無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

ファシズムへの道…その10

2008年04月16日 | Weblog
副題:国民は政府・マスメディアにだまされるな!

今朝のテレビで長寿医療制度により、15日支払の年金から天引きが開始されたことによる75歳以上の老人の困惑振りが報道されていた。
ある老人の例を挙げ、今回の年金から3,000円が引かれていた等々を現場密着取材で報道、コメンテーターの「33兆円の医療費の10兆円も老人が使っている。若者に対して不平等だ。…予算の調達が出来るような状態ではない、▼問題はそんなに単純ではない▲、この制度に(単純に)反対している人に対し頭にくる!」で締めくくって他の報道に移っていった。(読売系)

(無風注:今日から嘘言葉を▼~▲で囲うことにしました。)

なぜ、全国平均6,200円が年金から天引きされる、と全体の状況を報道しないのか?
「問題はそんなに単純ではない」と言う言葉は、その方面(政治・経済・司法・国際情勢・等)の知識に乏しい国民をだます、国民をヘンに納得させてしまう嘘言葉である。

暫定税率についても国民は「国民から倍取りしていたガソリン暫定税が期限切れを迎えて、ガソリン代は30数年ぶりに『正常な税率』に戻りました。」と単純に考えて良いのである。

それを政府・マスメディアは「問題はそんなに単純ではない」を使って、減った財源はどうする、地方はどうする、と騒ぎたて、何とかもう一度「ガソリン暫定税」を復活させようと必死になってる。(財源をやり繰りするのが政府の役割)

長寿医療制度についても、75歳以上の老人自身に“金を出せ”と負担を強いる国は世界に無い。やはり“老人は労わりましょう”の単純な感覚が「正しい」考え方であり、医療制度改悪をした政府は責められるべきである。

「問題は単純ではない」に誤魔化されないように、下記の言葉を胸に刻みつけて置いてください。(もう何回出したかな???)

「政治の世界が分からなくても政治のよしあしを判断することは簡単に出来る」

→「国民の生活が苦しくなる政治は、悪い政治である


※余談:いまどきの報道について

余談になるが、いつから今のような報道の仕方が定着したのだろう。
例えば、刃物を持った男が街なかで無差別に通行人を襲って切りつける事件が起きたとすると、どのテレビ局も、現場での状況を生々しく再現しセンセーショナルに写しだす。(皆さんももうそれが当たり前と思われているでしょうが…)
「○○さんはここで腹を刺され、助けを求めて、あちらの方へ逃げたのですが…(その位置まで駆けていって)…ここで今度は足を切りつけられ、今病院で手当を受けています。」といって、道路や壁に飛び散っている血の痕を鮮明に写しだしセンセーショナルに報道する手法。
例えば、子供を殺され泣き叫んでいる親を写し「悲しいでしょうね、悔しいでしょうね、犯人を殺してやりたいと(当然)思うでしょうね…」と、その親から無理やりコメントを取ろうとするレポーター。
私は、昔、このテレビの報道合戦が過熱しはじめた時、「親の気持が分からないのか!」「そっとしといてやれよ!」とレポーターたちに怒りを感じたものだ。
「人の気持も考えないで!それでも人間か!」といった感情を抱いた私も、“慣れ”とは恐ろしいもので、何十年もそのやり方をされていると何とも思わなくなってしまった。
これもサブリミナル効果と言えるのかも知れない、恐ろしいことだ。…
そして、最近NHKがこの民放の手法を真似て報道するようになった。レポーターが「ここが、その事件現場で…」とレポートしているのを見て、私は「アレ?!今見ている局はNHKじゃないんだ。(民放なんだ。)」と思ってしまった。確認したらやっぱりNHKだった。NHKもレポーターを使い、ワイドショー的報道をするようになってしまった。嘆かわしいことだ。

テレビが無かった時代には、本を読むにしろ、ラジオを聴くにしろ、自分の“想像力”が必要であり、それらから自分で考える力が自然と沸いてきたのである。
以前「ゲーム脳」のことが話題になった。ゲームをしている子供の脳波が、“白痴”(あえて差別用語をそのまま使う)の人の脳波と同じだった、というもの。
その学説の真偽は置くとしても、一方的に与えられるテレビやRPG(失敗してもリセット可能なゲーム)では、考える力・想像力は出てこない。
自分の子供がゲームに熱中しているのを見てもそう思う。
昔は、上記のように子供が殺された状況のニュースが淡々と流れると、それだけで「子供を殺された親の悲しみは如何ばかりか」と親の悲しみが自然と伝わってきたものだ。
あなたは、名作を本で読んだあと、映画になったそれを見て、つまらない、と思ったことは無いだろうか。本で想像しながら読んだほうが、数段感動するのである。

余談の余談だが「のだめ」は別。音楽作品の為、耳から音楽が聞けたほうが感動するし、絵のパリよりもパリでの実写ロケのほうが感動する。これは仕方の無いことだ。…余談終わり

