UFO?

2007年12月22日 | 健康・病気
昨夜7時過ぎ、立哨しているとき、
いつも話しかけてくる団地のおじいさんと世間話をしていた。
その人は仕事を引退していていつも団地にいる。
昨日は朝から住宅建物の前で何か作業をしていた。
訊くと、風呂の簀の子のペンキ塗りをしていたという。
「水性より、油性のほうが乾きが遅いが、もちがいい」
と嬉しそうに話していた。
そんなのはおれにとってどうでもいいことだが、
“日本一”の笑顔で頷いていた。

それからおじいさんは、住んでいる都営団地の歴史を話し出した。
「おれは、むかしはあの街灯のあたりに住んでいたんだ。
 もともとここは林でね。
 それがこっちに新しいのができておれは来たんだ」
そのおじいさんは、1人で暮らしているようだ。
“新しいの”といっても、もう築20年はたっているという。
同じ人が住み続けているので、みなお年寄りしかいない。
現在、都営住宅は住んでいる人の子どもに
名義を書き換えることはできないらしい。

「あれなんだ?」
おじいさんが、おれの後ろの空のほうを見ていった。
振り返って空を見上げると、大きな光っている物体が浮かんでいた。
ゆっくり豊島園のほうから成増方面に移動している。
私たちから1キロぐらい離れているのか?
楕円形を少しつぶした感じの白いものだった。
道路を走る車の騒音はするが、あたりは静かだった。
おれは、映画「未知との遭遇」で、
初めてUFOを見た人のような気持ちになった。
綺麗だった。

でも3秒後に、おれはおじいさんにいった。
「あれは、飛行船ですよ」

最近、国会で「UFO談義」が花盛りだ。
そんなことより、もっと議論しなくてはならないことがあるだろうに。
高い税金を使って運営している国会で、やめて欲しい。
防衛省の疑惑、年金疑惑、薬害C型肝炎、合法銃のことなどなど、
話し合うことは山積している。
そういうことが解決して「UFO談義」をすることにおれは反対しない。

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冬至か

2007年12月22日 | 健康・病気
今は4時半、立哨していてこの時間が一番眠い。
そして寒い。
立っていて気が遠くなるときがある。
膝がガクンと崩れて目が覚める。

今日は冬至だという。
昼間が一番短い。
これから少しづつ長くなっていく。
おれの暮らしもちょっとづつ明るくなっていって欲しい。
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話相手

2007年12月19日 | 健康・病気
最近、私が立哨していると、
団地に住んでいる人が話しかけてくる。
みな一人暮らしをしているお年寄りです。
この都営住宅に住んでいる人たちも、
よその団地と同じで老人が多い。
話相手がいないようで、よく警備員に声をかけてくる。
私もここの人たちに認められたようです。
新任教育で、
「警備員は近所の住民に嫌われてはいけない」
と教えられた。
なので、私は愛想よくおじいちゃん、
おばあちゃんの話に相づちをうっている。
おじいちゃんの昔の仕事の自慢話や、
おばあちゃんが、いかに苦労したかなどの話を
聞かされるのは疲れるが、
立派な警備員になるため、
日夜、日本一の笑顔で、
お年寄りの話相手になってます。
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日記を書く

2007年12月18日 | 健康・病気
おれが、日記らしい日記を書き始めたのは、
中学2年(1966年)の9月27日からです。
たしか祖父が死んで間もない頃でした。

 九月二十七日(火)晴れ
 朝六時三十分に起きた。バナナ一本ためでから登校、
 学校についてそうじをやらずに宮君と、こう売部にいった。

これは、大学ノートに縦書きで書いてあった。
「バナナ一本ためでから登校、」と書いてあるが、
これは「バナナ一本食べてから登校、」が正しい。
このバナナは、祖父の葬式のお供えものです。
葬式が終わってから毎日食べていたのを思い出す。
このあとは、「一時間、学活、あと二時間めから」ブラスバンド部に行って、
体育祭の総練習をしたことが書いてあった。
家に帰ってからは、風呂に入って食事したこと、
見たテレビ番組「路ぼうの石」のこと、そのあと、
「明日の時間割をそろべた、それから日記を書いた、
 八時三十分~九時二十分、11時に寝た」で終わっている。

