無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

ファシズムへの道…その12

2008年04月21日 | Weblog
副題 :政府・マスメディアにだまされるな!(マスメディアの犯罪)

秦の始皇帝の死後、姦計をもちい、自らの息のかかった始皇帝の末子・胡亥を皇帝に奉り上げ、権力を握った宦官、趙高は、その皇帝に「珍しい馬がおります」と鹿を連れて来た。皇帝が「鹿じゃないか」と群臣に尋ねたところ、趙高の権勢を恐れた群臣は「いえいえ、陛下、これは"馬”でございます」と言って趙高におもねり、ある者は正直に「陛下のおっしゃるとおり“鹿”でございます」と言った。
趙高はその場はちょっとした余興ということで納めたが、後日、鹿だと正直に答えた官吏を、軒並み捕らえて処刑した(殺してしまった)。
それ以降、群臣はみな趙高を恐れるようになり、誰一人として趙高に逆らう者はいなくなった。趙高は絶対的権力を手中にした。

このエピソードは“馬鹿”の語源(俗説)としてよく知られているが、人は誰もが生存本能をもっており、生命が脅かされると“死にたくない”と思い、何とか死なないで済む方を選択する。
これは当然の選択ともいえる。

又、生命は取られないまでも、上に逆らうと、生活の場を奪われる、生活出来ない、妻子を始め家族を養っていけない、さらに自分が反対することにより周りの皆んな(仲間)に同様の迷惑が掛かる、といった状況がファシズム社会では作り出される。

今の日本国でも趙高と同じような権力の横暴が見られる。

“お国”の言う事に逆らって厚木からの空母艦載機移転の受け入れを(住民投票での多数の反対により)拒否した岩国市は、市庁舎建設(既着工)の補助金(35億円)を打ち切られ、政権政党が送り込んだ市長選候補者が当選し、“お国”の言う通り受入れ賛成に回るや補助金打ち切りを取りやめ、更に100億円の補助金を積み増しして新市長に与えた。

この岩国市市長選は「巨大な国家権力の悪政と弾圧に抗する一般市民(住民)の直接的な闘い」だったのだが、市の存続には替えられない、と住民は弾圧に屈した。

これを見ていた地方自治体は、お上に逆らうと大変な事になる、と「暫定税率継続」の署名にほぼ全員が署名。(無風注:職を辞した市長が「署名は“踏み絵”だった」と言っている。つまり、地方自治体の長は趙高=国に馬か鹿かと訊かれている状態だった訳である。)又、最近では、地方自治体は「暫定税率復活」を求めて政府に再議決を要請、エイエイオーといったシュプレヒコールを挙げている。

テレビでは山口県の5カ年計画で着工したばかりの掘り起こされた道路を映し出し、“予算が回ってこなくなって”この道路はストップしてしまった、早く暫定税率復活の“再議決”をしてもらわないと困る、と政府の応援をする。

地方もマスメディアも、権力の仕返しを恐れて、国民から殆ど騙す様な形(法的問題は無くとも道義的問題は有る形)で倍取りしていた暫定税率を再議決するという議会制民主主義の精神を踏みにじる横暴(数の暴力)を、国民に当然・仕方が無いと思い込ませようとしている。

余談だが、カーナビの無い頃、地図を見ながら山口県を車で走った事があったが、その道のいいことに驚かされた。Y字路にぶつかって、地図を見てもどちらに行ったら良いのか判らないのである。片方は山道、片方は県道なのだが、両方とも同じ広さで舗装されガードレールが施されている。他の県なら間違って山道の方に行くとスグ砂利道になったり、道が細くなったりして間違いに気付くのだが、山口県の場合は間違って山道に踏み込んでも、どこまで行っても舗装した立派な道が続いている。砂利道になることもない。3人(勉強不足でした8人が正解のようです。訂正します)も総理大臣が出た県は矢張り違うな、と感じた。

今にして思えば、国会議員や大臣が自分の選挙区に国税(国民の血税)を使う(=“地元への利益誘導”)という国民を無視した使い方であり、批判しなければならなかったのだが…。

こんな山道の隅々まで立派な道路を作って来た山口県で、道路が出来なくて困っている惨状をテレビが映し出す。
前にも書いた通り、道路財源はゼロになるわけではない「正常な税率」は取られ続けている訳であり、緊急必要な道路には予算が回せるはずである。(宮崎県で570億円以上の道路財源はあり全く道路が出来ないわけではない。)
で、前にも言ったように、地方は政府に予算を出すように要求すれば良いだけの話である。地方自治体はそれをお国に請求することなく(権力者に対し要求することが出来ずに)、何でガソリンの暫定税率に的を絞るのか。

