山光に我が心澄めり
何をいっているのかかいもくわからない禅語が多いけど
これはわかりやすいなあ。上からそのまま読めばよし、と。
禅寺でなくとも修行場や聖地にいけば、禅だから善(ぜん)人が
いると思ったら、そうでもなくて、俗世、シャバと同じで
けっこうなワルがスマした顔している、なんてことは
行ってみなければわからない。
うさこは若い日に体験したことがある。
そこで学んだのが上の言葉。
場、ではなく、我が心が善か否か。
場、に求めるのではなく、師に学べ、という意味でした。
川の水、親分がバシャバシャして歩くので、濁ります。
1分とたたないうちに、濁りが流れもとの澄んだ水に戻っていきます。
それを眺めています。
カメラと石、アンド親分。この図、シュールだなあ。
犬といる世界は、けっこうシュールレアリズムで(人からみれば)
頭のねじがゆるんできます。
珍しくいい天気だから、ちょっと写真撮ってきます。