■暫定税率についての政府・マスメディアの嘘をまとめたブログがあったのでのせておく。

暫定税率がなくなって道路がつくれなくなったという。地方の予算が組めなくなったという。とんでもない嘘だ。

これほど色々な税金を国民から取っているのだ。その予算を、道路が必要なら優先的にまわせばいいだけの話だ。地方の経済が大変ならば国家が地方に予算を回せばいいのだ

4月2日の東京新聞の社説が見事に指摘している。
特別会計や独立行政法人には眠っている莫大な積立金や準備金(いわゆる埋蔵金)があるではないか。それがすでにバレているではないか。

2009年度からの一般財源化を公約した以上、今年度の2.6兆円の歳入不足をどうするかという問題だけである。
今年度ぐらいは埋蔵金のわずか一部を使ってどうとでも工面できるはずだ。

なぜそれをまわそうとしないのか。

それをしないのは福田首相が各省庁とお友達であるからだ。
既得権化している各省庁の予算に手をつけようとしないからだ。
そのツケを国民に回されてはたまらない。…引用終り

■続いて、政府及び政府の言いなりになっている地方・マスメディアの姿。

福田首相「ガソリン税が引き下げられたままでは2兆6000億円もの財源が失われ、幅広い住民サービス見直しにつながりかねない。しっかりした財源の確保が不可欠だ」と説明。「人気取りに走るのではなく、必要なことであれば国民に負担をお願いするのが、国民の生活と経済を守るべき政治の責任だと考えた」と訴えた。
(無風注:暫定税率を再議決で元に戻すことが責任政党のやるべきことだ、としている。)

地方とマスメディアの姿

「読売新聞社は47都道府県知事を対象にアンケートを行った。」
「暫定税率の復活については、知事42人が賛成し、反対はゼロ。」
「暫定税率復活に賛成した42人は『医療や福祉、教育などにも影響を与える』(東国原英夫・宮崎県知事)などと窮状を訴えた。」

「同日行なった全国世論調査では暫定税率復活に賛成27%、反対57%となっており、国民と地方(知事)との認識の差が浮き彫りとなった。」(無風注:私はマスメディアは、この全国世論調査の結果をもっと重点的に取り上げるべきと考える。それが国民の為の報道であり、マスメディアの使命だ。)

知事会など地方6団体、暫定税率復活へ再議決申し入れ (4月7日 朝日新聞)

全国知事会の麻生渡会長(福岡県知事)ら地方6団体の代表は7日、3月末に期限切れとなったガソリン税などの暫定税率の早期の復活を求め、税制改正関連法案を再議決するよう政府・与党に申し入れた
首相官邸を訪れた麻生氏に町村官房長官は「それは総理の一貫した考え方でもある。その方向で全力を挙げる。」と応じたという。

■無風注:議会制民主主義の考えを否定する“再議決”を憲法に則った行為だから問題なし、というイメージを国民に植え付けようとする報道だ。
知事の政府への嘆願と政府の答弁は“ヤラセ”である。中央政権によって「ブラックリストに載り、より締め付けが厳しくなる」ことを恐れた地方が、中央政府に予算を出すように要求することなく、ドライバーからの倍取り税率(暫定税率)一本に絞って元に戻せと復活を要求している。政府が地方を動かして“地方と国民の認識の差”を作り出し、4月に暫定税率が廃止された途端、地方はあたかも暫定税率廃止が原因と言わんばかりに、住民に税等の負担増を要求(マスメディアも大々的に取り上げ、暫定税率廃止に伴う地方・国民の混乱振りを強調、暫定税率廃止は間違いだった、1ヶ月後に元に戻すのもやむを得まいと国民に思わせるように画策)、“中央政府によって虐げられた地方”と“中央政府によって虐げられた国民”の対立を作り出している。

◎マスメディアが発達した現在、本来対立した意見が争われるべき状況において、マスメディアによる宣伝・情報操作を媒介し、極端に一方の側に支持が偏った状態が生じる。

さて、本題に戻って、マスメディアの報道の仕方について

(引用開始)
1月29日の日刊ゲンダイに、政治評論家の有馬晴海氏が「テレビに出て一番驚いたのは」と題して次のような極めて興味深い事を話していた。

「(テレビの)生番組に出てみて感じるのは、もう少し解説の時間を与えてくれたら順序だてて丁寧に説明できるのに、ということです。
複雑な政治の問題を一言で説明するには限界があって、正直難しいと思う事があります。

インタビュー取材の場合、一時間ほど費やして実際に放送されるのは10秒間のコメントが2回ほどということもしばしば・・・。
(インタビューを各局から受けて)その時感じたのはテレビの人たちがあらかじめ決まった答えを求めてくるということ。

たとえば『公設秘書の給料って高すぎませんか』と唐突に質問される。
その秘書が20代なら高すぎるだろうし50代なら低すぎるわけで、いっしょくたに論じる趣旨のものではないと感じました。
が、そういってしまっては番組にならないのです。・・・」

このコメントこそ今のテレビ番組の正体を見事に言い当てている。…引用終り

最近は文書にまとまりが無い。今日はここまで、又、次回に続きます。