想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

弥生の雪は

2015-02-27 21:23:08 | Weblog
3月が近づくと、ちょっと緊張する感じ…
記憶はまだ生々しくて。
放射能が降った日も、雪とみぞれだった。
福島では山間地でなくてもまだ雪が降る季節、弥生。

4月終わり頃まで雪が降っても珍しくない山暮らし、
ベイビーは雪の日はことに元気だった。
雪で遊ぶ写真がたくさんあって、その次に多いのが小川で
ジャブジャブ遊んでいる姿だ。
ベイビーの姿を見ると瞬間だけでも、せちがらい世情から
離れることができるので…古い写真をとりだした。

ところで福島の果物は、食べて応援というCMでおおかた
安心している方が多いようだ。
で、地元ではどうかというと、計って安心という食べ方を
している方が実は多い。
知ってるからね、実情を。



これは計って安心だった干し柿です。
いただきものですが、とても美味しかった。
店で買うほうが心配で干し柿を買わなくなったが、
おみやげをお裾分けでいただいたもので自家製なのです。
福島産の柿で、市内で作ったもの。
もちろん計ってあります。
干し大根や柿が全滅だった頃、すっかり気落ちしていた
から、これは朗報でした。

春からの庭仕事が楽しみではあるけれど…
廃炉作業中のフクイチが無事でありますことを祈るばかり。
東電の嘘八百は今に始まったことではないけれど
何が起きてもおかしくないという緊張感は当面続きます。




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負傷猫帰還

2015-02-26 10:17:47 | Weblog
先週末のこと。
ジョリが夜半遅くにやってきた。
ひさかたぶりの再会で急ぎ戸を開けて頭をゴシゴシ撫でた。
よそゆきのかわいい声で鳴く、がかわいいというより細い
声音だ。ゴシゴシし続けて、気づいた。
頬がぬるっとしていた。
灯りを当てよく見ると、傷を負っているではないか、
慌てて、夜遅いのにカメ先生を呼びに行ってしまった。

隣の道場からかけつけてくれた先生がジョリを膝に乗せ
撫でるとじっとしている。
そっと撫でながら傷を診てくださったのであるが、ジョリは
ゴロゴロとまるで飼い猫のように咽を鳴らしていた。
重いなあ~おまえ、と先生。たいしたことないが薬をつけて
もらった。血で固まった毛をお湯で拭い、消毒をした。
抗生物質の入った塗り薬を薄く塗ってもらう間も、ゴロゴロ
と鳴きながら、先生の膝の間にすっぽりと身体を寄せている。

ジョリパパがなぜ怪我をしたか、翌日わかった。
たぶん…であるが。
縁側でうなり声がするのでみにいくと、初めて見る顔の猫
がジョリと睨み合っていた。
パンと手を叩くと、逃げて行った。
縄張り争いをしているのだろうと思った。
ジョリはそれからも縁側でじっとして、ほぼ寝ていた。



子ども達も現れたが、ジョリは寝ていた。
そして二日目には、目にみえて元気になった。
わたしはベイビーの病を心配して眠れなかった日々を
ひさかたぶりに思い出していた。
生きものは必ず老い、死ぬのだが、死んでしまったことの
悲しさと対極の、かわいくてたまらない元気な姿や楽しい
時間ばかりを思い出し、看ていたときの辛さをすっかり
忘れていたのだ。

同じ辛さをもう一度味わうのはシンドイことだなあと
ジョリを見ながら、つくづく思ったのであった。
愛おしさと心配に押しつぶされてしまいそうになる、
あの感覚をジョリの負傷で思い出した。

野良のジョリは縁側から10センチは入ってくるが
居着くわけではない。気分で抱かれてゴロゴロするが
羽交い締めにはされない。
それがいいのだとカメは言う。
その気持ちが少しわかった。

ジョリが自由に生きているのを見ているほうがいい。
ダニがつきすぎて具合が悪かったり、今回みたいに怪我を
すると帰ってくる賢い子だからあまり心配はすまい。

それにしても、よく喰うなあ、あいかわらず…。






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ラジオから清志郎の歌声が聴こえた

2015-02-11 00:28:29 | Weblog
RCサクセションの映画が公開されたらしい。
(修正、忌野清志郎ロックン・ロール・ショー
~The FILM ~#1入門編~ だそうです)

interFM で二三日前から言っていたけど、今夜も特集
していた。ラジオで清志郎を聴く、番組が終わったあと
変なの、と気づいた。
だって、かかった曲はみなipodにもmacにも入っていて
いつでも聴けるのだから。