前述の“生き残るために”、マスメディアも地方自治体も今、“権力者には逆らえない”状態にあるのだ。

このようなマスメディアの世論操作があるにも拘わらず、いまだに暫定税率復活に反対している国民は60~70%もいるのである。

ガソリンの値下げが、日本国のほぼ全産業が関わっている“流通”に影響を与え、それによって日本の経済に与える影響は計り知れないものがあり、経済の活性化にも繋がるのである。マスメディアは、国民の反対やガソリン値下げの波及効果を全く報道せずに政府(権力者)にこびへつらって「困った困った」「早く再議決してくれ」といった声ばかりを取材報道している。…マスメディアは国民の方を向いていない、とブログの有識者は憂えるが、私に言わせると、このマスメディアの世論操作はファシズムに繋がる事であり、国民に対する犯罪である。
新しい資料があるのに古い資料をもとに59兆円必要と要求してきた“国民に対する詐欺”をなぜマスメディアは追及しないのか。「逐次検討を加えていく」で済ませて良いのか?

※「暫定税などという端末にこだわって『地方再生』という大事な政策を打ち出さない」と野党を非難し、「責任政党」という権力者のいう言葉を信じるのはもう止めにして下さい。
地方を切り捨ててきたのも今の政権政党ですし、国民から集めた富(税金)の分配で830数兆円の累積赤字を作り出したのも今の政権担当政党です。

決して「少子高齢化」のためだけでは有りません。騙されないように。


趙高の例を挙げたので、日本の現状についてもう一つ挙げておく。

4月17日の名古屋高裁の「自衛隊イラク派兵違憲」判決についてである。
これについては、次回で詳しく述べたいが、ここで言いたいのは、この違憲判決を書いた青山邦夫名古屋高等裁判所裁判長が3月31日付けで「依願」退官していること、である。
自分の信念に従った判決をするのに、職を賭さなければならない。これが今の日本の現状である。権力の横暴を防ぐための三権分立は日本では無くなってしまっているのである。

少し、他のブログを引用して次回に繋げます。

(引用開始)
画期的違憲判決を書いた青山邦夫名古屋高等裁判所裁判長が3月31日付けで「依願」退官していることは軽視してはいけないと思う。確か、住基ネット違憲判決については、まもなく裁判長が自殺したはずだ。
それだけの重みがある判決であり、他方で、それだけのプレッシャーが本来独立した立場で判断すべき裁判官にかけられているわけだ。
また、このニュースについて重みをもって伝えられなかったメディアがあったことも忘れてはならない。青山裁判長の勇気に敬意を表するとともに、この点をメモしておきたい。

【追記】
 読売新聞の一面解説記事で、「憲法判断回避の原則」などと戯言を書いているのを目にした。
もちろん、本来、違憲というのであれば、傍論ではなく、一円でも損害賠償を認めるべきだった、そうしなかったから読売新聞のような批判を受けることになった、という意見もあろう。
しかし、この判決からは依願退官をしてこの判決を書いた裁判長のぎりぎりの判断を伺うことができる。
裁判長としては、自分のことだけを考えればすむわけではないのだ。

重大な決意に基づく判決であり、結果として違憲判断は傍論となってはいるが、それがこの判決の重要性をいささかも損ねるものではないことを追記したい。

読売新聞のような批判をする人に対しては、あなたは職を捨ててまで、将来の安定(公証人など)を捨ててまで、信念に従うことができるか、と問いたい。…引用終り

この件は違うテーマで次回に引き継ぎます。ずっと続けてきた「ファシズムへの道」ですが、数字が多くなると、後でどこに書いたか判らなくなるので、同じ主旨なのですが、次回からテーマを少しずつ変えて書くことにしました。

本当にあれもこれもと書きたいことが毎日毎日出てきて纏まらないのですが、今日は、下記の言葉で締めくくります。


国民は地方自治体やマスメディアを「趙高の下の官吏達」と捉えなければならない。
いい加減に国民は気付くべきだ。

マスメディアは、国民に「鹿」を「馬」だと思い込ませようとしている、ということを。

続きます…。