想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

居続けのお客さん

2018-01-02 12:15:05 | Weblog
30日の夜からずっと居る。

ひさびさにパパ、ジョリが現れたので
喜んだが、すぐ後から江戸と長女の
ジョリ子もやってきて3匹でずっと
大飯喰らいである。

ほんとにまあ、食べる食べる。
外に出ると、雪の上をついてくる。
離すまいぞと、尾行するのである。
だが、雪は15センチはあるので
途中で面倒になるのか、引き返して
縁側から呼ぶ。

嬉しいんだか、わずらわしいんだか、
複雑な気持ちであるが、天秤にかけると
まあいてくれてありがとうの方が
ちょっとだけ重い。

こんな子もいたのですが、覚えて
おいででしょうか。
ナオミ カムバック トウ ミー





直美と名付けたこの猫は成長してから
来なくなりました。
自立して家を構えているのだろうと
思っていますが…好きな子でしたから
会いたいですなあ。






一緒にいるジョリ子はずーっと
母親のそばに残っている長女です。
人間の長女気質というのがありますが
まさにそれ。
どーんと構えていて、自信家です。
末っ子のわたしは、へえへえと従うことに
しているので、ますますどーんですな。
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HOME 故郷はどこ

2018-01-01 21:59:59 | Weblog
新しい年を、おだやかにすこやかに
迎えられて感謝。
例年より二日早くここへ帰ってきた。


(クリスマスに珍しく積雪がなかった)

山の家で年越ししたのは22年目にして
初めてのことだったが、週末に戻って
くるのとそれほど変わらない。それは
ここが我が家であり、遠く離れた故郷
ではないからだろう。

故郷、ふるさとへの思いが強いのは
日本人に限ったことではないが、
しかし地続きの土地に国境線を引いた
大陸と、海上を境界とする島国とでは、
思いの違いが、かたや故国一方は故郷
という単位に表れ温度差もあるようだ。

昔の日本人は故郷を出るとはクニを出る
ことであったしふるさとはクニのことで
あった。
パスポートを持ち「海外」へ十日そこら
行っても郷愁は湧かないだろうが、
田舎を出て都会にいる者は、ふるさとは
常に懐かしさとともにある。
日本人にはいまもって故郷がクニであり、
日本という国単位で物思うことは新聞紙
上を賑わす政治家のバカな言動に怒る時
くらいなもので、ほとんど無いに等しい。

それだからというのでもないだろうが、
亡命申請が認められず国外退去命令が
出て、帰れば生活はおろか命の保証も
ないという難民がいることにも大方の
人が無関心のままである。裁判に訴え、
難民を支援する人はごく少数である。
日本は難民の受け入れをしない非情な
国として国際的に非難されているが、
故郷へは帰りたがる人の多くが関心を
寄せず、むしろ外国人が居着くことを
好ましく思わない人が多いのである。

クニ(故郷)への執着と撞着。
それを良きことのように思い込んでいる。
我と、国を追われ逃げるしかなかった
彼と、どこが違うのか。

寺山修司は故郷青森から逃げて東京へ
上ったが、捨てたはずの北の故郷を
歌の材料にし続けた。捨てよ捨てよと
捨てきれない者の秘めた未練を詠んだ。
寺山はまたふるさとの絵を遠景と
言った。

それは、日々間近にあって見慣れた
景色は見ようともしない。しかしその
日常を失くしてしまうと、その風景は
尊く、近寄り難いものになるという
のだ。

書いていてふと思うのは、
故郷への意識は人が神へ抱く思いと似て
いないだろうか。
神から遠のいた人ほど神を恃みとする
ものである。
心に常から神を抱いている人はそうでは
なく、恃まず己を映すだけだ。

人が土地につながり、その土地は
神の創りしもの。とすれば、無意識下に
それが認識され、未だ伝統や文化となる
以前の、原初的な血の流れとして宿って
いてもおかしくないだろう。
それだからこその執着、綱が切れれば
よるべなさもひとしおで、手繰り手繰って
確かめておかなくて気が済まないだろう。

わたしは放浪が好きである。
ここは終の住処として家を建てたが、
そんなことはどうなるかわからない。
愛犬が眠っている場所だから帰ってくる。
わたしにとって故郷は、愛しい者の
いる場所であって土地ではない。
若い頃は、土地に繋がれた人々を嫌悪し
それは嫉妬であったかもしれないが、
(土地を持たぬものとしての)
村社会の居心地の悪さを早い時期から
感じ取り、それに馴染まなくていいと
思っていた。

そんな具合だったのが変わったのは
やはり3.11以降である。
あれほどたくさんの人が一度に故郷を
失った。そこへ自由に戻れなくなった。
その悲劇を目の当たりにして、村だの
なんだのと理屈を言ってはいられない。
住む場所、生活する場所を自らの選択
ではなく奪われ、突如として追われ、
国にいながらにして難民になったのだ。
その悲惨さは私の意識を少なからず
変えることになった。

プレハブに毛が生えたような避難住宅は
農村の庭のある家で生まれ育った人に
とっては家とは言いがたい。
老年にさしかかって、これからゆっくり
楽しもうかという時に、ご破算となった
者の心境は、言葉にできない。
遊んで楽していたわけじゃない、
労働に次ぐ労働、汗で成した財産である。
ご破算の次が出てこないまま、
取り戻せないまま、
偽善と詐欺の横行七年目。

除染土を入れたフレコンバッグの内袋を
閉じないまま黒い外袋に詰めこんだ事が
雨水が流れ込み外袋から汚染水が滲み
出していて露見した、というニュース。
JV(ゼネコン共同事業体)の下請会社が
ずさんな除染作業を追及され白状した
のが「どこもみなやっていた」だった。
なんのための誰のための予算、除染か。
こんなことになるのは2011の秋から
すでにわかっていたことである。
責任なき国家プロジェクトはオイシイ。



土地にしがみつくのもまた愛であると。
生活もまた愛であると。
ことさらに言わなかったがすべてが
愛であったと。
失って多くの人が気づき泣いた。
自ら捨てたわけではないからなおのこと
であった。
わたしの中の故郷と、3.11で失われた
故郷は同じであると気づかされた。

人は共感することでしか結ばれない。
理解できない。
想像力は、共感することにつながり
理解へとつながっていく。
そして、他者に教えられ、他者のために
なることも少しはあるかもしれない。

想像すること、それをいつも忘れないで
いたい。
もっともっと、想像できるようになりたい。
固い頭で年を取っていくのはごめんである。





















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