無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

日本人の秩序感覚・・・「服従=保護」

2008年07月09日 | Weblog
江戸時代、いやそれ以前の氏族制社会より、こんにちに受け継がれてきた日本人の秩序感覚に「服従=保護」の観念がある。今日はそれについて書いてみたい。

M:神島二郎氏の著書のウケウリが大部分だが、無風流解釈となっている。

江戸時代までの自然村的な農耕社会(豊作・凶作が“生きるため”の唯一の関心事)では村落共同体の利害は純一であり、それを協力して守ることが、唯一の生存の道であった。そのなかでは是非とも認めなければならない「服従」という条件があった。しかし、昔の人にとっては、むしろ“服従”は“保護”の別名であったと考えられる。

自然村は「家」を単位として「村落」を形成しているが、そのため、当然の様に、家々で貧富の格差があった。

飢饉でもあれば貧乏な家からまず死滅の危機にさらされるので、これが貧富の対立を導くことになっても当然と思われるのだが、実際には現実に存在する「貧富の格差」が「貧富の対立」とならなかった。それは何故か。

飢饉という最大の危機(現在で言えば大不況・大恐慌)にあって、これがどう処理されたかをみればわかるのだが、その答えは下記の通りで、

顔見知りの富家(金持・長者・おかみ)の「人にしのびざる惻隠の情」(“人情”というか“お情け”)

がこれを解決したのである。


■更に説明を加えると、

飢饉の危険が多ければ多いほど、この最大の危機(家族の死滅)における“保護”は、それだけで人(被護人)から日常的“服従”を導き出すことが出来たのである。

M:本家が分家のために「飢饉用上田」を配慮し、地主が不相応に多くの貯蔵米を用意したのは、どんな飢饉にも分家や小作人を餓死させまいとしたためで、これが地主の誇りでもあり、本家【総領】(分家統制権)の基礎でもあった。

こうして日本人には村共同体や権力者(おかみやお金持ち)の意志に“服従”しておりさえすれば、必ず“保護”が与えられるという秩序観念が培われてきた。

■この秩序感覚の変化について

しかし、大正以後決定的となった地主の「不在化」がこの“伝統”を一変させた。
地主は、もはや小作人に人間的な情感を覚えない。それにも拘らず小作人は先祖から伝えられた、このかすかな「黙契の記憶」(服従=保護)の故に、何か“地主”には「そむけない」義理を感じていた。

地主は小作人を顧みず、小作人はなおも地主にすがろうとした。そこに「温情主義」(床次竹二郎の造語)が機能する場があった。すなわち、この「温情主義」を媒介として、農民の“地主”依存が“国家”へと誘導され、地主・親分・本家の権威が失われて、“国家権力”がこれに取って替わることになる。⇒国家家族主義へ

こうして国家権力が、従来の「社会的権力」(本家・地主)に替わった形で、国民の「服従=保護」の秩序観念が再生産されることになった。

■どんなに世の中が激しく変わっても、人の心情は急激には変わらないのである。

♪どんなに時代が移ろうと どんなに世界が変わろうと 人の心は変らない・・・♪

「長いものには巻かれろ」「出るくいは打たれる」といった“日本的な”秩序感覚は幸か不幸か「捨て去られて」はいないのである。「全て否定され」てはいないのである。


■余談ではあるが、「国家の品格」の藤原正彦氏が日本人の原形を成すメンタリティとして“素晴らしい武士道精神”を挙げていたが、その中に“惻隠(そくいん)”の情が入っていた。

今まで読まれた方は、分かって頂けると思うが、昨日「日本での社会秩序は、江戸時代までは上からの「武士道精神」、下からの「自然村的秩序原理(国民意識)」により成り立っていた。」と書いた通り、武士道精神は支配者側の秩序原理であり、決して庶民・一般大衆のメンタリティ(秩序感覚)ではない。

“惻隠(そくいん)”の情=お上の“お情け” である。


話を戻すが、日本人の心の奥にある無意識とも言えるこの秩序感覚「服従=保護」は、逆に言うと「服従しなければ保護は無い」と言う考えであり、従って、岩国市が国家権力に服従しなかった為に保護(国が出していた補助金)を打ち切られ、新市長が服従するやそれまで以上に保護(補助金の追加)するといった国家権力の仕打ちを見ても、「服従=保護」の観念のしみついた日本人にとっては、当たり前の出来事と思えてしまうのだろう。

今日はここまで。 またね。

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