想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

死にゆくものの想いを汚すなかれ

2014-12-22 15:37:46 | 
('10.1.04 スリスリ歴11歳半)

先日、作家「太宰治」を回想した井伏鱒二の本のことを
書いた。
その中で太宰の死の理由に関する部分が意外だった。
井伏氏は太宰が師事した先輩作家であると世間的には
認識されているのだから、その言葉は重いはずである。

太宰と一緒に玉川上水で死んだ女人(山崎富栄)とは
どのような人であったかを井伏氏の所感からうかがうなら
ヒステリックで自己中心的な悪女ということになる。
ほんの数行しかないその文章は、太宰に関する他の箇所に
比べれば、作為的とまではいかないが、何かこう悪意に
似たものを感じるのだった。

太宰の遺書には「井伏さんは悪人です」とあった。

悪人ですと書かれれば釈明したいのは人情かもしれない。
けれど、死者に近い者ならば悼む心の方がそれに勝っていて
諸々を飲み込み、美知子夫人がそうだったように私人として
沈黙し、一方で作家の文芸遺産を守り継ぐ役割に専念された
事がどれほど尊いことであるかと思う。

太宰は精神的に病み、言動に異常がみられ、相手の女人も
また常軌を逸した態度であり、なかば強引に、判断力を
失った太宰は、無理心中の犠牲者であると遠回しに書いた
井伏氏は、結局のところ、太宰が嫌った日和見主義の市井人
であるということになるだろう。
そう思わせるような説明を繰り返しているのだから。
何ら証拠はない。
また無いことの証明はできないから、虚偽である。

死人に口無しという卑劣な事は、戦後すぐの混乱の世情に
あって特に珍しいことではない。
けれど、そのことによって命を削った太宰の作品が僻目で
読まれるということになってしまうなら、先輩としての
井伏氏は残念だとは思わなかったのだろうか。
同じことは同期の評論家亀井勝一郎にもいえる。

小さな、偏狭なことである。
それがあるばかりに、巨悪の力にねじ伏せられる。
低いところにいる者が、我先に自分より高い方へすり寄るか
隣人同士に想いを寄せるか、その選択が未来を作る。
妬み、そねみ、我欲に負ける、ほんの小さなことから
悲劇が繰り返され、権力は温存される。

小説は小さな説だが、その行間と、言葉の裏にあるものを
作者の目となって掬いあげるなら、一篇の物語が他を生かす
知恵にも助けにもなる。
文学の重要性は、人の生死と密接に関わることである。


太宰ファンを自認する人々には井伏鱒二の言説は承知のこと
だろうから問題はなかろうと思いもしたが、「太宰好き」の
知人に山崎女史をどう思うかえ、と話を振ってみると予想に
反した答えだった。
「ろくでもない女」と返ってきた。
これは通説かもしれず、また井伏氏と同じ感想になる。
そして「カフェの女給だっけ」と言うのであった。
新聞、週刊誌の力、いや責任は重大である。以後60数年に
及んで流布された偽りが、都市伝説のように生きている。
世間とはそういう愚かしさや恐ろしさがあたりまえにある
場所である。
権力側はそれを弁えるからこそ情報操作を巧みに利用し、
欺く手法を手放さない。

一緒に死んだというのに、どうして片方だけが責められるのか
と素朴な疑問を投げかけてみると、才能をダメにしたと言う。
この人は太宰の作品をどのくらい読んだのかと訝しかったが、
へえーと引き下がった。

太宰は多くの誤解と多くの羨望を同時にまとってスターに
なった。そして時代を超え、まだ若い、世間のしがらみを
知らない世代に共感を呼び続ける。
太宰と多喜二は表裏でもあり、また同じ枝についた双葉
のようでもある。
その死は、未来を憂う若者に問いかけ、永遠を勝ち得た
かのようにも見えてしまうが、そんなことを思えるのは
外側にいる者の理屈である。

自死も横死も、哀しいものだ。

太宰が生きていたら、と私はやはり夢想する。
生き延びて、臨床医がストレプトマイシンの処方をできる
ようになるまで待てばよかった、とも思う。
いつか太宰の時代がやってきて、石原慎太郎君の芥川賞
には川は流れていないよ、とか言ったかもしれない。

太宰をわが命とした山崎富栄さんも死なずに美容家として
大成し、父君の志を継いでいればと思ってしまう。
自立する女性の先駆けである。

太宰が戦ったものは、旧態然とした世間であり、権力で
あり階級であった。そこから流れでる膿みを嫌った。
それを宿命だと言ってしまうのは、よけいに哀しい。
死を賭して戦ったことが悲しみである。

井伏氏は旧い物の代表のような形に自らなってしまった。
作家は物書きというが、書いた物がただのモノに過ぎず、
物、つまり魂抜きならば、それは雑音である。
ゴシップ好きの世間は雑音のほうが相性がいいから、
じゅうぶんそれで生業にはなったのだろう。

