてさ、
現実はコミックみたいにはいかんなー、とほほだなー
そう思うと、がっくりくるんだ、アニメに負けてるし。
遅かったけれど、いたわ、ホンモノと思って喜んだ。

縦割り行政越えてやっと必死体制が見えてきた。
遅すぎるけど…。ま、それは置いておいて。
「国運がかかっています、国民の命がかかっています」
と出発する隊員に総大将が檄を飛ばしてくれた。
涙が出た。
(先日の一番エライさんの歯の浮く会見と違ってて)

国運…、そうだ、社運ではなく国運なんだ。
東電の人もいまは社運なんて思ってないだろう。
もはや、私事は捨てただろう。
公を利することが私事になったことだろう。
やもうえずであっても私事を忘れ果てただろう。
必死とはそれだ。

そういえば小さな男の子のおもちゃに赤い消防車を
買ってあげたことがあった。
いっぱいホースをつけた赤い自動車。
男の子が好きなヒーローのブーブーだ。
青山2丁目のファイヤー通りにある消防署の正面で
母親に手を引かれた男の子が、あ、あ、と指差しながら
何台も並んだ消防車を一生懸命見ていたっけ。

あらたな赤い自動車伝説が生まれることを願って。
電気と暖房費節約のため、早寝しよう。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドンマイ猫、被災地から

2011-03-18 16:30:11 | Weblog
(ケータイ画像で粗くてスマンです)

一応、被災地ではあるが軽度であるので被災被災と
言うのにはばかられる。
原発から90キロ位であるので心配は心配だが30キロ
圏内ではないので不安がるのがはばかられる。
アネキが九州にいるが、見ないと悪い気もするし、
見てもどうもならんのだけれど申し訳なく知らん
ふりしてるみたいではばかられるのでテレビをつけ
ているよ職場で、とメールしてきた。
日本人的である。

うさこも同じであるが、本日ははばかっていない
どんまい猫を発見。
近づいて見ればシマコ嬢ではないか!(他にいないじゃん)
さすがカメのダーリンだけあって肝が据わっている。



情報を得たいし、進捗状況が気になってしかたがない
だろうけれど…。
茨木のり子の詩「苦しみの日々、哀しみの日々」をお一つ、
どうぞ。

苦しみの日々
哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
わずか五ミリぐらいではあろうけれど

さなかには心臓も凍結
息をするのさえ難しいほどだが
なんとか通り抜けたとき 初めて気付く
あれはみずからを養うに足る時間であったと

少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
やがては解るようになるだろう
人の痛みも 柘榴のような傷口も
わかったとてどうになるものでもないけれど
(わからないよりはいいだろう)

苦しみに負けて
哀しみにひしがれて
とげとげのサボテンと化してしまうのは
ごめんである

受けとめるしかない
折々の小さな棘や 病でさえも
はしゃぎや 浮かれのなかには
自己省察の要素は皆無なのだから

(茨木のり子集 言の葉3ちくま文庫より)

本日差し入れが下の村からこの山ん中まで届き
ました。
知人のガソリン入りの車を借りれたからと言って。
ガソリン命はみな同じ。
小分けの食料はたぶん自分ちで食べる分を持ってきた
のだろうと、ラップに包まれた野菜を見て思った。
気持ちだけはどーんといただきました。
ありがとうございます。



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日のいのち

2011-03-17 12:09:19 | Weblog
(自衛隊ヘリから原発へ放水開始した!)続き。

東日本は壊滅するかもしれない、だから避難する、
いや今こそ祈る、ふたつの選択肢があるなかで避難
せずに仕事している人がいる。
米軍、仏部隊は退避勧告を出し撤退。いま日本人は
自らの力を出し切って闘っている、祈っている。

米軍は救援活動拡大して継続とのニュース

うさこ? ベイビーと雪の上を散歩しながら深呼吸した。
静か。明日ではなく、きょう一日を大切に。

相馬の病院から避難した所でお年寄り14人死亡という
ニュースは医療行為ができなかったためだろう。
看取った人はさぞ辛かったことだろう。

「絶望からの諦観でないことを祈る」と書いた記者が
いたが諦観は絶望を超えなければ生まれない。
望とはどう言い訳しようとホシミ(欲)なのだから。
なぜ避難している人が達観しているように見えるか!
離れた安全なところから思う、観念的思考なのだろうけれど。



