まったく前回の続きです。前回から続けてお読みください。
その前に、例によって《前置き》を、
《前置き》
あなたが、自分の意思を政治に反映させる手段は唯一、選挙による投票行動だけです。
でも、「戦争法」がもう頭の隅に行ってしまったように選挙まで批判意見を続けていてもあなたも飽きてしまって、あなたの興味対象から外れてしまうでしょう。
(注:それだけ、今の政府のやっていることは問題だらけなのですが…。)
そこで、私めは選挙が近くなるまで、安倍政治があなたを奈落の底へ突き落とそうとしている現実を、各論で説明しようと、このショートショートで選挙近くまで続けようと考えておる次第であります。
今、日本にファシズム国家が成立してしまった一番の原因は、テレビ・大新聞等マスメディアが政府のやっている悪政・暴政を一つも批判しなくなり、国民に真実の報道をしなくなった事にあります。
(余談)
9日の日も温泉に浸かってテレビを見ていたら、(注:下らないので何気なく聞いたので正確さには疑問あり)
■軽減税率に対する与党会談(自民党と公明党)が明日までの期限なのに、今日現在1ミリも進展していません。
軽減税率適用範囲の自民党案は生鮮食品等で4000億円、公明党案はそれに加工食品も加えた1兆円軽減を主張していますが、安倍首相が「財源はどうする」として自民党案を死守する構え、公明党は一歩も譲らない構え。
交渉期限を明日に控え、一体どうなるのでしょうか!?
ここで、テレビでは『政界裏事情に詳しい賢人』なる人物が現れ「公明党が頑なに主張を曲げない裏には数年前からの遺恨(怨念?)があるんですよ…云々」と解説。
そして、その解説の最後の方に字幕で「どちらを向いているのか。国民の事は(考えていないのか)」←この部分はバカらしくなって見ていないが、こんな感じ・内容の字幕とキャスターの発言。
いずれにしても、私の様に何気なく見ていると、あと1日しかないのに公明党が国民のことも考えずにゴネている、と言った印象を視聴者に与えかねない報道の仕方をしている。
最近はテレビも大新聞も本質を突いた報道をしなくなって、昔の三流雑誌のゴシップ記事・スキャンダル記事の様な報道をしている。
(注:「昔の」と書いたのは、今はそういった雑誌の方がまともな記事を載せているからだ)
この一つのテレビ番組を見ても「財源はどうする」「国民の立場は考えているのか」等々の報道にはツッコミどころ満載なのだが長くなるのでやめておく。
一つだけ言っておく、マスメディアは安倍内閣組閣の時「今度の安倍内閣の閣僚には女性が5名も登用されましたが、あなたは今度の安倍内閣を支持しますか?」といった世論調査を行なったように、安倍内閣に都合の良いタイミングで盛んに行なっているのに、今回の軽減税率の自民・公明案について、「あなたは、どちらを支持しますか?」と国民にアンケートをとって(世論調査をして)その番組で発表するといった、本来の報道機関の使命を行使していない。
「国民の方を向いていない」のはこういった報道をするテレビ・大新聞の方だ!
さて、今日書こうとしたことをこれから書く。(やっとこさ)
安倍晋三氏が起用した田母神俊雄氏(元・幹部候補生育成校の校長)は、世の中について「国をつくってきたのは権力者と金持ちであり、
貧乏人はおすそ分けにあずかって生きてきたのだ。」と考えている。
この様な人がテレビに出演し、東京都知事選では60万以上の得票を取る。
マスコミの力の凄さを見せつけられたワケだが、この発言をマスコミはスルーする。
本来ならマスコミはあなた(国民)の立場に立って彼を糾弾し政治の世界から葬り去らなければならなかったのだ。
このスルーにより、彼の思想が世の中の常識化して彼の政治的立場を確固たるものにさせてしまったのだ。
(注:「朝日新聞・日教組という反日分子」等の田母神氏の考えは別途記載)
話を戻す。
あなたは、国家・政府の“お情け”・“おめぐみ”で生きていられるのだ!