死は生を決するということを太宰が思っていたとしても、
檀一雄が言ったように、死ぬことで己の文芸作品の価値を
守ったと結果的に見えたにしても、太宰の勝ちとは思えない。
遺された女の太宰への愛が損なわれることはなかっただろう
ことが、唯一、哀しみを救ってくれることではなかろうか。

カメに「井伏鱒二の本に書いてあったこと」を話すと、
「お殿様、傍が思うのとは違うさ」
そんな短い答えが返ってきた。
太宰? 読んだことないよ、と言われたから
カメは太宰の「心」を詠んだのだろうかと思った。
山崎女史のことは、「かわいそうだね、世の中はいつもそうだ」
と、やさしい言葉だった。


追記
太宰治の生誕100年(2009)を機にたくさんの関連本が
出版されている。その中で新たな視点からの作品が、
山崎富栄さん側から描いた小説「恋の蛍」松本侑子著。
斜陽の太田静子さん側から描いた「明るい方へ」太田治子著
そして古くは、津島美知子夫人の「回想の太宰治」もある。

又、余り知られていないと思うが、折口信夫に「水中の友」
(折口信夫全集収)という一文、詩がある。
この短い文章は太宰への供養として何にもまさっている気がして、
泣けた。太宰のほんとうの姿を折口は一度も逢わないままに
透視していた。
そしてその「ほんとう」は折口にも宣長翁にも我が師カメにも
ある物で、久しく逢えなくなった物である。








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至福の時

2014-12-16 10:00:39 | Weblog


秋生まれのこの子は、またもや母親に似てハナクソ柄です。
ハナクソ柄はこちらではトレンドです。
もう一匹はコンサバの背中がシマシマ、よく飛び跳ねます。
つぶれたような声でぎゃあぎゃあと鳴いて、おっかあを
追いかけてきました。
突然の登場に、びっくりでした。




市販の猫用ミルクをおっかあが飲み、まだ名無しの赤ちゃんは
おっかあのお腹にもぐってごくごくです。
な~んも考えない、至福の時です。



大人のごはんにはまだ興味がありません。
そのうち、ガツガツ食べるようになります。
もちろん、シッポのついた野ねずみちゃんも狙われます。

夏の終わりころだったか、江戸ちゃんはカメにお土産を
持ってきました。澄ました顔をして、いつもと違うことに
気づいたカメがふとガラス戸のそば、江戸のなにげない視線の
先を見ると、それは置かれていました。
白いシッポのついた小さいモノ、ネズミ君が横たわっています。
その前でドヤ顔の江戸がカメへ秋波を送っているのでした。
猫が主人に貢ぎ物をする話は愛猫家の本で読んで知っていましたが、
それは家猫の話で、江戸ちゃんはこうしていても本性は野良です。
驚きました。

なんだかありがたいような、うれしくないような、死んだネズミ
どうする? と苦笑いです。
江戸ちゃんはわたしにではなく、カメへ義理立てしたのです。
なので、しばらくそのままにしておきました。
すっごく迷惑なことなんですが、江戸は満足そうに微動だにせず
落ち着いています。


そこへジョリ姐さんがやってきて、さりげなく貢ぎ物のそばに
陣取りました、微妙な距離感です。
いつもにぎやかなのに、静かなのも微妙。
ふたりスリスリの挨拶もしない。

もういいかと、カメが男子を呼んでネズミを持っていくように
頼んでくれました。
目の前でささっとネズミが取りあげられると、ジョリはニャアゴ
ニャアゴとあわてました。
やはり、狙っていたかとバレた瞬間、笑うのをこらえていました。
猫のプライドがありますから。

せっかく江戸ちゃんにエンリョして、様子うかがいをして時を
待っていたのに、という無念のニャアゴと、知らんふりしている
江戸は対照的にお澄まし顔のままです。

このことがあってから、江戸はどやどやと子どもを連れてくる
ようになった気がします。


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リアル鳥獣戯れ

2014-12-15 13:46:35 | Weblog

カメが森の学校にいると、いろいろと訪ねてくる。

うさこがいるときは、「おまえではなし(内田百﨤)」と
だ~れも来ないのでぼうとして風の声を聴くばかりだが。

先月末のこと、誰かと思ったら、テンらしい。
テンじゃないの?
縁側にある猫のごはんのおこぼれ頂戴とやってきて、
カメがじっとみていても動ずることもなく、皿を舐めるように
して食べ、食べ終わってしばし滞在しているところへ、
猫一家の姐さん、ジョリちゃんが来て、子分も来て、
みんなで遠巻きにしていたそうだ。

無言のせめぎあいが、どう決着するのかをカメは眺めていた
そうである。おもしろかったよと。
猫はあまり近づかず、威嚇するでもなく、目をそらさず、
ガンをとばすことは怠らず、テン様の退却を促していたそうで
テン様は別に~という態度をしばしとったあと、空の皿を
もう一度舐めて去ったそうである。



(江戸ちゃんの子、おかっぱが久しぶりに来た)