でもラジオから(電波が悪くてザザザ)トランジスタ・
ラジオのイントロを聴いたら、ますます聴きたくなって、
最後まで聴いたんだ。



最後の曲はスローバラードだった。
市営グラウンドの駐車場 なんて歌詞、あんなに寒々しい
ところが歌詞になってるのに驚いたよとスタジオの出演者が
言っていた。
二人で毛布にくるまって それは今どきの恋人たちには
無いことなんだろうな、と思った。
私たちの時代ももう、駐車場で車の中で毛布、なんて思わなく
なっていたし。
スローバラードがあんなに胸を打つのはなぜなのか、
聴かれ続け、歌われ続け、でも清志郎の声、チャボの
ギターがいいと思う人がたくさんいるのは、なぜなのか。
いろいろ思い浮かんだけど、

物が溢れていない時代だったんだな、と思う。
三番目に大事なもの、君がぼくを知っている、
ラジオを聞き流さないで、ちゃんと座って聴いたのは
ほんとに久しぶりだった。


(沖縄のチャーリータコスのそばにいた猫)


で、思ったわけ。
いま、みんなで聴いてるんだな、いっしょに聴いてる、
ひとりでipodで聴くのと違うのは、いっしょに聴いてる
どこかしらないところのだれかと同じ歌で清志郎の声で
つながっているってことね、と。

それぞれ思い思いのことがあってなわけなんだけど、
ゆる~く、つよ~く、つながってる時間だったわけです。
愛し合ってるかい? オーイエー、イエーって言えーと
聴こえてきそうな夜だった。


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墨絵のような

2015-02-05 23:18:04 | Weblog



粉雪がたくさん降ってくる中、車を走らせていた。
降り始めて数時間経つが、たいした積雪量ではない。
雪は積もりすぎると恐ろしい。
そういう体験も、この山の麓に住んで否応なく知った。
それでも雪を心底、憎んだりしない。
雪もまた、地神の子、人の悪意の為したものでなし。
だれに教えられなくてもわかっているのも不思議だ。
豪雪の地に暮らす人は、雪とつきあいながら生きるのが
あたりまえになっている。
人間らしさとはそういうことをいうのだろう。

まあ、そうでなくては雪が降る地と知って住み続ける
ことはできないわけだが。
雪の下人参を遠くから届けてくれる友人の顔を思い出す。

視界をさえぎるかさえぎらないかくらいのギリギリの
降りなので、考えごとをしながら走った。
途中、車を止め、窓を開け、川に降る雪を撮った。
iphoneのカメラだが、撮っておきたくなったのだ。
消えてしまう雪景色を。



対照的な先日の晴れた日の景色。
ちょっとした雪原になった森庭を眺める。
そこに、ベイビーが走っていた姿が重なってみえた。
白一色に、黒い毛皮が跳ねている。
笑う日が少なくなったこのごろ、ベイビーがいた風景を
思い出していると、そこにふんわりと彼がやってくる。
そしてさざなみのように、やさしさが思い出され、
こわばっていたものが、うちがわからほぐれていくのを
感じる。

奈良時代以降このかた、天津神を人間の始祖とした考えに、
日本人は支配されてきた。(記紀神話)
それをほんとうに信じた者がどれほどいたかはわからないが、
現代に至るまで支配層はそれを利用してきた。

平安時代の文学者紫式部は日本書紀のあまりの強引さを
あぢきなしと正直に評したが、後の人ほど記紀の権威に
ひれふしているかのようで、むなしさを通りこして醜悪。
明治以降、天孫降臨神話を利用するばかりで信じている
わけでもないことが、彼らの深い大きな罪だ。

白人主導の有志連合に、有色人種の褐色アラブ人と
黄色い日本人が一緒になって、イスラム国の非道を許すなと
イスラム教徒の暮らす地で戦争をする。
アラーの神の地を滅ぼすたくらみは、十字軍の時代から
白人の利益のために続いている。おこぼれにあずかろうと
黄色い人も参戦しよう、否させまいと、騒々しい。
神などどこにもいない、人の醜さだけが地上を覆っている。

白と黒の、墨絵のような景色のなかを走っていると
すべてをここに溶かして、そこの、放射能に汚された
川底に流してしまいたくなる。











 

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