生身と魂と両方あって人だ。
生身に付随するモノを失った今、人が魂の力で立っている。
その姿が外国人を驚嘆させる我慢(GAMAN)や行儀の良さとなる。
同胞の日本人には諦観に映るのだろうが、それは違う。
嘆いてもどうあがいても、無力だからだ。
無力ゆえに目覚める力があること。

無力非力な人々、これを弱者と官房長官が呼んだ。
弱者に優先的な救済をと。
非常時には色々と言葉を間違えたり選びそこなったり
するものだから揚げ足はとりたくない。
非力をわきまえ、それでも生きている命を、我が身を
抱きしめている人々は、明日は我が身であり、同胞だ。




小川の水を見て思う。放射能に汚染されればこの水は
もうベイビーがごくごくと飲むことはできなくなる。
空気も水も一続き、大地はつながっている。
人もつながっているはずだ。
地に祈ろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復旧作業を見に行く

2011-03-17 10:47:01 | Weblog
昨日雪が小降りのうちに、がけ崩れの現場へ行く。
修復作業がどのくらい進んでいるかの確認だ。
東北道が通行止めなのでここだけ直っても出ていける
わけでもないが…用心のため(この大きい道は救急車両
走行時には必要なのだ)

意外に進んでいたのは岩石がなく土や桜の木だけ
だからだろうか。大岩があれば片付けるのに手間
どるが土は路肩に積み上げ、固めていくようだ。
地元の土木建設会社のダンプカーだった。
作業中の運転手さんに挨拶、お礼を言って帰った。



地震以前から工事中だった県道舗装工事は中断した
ままだ。土木関係の業者は市内あちこちの救援、復旧に
駆り出されているためだろう。

責任問題について今論じるのは目前の急務に差し支える
という意見がある。
だが、責任を問われないと動かない人や組織はどうか。
そっちのほうが多くはないか。

責任を明確にしてそれを背負って事に望むこと。
事に仕える(仕事)とはそういうことで、私事との境だ。
報酬を得れるのはそれゆえのこと。

楽に金を稼ごうというのがなぜ悪い、とか言う者が
いたが、ばか者である。
悪い良いをそんなのと論じるのはバカらしすぎる。
恥を知るか否かであるから。
楽してゴメンなさいくらい思っていろよってんだ。

(今、自衛隊ヘリから原発へ放水開始した!)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

因幡の白ウサギにならないように

2011-03-16 17:59:10 | Weblog

福島原発事故のニュースを見て心配して連絡して
下さる方が、うさこがアハハハハとか笑っているので
何笑ってんの、と逆に怒られる。
笑ってる場合じゃないよ、と。
笑ってるわけじゃあないんだけど、おばさん笑いです。

おばはんは言うに事欠くと笑ういきものだかんね。
突然嫌いなはずの「おばはん道」へ足を踏み外し、
今はただ笑うわけだよ。



(余震続きでそばを離れないベイビー、テーブルの下)


南下する人、大荷物を持って原発30キロ圏内から
あるいは県内から関東へ向かって走り出す人人人。
そりゃそうだろうと思う。
東電、政府の対応を見ている限りにおいて、もう
暴走機関車を止められないでただ見ているだけの
ように思えてしまうじゃないか。

でもそうではないだろうと思う、事実は。
放置や傍観はありえない、誰も被曝しないで冷却するって
ことができない状況に陥っているということ。
言えないことがありすぎるのは人命を賭している状況が
すでにあること。
作業に携わっている方はおそらく、もう命を投げ出し死闘
しているだろう。

人間、命をかけて生ききる者もいれば、命惜しさに逃げる
者もいる。いい悪いではなく、めぐり合わせの縁。
その縁をどう生ききるか。

うさこはカメに「因幡の白兎にならないようにするから」
と言っていただいて、もう開き直っております。
自分の命運がどうなるか、窓の外に降りしきる雪が
天の恵みに思えてくる。

雪、雪、雪、北北西の風風風。
いわきの海べりをめざして、冷たい風が流れてゆく。
ガス欠が近いのでできるかぎりキッチンで使わず、
暖房を控え、灯油使用を控え、食料が事欠くこと等諸々の
窮乏などどうってことない。

風よ吹いて、暴れる熱を冷ましておくれ。
避難所の毛布不足は当然気になる。
しかし今は雪が僥倖でありますように。

人間本来無一物とは言うものの、ひっぺがされて失うのは
ちと違い、強い男の人が何も口に出さず片付けしている
のを見ると、心中の嘆きやいかばかりかと思う。

嘆きが深い分、耐えている分、つつしんでいる分、禊払われ、
誰に、何に、ということでなしに詫びている今。
鎮魂の時がしばらく続く。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山が盛り上がった?

