女房に負けた日

2007年09月23日 | 健康・病気
鍜地陽子フラメンコ教室の発表会が、
新宿エル・フラメンコで午後1時に開演した。
おれは店の中央の通路に臨時におかれたイスに坐っていた。
女房から、ステージに向かって正面の席に坐るようにいわれていた。

おれが家を出たのが11時だった。
11時半にはエル・フラメンコに着きたいと考えていたが、
なんだかんだで遅くなってしまった。
12時10分に着き、並んでいる客の列の最後は4階だった。
エル・フラメンコは6階にある。
ヤバイ、これじゃいい席はとれないなとあきらめていたが、
なんとか正面には坐れた。
しかし、前にテーブルはない。
ビール頼んだが、小瓶とグラスは手に持っているほかなかった。
ほんのり酔ったときにステージは始まった。

カンテ(歌)は女性と男性が2人、ギターは1人(先生のご主人)、
パカッション(カホーン)1人がステージに入る。
(カンテの横に1人女性がいた)
おれは、カホーンを注目して見ていた。
いつかはおれもフラメンコでカホーンを叩いてみたい。
できることならギターで女房の伴奏をしたいと考えている。

プログラムの2番目の「ファンダンゴス」に女房は登場。
3人で踊った。女房がフラメンコ衣装を着て輝いていた。
髪の毛は今朝、義母の団地のともだちが家に着て結わいてくれた。
おれは、そんな女房を観ていて目頭が熱くなった。

これまでのいろんな女房との暮らしを思った。
息子たちを育てるためにともに苦労をしてきた。
今年はじめ、作業所を辞めたときのこと、
膝を傷めて足場の会社を退社することになったこと、
昨夜、仕事から帰って、今の仕事が続けられないと話したこと、
ああ…、おれはどうしょうもない宿六だ。
人生の敗北者だ。

踊る彼女を観ていて涙がにじんできた。
そのうちあふれ出てきた。
ハンカチで拭かないと前が見えなくなった。

次はプログラムの6番目に踊った。
「ガロティン」
女房は自信たっぷりに踊っていた。
9月はじめ、膝を仕事で傷めたのに治ってよかった。
写真を撮りたかったが、撮影禁止なのでできなかった。
おれは、やっぱり涙なくして観ていられなかった。

休憩時間、おれは息子を探したが見つけられなかった。
女房の会社の同僚、フラメンコ仲間と会う。
席に戻り、またビールを注文する。
後半では女房は踊らなかった。

「ブレリアス」のとき、カンテの横に坐っていた女性が立って踊り始めた。
それまで手拍子やハレオをかけていた人だ。
うまい、と思った。
最後に、鍜地陽子が「アレグリアス」をソロで踊った。
それで分かったのだが、さっき、うまいと思った女性が先生だった。
さすがだ、これなら観ていていいなと思った。

女房がフラメンコを初めてどのぐらいたつのだろう。
10年以上は過ぎているはずだ。
今日の彼女の踊りを観てうまくなったものだな、と思った。
亭主のおれがいうのもおかしいが、ほんとによかった。
これまでは足の動きなどにとらわれていたと思う。
今日は、手の動きがよかった。
フラメンコらしいあでやかさがあった。

発表会が終わって店の外の通路で女房に会う。
彼女の荷物を持って帰るのがおれの本日の重要な役目だ。
そのとき、「Uに会ったよ。彼女はいい感じのコだったよ」という。
「おれは会ってないよ。探したんだけどな」
なんでUはおれを探してくれなかったのかな。
それともおれを避けたのか?
ちょっと不満だった。
帰り、紀伊国屋書店に寄った。
久しぶりだが、今の心境では本を見る気もない。
新宿をぶらぶらしたかったが、女房の重い荷物を持っていてはかったるい。
そのままおとなしく電車に乗った。

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