また来ないかなあとカメは楽しそうであった。
いるなあ、やっぱり、いるなあ、次は誰が来るかなあと。
今年はハクビシン、巨大イノシシ、うり坊のいる中型の一家、
たぬきとキツネは山道で、兎、そして猫の常連が5匹になった。
雨戸の戸袋に巣づくりした野鳥のヒナが発声練習するので、
口笛で合唱するという、鳥迷惑な趣味も定着している。

まだ訪れていないのは、熊である。
こっちのほうはお呼びでない、と言っておかねば。

イノシシは椎の実を食べにくる。
10数年前から持ち主不明の足跡があり、どなたさんかと
想像をたくましくしていたが、ぷ~ちゃんが健在の時は
ついぞ姿を見ることはなかった。
庭先に現れて、ヒトに驚いてとととっっと立ち去った。

里や町中のヒトエリアに獣たちが紛れ込むと、殺されて
しまう。殺してしまうだろうなと思いながら捕獲作戦の
騒動をテレビニュースで見ていると、ほぼ撃たれて横たわる
映像が流れる。
ヒトは残酷な生きものである。
命を活かすための智慧を忘れはて、死を悼まなくなった。
命に値段をつけたりもして。

一方で、そのことに、哀しみを深くしてひそかに泣く人も
いる。
人間の世の中には二種類がいるということを若いときには
わかっていなかったけれど、歳をとって、ようやくそのことを
認める気になった。認めるのは辛いことだ。

ヒトは、人であろうとしなければ人にはなれない。
そのことを、ガッコの先生が果たして知っているのだろうか。
義務教育というありがたい制度を作った日本人は、百年も
経たない間に、教育について無自覚になってしまった。

今、ヒトが意識しているのは学歴という証明書であり、
教育でも教養でもなくなって、日本なんだかどこなんだか
わからんようになっていく。

森にいると、人が育つということと、樹のそれが同じである
ということを教えられる。土壌が大事、周囲の諸々がすべて
関わって一本の樹が育っていく。
樹はとてもやさしく、争わず、おおらかである。

森はあいかわらず、いい。美しい。
すっかり冬になった。
お客さんがふいにやってきて、静けさにちょっとした賑わいを
もたらしてくれる。

みんなすこやかにあれと願うなり。








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「太宰治」井伏鱒二

2014-12-01 16:12:58 | 

珍しいことをすると珍しいものを手にとったりもする。
小劇場へ行く途中、目に入った古本屋で、店先のワゴンから
「太宰治」著者は井伏鱒二、箱入りの本だった。100円也。
劇場の受付は目の前だったが脇に挟んだ本を、すぐ読みたい。
もうすぐ開演なのに、落ち着かず困った。
帰りに寄るべきだった、本屋…しょうがない性分。




太宰のファンではなく、代表作は何冊か読んでいる程度。
ただ著者名が目について手に取った。
太宰に最も近い人の一人である。
二人の名前が刻印された背表紙に、惹きつけられてしまった。

太宰治  下段に 井伏鱒二 こうだ。
サブタイトルも何もない。
内容は太宰の死後、書かれたものだった。当然のことだが。
井伏鱒二は太宰に関する日記をつけていたそうで、それを
もとに几帳面に日付入りで出来事が書かれている。
立ち会った者しか知り得ない場の空気が濃密である。
煩わしさを感じさせないのは、井伏鱒二の軽妙な語り口で
それがどこか太宰に似ていた。
師弟関係とはいえ、文学上のというよりも世話役、後見人の
ような立場であった井伏から文学上の影響は受けていない。
太宰が好きだったのは芥川龍之介だったというから。

太宰好きの人が周辺に少なからずいたのは、太宰人気を
考えると不思議ではないことだが、自分はどうかというと
別に~という態度をとってきた。
理由を述べるのもいやなときは、別に~と応ずるのがいい。

太宰は好きである、ほんとうは好きであります。
他の太宰好きな人が公言してはばからない明るき信奉者に
たずねてみたいと今回しみじみ思った。
どうして、どこが、どのように、あなたは太宰を好きなのか、
思っていることを教えてほしいと。

そんなことはほとんど無理だろう。
代わりに、一人で妄想してみた。
太宰が生きていれば…すくなくともあの日から45年先まで
生きていたら、平成のバカ騒ぎを見ることになっただろう。



太宰はシニカルな顔で、若い頃よりもさらに毒を秘めた筆舌で
世間の人をひやかし、酒の話など雑文を書いている。
文化勲章辞退の言葉は、失格ですよ、とうに失格、ゴメンナサイ
とカメラの前でほくそえむ。
ノーベル文学賞ならいかがですか、という記者のアホな質問に
くれるのかい? と笑って応え、ぼくはがっこには行ってない、
失格です、と。
人なっこい笑い顔で、なのに近寄り難い。
長身の背が少し曲がった太宰だ。

もちろん、流行語大賞は、「失格です」となるのである。










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