◎やすらげ、やすらいでいい、やすらいでいる
ヨハネの黙示録にある「わたしはアルパであり、オメガである」これと同義なのが、
以下の引用文に出てくる
『私こそすべて』
『すべてとつきあっている
私はすべてだ』
『ここに終わり
ここに始まる』等々。
以下の引用文では、三つの要素が混然としてばらばらに登場している。すなわち私個人、有(世界全体・宇宙全体・過去現在未来)、無(ニルヴァーナ、なにもかもなし)。
ここまで悟りを単純化して韻文にしてくれたものに出会うことは稀である。
個から全体への逆転、有から無への進行をダイナミックに表現している。
『ソーマ・パイロットの言葉』の続き。
『——ソーマ・パイロットの言葉
あらゆるものは
私が無いことを示している
私こそすべて
すべてとつきあえ
すべてとつきあっている
私はすべてだ
すべてだ
今
ここ
今じゃない今
ここじゃないここ
私は私に帰れない
すべては私自身なんだ
旅に限りはない
私はわが家にいる
いくたびもなく
いくたびもなく
ここに終わり
ここに始まる
やすらげ
やすらいでいい
やすらいでいる
殺せ
ぶちぬけ
行け
二度とないんだ
むかしむかしある所に
アトランティスがありました
それは 今
どこにあるでしょう
むかしむかしある所に
お釈迦様がいました
それは 今
どこにあるでしょう
むかしむかしある所に
超能力がありました
それは 今
どこにあるでしょう
むかしむかしある所に
悟りというものがありました
それは 今
どこにあるでしょう』
(メディテーション/トラベル・ガイド/ダンテス・ダイジから引用)
冒頭の『あらゆるものは
私が無いことを示している
私こそすべて』とは、
有・第六身体である『わたしこそすべて』は、やがて『あらゆるものは私が無いこと』に転ずることを示している。
『今
ここ
今じゃない今
ここじゃないここ』
今ここは、現代スピリチュアルの流行語。今ここは、有・第六身体であって、変遷極まりない現象の総体にして、私という個人はない。だが、一歩進んで、『今じゃない今、ここじゃないここ』、であるニルヴァーナがある。
むかしむかしあるところにお釈迦様がいました。お釈迦様は単なる思い出に過ぎない。私はすべてのすべてだから、お釈迦様でもある。なにもかもなし。
ソーマは切れたら、元の木阿弥。その卒然さと、窮極に至る迅速さが、これらシンプルな詩になっていると見るべきか。