「なるほどニホンGO!」(NHK総合 09:45 ~ 10:00)を観た。
今日は夜勤なので12時までに出勤すればいい。
これは再放送のようです。
本放送は木曜日の10時からやっている。
「全然」という言葉を取り上げていた。
「全然+否定」というのが、この「全然」の“正しい”使い方で、
これまでは「全然出来ません」「全然駄目です」というふうに使われていた。
ところが最近では、「全然+肯定」で使われていることが多い。
「全然OKです」「全然好きです」「全然いいですよ」などです。
というところから番組は滑り出した。
中高年の女性と男性に「全然」という言葉の使い方について訊いた。
誰も「全然+否定」で使わなければおかしい、といっていた。
ところが、収録を終えてADが、
「喉渇きませんか?何か飲み物持ってきましょうか」と訊くと、
「全然平気です」という応えが返ってくる。
さっきまで番組のための収録をしている中では、
「全然」のあとは「否定」でなければおかしい、
と力説していた人たちが、プライベートでは「全然+肯定」だった。
みんなにこのことを指摘したら恥ていた。
大学のある教授が言っていた。
「全然」と、そのあとの「肯定」の間には、
言葉にしない「否定」があるんだと。
「全然、、(そんなことないですよ)大丈夫ですよ」という感じらしい。
私も「全然+肯定」というこの使い方には違和感があった。
「全然+否定」でなければおかしい、
最近の若い人たちはダメだな、といきどおっていた。
ところがです。
大学の日本語を研究しているある大学の教授が言っていた。
明治時代、夏目漱石も芥川龍之介も「全然+肯定」を小説の中で使っていた、と。
こうなると私の言葉に対する価値観が、足もとから揺らぎます。
私は、かなり強い気持ちで、
「全然OKです」「全然好きです」「全然いいですよ」
という言い方を軽蔑していた。
なんと知性のない使い方なんだ、と。
それが、明治の文豪も同じような使い方をしていたとなると、
たかだか57年間日本語を使ってきた私ですが、
私の言葉に対する知識に自信が持てなくなってしまった。
「おれはこれから、日本語に対して何も言えない」
そういう気持ちになった。
いったい言葉とは、なんなんだ。
今日は夜勤なので12時までに出勤すればいい。
これは再放送のようです。
本放送は木曜日の10時からやっている。
「全然」という言葉を取り上げていた。
「全然+否定」というのが、この「全然」の“正しい”使い方で、
これまでは「全然出来ません」「全然駄目です」というふうに使われていた。
ところが最近では、「全然+肯定」で使われていることが多い。
「全然OKです」「全然好きです」「全然いいですよ」などです。
というところから番組は滑り出した。
中高年の女性と男性に「全然」という言葉の使い方について訊いた。
誰も「全然+否定」で使わなければおかしい、といっていた。
ところが、収録を終えてADが、
「喉渇きませんか?何か飲み物持ってきましょうか」と訊くと、
「全然平気です」という応えが返ってくる。
さっきまで番組のための収録をしている中では、
「全然」のあとは「否定」でなければおかしい、
と力説していた人たちが、プライベートでは「全然+肯定」だった。
みんなにこのことを指摘したら恥ていた。
大学のある教授が言っていた。
「全然」と、そのあとの「肯定」の間には、
言葉にしない「否定」があるんだと。
「全然、、(そんなことないですよ)大丈夫ですよ」という感じらしい。
私も「全然+肯定」というこの使い方には違和感があった。
「全然+否定」でなければおかしい、
最近の若い人たちはダメだな、といきどおっていた。
ところがです。
大学の日本語を研究しているある大学の教授が言っていた。
明治時代、夏目漱石も芥川龍之介も「全然+肯定」を小説の中で使っていた、と。
こうなると私の言葉に対する価値観が、足もとから揺らぎます。
私は、かなり強い気持ちで、
「全然OKです」「全然好きです」「全然いいですよ」
という言い方を軽蔑していた。
なんと知性のない使い方なんだ、と。
それが、明治の文豪も同じような使い方をしていたとなると、
たかだか57年間日本語を使ってきた私ですが、
私の言葉に対する知識に自信が持てなくなってしまった。
「おれはこれから、日本語に対して何も言えない」
そういう気持ちになった。
いったい言葉とは、なんなんだ。
しかし、変化して欲しくないのが「父」「母」という言葉です。最近は「父親」「母親」と「親」をつける人がほとんどです。父母は親に
きまっているのに何故か。「この子猫の母親」
と言いますが、「子猫の母は」とはいいません。つまり両者の関係を強調するわけです。
最近は親との関係を強調する必要がある位
親子関係の情が希薄になっているのでしょう。
子供達は心情的ではなく、突っ放した見方で
親と関係に距離を置くことが無意識に広がって
いるのでしょうか。
父の恩、母の愛、というのと、わざわざ「親」をつけた言い方と比べて下さい。
どうしても親をつける必要がある時以外は
父、母という 美しい言葉をつかってほしい
です。
以上、折りあらば発言することにしています。
丁寧語、尊敬語、謙譲語の使い方にしても
結構へんてこりんな言い方を知らずしらずの
間にしていたりします。
私はサービス業に従事したいますが、こんな
上げ足をとるモンスタークレーマーもいます。
「本日は閉店させていただきました。」
と申し上げると、
俺は許可した覚えはない
「閉店いたしました。」だろう。と返ってきます。いやはや言葉は難しい。
私は、母や父に「親」をつけるのは、
音の坐りがいいからだと思うのですが?
「チチ」「ハハ」といい切ってしまうより、
「親」をつけたほうが柔らかさが生まれます。
「親」を強調すつためにつけているとは思われません。
これは個人の感覚ですから、なんともいえないのですが…。
話し方が好きではありません。
でも、現在私もサービス業をしていますと、
つい使ってしまいますね。
なんかそのほうが物事がおだやかに済むような感じがして。
こういう安易な考えがいけないんですね。
「親」を強調するために、に訂正します。