私は前に「日本人の社会秩序意識」として上からの「武士道精神」と下からの「自然村的秩序原理」を挙げた。
神島二郎教授は自然村的秩序原理を大きく五つに分けて、それが相互に重なり合って日本人の社会秩序意識を形成していると説いた。
日本人の五つの秩序原理:
・①シントーイズム
・②ジェロントクラシー
・③ファミリズム
・④フューダリズム
・⑤メンタルオターキー
この説明も今回は略します。私の前の日記を参照して下さい。
簡単に言えば、明治維新になって「西洋文明」(資本主義経済)が日本に流入し、日本は「採長補短」「和魂洋才」の精神で、これらを受け入れた。
いや受け入れざるを得なかったのだ。
当時「臥薪嘗胆」の言葉が使われ、不平等条約の解消に長期間かかった事から見ても伺い知れる。
しかし、日本社会に資本主義経済が入ってきたとは言え、日本人の心の中の秩序意識は江戸時代まで続いた自給自足的経済秩序(自然村的秩序感覚)が残っていた。(これは当然の事なのだ。)
例えば、大量生産・大量消費の資本主義社会にあって、未だに自給自足時代の「モノを粗末にするな」「もったいない」の精神が日本人の心の中に生き残ってきている。
資本主義経済は「大量消費」が無ければ、生産してもモノが売れないから経済は成長しない。
資本主義社会では「使い捨て」が美徳なのだ。
余談だが、ウチの息子は資本主義社会の美徳の典型である。
女房が無くなって暫らくして息子の部屋に入って気がついたのだが、下着・上着といった着る物も「着捨て」、特に靴下は「履き捨て」で洗濯してまた履く、といった感覚がない。
まさに「資本主義の申し子」と言える。
余談はさて置き、昔ながらの日本人の社会秩序感覚は今の世の中にも数多く残ってきている(形を変えてでも…)。
◎国を動かしているのは政治権力者と経済権力者であり、国民はその「おすそわけ」で生きている。
といわれても日本人が何も感じないのは、昔ながらの自然村的な秩序感覚である「服従=保護」の感覚があるからだ。
これについては、私の日記の日本人の秩序感覚…「服従」=「保護」(2008/07/09)を参考にして下さい。
少し、内容を説明すると、
江戸時代までの自然村的な農耕社会では豊作・凶作が“生きるため”の唯一の関心事で、その点、村落共同体の利害は純一であり、それを協力して守ることが、唯一の生存の道であった。
そのなかでは是非とも認めなければならない「服従」という条件があったが、昔の人にとっては、むしろ“服従”は“保護”の別名であったと考えられる。即ち…。
自然村は「家」を単位として「村落」を形成しているが、 飢饉でもあれば貧乏な家からまず死滅の危機にさらされることになる。
そんな「飢饉」という最大の危機(現在で言えば大不況・大恐慌)に見舞われて、その時代どう対処されたか。
それを解決したのが、顔見知りの富家(金持・長者・お上)の「人にしのびざる惻隠の情」(“人情”というか“お情け”)であった。(=保護)
飢饉による家族の死滅という最大の危機における、上の者の“保護”は、それだけで人々(被支配者)から日常的“服従”を導き出すことが出来たのである。
このようにして日本人には村共同体や権力者(お上やお金持ち)の意志に“服従”しておりさえすれば、必ず“保護”が与えられるという秩序観念が培われてきて変形しながらも現在に至っている。
(余談)…秩序感覚の変形→地主・大家による保護から、国家による保護へ
…しかし大正以後決定的となった地主の「不在化」がこの“伝統”を一変させた。
地主は小作人を顧みず、小作人は尚も地主にすがろうとした。
そこに「温情主義」(床次竹二郎の造語=説明略)が機能し、それを媒介として、農民(国民)の“地主”依存が“国家”依存へと誘導された。
すなわち、小作・農民=国民に対する地主・親分・本家の権威が失われて、“国家権力”がこれに取って替わることとなったのです。
国家家族主義となり、天皇を中心とした八紘一宇の皇国史観となって全体主義国家となったのです。
こうして従来の「社会的権力」(本家・地主)に替わり、国家権力に対しの国民の「服従=保護」の秩序観念が日本人の心の中に刻み込まれて生き残る形となったのである。
お上に楯突くとは、ふとどきな奴!