この九想話を書くためにその日記を読んでみたが、
これを読んだのは、書いてから初めてのことです。
読んでみて中学2年のおれは、つまんねぇこと書いてたなと思った。
このあと何ページか読んでみたが、似たようなもんだった。
九月二十九日まで、バナナを食べたことが書いてある。
こんなつまらないことを書いている中学2年のおれは、
なんで日記なんかを書こうと思ったのだろう。

でも、「一0月二日(日)」に、
「きのうの朝、Fさんといっしょにいる夢を見た。
 なんだか起きてからうれしかった」なんてことが書いてあった。
Fさんは、おれが小学5年から好きになった初恋の人です。
当然、きちんとした名前で書いてあります。
そのあとたびたびFさんのことが書いてあった。
このことは今読んでもうれしい。
日記を書いた意味があったかも?

それにしても低レベルな日記です。
はずかしいですね。
今日はそんなアホだった自分の中学時代を書くつもりではなかった。
日記のことを書くんだ。

ここ何年かおれは、パソコンに日記を書いている。
エクセルで毎日の体重を書くような表を作り、
体重を書いたセルに「コメントの挿入」でその日のことを書いていた。
これはこれで便利なのですが、なんか寂しい。

先週(12月11日)、詩人の荒川洋治の日記の話
(「日本全国8時です」TBSラジオ 火曜日)を聴いて、
またノートにボールペンで書いてみようかな、と思った。
そしてさっき5年ぶりに書きました。
前のページは、2002年5月19日(おれが50歳になる1日前)だった。
「今日で、おれの40代は終わる。」という書き出しで始まっている。

荒川洋治は、日記を続けるコツを話していた。
ここ( http://www.tbsradio.jp/stand-by/zen8/ )を読んで下さい。
そしてあなたも今日から日記をつけてみませんか。
1日の自分の行動を思い返し、日記を書くことはわるくないはずです。
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車に乗りたい

2007年12月17日 | 健康・病気
今年の5月から8月まで、
おれと女房は毎週あちこちドライブしていた。
みなさんは不思議に思いませんでしたか?
「ガソリン価格が高くなっていくこの時代に、
 いつも金がないないといっている九想がどうして?」

それにはこんなわけがあったのです。
足場の会社での交通費というのが、
「月に2回ガソリンを満タンにしろ」という大雑把なものだった。
会社とおれの家は6キロあった。
この辺を走るときのおれの車は1リットルで12キロ走る。
(郊外を走れば、15、6キロは走る)
なので1日1リットル消費する計算になります。
車はいつも30リットル前後給油して満タンになる。
25、6日通勤しても、1度満タンにすれば間に合ってしまう。
せっかくの権利なのでもう1回満タンにしたい。
それで、あちこちドライブに行ったのです。

秩父、山梨、群馬、茨城と、よく行ったものだ。
なんといっても山梨の「ほったらかし温泉」はよかった。
2回も行ってしまった。

現在、電車通勤なのでほとんど車に乗ってない。
休みも女房と合わないのでドライブにも行ってない。
今はガソリン価格が150円以上するので
できるだけ乗らないようにしている。

  ただ眺む車しまったわけじゃない
(「車蔵ふ」という冬の季語があるのですね)

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小器晩成

2007年12月16日 | 健康・病気
日曜午後4時から、ニッボン放送で
「笑福亭鶴瓶の日曜日のそれ」
という番組をやっている。
いつもは鶴瓶が一人でしゃべっているのだが、
今日は、三浦友和がゲストだった。

二人は同じ歳だという。
ということはおれより1つ歳上です。
20代、30代、40代、50代は
こんなことあんなことをした、と話していた。

二人とも好きな道を一所懸命歩いてきて、
その道ではそれなりの人間になった。
おれはいい加減に生きてきて、
警備員なんかやって寒空の下立っている。
二人の楽しそうな会話を聴きながら情けなくなった。
落ち込みました。

夜になりきれいな三日月を見ながら考えた。
落ち込んでなんかいられねえぞ、
今からでもやるしかないじゃないか、
小さい器でもいいから、これからならなくちゃ、と。
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ふたご座流星群

