継続

2009年05月11日 | 健康・病気
森光子さんに国民栄誉賞 官房長官「前人未到の業績だ」(朝日新聞) - goo ニュース

森光子の主演舞台「放浪記」が9日、2千回になった。
すごいことです。

私もあらためて思いました。
九想話を続けていこうと。
森光子にはおよびませんが、
読んでくれる人がいるうちは書いていこう。
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花檀

2009年05月10日 | 健康・病気
4月だったか?に植えた花の苗が育って大きくなりました。
パンジーを多く植えたのでパンジーが目立つ。
あと何種類かの花を植えたけど、名前がわからない。
情けないですね。

写真のパンジーのうしろのツツジがきれいですね。
4月のわいわい雑俳塾の兼題に「躑躅(ツツジ)」がありました。

  水をやるツツジ喜ぶ庭の隅

私が投句したものです。
「これはなんなんだ」と女房にいわれそうです。
どうでもいい句ですね。
10日が選句締め切りですが、私の句はあまり選句されなかった。
こんな句では選句されなくてもしかたないですね。

あと「暮の春」「橋」が兼題でした。

  いっせいに花咲きほこる暮の春

軽井沢は、いろんな花が一度に咲きます。
だけど、だから何なんだ、という句です。

  風光る今日から明日に架ける橋

この句は、けっこう“私的”には気に入っています。
でも、あまり選句されていません。
私としては、サーモン&ガーファンクルの
「明日に架ける橋」を詠み込みたかった。

思えば昨年、雑誌「俳句界」主催の「五月五日五時の句」に、
私の句「こどもの日モニター監視異常なし」が、大賞に選ばれた。
今年はあったのだろうか、なかったのだろうか、わからない。
その頃、まさか1年後に私が長野で暮らすとは予想もしていなかった。
人生とは、わからないもんですね。
人生は一寸先がわかりませんが、花はいいですね。

  人生の一寸先はわからねど来年も咲く花はあるはず
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女房帰る

2009年05月09日 | 健康・病気
今日、女房が東京に帰りました。
彼女がいると、
「ああしろ」「こうしろ」とうるさい。
しかし、それをいわれているうちが花ですね。
やっぱり、2人でいるとさみしくない。
話し相手がいるということはありがたい。
1人でいると、黙っているしかない。
口を開けるのは、飲み食いするときぐらいのものです。
あとは、ため息をつくときかな。

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回向柱

2009年05月08日 | 健康・病気
話には聞いていましたが、善光寺の御開帳とはすごいですね。
善光寺事務局の発表によると、
大型連休(4月25日-5月6日・12日間)の参拝者が
計207万人だったそうです。
1日当たりは約17万3000人だった。

しかし、昨日は連休が終わったあとだからそれほどでもなかった。
私たちが回向柱に行ったのが10時前でした。
写真でわかるように、柱のまわりにはそれほど人はいなかった。

七年に一度の御開帳の時だけ、前立本尊を拝むことができ、
中央の阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸は五色の糸にかわり、
白い善の綱として、本堂前の回向柱に結ばれる。
その回向柱にふれることは、前立本尊にふれるのと同じで、
御利益があるという。

どうして前立本尊にふれると御利益があるんだ?
と以前から思っていた不信心な私でしたが、
柱にさわっている人たちにまじって、
私も柱に掌をあてていたら、
なぜかしら胸が熱くなってきた。
隣の女房も目を閉じて柱をさわっていた。

私は、双子の息子たちをこの人と育ててきたことを思った。
貧しい稼ぎでよくやってきたと感謝する。
これからの“御利益”というより、
これまでなんとかやってこられたことを振り返って
胸が熱くなったような気がする。

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善光寺

2009年05月07日 | 健康・病気
女房と善光寺に来ました。
電車で来ようと昨日までは予定してたのですが、
雨が降っていたので車にした。
GWも終わったので空いているかなと思ったからです。
9時半に着いたけど、駐車場にはすぐ停められた。
しかし、さすがに7年に1度の御開帳ですね、
すごい参拝者の数です。
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軽井沢アウトレット

2009年05月06日 | 健康・病気
なんて私は思っていたが、ちゃんとした名前は、
「軽井沢・プリンスショッピングプラザ」というんですね。
今日の午後、軽井沢に住んで初めてそこに行きました。

去年の春、入間にアウトレットの店ができた。
(去年の今頃の九想話に書いたんですが、
 自宅でネットにつなげないので日にちを確認できない)
あんなものかなと想像していたが、広さが違う。
軽井沢のほうが圧倒的に広大だ。
入間のほうがコンパクトにまとまっていて、
客としてはショッピングをするのに楽だと思う。
いや、入間だってかなり広くて全部の店を回るのには疲れる。

