昨夜は、某所で友人と飲む。
6時15分に東武東上線のT駅で仕事帰りの彼を待つ。
その駅前の居酒屋に入る。
木曜日ということもあり、他の客はいなかった。
いわゆる貸し切り状態です。
料理を運んで来た女の子にそれをいうと、
「明日、花金なので今日はみなさん遠慮しているのでしょう」という。
7時頃になってやっと客が入って来た。
友人と互いのことを、世間の噂話を、ああだこうだ話した。
そのうち、友人が真面目な顔をして話し始めた。
「小説を書けないのに書くなどと九想話に書くな。黙って、書け」
それをいわれるとつらい。
なにもいい返せない。そして、
「最近の九想話はつまらねぇ。どうでもいいことをアリバイ的に書いているだけだ」
その通り、のことをいわれてしまった。
軽井沢の景色を写真に撮り、しょうもないことを書いている。
埼玉の庭の写真を撮り、書き流している。
以前の九想話は、それなりに世の中に対しての意見を書いていた。
しかし、最近は、へたなことを書くととんでもないコメントが書かれるのではないか、
と恐れている私は、怖くて批判めいたことは書かないようにしている。
友は、そのことを指摘している。
自分でも忸怩たる思いはある。
でも、60歳を過ぎて穏やかに生きたいと思う私です。
(だったら九想話を書くことをやめればいい…)
ああ…、そういう自分が情けない。
友は、九想話を書き始めた頃の気持ちを忘れるなという。
その通りです。
九想話を書き始めた18年前は、怖い物知らずだった。
かなり世の中に対して自分なりの意見を書いていた。
そして、怖いコメントもいただいた。
今の私は、正直なところ“おんびん”に暮らしたいという気持ちが強いです。
ダメな九想になってしまいました。
友よ許せ、これから“たま~に”尖ったことを書きます。
しかし、日々は世間にさしさわりのない生温い九想話を書いていきます。
しょせんこのていどの九想です。