といった、いきなりの締めの言葉で次回に続きます。
その前に、例によって《前置き》を、
《前置き》
あなたが、自分の意思を政治に反映させる手段は唯一、選挙による投票行動だけです。
でも、「戦争法」がもう頭の隅に行ってしまったように選挙まで批判意見を続けていてもあなたも飽きてしまって、あなたの興味対象から外れてしまうでしょう。
(注:それだけ、今の政府のやっていることは問題だらけなのですが…。)
そこで、私めは選挙が近くなるまで、安倍政治があなたを奈落の底へ突き落とそうとしている現実を、各論で説明しようと、このショートショートで選挙近くまで続けようと考えておる次第であります。
今、日本にファシズム国家が成立してしまった一番の原因は、テレビ・大新聞等マスメディアが政府のやっている悪政・暴政を一つも批判しなくなり、国民に真実の報道をしなくなった事にあります。
(余談)
9日の日も温泉に浸かってテレビを見ていたら、(注:下らないので何気なく聞いたので正確さには疑問あり)
■軽減税率に対する与党会談(自民党と公明党)が明日までの期限なのに、今日現在1ミリも進展していません。
軽減税率適用範囲の自民党案は生鮮食品等で4000億円、公明党案はそれに加工食品も加えた1兆円軽減を主張していますが、安倍首相が「財源はどうする」として自民党案を死守する構え、公明党は一歩も譲らない構え。
交渉期限を明日に控え、一体どうなるのでしょうか!?
ここで、テレビでは『政界裏事情に詳しい賢人』なる人物が現れ「公明党が頑なに主張を曲げない裏には数年前からの遺恨(怨念?)があるんですよ…云々」と解説。
そして、その解説の最後の方に字幕で「どちらを向いているのか。国民の事は(考えていないのか)」←この部分はバカらしくなって見ていないが、こんな感じ・内容の字幕とキャスターの発言。
いずれにしても、私の様に何気なく見ていると、あと1日しかないのに公明党が国民のことも考えずにゴネている、と言った印象を視聴者に与えかねない報道の仕方をしている。
最近はテレビも大新聞も本質を突いた報道をしなくなって、昔の三流雑誌のゴシップ記事・スキャンダル記事の様な報道をしている。
(注:「昔の」と書いたのは、今はそういった雑誌の方がまともな記事を載せているからだ)
この一つのテレビ番組を見ても「財源はどうする」「国民の立場は考えているのか」等々の報道にはツッコミどころ満載なのだが長くなるのでやめておく。
一つだけ言っておく、マスメディアは安倍内閣組閣の時「今度の安倍内閣の閣僚には女性が5名も登用されましたが、あなたは今度の安倍内閣を支持しますか?」といった世論調査を行なったように、安倍内閣に都合の良いタイミングで盛んに行なっているのに、今回の軽減税率の自民・公明案について、「あなたは、どちらを支持しますか?」と国民にアンケートをとって(世論調査をして)その番組で発表するといった、本来の報道機関の使命を行使していない。
「国民の方を向いていない」のはこういった報道をするテレビ・大新聞の方だ!
さて、今日書こうとしたことをこれから書く。(やっとこさ)
安倍晋三氏が起用した田母神俊雄氏(元・幹部候補生育成校の校長)は、世の中について「国をつくってきたのは権力者と金持ちであり、
貧乏人はおすそ分けにあずかって生きてきたのだ。」と考えている。
この様な人がテレビに出演し、東京都知事選では60万以上の得票を取る。
マスコミの力の凄さを見せつけられたワケだが、この発言をマスコミはスルーする。
本来ならマスコミはあなた(国民)の立場に立って彼を糾弾し政治の世界から葬り去らなければならなかったのだ。
このスルーにより、彼の思想が世の中の常識化して彼の政治的立場を確固たるものにさせてしまったのだ。
(注:「朝日新聞・日教組という反日分子」等の田母神氏の考えは別途記載)
話を戻す。
あなたは、国家・政府の“お情け”・“おめぐみ”で生きていられるのだ!
