1960年代フォーク作品集

2017年07月19日 | 健康・病気

昨日の夜は、食事をしたあと眠たくてテレビの前で寝てしまった。
どうしょうもなくて、そのまま布団に入って寝た。
平日はいつもこんな状態です。
通勤と仕事で1日12,000~14,000歩、歩いている。
これでかなり身体が疲れます。
暑いせいもあるのでしょう。
夜中3時過ぎに目が覚めた。
ポケットラジオをつけると「ラジオ深夜便」の3時台
「にっぽんの歌こころの歌 ジャパニーズ・ポップス:1960年代フォーク作品集」をやっていた。

若者たち (ザ・ブロードサイド・フォー)
空に星があるように (荒木 一郎)
バラが咲いた (マイク 眞木)
花と小父さん (伊藤 きよ子)
あなたのすべてを (佐々木 勉)
悲しくてやりきれない (ザ・フォーク・クルセイダーズ)
山谷ブルース (岡林 信康)
遠い世界に (五つの赤い風船)
さすらい人の子守唄 (はしだ のりひことシューベルツ)
白いブランコ (ビリー・バン・バン)

1曲1曲聴いていて、懐かしさがこみ上げてくる。
私が中学生・高校生のときに流行った歌たちです。
特に「悲しくてやりきれない」「山谷ブルース」「遠い世界に」「さすらい人の子守唄」はたまらなかった。
私が高校生のとき、ザ・フォーク・クルセイダーズの他の歌もギターを弾いて歌っていた。
加藤和彦が軽井沢で自殺したとき、私も軽井沢で暮らしていた。
加藤和彦が私の近くで死んだのかと思うと、複雑な思いです。
「山谷ブルース」に憧れて、アホですが20歳の頃、山谷で働いた。
南千住駅で降りて、職業安定所に6時半までに行く。
そこのシャッターが6時半に開き始める。
20センチほど空いたら身体を潜り込ませる。
割のいい仕事を早く探すためだ。
そこであぶれたら、外にいる手配師に頼る。
会社の休みのときに、龍彦なんかと山谷に行って仕事をやりました。
山谷のことはいつか九想話に書きたい、いや過去に書いたような・・・。
岡林信康、はしだのりひことシューベルツは、高校3年のとき、
下館市(現筑西市)で労音のコンサートがあり、私は見に行った。
憧れのフォークシンガーです。
遠い世界に(五つの赤い風船)は、高校の吹奏楽部の定期演奏会で、私がステージでギターを弾いて歌った曲です。
そのときは私たちの第1回定期演奏会だった。
1部と3部は吹奏楽の演奏ですが、なぜか2部は部員がやっているフォークバンドの演奏だった。
顧問の先生は大学を出たばかりの若い教師だったから、そんなプログラムをさせてくれたのだろう。
そのときに父親が見にきていて会場にいた。
どんな気持ちで息子の歌を聴いていたのか・・・。
深夜に「1960年代フォーク作品集」を聴きながら、そんなことを思い出していました。

コメント
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