今日は、GWの最後の日だからあまり客はいないだろう、
と、安易に考えていたがまちがいでした。
駐車場の2キロぐらい前から渋滞で待たされて、
入るのに30分ほどかかった。
雨が降っていたので車から降りて濡れた。
そして寒かった。

しかし、私にブランド品は縁遠く、何の興味も持てない。
女房はそれなりに店に入って見ていた。
メシを食ってないので腹が減っていた。
「味の街」に行った。
すごい人の混雑だった。
人にぶつかってちゃんと歩けない状態だった。

何か食べようと思い、「高原コロッケ」という店で、
黒豚のコロッケ?を買い、女房と1コづつ、
歩道のベンチに坐って食べた。
198円のコロッケはなかなかうまかった。

女房は寒いというし、別に見たい店もなかったので帰ることにした。
駐車料金を300円とられた。
私はもう二度と来ることはないなと思いながら、
「軽井沢・プリンスショッピングプラザ」をあとにした。

車に乗って20分ほどで中軽井沢に着いた。
私と女房は、ナカカルを通り過ぎて佐久に向かった。
佐久市までは30分で行く。
行ってまず幸楽苑というラーメン屋に入った。
ラーメンが290円という店です。
所沢に2軒あり、私たちはよく行っていた。
私が味噌タンメン、女房が塩タンメンを食べた。
490円のわりにはうまい。
私たちは、幸楽苑が好きなんです。

それからユニクロで、私の夏用のジャケット(4950円)と
スラックス(1990円)を買った。
カインズホームで掃除機(2980円)、スチームアイロン(1280円)、
麦とポップ(24本入り2480円)を購入しました。
それから、ダイソーに行き、台所で使うモノなど13点を買った。
私は、ブランド店が並ぶアウトレット店より、こういう普通の店が好きだ。
女房も楽しそうだった。
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夫婦

2009年05月05日 | 健康・病気
2日の夜から女房が来ている。
メシなんか作ってくれるから助かるが、
いろいろうるさい。
ふと、ひとりがいいな、なんて思ったりする。
でもやっぱり、一緒にいるといろいろ話せて楽しい。
夫婦なんですね。

明日あさってと私は休日です。
どこかに行ってみようかな。
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軽井沢のGW

2009年05月04日 | 健康・病気
いやア~、それにしても軽井沢ですね。
これが軽井沢かー!!てな思いです。

軽井沢の道路はすごい混雑です。
私が昨日仕事に行くとき(昼頃)、
佐久市から旧軽井沢のほうへ行く道路は混んでいた。
私の行く方角は比較的空いていた。
今日は、まったく国道18号線を通らずに職場に行った。
(いや、友人の家に行くまでは使いました)
反対方向は、いろんな他県の車でいっぱいです。

軽井沢というのは、こういう土地なんだな、と思った。
冬の寒いときは、人はそれほどいなかった。
それが、こういう暖かい気候になると、あふれだす。
ただ、それだけなんですね。

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忌野清志郎逝く

2009年05月03日 | 健康・病気
忌野清志郎さん死去…58歳ロックに生きた(日刊スポーツ) - goo ニュース

私が高校生のとき、深夜放送でRCサクセションをよく聴いていた。
「宝くじは買わない」
「ぼくの好きな先生」
好きだったな。

一番好きだったのが、陽水がうたっていた「帰れない二人」だった。
この歌は、陽水と清志郎が二人で作った。

おれより1歳上、早いよ死ぬの。
ご冥福を祈ります。
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肴やに行く

2009年05月02日 | 健康・病気
友人と8時前に別れた。
私は、小手指から新所沢まで歩いた。
20分ほどで行ける距離です。
1月まで住んでいた団地によった。
私たちが暮らしていた部屋の電気は暗かった。
まだ、新しい人が引っ越してきていないのかどうか?
確かめてみたい気がしたが、それがなんなんだ。

肴やに行く。
以前よく歩いた道だ。
Nさんがいた。
挨拶をして坐るとまったく時間を意識しなかった。
まるで私がシントコの家から来たみたいだった。

そのうちしんちゃん夫婦が来た。
もうこうなると、自分が長野から来たことなど忘れる。
GWに、肴や主催の恒例の新潟キャンプがある。
私も一昨年参加した。
(2007年5月2日から5日までの九想話参照)
みんなはその話で盛り上がった。

私も行けたら行きたかったが、仕事がありだめなんです。
1月には、行けたら長野から参加するよ、と話していた。
悲しいですね。

9時過ぎ、私は肴やをあとにした。
女房がフラメンコの練習から10時頃帰ってくる。
駅への道を歩いているとき、
あぁ…、おれはやはりシントコの人間ではなくなったんだな、
と思った。

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