2007年12月15日 | 健康・病気
昨夜、警備中にラジオ深夜便を聴いていたら、
15日の午前3時過ぎに、ふたご座流星群が観られるといっていた。
ちょうどそのときは、おれが立哨していなくてはならない時間だった。
14日の午後11時半から15日の6時までおれは起きていなくてはならない。
これが毎回ツライのです。
午前4時5時は、ふらふらして立ってます。
眠気覚ましに歩いていると真っ直ぐ歩けなくて、
道の端のブロックや生け垣にぶつかる。
すねを擦りむいたりする。情けないです。

流星群のことを知りおれは喜んだ。
これまで何度か流星群を観たいと思い、家のベランダで待っていたことがあった。
しかし、条件が悪くて観たことがない。
そのときも(午前0時頃)空には雲が沢山あり、星1つ観えなかった。
午前2時から車で20分ほど離れたある家の警備に巡察する。
帰って空を観るとウソのように雲がない。

3時過ぎからおれは空を見上げていた。
しかし、どっちの方向に現れるのかラジオではいってなかった。
流星群のことにまったく知識のない九想です。
とりあえず天の上を観ていた。
しばらくしておれの好きな北斗七星の方角を観た。
すると、天の真上から東の方に大きな星が流れた。
そんなデカイ流れ星を子どもの頃から観たことはなかった。
北斗七星の横の方です。
これがふたご座流星群の流れ星かと思った。

その方角をしばらく観ていた。
すると5、6秒後にまた星が流れた。
太い流線だった。
明るさも抜群だった。
おれはその流星に感激した。
そのあとおれは期待感を持ってその方角の空を眺め続けた。

午前3時25分から30分ぐらいの間に、
かすかな小さなものから、
これまでおれが観たこともない大きな14個の流れ星を観た。
美しかった。
空にある三日月はきれいだ。
しかし、一瞬で消えてしまう大きな流れ星はなんていうか、はかなく美しい。
ちょっと言葉ではいえない感動がありました。

ただ立っているだけの「ザ・警備員」にも、こんな“役得”があるんですね。
ふたご座流線群の流れ星のゆくえを知りたい。
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残された柿の実

2007年12月14日 | 健康・病気

警備しているところにある柿の木に
残された柿の実を小鳥がついばんでいる。
柿の木の持ち主が、小鳥のために残しておいたのです。
小鳥がうまそうに食べていた。
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孫台風

2007年12月13日 | 健康・病気

息子が今週“夏休み”をとって1週間休みだという。
しかしいくら忙しいといっても今頃“夏休み”とは。
もうすぐ正月休みが来るっていうのに…。

それで先週、木曜日にうちに家族で遊びに来ると女房にメールがあった。
喜んでいたら一昨日、
「やっぱり仕事で行けない」とメール。
何で“夏休み”中に仕事があるんだと、がっかりしていたら、
「仕事が早く終わったので行ける」とまた女房にメール。

今日、おれは仕事明けで家に帰り食事をしてから寝た。
2、3時間で起きられるかなと思ったが、
結局起きたのが午後5時過ぎだった。
息子の「迎えに来てくれ」という電話で目が覚めた。
喜びいさんで息子の家へ。

この秋息子たちは、嫁の実家から中古の車を買ってもらった。
嫁は車に乗っているが、息子は恐くて乗れないという。
大学生のとき免許は取ったが息子はペーパードライバーだ。

孫が家に来たら、義母が喜んだ。
孫は“当然”しばらく黙りこくっておとなしかった。
11月のときにもおれが勤務のとき遊びに来ていたが、
まだ“知らない家”なので元気がない。
でも少しづつ笑い声などあげていた。

7時過ぎ、女房が仕事から帰ってきた。
孫もかなり慣れてきたようだった。
それでもママとパパのそばを離れなかった。
自分の家ではかなり元気に意味不明の言葉を発し、
動き回っているらしい。
8時過ぎ、爺婆の家を混乱させて孫台風は去っていった。
といってもおれと女房が車で送っていったのだが…。

孫はかわいい。
この孫のことを思うとなんていうか、
もう少しがんばって生きていこうという気になりますね。
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今ごろ

2007年12月12日 | 健康・病気
今日は、陶芸教室のある日です。
おれは勤務があるので行けない。
来週も再来週も勤務だ。
12月は1日しか行けない。
土をいじりたいです。
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