2011-03-14 13:22:56 | Weblog
目の錯覚かもしらんが山がいつもより高くなって
見える。木の枝にさえぎられて頂上が少ししか
見えていなかったのに肉眼で1センチほど高めに
見える。
あれっ、山が盛り上がった? 思うけどそんな事
ありか?

気のせいか、たぶんそうだろう、ありえないし~と
考えるが、地震のせいで隆起した?。
すぐそばにある山、いつも見ている山、気にしない
のが普通かもしれないけど、日々写真を撮りながら
もっと見えればいいのにと思っていたものだから
見えてびっくりしている。
どうしてかなあ、ほんとに高いよ。
ぐっと前に出てきた感じだ。

ツィッターの最新情報が流れるネットの画面を見て
いたら「日本が2.4メートル動いたらしい」という
書き込みがあった。
ああ、それそれ、やっぱ山動いたんじゃないか?と
思ったのであった。

それにしても空が青く白い山もすっきり見える。
そんな歌があったっけなあ、悲しいほどに青いって。
現実の悲惨さが「悲しい」という言葉を軽薄に感じ
させ感覚的に受けつけなくなってしまった。
悲しいなんて、そんなもん、って。
絶望と闘ってるんだ今は。

都会では交通、電気の供給停止で生活諸々が滞り不便
になっているようだし、買い物パニックも起きている
らしいが、節操のなさも露呈しているなあ。
人一人分以上にがじめるから足りなくなる。
たくさん買い込んだ人は他人に分けるんだろうか。

こちらはあいかわらず道路開通せず。
通行止めで身動きならずです。
ただし、水、電気いまのところ大丈夫です。
近隣の町の水道、少しづつ復旧しつつある様子。

宮城、岩手、沿岸、内陸部ともに避難所で食料が
足りないこと、握り飯1個しかない男子中学生、
オムツのない赤ちゃん、みんな耐えている今、
恵まれた場所にいて、余震にビビッてる場合では
ないと思う、今、まさに揺れているんだけど。
(12:23)






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10分置きに余震が続くと

2011-03-13 17:34:52 | Weblog

ご心配いただきまして大変申し訳ありません、
無事におります。


目前に土砂の壁。
突然のことで何がなんだかわかりませんでした。
道を間違えたかと一瞬思ったくらい。

来た道を引き返し、村の中心部へと走り迂回路がないか
探し普段使っていない細い山道から入っていくといつもの
道の途中にアクセスできるとわかり、どうにか帰りました。
時間が経つごとにあたりじゅうが陸の孤島になりつつあって。



なんとか風の谷まで戻ってきてライフラインは異常無し。
途中の村も町も水道管破裂、停電でしたから無傷の我が地に
感謝。奇跡のように思えます。
しかし、何ものかに申し訳なさもあります。

詫びるここちのほうが強く無事の喜びよりも気が萎えて
しまいます。悲しみが強いと身体がこわばります。
たくさんの人が被災したであろうことが一瞬でわかる、
そんな時間でした。

更新が遅くなり、大変ご心配おかけしました。
片付けに追われなかなかネットには手付かず、通信網も寸断、
中断状態で、また何より断続的な余震がこれほど身体に
こたえるものとは体験しないとわからないものでした。
神経的に参り身体が参るわけです。被災地で救助を待って
いる幾千の方々を思うと、何もできないことが申し訳
ないです。

ついこないだのこと、新燃岳で避難されていた方が一睡も
できないとテレビカメラの前で言っておられた、あの時
そのことがどういうことかピンとこなかったことを恥ます。



想風亭も道場も、奇跡のように無事に建っています。
周囲近隣の町や村には水を求めて給水車に行列をなす人が
みえます。
スーパーマーケットは休業し、新幹線も高速道路、国道も
規制されている状況で身動きならず、バンジキュウス。

小川があり、井戸が無事であったことがありがたいです。
ガラガラポン、こんな場面、こんな有り様で望んだわけで
はなかった、永田町のガラポンにこの大きすぎる犠牲は
果たして効くのだろうか、と怒りが増すばかりです。

東京で救援ボランティアの連絡を取りに行きたいのですが
動けず。できる方々から参加し始動していただきたいと
申し訳なく、お願い申し上げます。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする