息子たちの誕生日2017

2017年07月03日 | 健康・病気

去年の7月3日の九想話を読んだ。
私は軽井沢で暮らしていて、朝から仕事だったんですね。
昼に女房に電話すると、息子たちの誕生日を忘れていたようだ。
あの人は、そういう記念日をほとんど忘れる人です。
今年は、朝一番に私が「今日は息子たちの誕生日だよ」といった。
「そうだね、あの子たちも37歳になったんだね。もう青年じゃないね」
「そうだよな。あんな小さかったのにな」

1979年、私たちは高島平団地の公団の1DKが補欠当選して10月に引っ越した。
それまでは、池袋から2つ目の東長崎駅近くの、風呂のない6畳ひと間のアパートに暮らしていた。
そこから風呂付きの公団住宅に移れたのは幸せだった。
風呂があるから子育てができると考え、子どもを生むことに決めたら女房が妊娠した。
その頃の私は、求人広告を扱う広告代理店に勤めていた。
9時から夕方5時まで電話営業をしていた。
新聞やアルバイトニュース、求人情報誌に広告を載せている会社に電話をかける。
「*日に求人広告を載せていましたが、反響はありましたでしょうか?」
私のいたその会社は、読売の九州版に毎週日曜日に広告の枠を持っていた。
九州の若者たちに東京で働くことを勧める求人広告の企画をしていた。
私たちが電話をする会社は、寮のある会社だった。
しかし、電話するたびに断られた。
私は毎日、絶望的な気持ちで仕事をしていた。
2001年の12月の「営業マンだった私」という九想話に詳しく書いてあります。

私と女房は貧しかった。
息子たちは1980年7月3日に生まれ、私と女房は一所懸命、息子たちを育ててきた。
彼らは大学を出て社会人になり、結婚して子どもが生まれマイホームも買った。
2人ともそれぞれの会社で、それなりの立場になっているようだ。
私と女房は、息子たちに迷惑をかけないように残りの人生を生きようと思っている。
女房が今日、息子たちに「誕生日おめでとう」とLINEを送ったという。
筆無精の息子たちが、女房に「ありがとう」と返事をくれたらしい。
長男からは、孫の写真をくっつけて返事が来た。
私はその孫の写真を、女房から転送してもらった。

コメント
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