哀演児(3)

2017年07月22日 | 健康・病気

私は、そのとき勤めていた試薬会社を辞めた。
会社経営している社長としては、会社の儲かること、成長することを考えることは当然です。
でも、そのときの私はそんな社長が嫌いだった。
社長は、そのときに売れていた血液染色液のような製品を新しく開発したいと考えていた。
私は、会うたびに製品が売れることばかりいう社長の顔を見たくなくなっていた。
そして私は、1月に辞表を社長に渡し、2月に会社を辞めた。
劇団は、原宿にあるKデザイン研究所の近くに6畳一間のアパートを借りた。
そこが劇団の事務所になった。
劇団事務所が生まれた日、私たちは大酒を飲んだ。
あの日は楽しかった。
劇団には可愛い女の子が沢山いた。
茨城の高校を出た、うだつの上がらない男にも春が来たようだった。
私は真剣に芝居の勉強をしたいと考えていた。
会社を辞めてからは毎日、私は原宿の劇団事務所に行っていた。
夜になるとビール、焼酎、日本酒を金を出し合って買ってきて飲んだ。
大学というところに行ってない私にとって、劇団事務所は楽しかった。
劇団にいるみんながKデザイン研究所にいるなら、おれも入ろうかな、と思った。
もともと私は絵を描くことが好きだった。
中学生のときは、いつも美術は「5」だった。
私は、Kデザイン研究所を受験してみようと思った。
                            (つづく)

 

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