想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

地上の王 その1

2008-06-10 09:17:44 | Weblog

    あまりに暇というわけではない。
    テキトーに忙しいせいでもない。
    とんでもなく忙しくはしていない。もう身体がついていかないからである。
    だいたいいつもこう、ダダダダダ、ユルユルル、ダダダダ、ユルダダである。
    
    なんのことを言っているのかと訝しがられる向きもあろうかと思う。

    そうだ、そうなのだ。
    えてして、人は言いづらいことを話そうとする時、長い前置きで
    ごまかそうとする。常套手段である。
    ごまかしている自分を悟られまいとするごまかしも含まれる。
    ややこしい。

    少し知恵がついてきた小学生と話がしてみたい。

    「ねえ、おばさん。昔むかし、まだ猛獣がいっぱいいたころ
     人間は猛獣とどうやって住んでいたの」(1組うさお)
    「一緒にはいないのよ、ぼうや。食べられちゃうでしょ」(オバうさこ)

    「さっき、蛇が通ったね。おばさん、キャーッて言ったよね」(うさお)
    「そうね、きゃってね、バカみたい? ね? ついね、言った」
    「蛇は襲う?」
    「アオダイショウだから、狙うのはカエルだわね。おばさんはだいじょうぶ」
    「食べられるの?」
    「?‥‥‥、ぼうや、お腹空いてる?」


    「おばさん、おばさんはカラスをおっぱらうの、どうして?」
    「嫌いなのよ、そりゃそうよ」
    「どうして嫌いなの?」
    「どうしてって、カラスが縁側に糞なんかしてったら、セキレイちゃんが
     遊びに来なくなるかと思うし、黒つぐみだって近くで歌わないかもよ。
     ぼうや、カラスと小鳥とどっちがいい? おばさんは小鳥さんが好きなの」

    ぼうやは、人はどうやって人の居場所を確保して今日の現代社会を築いて
    きたのかという、子供にしては大きなテーマに思い至ったのであった。
    ただ、それをうまく言えないのが子供である。

    共存共生思想の萌芽を促すチャンスではなかろうかと
    うさこオバは忙しく頭を廻らせ、手に持った棒きれを握りしめた。

    「カラスはおばさんがカーって叫んだから逃げてったね。
     何処行ったんだろう? おうちに帰った?」
    「ぼうや、カラスは山に~って歌うアレでしょ。でもここが山なのよ。
     だからどこへも行かないで、近くでくつろいでるわよ。エサはたくさん
     あるからいなくならないわよ。
     トーキョーのカラスみたいにこざかしくなくても、まあ生きていけるわよ」

     子供は、少し不満そうである。
     
     (続く)

   
コメント
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