私は前に「日本人の社会秩序意識」として上からの「武士道精神」と下からの「自然村的秩序原理」を挙げた。
神島二郎教授は自然村的秩序原理を大きく五つに分けて、それが相互に重なり合って日本人の社会秩序意識を形成していると説いた。
日本人の五つの秩序原理:
・①シントーイズム
・②ジェロントクラシー
・③ファミリズム
・④フューダリズム
・⑤メンタルオターキー
この説明も今回は略します。私の前の日記を参照して下さい。
簡単に言えば、明治維新になって「西洋文明」(資本主義経済)が日本に流入し、日本は「採長補短」「和魂洋才」の精神で、これらを受け入れた。
いや受け入れざるを得なかったのだ。
当時「臥薪嘗胆」の言葉が使われ、不平等条約の解消に長期間かかった事から見ても伺い知れる。
しかし、日本社会に資本主義経済が入ってきたとは言え、日本人の心の中の秩序意識は江戸時代まで続いた自給自足的経済秩序(自然村的秩序感覚)が残っていた。(これは当然の事なのだ。)
例えば、大量生産・大量消費の資本主義社会にあって、未だに自給自足時代の「モノを粗末にするな」「もったいない」の精神が日本人の心の中に生き残ってきている。
資本主義経済は「大量消費」が無ければ、生産してもモノが売れないから経済は成長しない。
資本主義社会では「使い捨て」が美徳なのだ。
余談だが、ウチの息子は資本主義社会の美徳の典型である。
女房が無くなって暫らくして息子の部屋に入って気がついたのだが、下着・上着といった着る物も「着捨て」、特に靴下は「履き捨て」で洗濯してまた履く、といった感覚がない。
まさに「資本主義の申し子」と言える。
余談はさて置き、昔ながらの日本人の社会秩序感覚は今の世の中にも数多く残ってきている(形を変えてでも…)。
◎国を動かしているのは政治権力者と経済権力者であり、国民はその「おすそわけ」で生きている。
といわれても日本人が何も感じないのは、昔ながらの自然村的な秩序感覚である「服従=保護」の感覚があるからだ。
これについては、私の日記の日本人の秩序感覚…「服従」=「保護」(2008/07/09)を参考にして下さい。
少し、内容を説明すると、
江戸時代までの自然村的な農耕社会では豊作・凶作が“生きるため”の唯一の関心事で、その点、村落共同体の利害は純一であり、それを協力して守ることが、唯一の生存の道であった。
そのなかでは是非とも認めなければならない「服従」という条件があったが、昔の人にとっては、むしろ“服従”は“保護”の別名であったと考えられる。即ち…。
自然村は「家」を単位として「村落」を形成しているが、 飢饉でもあれば貧乏な家からまず死滅の危機にさらされることになる。
そんな「飢饉」という最大の危機(現在で言えば大不況・大恐慌)に見舞われて、その時代どう対処されたか。
それを解決したのが、顔見知りの富家(金持・長者・お上)の「人にしのびざる惻隠の情」(“人情”というか“お情け”)であった。(=保護)
飢饉による家族の死滅という最大の危機における、上の者の“保護”は、それだけで人々(被支配者)から日常的“服従”を導き出すことが出来たのである。
このようにして日本人には村共同体や権力者(お上やお金持ち)の意志に“服従”しておりさえすれば、必ず“保護”が与えられるという秩序観念が培われてきて変形しながらも現在に至っている。
(余談)…秩序感覚の変形→地主・大家による保護から、国家による保護へ
…しかし大正以後決定的となった地主の「不在化」がこの“伝統”を一変させた。
地主は小作人を顧みず、小作人は尚も地主にすがろうとした。
そこに「温情主義」(床次竹二郎の造語=説明略)が機能し、それを媒介として、農民(国民)の“地主”依存が“国家”依存へと誘導された。
すなわち、小作・農民=国民に対する地主・親分・本家の権威が失われて、“国家権力”がこれに取って替わることとなったのです。
国家家族主義となり、天皇を中心とした八紘一宇の皇国史観となって全体主義国家となったのです。
こうして従来の「社会的権力」(本家・地主)に替わり、国家権力に対しの国民の「服従=保護」の秩序観念が日本人の心の中に刻み込まれて生き残る形となったのである。
お上に楯突くとは、ふとどきな奴!
といった、いきなりの締めの言葉で次回に続きます。